海原の強さ
「ぐえっ!」
身体が跳ねる。声が漏れる。
身体全体に衝撃、そしてまた身体が跳ねる。
海原は真っ逆さまに落ちて行く最中、その穴の所々から生えている植物の葉のようなものに引っかかり続けていた。
落下の衝撃はその度に分散されていく。
びよんと跳ねて、また落ちる。落ちたかと思えばまた引っかかり跳ねる。
それを何度繰り返したのだろうか。気付けば海原は冷たい地面の上にうつ伏せで寝転がっていた。
「まじかよ…。まだ生きてる」
あっけにとられた呟き。
海原はしばらくひんやりとした地面の感触を頰で楽しんでいた。
「……馬鹿野朗が」
歯ぎしりと共に言葉が漏れる。
瞼の裏にアイツの笑い顔が張り付いて、取れない。
カッコつけやがって、鮫島。
カッコ良すぎるじゃろうが、お前だけ。
海原は死地に残った友を思い浮かべる。対等でありたかった友人に救われた。
自分はなにも出来なかった。
無力感はたちまちに倦怠感となって海原の四肢に広がる。行動を阻害するモヤ、人はいつだって肉体よりも先に精神が折れる。
ぎり、奥歯を噛みしめる。
「アホか、俺は」
海原は立ち上がる。ゆっくりと力強く。泥だらけの体を引きずるように。
「鮫島は生きている…… 必ず」
自らに言い聞かせる。
なら、俺がここで止まるわけには行かない。生きて再び鮫島と合流する、ここを脱出して樹原のクソ野朗を仕留める。
やることは山ほどある。この程度の絶望で俺が止まることは許されない。
海原はそう考えた。
無意識に行った友人からの薫陶はたしかに海原の精神を安定させていった。
「にしてもここは、明るいな」
海原は落ち着いたままあたりを見回す。先程いた白い広間とあまり変わらない明るさ。
上を見上げれば、吹き抜けのようになった空間が縦に広がる。そこかしこから伸びている大きな葉っぱ。
あれに引っかかりながら落ちたのだと海原は理解した。上を見上げれば見上げるほどに葉っぱの密度は高くなっている。
その先は見えない。霞んでいるのか?相当な高さ、かなり深いところに落ちてしまったのだろう。
海原は足元を確認する。明るさの原因がすぐに分かった。
先程まで地面は黒い泥に塗れていたのだが、ここは違う。まるで海の白砂ようなサラサラしたものが覆う。
よく見るとそれは一粒一粒が輝いている。真昼の陽光を反射する砂浜のようだ。
「なんつーデタラメだよ、本当によお」
しゃがみこみ、それを片手のてのひらで掬う。
キラキラと光る白砂、光そのものを削りカスにしたかのようだ。
「….…水、飲みてえな」
しばらく手から零れ落ちる砂を眺めていた海原は喉の渇きを自覚する。
そうだ、確か鮫島と段取りした当初の予定では水場を探そうとしていたはずだ。
「……どうやって探しゃいいんだよ」
海原は小さく呟いて顔に手をやる。しばらく動きを止めて、それから辺りを見回す。
観察を始める。
360度どこを見回しても、白砂が広がるばかりの空間……、いや、そうではない。
「あれは…… 木か?」
海原の見回した先、遠くの方にそびえ立つ棒のようなものが見える。
目算でもかなりでかい、目を凝らすと葉っぱが広がりそびえ立つそれが一本の木だと分かった。
植物があるということは水がある。鮫島の言葉を思い出す。
「……分かってるよ。鮫島、まずは水、なんだろ?」
ざく、ざく、ざく。
スポーツシューズが白砂を掻き分けていく。海原はそのまましっかりとした足取りで目の前に広がる空間にぽつりと聳える木を目指して歩き始める。
ざっ、ざっ、ざっ。
足を取られる白砂、海原はそれでもペースを落とさずに進んで行く。
鮫島との合流、海原は必ず生きている友人の再会のため、自らの生存を目的に歩き続けた。
……
…
海原が歩き始めてかなりの時間が経った。少なくとも海原はそう思っていた。
遠くに見えていた木も今やかなり近くなっている。
あともう少し、海原は息が荒くなるのを自覚しながらもそのペースを維持して歩き続けていた。
「うおっ!」
ふらり、海原が前につんのめる。崩れた態勢、何かに足を取られた海原は抵抗むなしく地面に倒れる。
やべえ、相当疲れてんな、これ。
普段の海原ならばそのまま態勢を元に戻す程度の事は出来たろう。度重なるトラブル、加速的に進む身体の渇き。
海原が自覚するよりも身体の限界は近い。
むくりと身体を起こして海原はため息をついた。スラックスに白く輝く砂がまぶれる。
「あー、ぶちたいぎぃ。てか、躓いたのか?」
そのまま海原は足元を見つめる。何も海原は砂に足を取られたわけではない。
「なんだよっ、ったくよー」
ふかふかの砂の奥にある何かに足を引っ掛けてしまったのだ。海原は足元を探る。
すぐにそれは見つかった。半ば砂に埋まるようにそれはそこに在った。
紺色のポリエチレン生地で作られた変哲もないナップザックがそこに落ちていた。
「……オイオイオイ。マジかよ。無いと思えばこんな所にまで落ちてたのか?」
あの時、一番初めに崩落に巻き込まれた時に手放してしまったものだ。
目覚めた場所には無かったのに、なんで今更こんな所で見つかる?
