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樹原勇気という人間。

 





 …………

 ……

 …




「先生、樹原先生。ここって一体なんなんですかね?」



 影山の男にしては高い声が薄暗い空間に広がる。


 並んで歩く樹原が影山と歩調を合わせながら



「そうだね…… はっきりとした答えは僕も分からないが少なくとも、人が作った場所ではないのだろうね、だけど安心してくれ。影山くん。きっとみんな無事さ」


 にこりと影山を安心させるように笑う。


 月明かりに照らされた夜道のような空間だ。その柔和な笑顔ははっきりと影山にも見えたらしい。



「そ、そうですよね。樹原先生が起こしてくれて本当に良かったです」



「あはは、あんな所で寝ていたんじゃあ風邪を引いてしまうからね。でも影山くんが無事で良かったよ」



 べちゃり、ばたゃり。靴が泥濘みを散らしていく。影山のふっくらとした頰には泥がべたりとこびりついている。



「……ほかのみんなはどこに行ってしまったんでしょうか? 急に足元が崩れるなんて思ってもみませんでした」



「恐らくだけどそう遠くには行ってないんじゃないかな? ほら、現にこうして僕と影山くんは合流出来たんだしね」



 樹原はゆっくりと笑う。肩には痛々しい抉られたような傷跡があるにもかかわらず。



「そっか、なるほど。樹原先生ってやっぱりすごいです。こんな状況なのにすごく落ち着いている」



「あはは、カッコつけているだけさ。大事な生徒の前だからね」



 朗らかに笑う樹原。影山もつられて笑う。そしてすぐに影山の笑いは潜んだ。



「あっ、先生、肩…… 怪我してませんか?!」



 薄明かりの中、影山が樹原の負傷に気付いたらしい。目を丸くしてその歩みを止めた。



「ん? ああ、これか。……怖がらせてしまうと思って黙ってたんだけどね。影山くんと合流する前に、ちょっとしたトラブル……いや、()()()()に襲われてしまったんだ」




