膝だけ狙う。
「ギャギャキュギュギュ!!」
化け物が身体を空中で捻りながら、此方へ飛びかかる。
8メートルは距離があったはずなのに、冗談のような速度で泡を吹き散らしながら飛びかかる。
「うっお!」
わずかにしゃがみながら泥を蹴る、下がりたい、逃げたい身体を無理やりに動かして槍を突き出す。
バキン!!
岩に鉄をぶつけたような硬い音が響く。手のひらの中で握り込んだ槍の持ち手が弾け飛びそうになるのをこらえる。
海原の視界の中で火花が飛び散る。
なんで生き物を槍で突いたのに火花がでるんだよ、チクショー。
たたらを踏み、衝撃を逃す為にあえて大きく後ずさる。肩、腕、腰に尋常ではない衝撃。
「ギギギギィ」
空中で槍をぶつけられた化け物は撃ち落とされたように地面に落ちる。もがきながらもすぐに態勢を戻し、此方にそのいも虫の首を向けた。
「海原ぁ! お前も早く来い!」
背後から遠くなる鮫島の声が背中にぶつかる。へっ、うるせー。そこまで逃げてんならそのまま黙って走っとけ。
海原は声を上げずに、槍を頭上に持ち上げる事で返事をする。
ゆっくりと槍を両手で握る、捻れた切っ先が僅かに欠けている。
そりゃそうだ。無敵のホット・アイアンズで作った槍でもこんな硬いモンを何度も突いてりゃそうなるか……。
「ギギギギィ」
今の咄嗟の命のやり取りでわかった。長引けば長引くだけ不利になるのは此方だ。
海原のデタラメな槍の構えに力が入る。切っ先を向け、ただ突くだけの粗末な、それでいて単純ゆえに効果のある構えがどんどん固くなる。
「やってみるしか、ねえな」
ドキ、ドキ。脳みその中で心臓が鼓動しているのではないかと錯覚するほどにうるさい。
腹の底から熱が溢れ出す。
やらねえとやられる。脳だけじゃない、身体もそれにようやく気付いてくれたらしい。
「ギ」
キョロ、キョロと左右を見回すいも虫の首が、びくりと跳ねて此方を見つめる。
そのまま刹那の硬直。
来る!!
海原は重心を下に移動、前につんのめる寸前までに身体を傾けてそのまま前方へ走り出した。
同時、中腰になり硬直していた化け物の、いも虫の首がぐにりと伸びる。
もちろん狙いは海原、羽化に失敗したあらざる姿を利用した攻撃。
もとより備わっていた捕食器官であると言わんばかりにいも虫の顔があぶくを吹きながら海原に迫る。
「ゔおっ!」
反射に近い反応。
海原は、海原のクビにいも虫の顔が直撃する寸前に前方へ飛び込む。
頭上のすぐ、センチ単位の距離をいも虫の首が通りすぎる。白いあぶくがわずかに海原の髪の毛に飛び散った。
ヘッドスライディング。海原の視界に黒い泥の地面がゆっくりと近づく。
走馬灯、思考と現実の進行がズレていく。刹那の間に様々な考えが脳裏をかけめぐる。
どうする、どうする、どうする。なんで俺は前に踏み込んだんだ? ていうか首! 首伸びんのかよ、死んだわ、今、多分死んだわ、俺
地面が近い。
んで、どうする、足止め、陽動、捨てがまり。いや、足止めだろ、今何秒経った? 鮫島はどれくらい逃げれた。
視界いっぱいに黒い泥が広がる。海原の身体が地面に触れる、寸前。走馬灯の最後の刹那。
足止めだ。
足を止めてやる。
ばちゃら。ぬかるみに突っ込む。身体の前面をしたたかに打ち付けた。肺から息が漏れて短い悲鳴になる。
関係ねえ。
うつ伏せのように倒れた体を根性と焦りと興奮と、とにかく色々なものから力を掻き集めて立ち上がる。
槍は離さない。握り込んだまま倒れた為に、指の背を擦りむいた。
脚を、動かせ。スポーツシューズが泥を蹴る。
視界、前方、化け物、二足。
中腰のまま海原は駆ける。
はは、怖い、痛い、でも生きてる。
「ははっ、はははははは!!!」
