目覚め
「うおっ!!」
海原は反射的に飛び上がる。仰向けになっていた状態から飛び上がる。
なんだ、今何が起きた?
底を眺めてたら、建物が光り出して、鮫島が叫んでそれから?
それから?
「は?」
間抜けな声が飛び出る。
脳が、目を通して周囲の状況を把握した為だ。
違う。
なんだ、これ。なんだ、なんだなんだ、なんだ?
「なんだこれ」
眼前、その壮大な建造物を海原は見上げた。
人が創り出したモノというよりも神のような超常的な存在が作ったという方が現実感のあるその存在の大きさ。
格子のように何本も連立する、僅かに内側に傾く柱、薄暗闇でも分かる真白の石材。天すら支える事ができると思ってしまうような大きな屋根。
「神……殿」
神殿が目の前にある。間違いない。さっき淵から見下ろしていた神殿、そのものだ。
「つーことは……」
海原はゆっくりと周囲を見回す。
ある、あってしまう。
淵から見下ろしている際に見えた、あの玉ねぎのような奇妙な屋根、確か鮫島がアンコールワットがどうだか言っていた建造物、それも見上げればすぐにそこに在る。
つまり、つまり、今、俺は……
「底にいる?」
海原善人は淵から見下ろしていた底で目を覚ましたのだ。
あの光に包まれ、視界が真っ白になったのは覚えている。だが、それ以降が分からない。
目を覚ましたら数十メートル以上もある淵の底に寝転がっていたのだ。
「あー、あああ? えー、マジでなんだ、なんだ、これ」
思考がまったく纏まらない。自分に何が起きているのかも分からない。
呼吸はいつのまにか乱れ、その辺を行ったり来たりを繰り返す。
やばい、やばい、やばい。よくわからんがこれは絶対にやばい。
普通じゃない。世界が終わった事で海原の普通という概念はかなり緩くなっていたのだが、これはそんな緩くなった感覚で考えて見ても、普通じゃなかった。
「ふざけんなよ。マジで。落ち着け、落ち着け、落ち着け、海原善人」
ブツブツと独り言を繰り返す。そうだ、こういう時こそさっき鮫島に教わったアレだ。
海原は無理やりに一旦、全ての体と心の動きを止めた。
ストップ。呼吸のタイミングだけに集中、吸って、吐く、吸って、吐く。
しばらく海原は息しかしなかった。最初は色々な事が頭をよぎっていたが3分もすればあとはもう何もなくなっていた。
激情の嵐に耐えるように海原はただ、呼吸をする。
吸って、吐く。吸って、吐く。
「ふう、次はなんだっけ」
とりあえず、海原の頭の中は僅かに落ち着きを取り戻していた。
まずは落ち着かなければならないと理解出来る程度にはだが。
「怪我はねえ、身体のどこにも痛みはない」
止まった後は考える。
自分の身体の状況、心の状況、そして、仲間の状況。
「っ、鮫島?!」
今更ながら海原は先程まで隣に居た鮫島の事を思い出した。
それと同時に戦慄する。
本気で先程までの自分は、鮫島の事すら考える事が出来ないほどやばかったのか。
「鮫島先生に感謝しねえとな」
海原は小さく呟く、現状は鮫島が近くにいない。早めに探して合流する必要があるな。
海原は考えて判断する。
えーと、次は、アレ? 止まって、考えて次はなんだっけ。
海原が早速、教訓を忘れてしまい呑気な事を感じた瞬間だった。
ばさり、ばさり。
ぎぃぎ。
身体の芯に氷柱を差し込まれたようだった。
反射的に上を見上げる。
イル。
その空気を手織るような羽ばたきの音、忘れもしない淀んだ沼の底から湧き上がるあぶくが弾けるような鳴き声。
膝には槍がまだ突き刺さったままに、奴は空を飛んでいた。風が吹いたら吹き飛ばされてしまいそうほど、フラフラしたものだったが。
「クソ…… 羽も毟ってやりゃよかったな」
海原は小さく呟く。
かなり高い、まだこちらには気付いていないようだ。いも虫の首を左右に振りながら、アレが空を飛んでいる。
海原はゆっくりしゃがみながら、眼前の神殿、何個かある階段を登り、その入り口に連立する太い柱の陰に移動する。
海原1人などたやすく隠してしまうほどにその柱は太い。
柱を背もたれに、海原はその場へ腰掛ける。
ここなら陰になってそうすぐには見つからない筈だ。海原はそう判断した、
「……クソが」
小さく呟く。気を抜いたら叫んで狂ってしまいそうだ。
いや、きっと狂った方が楽ではあるのだろう。正気のまま、この狂気的な事態に挑むのは本当に困難だ。
「ハッ、 楽な方には先がねえってか」
自嘲気味に海原はくちびるを開く。
さて、マジでどうしたもんか。
鮫島を探そうにも無闇に動けばあのクソ虫に見つかる。
恐らくだが、残念な事に丸腰の状態であのクソ虫に見つかれば、殺されるだろう。いとも簡単に。
それくらいは今の海原でも分かった。
ぼんやりと海原は目の前の光景を見つめる。
壮大な建物、高さは10メートルは下らない、上を見上げれば太い柱がその広すぎる屋根を支えているのがよく分かる。
「すげえ光景だな」
まだこれが夢と言われた方が納得出来るような状況だ。
地の底に落ちて、突き落とされて、つぎは気付いたら落ちてた。
「笑えねえ……」
顔をそっと柱から出して周囲を確認、ダメだ。まだ近くを飛んでやがる。
羽音が耳障りだ。海原は柱の陰に顔を戻し、ため息をついた。
ん、あれ、あの門、少し開いてねえか?
神殿の入り口はぱっと見硬く締まっているように見えていたもののよく見ると前後に僅かにズレている。
そのままその隙間に身体を入れたら通れそうだ。
海原が目を凝らして、その隙間から内部を覗こうとーー
うおお! なんだぁ?! ここは!?
声がした。この間延びした口調、鮫島だ!
海原は顔を上げる。でも、この声のする方向は……!
海原の真正面、つまり神殿の門の向こうから鮫島の声は響いていた。
「さっ! ……」
名前を叫ぼうとして海原はすんでのところでそれをやめる。ダメだ、大声を上げるとあのクソ虫に気付かれるかもしれねえ。
海原は押し黙り、ほんの数秒考えた後に、
「行くしかねえ」
門の中に入る覚悟を決めた。どのみちそれ以外に鮫島と合流する方法はねえ。
海原はそのままゆっくり、しゃがんだまま移動する。
門に近づけば近づくほど、その巨大さにめまいがしそうになってくる。
こんな高さ、広さの門、何に必要なんだ?
海原は建造物に思いを巡らせ、そしてその僅かに開いた隙間に身体を滑り込ませた。
埃の匂いが鼻にまとわりつく。視界が一度真っ暗になり、それからすぐに内部の明かりが目に入った。
「広っ」
目に付いたのはその圧倒的な広さ、そして高い天井部に位置する巨大な光る球形の岩。
「うわっ、また穴かよ」
そう、神殿内部、海原が入ったその大広間の中心にはぽっかりと穴が空いていた。
穴の脇を歩かないと向こう側にはとても行けないほどの大きさ。
「まだ下があるのかよ……」
うんざりしながら海原は呟く。そして、にやりと笑った。
穴の向こうに、そいつはいた。
「鮫島!!」
「うおっ?! 海原ぁ! お前もいたのかあ!?」
鮫島が穴の向こう、広間の奥にきちんと居た。良かった、マジで。
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