鮫島竜樹 その3
「……タテ、ウミハラぁ」
鮫島は地面に倒れ伏し、腕だけでかろうじて上体のみを起こしている海原に近づく。
その声は、今や常の声ではない。何か鮫島とは別の存在が喉の奥から同時に声を出しているかのように奇妙な音で声が出る。
人間ではないものが日本語を操っているかのような……
それでなくとも鮫島の声は僅かに固くなっていた。
フラフラとよろけながらも海原が鮫島の声に反応し立ち上がる。
「……鮫島、お前……」
その瞳は大きく開かれ驚愕の色に染まっている。
今や鮫島の姿は、人間のそれではない。首にはエラが刻まれ皮膚の至るところには鱗が生えている。
大きく裂けた口の端には狼のような犬歯すら備わっていた。
異質な姿、それは容易に恐怖の呼び水となる。
鮫島は怖かったのだ。
海原に己を恐れられるのが怖かった。そしてそんな海原を見て、彼に対して失望を覚えてしまうのがとてつもなく怖かった。
ようやく見つけた対等な友人に、自分の力を忌避されるのがとても恐ろしかった。
故に、鮫島は一定の距離でその歩みを止める。もし、海原が一歩でも後ずさりをしたならば、それは、もう……
よろける海原の顔が伏せられる。その表情は見えない。
(ああ、まあこんな化け物みたいなナリになっちまったんだ。ビビんなっつーのが無理だよなあ)
鮫島は小さくため息をつく。カルルルルと鳴る喉。これじゃあまるで化け物だ。
自らに言い聞かせながら鮫島は一歩その場から退がろうとした、その時
海原が顔を上げた。
「てめえー、鮫島よー! そういうのが出来るんならよー、早く言えよ! このタコ!」
大股で海原が鮫島ににじり寄る、驚くべきことにその表情には恐怖など微塵もない。
口を尖らせながら鮫島を見る海原の瞳には恐怖どころか僅かな怒りのようなものすら浮いていた。
「ア? エ?」
「え? じゃねえよ、鮫島ぁ。心配させやがって! お前そんな隠し球持ってやがったのかよ!」
海原が鮫島を指差しながらがなりたてる。鮫島は目の瞬膜をパチリと閉じた。
「うわっ! オイ! それ瞬膜か?! まじかよ! 恐竜じゃねえか! ずりーぞ、てめえそんな力とかよ!」
鮫島は呆気に囚われた。海原の顔や所作に演技の影は見えない。鮫島竜樹の目をもってしても今の海原の真意が見えなかった。
「……オマエ、このスガタミテナントモ、思わネエのかよオ」
「あ? なんとも思わねえわけねえだろうがよ! ぶちクソかっけえ! 恐竜と混ざりあってるみてえじゃねえか。……おっと」
海原が叫んだ後、ふらつきその場に膝をつく。鮫島が、海原に寄ろうとするも片手で制された。
海原がへへ、と小さく笑い、鮫島を見上げていた。
肩で息をしながら海原がまっすぐ言葉を放つ。
「……今更よ、てめえの姿がどうなろうと関係ねえ。お前は探索チームの、俺の仲間の鮫島竜樹だろうが」
鮫島は目を見開いた。胸の奥に暖かな、良きものが広がっていく。
安心感にそれは似ていて。どうしても口角が上がるのを抑えれなかった。
「ヘッ、コッチの気もシラネーでよオ…… ありがとな、ウミハラ」
「なんの礼だよ? てかよ、こんな事で驚いてたら基特高校のがきんちょ共とやっていけるわけねーだろうが」
鮫島は思う。
ああ、そうだ。コイツは海原善人はこんな奴だった。
その能力や才能においては何処までも凡人なくせに、頭の先からつま先まで妙な芯が通ってやがる。
その芯はある意味、大衆とは超越したものでもある。
コイツにとって、おそらく姿形が変わったりする事はそんな大した事ではないのだ。
「鮫島、お前が春野さんを守るままのお前なら俺はそれでいい、この話はそれで終わりだ」
ふらつきながら海原が立ち上がり言葉を紡いだ。ひらひらと振られた手、顔を背けた海原。
その姿を鮫島は目を細めて見つめていた。それは眩しい物を眺めているかのような。
黙ってその言葉に耳を傾ける。
とても心地よい波音のような海原の言葉を。
ガラっ。
化け物を吹き飛ばした方角から瓦礫が転げたような音がする。
2人は同時にその方角を向いた。
「ぎぃ、ギギギギギ」
生きている、壁に稲妻のような亀裂が走るほどの強さで吹き飛ばされたにも関わらずその化け物は生きている。
身体を震わせ、あぶくを吹きながら立ち上がる。
「しっつけえな。死に損ないが」
海原が吐き捨てる、一歩前に進めたその足を鮫島が手で制した。
「オレがヤル、マカセロ、ウミハラ」
制された海原は一度大きく息を吸って、それから吐いた。
頭を抑えながら鮫島を睨みつけるように見やる。
鮫島の裂けた瞳孔の中に海原の表情が映る。
「……分かった、任せる」
海原が一歩進めた足を下げた。鮫島は満足そうにうなづき、海原の前に出やる。
「勝てよ、鮫島」
背後からかかる、その声に鮫島は片手を挙げて応えた。
(なんでだろうなあ、今は気分が良いや)
鮫島の胸の中に暖かなものが満ちる。それは満足感にもよく似ていた。
心の中で決して海原には恥ずかしくて伝える事のない思いを呟く。
お前に会えて良かった。
世の中、くだらねえ、能無しのボケ共ばかりじゃなかった。お前や久次良みたいに気の良い連中なんて幾らでも居たんだ。
俺がそれから目を背けていた。それだけだ。
鮫島竜樹は世界が終わってようやく心の底から通じ合える他人、仲間や友人と呼ぶべきものを得ることが出来たのだ。
「ぎぃぎ」
目の前、広間の端でいななく滅ぼすべき敵を見やる。
今、その気の良い連中が危機に瀕している。そんな気の良い連中を傷つけようとする敵がいる。
樹原勇気の生み出したおぞましき化け物を鮫島が、竜の似姿を手に入れた超人が見やる。
「フザケンナァ、クソムシがよお」
鮫島の記憶の中、最も大事な家族の、姉によく似た姪の笑顔が脳裏をよぎった。
あのイカレヤローを放っておけば、間違いなく鮫島の大切な者は奪われる。それだけは間違いなかった。
「ナニヒトツ、テメエらにクレテやるもんはねえ」
怒り、焦燥を呼び水に鮫島の身体の奥底から原初の衝動が湧き上がる。
仲間の傷付いた姿、姪の泣いている姿が全身に巡る。
守るべきものがいる。倒すべき敵が在る。
竜はなにより己の大切なモノを奪われるのをなにより嫌がるものだから。
衝動、思い。
叫びとなる。
「オオオオオオオオオ大大尾尾王オオオオオオオオオオオオオオ!!!」
人の姿から咆えるは竜の雄叫び。
その意味は、貴様を殺す。
鮫島は湧き上がる衝動のまま、かぜの如き速度で地面を蹴った。
鮫島竜樹の枠の奥底に眠っていたものが今、十全に目覚めた。
いも虫の化け物はその雄叫びを真正面から受け止める。
興奮したかのようにその羽を振動させ、空を飛んだ。
いも虫の口からあぶくを吹き出し、両手を大きく広げる。
竜が虫に躍り掛かった。
生き残るは片方、強きもののみが生き残る。
「オオオオオオオオオオ!!」
鮫島の鉤爪が舞う、化け物の羽音が広間に広がっていた。
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