サバイバルのSTOP その2
その声に同時に海原と鮫島は振り返った。今来た道、つまりもう塞がったはずの空間側を見つめる。
ぼうっとした薄暗闇が僅かにぶれている。海原は目を凝らすとそれが人影に似ていると気付いた。
「ピ、ギ」
海原の声でも、鮫島の声でもない。
泡が弾けたようなその声は、人の出せる音声ではなかった。
「う、海原くぅぅん。なんでそれを早く言わねえんだぁ?」
「いや、普通に分かってるかと思って…… 繭を転がしてミックスしても…… まあ、完全に変態を止めれる訳じゃない事くらい知ってるかなって……」
海原の顔のすぐ近くに妙ににっこりした鮫島の顔が迫る。
ヤンキーに絡まれているような気分と、物凄く自分がやらかしてしまった気分がごちゃまぜになる。
「てめええ、馬鹿原がよお、誰も彼もがてめえみてえにファーブル先生のファンの訳ねえだろうがよお!」
「義務教育で知ってるもんかと……」
海原がシュンと顔を下げる。蛹の生育の仕組みを知らない男がいるとは思わなかった……
きっとさみしい夏休みしか過ごした事がないんだろうな。海原は鮫島を見つめていた。
「てめえ今クソムカつく事考えてるだろお?」
その視線に鮫島が反応する。
「な、なんのことだ? とにかくまあ、早めに奴の接近に気がついて良かったじゃねえか」
海原は腰掛けていた岩からゆっくり立ち上がり、鮫島から距離を取った。
「ピギギギ」
トンネル状の回廊にその声が響く、先程よりも近くなっている。
海原はゆっくりと態勢を低くする。右手に備える槍をゆらりと化け物の方へ向ける。
落ち着け、落ち着け。
心臓が嫌な音を立て続ける。足の裏から膝までが沸騰していくような感覚。
身体が全力で警鐘を鳴らす。
「どうする、鮫島」
海原は己の外付け頭脳に声をかける。目線は回廊の奥、ぼんやりとした薄闇の向こうを睨み続けていた。
「荒事はテメエの方が優れてるだろぉが。海原ぁ、てめえに従う、てめえが決めろ」
鮫島も同じように立ち上がり、海原と共に並び立つ。強い口調でそう言い切った。
海原は乾いた唇を舌で舐めて湿らす。
小さく、そーかよ、と口の中だけで呟いた。
唇が緩む、悪くない気分だ。なるほど、これは俺の仕事だな。
さて、どうするか?
「STOP……だったな」
先程、鮫島から伝えられた概念を海原は思い出しながらつぶやく。
止まる、考える、観る、計画する。
なるほど、確かに合理的だ。
静かに海原は呼吸に集中、 吸って、止めて、吐く。それを静かに繰り返す。
身体の至るところに力が張り詰めているのがわかる。
それは人間が原初の時代、まだ食物連鎖の法則の中で獲物の立ち位置に甘んじていた時代
に勝ち得た力。
被食者が捕食者に立ち向かう為に備わる生理的機能。
槍を握っている手から力が溢れてしまいそうだ。絞るように槍を握り込み構える。
ギギ、ギギギ。
闇にをかき混ぜるように、耳障りな声が響く。
それはまるで死にかけのセミの最期の断末魔を無理やり引き伸ばしているような、まともなものではなかった。
「鮫島、ゆっくり、ゆっくり下がれ。絶対に走るな」
「ああ…… 了解だぁ」
ぱちり、ぱちり。
鮫島が海原の指示通りゆっくり後退りを始める。海原もそれに合わせて鮫島を庇うような立ち位置にすり足で移動する。
ぬかるんだ黒い泥がスニーカーに染みる。
空気が張り詰める。呼吸は落ち着いてるのに、肺に無理やり空気を詰められているような感覚。
ばちゃ。
迫る人影、思ったよりも既に距離が近かったようだ。
薄靄のような闇からぬうっと、ソレが、追跡者が現れた。
「は……はは。なんだ、なんだてめー」
乾いた笑いが、乾いた口から飛び出た。もう笑うしかない。海原は目の前のソレを見た瞬間にそう感じた。
二足歩行、人型。身長は180センチ程。
「ギ」
白い表皮、昆虫の鉤爪のような足底部。
「ギギ」
まるで白いラバースーツを着込んだ変態のような身体つき。
人ではない。人には尻から伸びる尻尾などついているはずもない。
