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鮫島 竜樹

 


 鮫島 竜樹はあの夜の事を決して忘れない。




 世界が終わったあの夜、命からがら化け物から逃げ延びた時のことを。



 姪である春野一姫の安否を確かめるべく、街中に溢れかえる異形のクリーチャーをかいくぐり、基特高校へたどり着いた時の事は今でも覚えている。




 道中の若き警察官の助けや幸運にも恵まれたのだろう。鮫島はその夜を姪とともに生き延びる事が出来た。





 鮫島 竜樹は今でも覚えている。



 避難者が集まる体育館の中で出会った男のことを。


 周りの人間が、鮫島も含めた大多数の人間がパニック状態のまま、泣いたり、喚いたりしている中。


 その男は静かに体育館の隅に座り込んでいた。



 多数の避難者がひしめく体育館内、その男の周りだけまるで見えない壁で途絶されているかのように、ポカリと空いていた。



 凡庸な顔だち、黒い短髪、平均的な身長に肉厚な身体。



 しかしてその男の姿は異様だった。



 体育館に集まった人々の中で唯一、その男だけが白いワイシャツにべっとりとペンキのような青い血を浴びていた。



 となりにゾッとするような黒髪の美人を伴い、静かに体育館の隅に座り込んでいたその男。



 鮫島竜樹はその日、海原善人と出会った。








 ………

 ……

 …




「コッチダァ! バケモノオオオオオオオオ!!」




 鮫島は咄嗟に自分から出た大声に内心驚いていた。腹の芯から飛び出るように声が響く。



 おもちゃのように投げ飛ばされた海原に迫る化け物がぬるりと鮫島の方へ振り返った。



(やべえ、マジでこええ)



 鮫島は全身の至る所から力が抜けるような錯覚を覚える。



 その化け物と目が合った瞬間、膝が折れてその場に崩れ落ちそうになった。



 怖い、こわい、恐い。



 その化け物が恐ろしくて仕方がない。化け物がはっきりと鮫島を見ている事が分かってしまった。



(海原ぁ、お前はなんでこんな恐ろしいモンと闘えるんだ?)



 鮫島は熱に浮かれているような思考の中、投げ飛ばされてぐったりしている海原を見やる。



 視界の向こう、化け物が此方に走り迫るのが分かった。



 首から上、いも虫の頭を激しく揺らしたソレ。ゴキブリが人間の身体を動かしているような怖気の走るその姿。



(ああ、くそったれえ…… なんで叫んじまったんだろうなあ)



 鮫島は考える。今まで鮫島は化け物と戦った事は一度もない。探索に出た時も基本的には遭遇しなかったし、いつも隠れたり逃げたりしていた。



 だが今回は逃げる事も隠れる事も許されないようだ。



 体が勝手に、殺される寸前の海原を確認した脳みそが勝手に叫んでいたのだ。



 お前の相手は俺だと言わんばかりに、自分でも驚くような声量で叫んでしまっていた。




(ああ、わりぃなあ、一姫。また1人にしちまう)


 鮫島はみずからの最も大切な者を想う。この終わった世界で鮫島が守りたかった、守らなければならなかった大事な子の事が過ぎる。



 必ず帰ると約束したのにソレを破ってしまうだろう事が鮫島には、とても悲しかった。



 鮫島竜樹は自分の事を良く知っている。



 社会の中で上手く生きる事は出来るが、どうにも自分には荒事が向いていない。基特高校の生徒のように戦う為の力も持たず、海原善人のように適性もない。



 それはつまり、この世界において最も罪深き事だった。



 簡単な事だ、鮫島は弱い、弱い獲物にしかなり得ない存在だった。




 そんな自分がこの化け物に対してできる事など一体何があるだろうか。




(何も、ねえ)



 鮫島竜樹は自分の限界を知っている。自らの()を知っている。



 ここで自分が化け物の注意を引いた事で何が起きるのか、そんな事考えるまでもなかった。




 ただ、海原が、やっと出来た自らと対等な友人が殺されるのを黙って見ている事が出来なかっただけだ。



(ああ、クソ。マジでよお、これで終わりかよお)



 あっけない程に簡単に訪れる自らの終わりに鮫島は小さく息を吐いた。



 カルルルル。


 吐息の音がうるさい。古いエンジンが空回りしたような奇妙な音が鮫島の耳に届いた。



 なんの音だ? 化け物の呻きか?



(まあ、もうどうでもいいかあ)



 自分が化け物に殺される間に海原はきっと逃げる事ができるだろう。


 ここで共倒れするよりはずっといい、鮫島はそう結論付けた。



 現実を現実として正しく理解出来る男の思考は、たとえ自らの死が眼前に迫っていようともその思考のスタンスが変わる事はなかった。



 ふと鮫島は気付いた。


 最期に、友人の危険を前に動く事が出来て良かったと。



(ちったあ、カッコつける事が出来たかなあ、なあ、一姫)



 その姿を姪に見せる事が出来ないのだけが残念だった、




 鮫島はその時を待つ。何故か妙に落ち着いている呼吸を乱す事なく、眼前をじっと眺めていた。



(……最悪ここで俺と海原が散っても、まだ久次良がいる、ヤツなら必ず気付くはずだあ、俺のメッセージによお)



