海原と鮫島。
「は?」
一瞬の出来事だった。
人から外れた竜人と、人の悪辣を秘めた怪物の殺し合いは海原の把握出来ない速度で始まり、やがて終わった。
今、何が起きた?
おい、鮫島。おまえがなんで倒れてやがる? 仰向けのまま倒れてんじゃねえよ。早く起きろ。
ほら、じゃないとまた化け物がまた槍を、振りかぶってーー
ドッ。
無造作に、まるで地面に突き刺すような気軽さで化け物が槍を再び振り下ろした。
びくんと、鮫島の身体が大きく痙攣しそのまま動かなくなった。
「ギい」
鮫島の身体に突き立つ槍はまるで墓標のように見えてーー
「お、おあああああああああ!!!」
海原の身体は勝手に動き出した。四肢の付け根が沸騰しそうなほどに熱い。その熱が原動力となり海原の身体を動かす。
勝機などない。あるのならば鮫島がまだ動けるうちに海原も参戦するべきだった。
考えなどあろうはずもない。気付けば海原は化け物に迫っていた。考えがあるのならば丸腰であのような化け物に近づくなどできるわけもない。
最早この虫の化け物は常人の手に負えるものではない。特別を手に入れ、竜の力の似姿を得た超人でさえ、その悪辣の前に伏した。
今更、凡人に出来る事などなかった。
「オオオーー」
「ギ」
バチン。
首が捥げたかと錯覚した。視界に捉えていた化け物の姿。その背中から何かが迸ったのだけが分かる。
「マアあブ?!」
訳の分からない叫び、悲鳴が口のから血と共に溢れでる。
化け物は迫る海原を見ることすらせずにその先端が踏み潰された太い尾で海原を薙ぎ払ったのだ。
まるで人間が意識せずに羽虫をはたき落とすように。
殴られた、海原がそれを理解した瞬間、いつのまにか吹き飛んでいた身体が地面に激突する。
上も、下も分からない。今、自分が倒れているのだけが分かる。
グラグラに揺れて、霞む視界の中億劫そうに化け物が鮫島の身体から槍をずるりと引き抜いていくのが見えた。
びくん、びくんと鮫島の身体が陸に上げられた魚のように震える。
海原の視界の中で、鮫島の近くの地面に朱が渡っていく。
その量は素人が見ても、どう考えても致命傷のソレ。
「あ、ああ。あああああ」
身体が動かない。立ち上がなければならないのに足が震えて動けない。
からん、からん。からん。
「ギィギ、ギギギギギ、ギ」
鮫島から引き抜いた赤い血が滴る槍を引き摺りながら化け物が此方へゆたり、ゆたりと歩いてくる。
からん、からん、からん、からん。
大理石のような石材の上で、引き摺られた槍先が歌う。
趣味の悪い子守唄だ。ふざけんな、こんな、こんな終わりなんてあるかよ。
海原は身体に力を入れる、しかしダメだ。言う事を聞かない。先ほどと同じじゃないか。
どうして、こうなるんだ。俺たちが何をしたって言うんだ。
海原は鼻の辺りにツンとしたモノを感じながらも前を見やる。
死が悪辣な意思と冒涜的な姿を以って近付いて来ている。人生の終わりをこんな化け物によって迎えなければならないのか。
海原の身体を絶望が覆う。眠気にも似た感覚が身体に広がる。
ああ、瞼が重い。
視界が暗く、狭く、閉じていきーー
「いや、ダメじゃろ。それはいけまぁ」
口の中、舌が回る。理由などない。ただ、言葉が勝手にこぼれ出た。
さっきも俺はそうやって諦めた。諦めて逃げようとした。
海原は前を見る。地面を手のひらで掴むように指の腹を石材に押し付ける。
奥歯を噛み締め、前を見る。
怖気て動かない足をバタバタと動かす。
海原の脳みそが駆け巡る。凡人が出来る最後の抵抗を探す。
俺に、出来る事など最早ない。でも、でもよ。
お前は違う。
お前は凡人なんかじゃなかった。
お前はやっぱり初めて会った時に俺が感じた通りの奴だった。
お前は凄い奴だよ。
「鮫島……っ鮫島ァァァァ!!」
海原が出来るのはこれだけだった。友人の名前を呼ぶ。
なんの理由もなく、なんの合理性もない。既に致命傷を負って血溜まりの中、ピクリとも動かない、眼前で斃れた友の名前を呼ぶ。
槍で急所を2度も貫かれた人間に、呼び掛ける。起きるわけもないのに。
「寝てんじゃねえ! 起きろ! 鮫島! ここでお前と俺が死んだら春野さんはどうなる?! 」
無意識に海原は鮫島の姪の名前を叫ぶ。
途端、眼前に異変。
海原の倒れる場所までに伸びてきそうな血溜まりに波紋が起きた。
「てめえの姪じゃろうが!! てめえが守れ!」
海原は自分でも何を叫んでいるのかが分からない。死を目前とした身体から分泌されるアドレナリンが勝手に言葉を生み出していく。
