最後の会話 その3
鮫島が台座に再び寝転ぶ。そんなに居心地が良いのだろうか、離れる様子はない。
「じゃあ早めにここを脱出しないとな、樹原の野郎が基特高校で何をするかは分かんねえがどうせロクでもねえ事に決まってる」
海原は気をとりなおして話題を変える、樹原は基特高校の事を箱庭と言っていた。あそこで何かをするつもりなのは明白だ。
「ああ、その件についてなら保険をかけてあるぜえ、俺たちが思ってるよりも猶予はあるだろうなあ」
鮫島が寝転びながらのんびりとした口調で告げる。
「保険?」
「久次良だぁ、久次良の野郎を今回連れて来なかったのはこの時の為だ」
鮫島の言葉に海原は探索チームの仲間で、鮫島の次に仲の深い久次良 慶彦の事を思う。
「久次良にはよお、俺とお前が戻って来れなかった場合のプランを伝えてある、その場合に警戒すべき人間の情報も全てアイツは知っている。久次良がいるんならよお、樹原の野郎もすぐには好き勝手出来ねえはずだ」
「……確かに頼りになる奴とは思うがまだ大学生だぞ? しかもあいつ学生時代にゃ確か、樹原の担任クラスに居たとか……」
昔、探索チームが全員居た頃に聞いた話を海原は思い出した。たった1ヶ月前なのにもう、随分と昔のことのように思えてしまう。
「だからこそだ、海原ぁ、久次良は高校時代から樹原を不審に思ってやがる。俺以外に樹原を警戒していたんだぜ、野郎はよお」
「そんな素振り見た事ねえぞ?」
確か、樹原と久次良はそこそこ仲が良かった筈だ。樹原が行方不明になった時も何度も捜索の希望を出していた筈……
「それは良かった、敵を騙すにはまず味方からってなあ、久次良は実際、大した奴だ。人を欺くのも自分を欺くのも同じ様に出来る奴だからなあ、ゲほっ!」
大きく鮫島が噎せる。ぶつかるような激しい咳の音。
「おい、大丈夫か?」
「げほっ! ……あ、ああ。この場所は埃っぽいからよお、つーか一体まじでここなんなんだろうなあ」
「どー見てもよ。人工物だよな、ここ」
海原は首をぐるりと見回して殺風景な広間を眺める。張り詰められた石畳、四隅に設置された蛇が巻きつく様な意匠を施された柱。
自然に出来るはずのないモノだった。
「遭難したと思ったら次はミステリー探検隊ってかあ? 退屈しなくていいなあ、オイ」
「お前が学生時代に見た本物のパルプテンノ神殿だったか? それも中はこんな感じだったのか?」
何気なく海原は鮫島に問いかける。すぐに鮫島の返事が返ってきた。
「はあ? 何寝惚けた事言ってやがる。言っとくがよお、俺が見た本物はまじモンの残骸だぜえ? 内部はおろか屋根だってほぼ崩れてるに決まってるだろお」
「え、まじ?」
「嘘ついてどうすんだよ、んな事でよお。てかお前こそ良くこの建物がパルプテンノ神殿に似てるっとか言えたなあ…… 言われて見ねえと俺にゃ分からなかったぜえ」
鮫島の言葉に海原は首を捻る、確かにそうだ。あの門前の柱を見て勝手にそう思い込んだのか?
どこかでみた写真とあの時上から眺めた風景がたまたま似ていたからあんな事を言ったのだろうか。
海原が黙って考えているところに
「つーかよお、海原ぁ、お前なんかへんな事言ってたよなあ。ここガ、誰かの墓がどうのこうのよオ」
「墓? 何のことだ?」
「あァ? ホんきでお前覚えてネえのカぁ?」
本気も何も、墓ってなんだ? 俺がそう言った? いつ?