 樹原が傷を眺めて、それから影山に笑いかける。その顔には痛みや傷による動揺は見当たらない。



「トラブルって…… 先生、それ大丈夫なんですか?! 血だって、出てるし、それに化けモノって!」



 影山が興奮したように声を荒げる。本気で樹原を心配しての言葉と焦り。



「あはは、ごめんね、影山くん。君に要らぬ心配をかけてしまったみたいだ。でも安心してくれ。かすり傷さ、大した事はないよ」



「でも、先生……」


 言葉を紡ぐ影山、その瞳には動揺が写り込んでいる。樹原はふむ、と小さく呟き、その形のよい顎に手を当てる。



「ああ、なるほど、影山くん。君は化けモノの事が気になってるのかな?それなら心配いらない。追い払う事が出来たからね、もう二度と僕らの前に姿を現わす事はないよ」



 そう、二度とね。と小さく樹原は口の中だけで呟く。


小さすぎるその呟きはとなりに立つ純朴なこどもには聞こえなかったようだ。



 樹原は再び歩み始める。追いつくように歩き始める影山に向かって言葉を投げかけた。



「そうだ、影山くん。僕の怪我よりも君は大丈夫かい? 身体に違和感などはないかな?」



「え、あ、はい! 僕は大丈夫です、先生本当に休まなくていいんですか?」



「影山くんは優しい子だね。ありがとう。じゃあみんなを見つけて後に少し、休ませてもらおうかな」



「そ、そんな事ないです。ぼくなんて臆病でドジで…… いつもみんなに馬鹿にされてたし」


 影山が小さく俯く。小さな背丈がより小さく樹原の目に映った。



 ああ、なんとやりやすいんだろう。あの2人のような厄介なモノもいれば目の前のこどものようなモノもいる。



 人間はやはり、面白いな。


 樹原はそのドス黒い内心をおくびにも出さずに、心配したような声を再現、表情も意識して暗くする。



「影山くん、確かに君は君の言う通り、今まであまり目立つタイプではなかったかも知れないね。残酷な話だが僕はそれを否定はしないよ」



 影山はその言葉を受けて、更に深く俯く。優しい樹原にさえそう思われていた。


 分かっていた事だがこうして、言葉にされると実感を伴った恥ずかしさにも似た痛みを感じる。



 影山が小さく、そうですよねと樹原の言葉に同意しようとしたその時。




「だが、今は違うだろう。 影山 勉」



 影山はハッと顔を上げる。



 その声、心を鷲掴みにされるような重たい声の方を向いた。


 美しい彫刻のような彫りが深い目鼻立ちの整った顔、その顔がまっすぐ自分を見つめている。



 どこか人間離れすらしてると感じるその怪しい美に影山は固まる。



 影山は樹原から目を離せない。



 ゆっくりと樹原の大きな手のひらが影山の肩に置かれた。手を置かれた所がじんわりと暖かい。



「君には凡人にはない特別な力があるだろう? それは福音だ。君は選ばれた人間なんだよ、影山くん」



「え、選ばれた?」



「そう、選ばれたんだ。君のスピーク・ザ・デビルはとても素晴らしい才能だ。昔の君と今の君はね、もう違う存在なんだよ」


 樹原がその場に屈む。180センチ近い身長の樹原と160センチもない影山、両者の目線の差が縮まる。



 樹原は、その場で固まる影山に向かい、囁くように言葉を紡ぐ。



「君は自信を持っていいんだ。影山くん。君は気付いていないかも知れないが既に君は田井中くんや東雲くんと言った特別な存在と対等な存在なんだよ?」



 赤子を諭すかのように樹原の言葉は優しく影山の脳みそに染み渡る。



「ぼ、ぼくが対等……?」



「そうさ、ずっと僕は君に言っていただろう。自信を持ちなさい。君は君の思う以上に特別なのだから」


「特別……」



「君が先ほど、田井中君に立ち向かった姿。僕は感動すら覚えたよ…… 君は間違いなく成長している」


 樹原の言葉は蜜だ。


 必要な者に必要な言葉を必要なだけ与える事が出来る、しかしその蜜の甘さの中には毒が隠されている。



 影山はその蜜を喜んで受け入れる。毒がある事なんて気付く訳もない。いやもし毒があると気付いていてもその蜜に抗うことは出来ないだろう。



 影山勉のコンプレックス。他人より劣る能力や容姿。そのマイナスを樹原はうまく利用する。



「君のことは頼りにしているよ、影山くん。僕は君の教師になれて良かった」



「そ、そんな先生…… 僕、ぼくだって先生が先生で良かった。今までぼくにそんな事言ってくれたのは、先生と、流奈ちゃんだけです」



「流奈ちゃん…… 、ああ桧山さんの事だね。そうか、君たちもしかして……」



 樹原はニヤリと笑う、演技をする。この顔は鮫島や海原を、真似たモノだ。


 男同志の会話、とやらをするときに役が立つ事を樹原はこの1ヶ月で学習していた。



 影山が照れたように



「いや、その、昔からの幼馴染なんです…… 今も学校でぼくの事待っててくれて、その」



「素晴らしいじゃあないか、影山くん。お似合いだよ、祝福させてくれ、必ず帰ろうね、大切な人の元へ」



 樹原は笑う。


 影山も釣られて笑った。



 しばらく2人の笑いが続き、その笑い声は樹原の表情が急に曇った事で終わりを告げた。



「先生?」



 心配そうに影山が樹原に呼びかける。


 樹原は努めて笑顔を作るフリをした。



「あっ、ああ。済まないね、影山くん。いや、ふと自分の無力さを感じてしまったんだ」



「先生が、無力?」



「ああ、ぼくは影山くんはもちろん。ほかの生徒のみんなを無事に連れて帰る義務がある。それにはみんなが協力する事が大事だろう?」



 影山は小さく、しかししっかりと頷いた。



「……恥ずかしい話、ぼくは田井中くんにはどうも嫌われているようでね。実際さっきも不幸なすれ違いにより半ば喧嘩別れをしてしまっただろう? 彼に会った時どうしていいかわからなくてね…… あはは、教師失格だね」



