鮫島 竜樹 その2
(おいおい。なんだあ、こりゃあ)
鮫島はやけにゆっくりな光景の中、これまたゆっくりな思考で自らの腕に起きた異変を眺めていた。
手のひらを無意識に手刀の形にしてこちらへ向けて横薙ぎに伸びる化け物の尾へ振るう。
びっしりと生え揃ったそれは鱗だ。今、鮫島の手のひらを覆うのは見慣れた黄褐色の皮膚ではない。薄い青色をした鱗が手のひらを覆う。
ゆっくり伸びる尾と裏腹に鮫島の手刀は割と普通のスピードで振るわれた。
すかり、タイミングがズレて手刀が文字通り空を切る。
(おお、見えるなあ。空気が切れてらあ)
鮫島の空振りした手刀の軌跡、空気に溝が出来るようにうねりが底に入り込んでいく。
飛行機雲のように空気のうねりが鮫島の手刀を追いかけていく。
鮫島はその光景を夢を見ているかのようにただ、ぼーと受け入れていた。
不思議なことに、その鱗の生えた手を見てもあまり驚く事はなかった。理由はわからないし、意味も分からなかったが妙にしっくり来た。
鱗があって当たり前。
右手で尾をもう一度払うように手刀を傾ける。尾の速度は遅く、鮫島が一度空振りしたというのにまだ、その先端すら鮫島に届いていなかった。
その間に鮫島は左手でもう一度自分の首筋を撫でる。
今まであればありえない凹凸を手のひらで感じる。ざらりとした感触は皮膚を撫でたそれとは明らかに違っていた。
エラがあるのも当たり前。先程は驚愕の叫びをもって迎えた事実も今の鮫島にとっては当たり前に受け入れるものとなっていた。
(ああ、なるほどなあ……)
胸に去来するのは納得。
鮫島は持つ者たち特有の納得を瞬時に終えていた。
やがて振るった右手と伸ばされる尾の距離がゼロに近くなる。
遠くの空で飛行機が飛んでいるような空気の音だけが聞こえる奇妙な世界の中、鮫島の右手と化け物の尾の距離がゼロになった。
鱗の生えた右手と鞭のようにしなる尾がぶつかり合う。
鮫島は無意識にその裂けた口を歪ませていた。
ッキィン。
澄んだ金属音が鳴り響き、鮫島の新たなる現実が始まった。
「ギィア?!」
驚愕の声をあげながら尾を大きく弾かれた化け物が仰け反る。
「ハッハー!! ナンダァ?! コリャアよオ!!」
高揚の叫び。
世界に音が、速度が戻る。
進化した鮫島の五感が、化け物との接触により馴染んでいく。
羽化したばかりの蝶が空に馴染むように、産まれたての子鹿が瞬く間に立ち上がるように。
枠を外された鮫島竜樹にその力が馴染んでいく。
見よ、今やその口は耳のあたりまで大きく裂け、その端からは人ならざる牙が見やる。
聞け、その声はもはや尋常の人類のものではない。コミュニケーションを取るための声でなく獲物を追い詰める咆哮と成り変わった。
恐れよ、その身体は弱き人のものではない。柔らかき皮膚はその鳴りを潜め代わりに薄い青色、上等な染物のような色の鱗がその身を守る。
首に生えたエラ、身体の至るところに生えた鱗は衣服に隠れた場所さえにも広がる。
鮫島の枠には、鮫島竜樹の奥底に隠されていたはずのものが顕れる。
「コイよオ!!バケモノオ」
「ギィ!」
たたらを踏み後退った化け物が態勢を戻す。いも虫の顔にあぶくを溜めて一声鳴いた。
先程横薙ぎに振るわれた尾が今度は真っ直ぐ鮫島を狙う。
海原が一瞬で絡め取られたその尾が空気を裂いて今度は鮫島に迫る。
常の人ならば目視する事すら難しいその速度。文字通りバケモノじみた速度で槍のように伸びるその尾を鮫島はじっと見る。
見える、その軌跡が。どのように伸びてどこに狙いを定めているのかがわかる。
裂ける空気をその目が、砕ける空気の音をその耳が全て捉えていた。
身体をヒョイと横向きに傾け、鮫島が片足を大きく上げる。
「トマッテミエルゼエ!!!」
振り上げた足を虫けらを踏み潰すように振り下ろす。
「オラァ!!」
鮫島が足を一閃、伸びた尾を踏みつけ地面に留める。
ドギャアン。
鮫島の足の裏が石畳ごとその尾の先端を踏み砕いた。
「ギィ?!」
化け物が短な悲鳴を上げる。鮫島はそのままの勢いで伸びたままになった尾を綱渡りするかのように駆ける。
身体が軽い、目がよく見えて、耳もよく聞こえる。
(今の俺ならよお、何でもできるぜえ!)