ブボっ。
噴水、赤。吹き出る。
仰向けに倒れている、鮫島。その鮫島が大きく血を吐いた。
それはまるで噴水が吹き出るかのような。
カラン、からん……
槍の歌が止まった。
海原に向かって迫っていた、化け物が後ろを振り向く。
海原はその光景を黙って見ていた。口角が緩むのが抑えられない。
あり得ない光景、しかし海原は今の光景をどこか確信めいたモノを以って受け入れていた。
「……しょーガネエよなぁ。海ハラぁ……。こんナによオ、騒がしくされたラヨお、おちおちシンデもいられねえよなあ」
まるで線の切れた操り人形に再び糸をつなぎ合わせ、手繰っているような。
幽鬼の如く、現実感のない動きを伴いながら鮫島が立ち上がる。腰を突き出し、頭と両腕を引き上げながらぬるりと立ち上がるその姿。
目には赤い光が灯る。口から吹き出る吐息は蒸気機関のように白く染まる。
「……イチヒメによお、貰っていた御守り、いつのまにか落としてタンダナぁ…… まあ、血塗れにナルヨリマシだろ、へっ、マタ、ドヤされちまうなあ」
のらりと鮫島が一歩、前へ。どちゃりと血溜まりを踏み付ける音が鳴る。
「ギ」
化け物が一声鳴き、羽を振動させ空に浮く。そのまま槍先を鮫島に向け、真っ直ぐ突進した。
「ジャマだ」
鮫島が右手を振りかぶるのが海原には見えた。
今までで一番の速度、突風が吹き荒れたかと錯覚する勢いで振られたその右手は
「ギュイ?!」
がギィいいん!!
金属が軋むような音を鳴らしながら迫る化け物に直撃した。
踏ん張るもののない宙空で羽虫のように叩かれた化け物は宙を舞いながら吹き飛んで行く。
どん、どん。と床に落ち、何度も転がって、やがて止まった。
「……すげえ」
海原は呆然とその光景を眺めて呟く。
ふわり、鮫島が跳ぶ。血溜まりを跳ね、宙を舞うその姿、軌跡のように赤い血が飛んでいた。
すとっ。小さな音を立てながら海原の隣に鮫島が着地する。
海原は慌てて立ち上がる。いつのまにか身体の強張りは取れていた。
「鮫島っ! お前!」
「よオ、海ハラァ…… お互い、ズタボロだなァ……」
息も絶え絶えに膝をつきながら鮫島が海原を見て笑う。凶暴な笑顔、比喩ではない。その口の端からは人ならざる牙が覗く。
不思議と海原にはそれが恐ろしいとは思わなかった。この姿はとても鮫島に似合っている。本気でそう感じていた。
そしてある光景を目にした海原がごくりと喉を鳴らす。
それは理外の現象、音を鳴らすほどの血溜まりを作り出していたはずの鮫島の胸の傷がジュクジュクと音を鳴らしながら塞がって行く。
やべえ、すげえ。
海原はその驚愕を口に出す事はなかった。代わりに
「っ、ばかやろうが。生きてんなら早く起きろっつーの」
鼻の奥がツンと痛む、視界が僅かに歪み、目に違和感を感じながらも海原は悪態をついた。
「ケッ、この程度デクタバルかよオ、彼女に貰ったこの力はそんなヤワジャネエ」
「彼女?」
海原は鮫島の呟きに反応する。
「……ア? オレ、イマナンカ言ったのか? ヤベェな、血がタリネぇみたいだ」
鮫島が頭をふりながら視界を前にやる。海原はそれ以上追求する事は無かった。
今はそれどころじゃない。
「ギィ」
再び、化け物が羽をやかましく動かしながら立ち上がる。くねくねといも向けの頭が揺れ、鈍い輝きを持つ槍先がフラフラとこちらを差す。
「……海ハラぁ。オレが時間をカセグ。お前は逃げろぉ、足手まといだ」
言うと思った。海原は大きくため息をつきながら
「うるせえ、その様子で良く言えるな、おい。……ここまで来たら運命共同体だ。俺とお前は無事にここを生きて脱出する。それが俺たちの勝利だろうが」
本心からの言葉だった。一度折れたぐらいで凡人の闘争心は尽きる事はない。思い通りにならない世の中で心が折れるのは別に始めての事じゃなかった。
大事なのは転けない事じゃない、速やかに立ち上がる事だ。
海原のその言葉に、鮫島はすぐには何も言わなかった。その縦に裂けた瞳孔で海原を見つめる。
もゴリとその裂けた口が動く。
鮫島の小さな呟きは結局海原に届く事はなかった。
「……アア、ワカッた、海原、一緒に戦おうぜぇ」
鮫島のその目が細められる。
朝焼けを目にしたトカゲのようにその目はじっと海原を見つめていた。
妙に聞き分けの良いその答え、そしてその目に宿した啖い覚悟に海原が気付く余裕はなかった。
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