海原は砂の中からひょいとナップザックを持ち上げてじっと眺める。
しばらくそのようにして思考を巡らせていたが、小さく息を吐いた後に一切の理由を考えるのをやめた。
「まあ、今更どーでもいいか」
単純に考えるのが怠かった。海原はその場に座り込み。ナップザックの口を開いて中身を確認する。
「水、水、水っと」
あった。出発前に適当に入れておいた500ミリペットボトルがきちんと入っている。最後に休憩した時に全部飲まずに残しておいたのが功を奏した。
ぱちり、未開封のキャップを開く。飲み口を唇で迎えて一気に中身を煽る。
無色透明の詰められた水が身体の中に染み込んでいく。喉を通る度に、脳の芯に染み入るような快感が押し寄せる。
ごくり、ごくり、ごくり。
喉を鳴らしながら水を飲む海原、唇の端から水が一筋垂れる。
「っああ〜、生き返る……」
半分以上の水を一気に飲み干した海原。残りは飲まずにそのままキャップを固く絞りナップザックに放り込む。
身体が一気に潤った。やはり身体は素直だ。水を飲んだ途端に先程まで感じていた倦怠感が薄らいだ気がする。
よし、後もう少しだ。歩こう、と身体を起こそうしたその時、とある事を思い出した。
「待てよ、水があるっつー事は」
独り言をのたまいながら海原はナップザックを探る。
探していたモノはすぐに見つかった。
チャキ、鉄が鳴る音。
ナップザックから引き抜くように取り出したソレ。
先端はまっすぐ尖り、鈍色の短い棒。長さ30センチほどの鉄パイプが海原の手元で、白く輝く砂の光を受けて鈍く光った。
鋭く尖った先端を眺めたり、少し振ってみたりする。
「ま。ないよりはマシか」
田井中に聞かれたらどやされそうだな、海原は年下の友人を思って僅かに唇を緩めた。
早いとこ田井中も探さねえとな。樹原をやるにはあいつの協力も必要になるはずだ。
「よし、コイツは貫き丸と名付けよう」
なんだよ、その名前はよぉ、お前そういうガキっぽい所あるよなぁ。
耳の中に悪友の声が再生される。鮫島がいたらきっとこんな風に悪態をつくのだろう。
「うるせーよ」
小さく海原はその声なき声に呟く。その顔には小さな笑いが浮かんでいた。
今は隣にその友人はいなくともそのうち必ず再会出来る。
あいつが死ぬ訳がない。
海原は、希望を見る。状況だけを見ればとうとう一人になった。自分が今どこにいるかも分からず、脱出の目処も、方法も分からない。
でも、それでも。
「まだ生きてる」
言葉に出す。そう、俺はまだ生きている。ならばなんとでも出来る。
今はくよくよしている暇すら惜しい。
「よし、行くか」
海原は立ち上がる。右手には鉄パイプ、左手には飲料水入りのナップザック。
孤独な生存者は前を見る、絶望の気配が足を止めようとまとわりつくもそれを無理やり無視をする。
辛い事は見ない、苦しむのは後回しにする。これは海原が世界が終わる前に社会生活において手に入れた人生へのスタンスだった。
後悔するのは、苦しむのは全てが終わって諦める時だ。
「それは、今じゃねえ」
凡人生存者は立ち上がる。凡庸ゆえ、石ころゆえにその精神も身体も頑丈な事だけが取り柄だ。
すぐ背後、耳の後ろの冷静なもうひとりの海原が絶望を囁く。
海原はそれを聞かない。海原はそれを見ない。
良いことだけを、自分にとって都合の良い事だけを見るのも一種の強さなのかも知れない。
故に海原善人はこの状況でまだ壊れる事なく動き続けていた。
「ん?」
その場を進もうとした海原、砂の上にあるモノを見つける。
反射的に小さなそれを拾い上げた。
こんなもんあったか?
海原の拾い上げたそれは
「……折り紙か? カエル?」
ピンクの色紙で折られたカエルだった。手のひらにチョコンと乗るサイズの可愛らしいカエルの折り紙。
海原はそれを摘み上げ、しばらくジィと眺めたり後、一度はそれを捨て去ろうと手のひらを傾けた。
「……やめた」
傾けた手のひらを優しく握り込む。それは只の気まぐれだ。
どこの誰が落としたとも分からぬ、行方のないその折り紙がなんとなく可哀想に思えた。
海原はそれを胸ポケットにそっとしまった。
なんの変哲もないその折り紙は、何故だろうか。胸ポケットにしまったその瞬間、ほんのりと温かさを感じた、ような気がした。
「旅は道連れってな。もうひと頑張りしますか」
海原はそのまま再び、歩み始めた。
目標としている木は後もう少し。
それにしても、大きな木だな、おい。
ビュオオオオオオオオオ。
「うお」
風が海原を通り越す、突風、白砂が風に攫われていく。
海原は風の中をゆっくり、しずかに進んで行く。その足跡を風に攫われ消えていく。
目的地まで、あと少し。
オオオオオオオオ。
風の音の中に混じるその遠吠えに海原が気付く事はなかった。
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