鮫島がその高揚のまま、化け物に接近。あっという間にその距離は鮫島の腕が届くところにまで縮んだ。
「オット、シツレイ!」
「ギ!」
鮫島は自らの身体が勝手に動いているような感覚を覚えていた。
足が、腕が、腰が、肩が。
身体の各部位がどのように動けばいいのかを予め知っているようだ。
鮫島はその身体から湧いてくる衝動に全てを任せる。
右腕が、左腕が、ゴキリと骨の砕けるような音を立てる。
鮫島の腕が変わっていく。指は太く、爪は長く。
湾曲した爪は鉤状に姿を変える。
鉤爪が鮫島の手に生える。
「ヒャッハー!!」
衝動そのままに鮫島が右手を、かぎ爪を翻し化け物へ振り下ろす。
ゾリ。
袈裟懸けに振るわれたそれは人外の速さで振るわれ、化け物の肩から下腹にかけて大きな傷を残す。
「ギャ?!」
海原の振るった鉄の槍すら弾くその硬い表皮をまるで普通の皮膚かのように鉤爪が切り裂く。
パシャりと、青い返り血が鮫島に振り返る。
「ぎぃ!」
苦し紛れの反撃、化け物がその腕を振るう。
「オソイ」
無造作に振るわれるその化け物の腕を鮫島は虫を払うような軽い所作で振り払う。
再び崩れる化け物の態勢、身体が開きあたまが上がった。
「ソコダ」
身を屈め、鮫島がその場で身体を捻る。
折り畳まれたその身体、溜められた力が右脚に集められ、鮫島の蹴りが化け物のがら空きの腹に直撃した。
ドオオン。
鐘に鉄をぶつけたような腹に響く音。
化け物の身体は蹴り飛ばされたサッカーボールのように吹き飛んだ。
地面に沿うように、冗談かのようにその人間によく似た化け物の身体が広間の壁に直撃した。
「ゴオオオオル、ッテカァ?」
くるりとその場で左足を軸に鮫島が回る。壮絶な笑みを浮かべて化け物を蹴り飛ばした方を見やる。
石畳に叩きつけられた化け物は白い埃の中でがくりと崩れ落ちた。
枠を外された人、鮫島竜樹がその場で息を吐く。
カルルルル、と鳴る喉、口腔から漏れ出る白い霧のような吐息。
縦に裂けた瞳孔が真横に閉じ、一瞬白目に切り替わる。
その目には爬虫類や鮫に見られる瞬膜が備わっていた。
鮫島の枠は今、完全に外された。ここに居るのは無力な只の人間、鮫島竜樹ではない。
己の枠を、人類の枠を超えた人間。
超人。
化け物に届き得る力を持つ超人が生まれたのだ。
その力は基特高校の生徒たちと由来を同じとするモノ。奈落の奥底より齎されたモノ。
1つ違うのは、子どもである彼らとは違う存在。既に成長を終えた大人であったという事だ。
故に鮫島の力は彼らのように世界に影響を、変化を与えるモノではなかった。
鉄を操りもしない、影を再生したりもしない。
己の身体を戦える存在に変えるモノだった。
大人は心の底で知っているからだ。
変化や進化などというものは世界に起こすよりも、自分に起こした方が安上がりで簡単な事を。
今ここに、世界に新たなる超人が生まれた。
ゆっくりと鮫島は周囲を見回す。
「オイ、ウミハラぁ、イキテルカ?」
声を掛けながら、うつ伏せのまま上体を腕だけで起こしている凡人の元へ向かう。
鮫島の瞳に、口をあんぐりと開けてポカンとしている間抜けな友人の顔が映っていた。
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