 寂しそうに笑う樹原、影山は強く首を振る。



「そ、そんな事ないです! 樹原先生はとても立派な人です! 田井中……くんだってきっと分かってくれます!」



「あはは、不思議だね。影山くんに言われるとなんだか勇気が出てきたよ、ありがとう」



「そ、そんなぼくなんて」



 影山の肩に置かれたその手に力が込められた。



「ぼくなんて…… じゃないよ。影山くん。君は素晴らしいんだ。……影山くん、恥を忍んで君にしか頼めない事があるんだが聞いてくれないかい?」



「僕にしか頼めない?」



「そうだ、君にしか、影山勉にしか頼めない事だ。……もし、田井中くんを見つけた時に、彼がまだ怒っていたりしたら、どうだろう、影山くん。僕の味方をしてくれないかい?」



「先生の?」



「そうだ。ぼくの言葉は彼に届かなくても、彼と()()()存在、特別である君の言葉は聞いてくれるかも知れないだろう? これは君にしか頼めないんだ」



 樹原がまっすぐと影山を見つめる。



 影山の胸に熱が灯る。


 期待されている。本心から尊敬出来る人に自分は今、頼られている。



 人生で初めて感じる他人からの感情に影山は中てられていた。



 相手が、悪すぎた。



 影山はうなづく、うなづいてしまった。



「はい、はい! 僕は先生の味方です! 先生の力になりたいです!」


 樹原はニコリと笑いかけ、立ち上がる。



「あはは、頼もしいな。本当に。ありがとう、影山くん」


 慈愛と親愛にみちた瞳で樹原は影山を見る。少なくとも樹原の目は影山にはそんな暖かいものとして映っていた。



「さあ、行こうか。影山くん。みんなを探さないとね。大丈夫、ぼくと君がいるんなら何も心配する事はないさ」



 しっかりとした足取りで、樹原がその場から進み始める。



 影山はどこかぼうっと、まるで何か眩しい物をながめるようにその後ろ姿を見つめていた。



 ぼくもあんな風になれるかな。



 こどもは常に、心の何処かに柱となる大人を求める。いや、こどもだけではない。


 人は常に誰かに憧れ、依存し、そのものになりたいと願う事が多々ある。



 決してそれは悪い事ではない。


 影山は明らかに今、樹原 勇気の光に中てられていた。


 樹原に憧れ、それになりたいと願う。


 信頼を向けていた。




 親鳥についていく雛鳥のように影山は樹原の背を追う。



 ふと、何気なく近くなっていく背中、大きな背中に声をかけた。



「先生、そう言えばあの人達も近くにいるんですかね? 海原さんや鮫島さん。あの先生と同じ探索チームの人たち」



 樹原の歩みがぴたりと止まる。



 影山の足もぴたりと止まった。


 無意識に影山の背筋に流れた一筋の汗。身体が鳴らした警鐘、しかし理性は其れを無視した。



「ああ、彼らとはまだ()()()()()()()


 ゆっくりと樹原が此方を振り向く。


 その顔を見て、影山はほっと息をつく。



 良かった、いつもの先生の顔だ。


 ニコリと笑う綺麗な笑顔。



「彼らの事が気になるかい?」



 樹原の問いかけに影山は首を傾げた。



「えっと、その一応は……」



「そうか、君はやはり……優しいね。大丈夫、彼らも無事だよ。そのうちヒョコっと現れるさ」



 そう言って樹原はまた歩き始める。



 影山はそれ以上追求はしなかった。きっと先生が言うのならそうなのだろう。



 先生の言う通りにしてたら間違いない。



 安易な結論、されど影山はその結論に安心すら感じていた。



 影山が樹原に追いつく。



 ばちゃり、ばちゃり。


 2人は歩く。



「まだ先は長そうだ。影山くん、少し話をしないかい?」



「ええ、もちろん。なんの話をしますか?」



 歩きながら彼らはまるで友人のように言葉を交わす。



「そうだな、例えば…… 君のその力について、スピーク・ザ・デビルについてなんかどうだろうか?」


 薄暗闇の中、生徒と教師の何気ない会話が始まった。


 生徒は気付かない。教師の瞳がこれまでになく輝き、そしてその輝きには昏いモノが混じっていることなど気付くはずもなかった。







読んで頂きありがとうございます!


宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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