「うわ、俺のせい?」
海原のつぶやくところその所以は、ソレの歪な姿にあった。
出来損ないの化けモノがそこにいた。
足や腰を骨折した人間が痛みを感じなくなればこんな歩き方になるのだろう歪んだその歩行姿勢。
中腰になりつつ、片足を引きずるその姿は痛ましいモノを感じる。
その背中には一対の、薄い羽のようなモノもついている。トンボと蝶の羽を混ぜたような奇妙な羽。
本来であればまっすぐと伸びるべきであろうその羽は洗濯機に巻き込まれたちり紙のようにくしゃくしゃになっている。
「うわあ、マジでそんなんなるんだな、羽化不全ってよ」
海原が目の前の化けモノを自らが痛めつけたいも虫と同一個体とすぐに気付いた理由がソレだった。
首から上が成長出来ていない。
いも虫だ。その化けモノの首はウネウネしたいも虫のままだ。
図鑑で見たことがある。羽化に失敗した首だけが幼虫のアゲハ蝶とそっくりだ。
繭へのダイレクトアタックはかなり効いていたみたいだ。
海原は自らの暴力が化け物に対して有効だった事へ昏い喜びをかんじていた。
「は、愉快なツラになったな、オイ」
「ギギギ、ギギギギギぃ」
いも虫の口からしろい泡が湧く。カニの警戒態勢によく似ていた。
海原はじり、じりとにじり寄るその化けモノから目を逸らさない。
目の前のおぞましい姿に気をぬくと腰が引けてしまいそうだ。気付けば、ガタガタと膝が震え始めている。
ヤバイヤツってのは人間でも見た目に出るもんだが、コレはマジでヤバイ。
化け物とかなんだ以前に、ロクな生き物ではない。
昆虫と人間と化け物を馬鹿にしながらミックスして無理やり、生命に仕上げたようなその生き物。
これじゃあ、マジで、悲ーー
海原はそこまで考えて、下唇を噛んだ。いや何一つとして野郎の思い通りにはさせたくねえ。
今すぐこの場から逃げ出したい、もしくはうずくまってヤツから目をそらしたい。
でも、違う。鮫島は言った、恐れて終わりじゃいけない、そこから考えないとダメだ。
もし、今2人で逃げ出してどうなる?
まだあの化け物について何も分かっていない。足の速さ、獰猛さ、頑健さ。
もし、鮫島と2人で逃げ出して、追いつかれたらどうなる?
海原は乾いた唇を舐める。
アレは俺が痛めつけた姿だ。つまりアイツにとっては俺こそが化け物に違いない。
なら俺だけが怖いんじゃあない、アイツだって俺が怖いはずだ。
海原は脳みその中で考え続ける。それは自分にとって都合の良い考えだったが、自らを勇気づけてくれるには充分なモノだった。
考えろ、今この場で俺のできる仕事はなんだ。
鮫島は言った、荒事は任せると。
つまりここは、俺の判断で全てが決まるという事だ。
「ギギギギギ、ギギギギギ」
ヤツが近づいてくる。ウネウネしたいも虫の首が伸びる、此方を探すかのように右に左に揺れている。
このやろー、昆虫嫌いの雪代が見たら多分アイツ泡吹いて倒れるぞ。
「まあ、それ見るのも面白そうだけどな」
海原はこんな時なのに、頰が緩むのを抑えられなかった。
よし、それを見るためにも生き残らないといけねえ。
樹原は片付ける、俺と鮫島はここを脱出する。
シンプルに行こう。
その為に俺がやらなければならない事はなんだ?
海原の胸から怖気がいつのまにか消えていた。脳から生まれ、胸に溜まり、足を留める恐怖が別のものに姿を変えていく。
メラメラと燃える、火にもよく似たソレ。
本来、奈落を進まんとする者の誰しもが胸に灯したソレを海原も抱く。
「俺は、生き残る。お前が死ぬ。これでいいじゃろ」
「ギ」
化けモノが急にその場にしゃがみ込んだ。
海原の背筋が泡立つ、下半身に流れる血液全てが炭酸水に入れ替わったようなーー
「走れ!! 鮫島! 来るぞ!!」
バネのように身体を縮め、そのまま此方へ飛びかかる化け物に向けて、海原は反射的に槍を突き出していた。
絶対、ぶっ殺してやる。
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