上擦った声、誰の声だ? ああ、俺か。
海原は故の知らない笑いが身体中から込み上げて来たのを感じた。
笑いながら前へ進む、脚を動かし、口を開いて、いびつな化け物に肉薄。
おそらくチャンスは一度きり。
「ギ?」
背中の方から化け物の間の抜けた声が届く。もし、俺になんらかの特別な才能があれば、もし俺に力があれば、この伸び切った首でも叩き斬ってやったのにな。
海原はそんなどうしようもない、しょうもない事を考えた。
眼前、化け物、膝。
ここだ。人間の膝小僧ととても似ている。
「ッオオラ!!」
踏み込み、勢いのまま槍を押し出す。斜めに、直線の軌道ではなく、斜め下に向けて槍先をねじ込む。
「ギィギ?! ギアア!?」
ずぶん。
刺さった、弾かれてない。
やはりだ。関節部は柔らかい、コイツ、昆虫の硬い外皮と哺乳類の柔らかな関節、両方を兼ね備えてやがる。
「おおお!!」
そのまま捻れ槍先を抉るように回しながら更に下へ押し込む。
ブチャ、柔らかな肉を突き破り槍先はどんどん膝の奥へ突き進む。
ぐっと、手応えが帰ってくる。膝の骨だ。海原は咄嗟に槍先を更にねじり、その骨の隙間を探す。
「ギアア!?」
化け物が悶える、ははは、やっぱり痛いんだな、お前も。
伸びた、いも虫の首がのたうつ。だが伸び切った首はなかなか縮もうとしていない。
伸ばすのは簡単だが戻すのは難しいらしい。
好機、海原は身体の力を全て使い切る。体重を腕から槍に伝え、万力の如く力を込める。
ベンチプレスの最終レップの時のように筋肉に限界以上の力を使う事を命令する。
「ふっ、ああああ!!」
叫ぶ、槍の握りを変える。墓標に杭を打ち込むように槍を膝の奥へ、更に奥へ押し込む。
化け物の両手が海原の肩を掴む。
ヤバイ。海原の身体が途端に危機を感じる。
それが功を奏した。
ぶつん。
何かを貫いたような手応え、その瞬間槍をおしもどそうとする肉や骨の手応えが消えた。
捻れた槍先は化けモノの膝を貫通していた。
ミシリ。
化けモノに掴まれた肩から嫌な音が鳴る。
「ぐ。う。でも、俺の方が早かったな……」
ガツン。化けモノの膝を貫通した槍先が地面に、黒い泥に突き刺さる。
ぬかるんでいた泥が、化けモノの青い血と反応し固まる。
「はは、やっぱりだ。思った通り」
なるほど、やっぱり、あの時の硬化はあの青い血が原因だったか。海原はいも虫の化けモノをいたぶっていた時の事を思い出した。
文字通り、化けモノの膝を槍で縫い留めた。
海原は狙いを全て完遂していた。
「ぎぃぎ!」
背後の地面から化けモノの声が響く。
瞬間、身体をねじり揺らす。肩を掴む手を思い切りはねのけすぐにその場から、思い切り後方へ走り抜ける。
「寝てろ!」
その際に伸び切りだるだるになって地に落ちている首を踏みつけた。ついでに此方を睨む醜い、いも虫の頭を蹴り飛ばす。
「ギィ?!」
地面を蹴る、蹴る、脚を動かす。
肩越しに後ろを確認、伸び切った、いも虫の首が地面に転がる。
奴は身体ごと動こうとするも槍に縫い付けられた膝が動かない。その場で槍を抜こうともがいている。
膝だけを狙った足止めは間違いなく、成功した。
心臓がうるさい。
「はは、ははは! あっはははははは!!」
今までに感じた事のない開放感が海原を笑わせる。
試合で勝った時よりも、商談を成功させた時よりも圧倒的な喜びが身体中を駆け巡る。
原初の喜び、生存と闘いの喜び。海原は突き動かせるように嗤う。
海原はそのまま鮫島を逃した方向へ走り続ける。
後ろから化けモノの弱々しい呻きが届いたが、それもすぐに聞こえなくなっていた。
読んで頂きありがとうございます!
宜しければブクマして是非続きをご覧下さい!