海原はどことなく背筋に泡立つモノを感じる
、覚えはないのに今、鮫島が言った墓という言葉が妙にしっくり来たのだ。
途端に、この場所が少し怖くなってくる。海原は首筋をボリボリと掻き始めた。
「まぁ、てめえガ覚えてねえんなら別にどうでもいいか。さて、だいぶ身体も楽になってキたしよオ…… そろそろ周りを探索してみようぜえ」
ストッ。
石畳に音がなる。
鮫島が台座から降りた。海原が腰掛けているところとは反対側に鮫島は降りたらしい。
その音を聞いて、小さく了解と呟いた海原も立ち上がる。
スラックスの臀部をはたきながら大きく伸びをする。
身体は問題ない。どのくらい話し込んでいたのだろうか? かなり長い時間だったようなそうでもないような、不思議な感覚を覚えた。
あ。
海原はある事を思い出す。それは探索に出ようという鮫島に必ず伝えて置かねばならぬ事だった。
まだ、あの化け物が近くをふらふら飛んでいるかもしれない。
先程遅れた警告を今回はきちんと、もう一度確実に伝えておこうとして、海原はちょうど自分の背後にいる鮫島の方へ振り向き
「鮫島、言っておきたい事がーー あ?」
振り向き、鮫島の顔を見て海原は絶句した。喉の奥が一瞬で張り付き、言葉が継げなかった。
「アア? マダ、なんかあるノかぁ?」
ざらついた声に、おかしな口調。
右側の口だけ、耳近くまで裂けたくちびるから言葉が紡がれる。その口からは、人間にはありえない鋭い牙が見え隠れ、いやはっきり見えている。
頰には、緑色のかさぶた…… いや鱗のようなモノが生え揃っていた。
こちらを見るその目、瞳孔が縦に大きくクレバスのように裂けている。
爬虫類、いや、あの目は鮫……?
「うお」
海原が更に呻いたのは鮫島の首。まるでナイフで切れ込みを入れられたかのように大きく開く傷のようなモノ。
パカリ、パカリと僅かに開いたり、閉じたりしているそれは……
「エラ?」
「アア? えらぁ? なんだ、オイ、海原、なんかあったのか?」
事もなげに声をかけてくる鮫島、その様子は先程苦しんでいたのが嘘のようにいつも通りだ。
「あ、えっと、鮫島、いや鮫島さん。お身体の方はよろしいので?」
海原は思わず、腰低くく声をかける。繭と鱗を動かしながら鮫島が答える。
「あ? まあお陰様でなァ、今はすこぶる調子がいいぜえ、咳も止まッたし、呼吸もそういやめちゃクちゃ軽いなあ」
「……鮫島、STOPだ。止まったまま冷静に言う通りにしてくれ」
「あ?」
海原はほんの半歩後ずさりしながら鮫島に声をかける。
「ゆっくりと自分の首、頸動脈辺りを撫でてみろ、いいか、絶対にゆっくりだぞ」
「はあ? 何のつもりだァ?」
「たのむ、鮫島」
海原は直立の状態から腰を折って頭を下げる、今は時間が惜しい。
そんな海原の態度に頰に生えている鱗を蠢かしながら鮫島が言われた通り、首に、そこに生えているエラに手を伸ばした。
すぐに異変に気付いたらしい。そりゃそうだ、自分の身体の事は自分がよくわかる、そう言ったのは鮫島本人だ。
頸動脈に生えたエラを慎重に撫でている。
「……なんダァ、これ」
「エラ……じゃの」
広間の中に、静けさが渡る。
鮫島がその鋭い、鋭すぎる目を大きく開き
「はああああァァァァァァ?!」
驚愕の表情で鮫島が叫ぶ。低い遠吠えのような声が広間を揺らした。
エラや鱗を触りながら鮫島が右往左往している。どうやら相当動揺しているらしい。まあ、それもそうか、海原はなんと声をかけようか考えた。
チリッ。
海原の頭の天辺にしびれが走る。開いた毛穴の中に極細の針を刺されたような嫌な感覚。
痒みにも似たそれが頭からつま先まで全身を駆け巡る。
なにーー
海原が今の違和感について考えようとした刹那、それまで慌てふためいていた鮫島の動きがぴたりと止まった。
爬虫類を無理やり混ぜ合わせたかのような容貌が海原をギョロリと見つめる。
一瞬の間、そして。
「避けロオ!! 海ハラァァァ!!!」
海原は反射的に、鮫島の声が己の耳孔に届く数コンマ前に行動を開始した。
頭によぎるその予感、この感覚を海原はこの1ヶ月で何度も体験していたからだ。
「うっーー」
跳ぶ、その場から。
脚を踏み込み、台座から離れ。
顔面から、そのあとの事は考えずにただ、跳ぶ。
「ギィイイイイホオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
爆音、瓦礫、崩れ。
天井が下に膨らむように歪む、瞬間、台座直上の天井部分に亀裂、崩壊。
ズガアン。
海原達がつい1秒前に立っていた台座の直上から何かが落ちてきた。
真上から落ちてきたそれは分厚い石材で造られていたはずの天井を容易に突き破り、真っ逆さまに落ちてきた。
瓦礫と埃の中で、ソレは叫ぶ。
「ギィいいいいいいいや愛いいいいいい!!」
ソレはついに獲物を見つけ出した。濃い懐かしき匂いを感じた故に。
そして今の奇襲で獲物を狩りきれていないのも知っていた。
海原と鮫島の最後の会話が終わった。
読んで頂きありがとうございます!
宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!