 年下の抜け目ない友人を想う。海原善人を探索に連れて来たのはもしもの事態に対応する為、そして久次良 慶彦を探索に連れて来なかったのは、最悪の事態を防ぐ為だった。




 鮫島はある意味気分が良かった。それは海原の危機に声を出せた事や、あとを任せる事の出来る仲間がいる事を思い出したからだ。



 樹原勇気に評された通りに、鮫島はこれまで心の底から他人を信じた事など一度もなかった。


 鮫島にとって、血縁者以外の他人は常に愚か者にしか見えなかった。



 自らの見たいモノしか見ようとしない周りの人間を鮫島はいつも心の底で見下していた。



 自分にはとって当たり前にできることを出来ない、やろうともしない愚か者とどうして心を通わせる事が出来ようか。



 学生時代を経て、社会人になった後もそれは変わらなかった。



 金という人間の本質を浮き彫りにするモノと密接に関わる職業に着いたのも、自分ならば誰よりも上手くやれると判断してのことだった。



 事実その考えは正しかった。現実を見て、本質を観る事の出来る鮫島にとって銀行員という職業は天職だった。



 人の中には怒りながら嗤う者もいる、泣きながら嗤う者もいる。


 その全てが本質的に解る樹原にとってその仕事は簡単過ぎた。



 鮫島は社会の中でより、自らの価値観に、人生に対するスタンスに確信を深めていった。



 どいつもこいつもくだらねえ。能無しのボケしかいない。



 どうしてそんな存在を信じる事ができようか、ましてや何かを託す事ができようか。



 鮫島にとって他人とは信じるに値しない自らより劣る者達しかいなかったのだ。







 あの夜まではーー



 鮫島が再び過去に想いを馳せようと目を瞑ろうとした。



 その時、ふと今更違和感に気付く。





(ん? まだ来ねえのか?)



 何やら物思いに耽けてしまっていたがそういえば今、自分は化け物に迫られているんだった。



 数分ぐらいボーと、考え事をしていたような気がするが一体どのくらいの時間が経ったのだろうか。




 何故、自分はまだ化け物に殺されていないのだろうか。



 鮫島はもう一度前を観る。



 居る、化け物はきちんとこちらに狙いをつけ迫っている。



 頭を振り乱し、その歪な人間の手足に昆虫の鉤爪がついたモノを交互に動かしながら。




 鮫島はその光景を見て、決定的な異変に気付いた。




(遅……くねえかぁ?)




 そう、遅いのだ。


 化け物の動きはまるでスローモーション再生されているかのように緩慢なものだった。



 よく観ると鮫島は視界の中のさらなる異変に気付く。




 なんだろうか、これは。



 視界の、空間の中に何かの流れが見える。それはうねったり、渦巻いたり、流れていたりする。



 まるで風が可視化されたような、そんな不思議な光景。こんなモノ今まで見た事がない。



 ーー耳を澄ませば。ビュオオ、と風の中にいるような音すら聞こえて来た。


 その音は鮫島が観ているそのうねりのような物と連動していた。




(空気…… 今、俺が観てんのはぁ、空気の流れだぁ)




 鮫島は本能的に、今自分が見たモノの正体が分かった。


 人がなんの意識もせず、誰に教えられずとも当たり前に出来る行動がある。


 瞬きをするように、息を吸って吐くように、物を咀嚼するように。



 それらと同じぐらい無意識に、鮫島はソレを理解し、行っていた。




 出来る者には当たり前に出来る。ソレを扱えモノにとっては出来る理由など存在しない。



 出来るからできるのだ。解るから解るのだ。



 瞬きが何故出来るかを不思議がる人はいないだろう。できるからできる、それだけだ。


 それは枠だ。その人の枠内において()()()()()出来るのだ。




 では、鉄を飴細工のように溶かし自由自在に操る事が出来るのは?


 では、過去に起きた出来事を影法師達に再生させる事が出来るのは?


 では、周辺の空気から温度を奪い冷気を生み出す事が出来るのは?


 では、不可視の力場を生み出しそれを暴力に変える事が出来るのは?







 答えは簡単。



 皆、()()()()()()()()のだ。



 すべからく(才能)とはそう言う物である。



 人には決められた枠がある。人はその枠内であればなんでも出来る。




 鮫島 竜樹は知らなかった。




 今、本来であれば目覚める事のなかった才能が目覚めかけていることを。


 予兆はあった。突如起きた体調不良、うなされるかのようや高熱に似た感覚。



 それは鮫島の身体が突如起きた変化に戸惑っていた証拠だった。



 まるで酔いのような奇妙な高揚感の中に今、鮫島はいる。




 命の危機、今居る場所、理の外の生命に触れた事。



 様々な偶然と必然が重なり、鮫島竜樹に異変が起きつつある。



 奈落の底に眠るモノ、その存在に近づいたが故に己の枠が外されかけている事など知る由もなかった。


 それは本来であれば、奈落を突き進む人間にのみ顕れるはずであった恩寵、あるいはーー



 人類は奈落を正しい用途に扱う事は出来なかった。



 だから世界は終わった。しかし人は生き残っていた。



 奈落は世界の表に漏れ出しかけている。その力はたとえ少しの漏れだとしても容易に人に働きかける、今や鮫島竜樹はその奈落の中にいた。


であるならばこの結果は必然のものであったのやも知れない。


 人が人のまま、その存在を変えていく。



 定められた枠が緩み始める。



 鮫島はその外されかけている枠の外に無意識に手を伸ばす。



 やけにゆっくりな動きでこちらへ鞭のように伸びる、化け物の尾へ手を伸ばしていた。




 無意識に伸ばしたその手、その手のひらにはいつのまにかびっしりとした、薄い塊が生え出していた。



 それはまるで爬虫類の鱗のようなーー

読んで頂きありがとうございます!



宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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