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逃げろ

 


 海原は反射的に槍を振り下ろす。



 捻れた槍がその身に突き刺さーー




 ガキィン。



「何っ?!」



 槍先が逸れる。表皮の上を滑るように捻れた槍先が欠けながら地面に突き刺さった。



 槍を握る柄を通して痛みにも似た手応えが返ってくる。


 硬い、まるで岩かなんかを突いたようだ。



「鮫島! 退がるぞ、この化け物から離れろ!」


 海原が隣の鮫島に叫ぶ、既に鮫島はばちゃばちゃと泥を跳ね飛ばしながら5メートルほど奥まで走り逃げ、その場で親指をサムズアップしている。



「分かったぜえ! そういう野蛮なのはお前に任せる!」



 逃げるの早、いや良いことなんだけどよ。海原は苦笑しつつ、自らも化け物を視界に収めながら距離取る。



 何かがおかしい。



 いも虫の化け物の身体は先程までこんなに硬いものではなかった。何が起きている?




「あはは。その子は今から成長するんだ。君達を殺せる姿に、進化していく……」



 上の方から樹原の声が届く。いつのまにか天井の動きは止まっていた。



 樹原の姿も見えない。なのに声だけが空間に響き続ける。



「世界は終わり、奈落は表へと浮き上がった。人間の枠は外されて、今や才能あるものとないものには種として残酷なほどの差が生まれた」



「どこに行きやがった!? 出てこい、樹原!」



 天井に向かい海原は叫ぶ。声に反応するように天井からポツポツと生え出ている光る岩が明滅した。



「もう、君たちに会う事はない。後1人、僕の障害を消さなければならないからね。彼・さ・え・消えれば僕の正体に気付ける者はいなくなる……」



「まだやるってのか、この変態ヤロー」



「あはは。でもこれで終わりだよ。本番を始めるまでに退場してもらうのは彼で最後だ。……まあそれは絶対ではないけどね、あまり役者を減らしたくはないんだけど」



 天井から樹原の声が反響している。向こう側にいるのだろう。完全に樹原と海原達のスペースは遮らていた。



「訳のわかんねえ事を…… お前の思い通りになんか何一つさせねえ。お前の幸福なんぞ俺は認めねえ」



「あはは。僕の幸福を君に認めてもらう必要はないよ。それにもう君達は死ぬ。雪代姉妹や春野さんの事は安心してくれ。君たちの代わりにきちんと愛そう」



 悦に入ったような男の震えた声、ここまで気持ち悪いものだとは知らなかった。海原文字通り、その場にヘドを吐く。



「一姫にテメエ、手を出したら殺すぞお」



「あはは、鮫島くん。もう君に僕を止めるのは無理だ。君の姪もそのうち僕に愛を囁く事になる。姪離れの良い機会じゃないか?」



「殺す」



 鮫島が上を見つめて小さく呟く。



「あはは。僕は女生徒に好かれてるからね。君たちという精神的な柱を失った彼女らが誰に縋るのか、少し考えれば分かるだろう?」



「楽しみだなあ。春野 一姫、頑張って大人ぶる少女を包み込むのは愉しい。雪代 継音、誇り高い少女を蕩かすのは興奮するなあ」



 樹原がどろりとした口調で続ける。挑発だ。分かりやすい挑発なのだと海原は感じた。



「そして、雪代 長音。ゾクゾクするよねえ、あの目つきと底の知れない器。明るさの陰に隠れたモノを僕が見つけてあげよう」




「ねえ、海原、どんな気持ちだい? 自らを殺した男に自分の女を取られるというのは? どんな気持ちなのかな?」


 挑発だとは分かっていても、これは単純にムカつく。


「……もうたいぎぃ」



 海原はポツリと呟いた。



「ん?」


「たいぎぃって言ったんだ。お前と話すのがもうほんとにたいぎぃ。鮫島、もう行こうぜ。どーせ後で殺す奴と話しても無駄じゃろ」



 海原は振り返り、鮫島に声をかける。



「……強がるなよ、海原。ほんとは悔しいんだろ? 怖いんだろ? ほら、見せてくれよ、もっと正直になれよ」



「やかましい、もうお前と話す事はねえ。好きにしろ。俺はお前が邪魔でウザいから殺す。それ以外もうお前に思う事はねえよ」




 海原は腹にストンと何かが落ちたような気持ちになる。爽やかさすら感じてしまう程に。



「あはは。無理さ。君はここで終わりだ。ほらご覧、僕のこどもが今、変化の時を迎えつつあるのだから」



 樹原の声に反応し、海原が前を見つめる。いつからだろうか、いも虫の化け物の様子が変わっていた。



 横たわる身体は既になく、変わりに何か卵型の塊がそこにある。


 蠕く黒いどろに包まれたそれは……



「繭さ。成長しているんだ。今度こそ君を殺せるようにね、さあ逃げなよ。繭から彼が孵るまでが制限時間だ」



 天井の向こうから笑いを噛み殺したような耳障りな声が響いた。



 ふうん、繭ね。



「あっ、おい! 海原ァ!」


 海原の判断は早かった。鮫島の制止の声を無視し、泥を踏み締めて一気に走る。



 おそらく、あの繭の中にいるモノはやばい。海原は未だにジンジンと痛む手のひらで強く槍を握り締める。



 何が出るかは分かったものではない。



 樹原はそれが孵ると言った、つまり




 殺るなら、今。



 海原の簡略化された思考回路は逃げるのではなく、攻撃を選択していた。



 前方、奇妙な繭の元へ一気に肉薄。走りながら槍を両手で握り、利き手である右手側に引き込んだ。



「死っね!」



 繭の真ん中、思い切り槍を突き入れる。



 ガキっ、まるで岩に金属を叩きつけたかのような衝撃。



「かったいな! くそ!」



「無駄だよ、海原。君のような凡人にどうこう出来る生き物ではないんだ。才能を持たない君達は奈落で目覚めることもない、あはは。悲しいねえ」



 天井から鳴り響く声、硬い繭に金属の槍がぶつかる反響する音が静かに響く。



 海原の槍が繭を貫くことはない。




「だから早く諦めーー」



 憐れみの色を含んだその声が降りおりて



「ガキの頃よー、恐竜とかと同じぐらい昆虫好きだったんだよ。俺」



 その声にかぶせるように海原が言い放つ。



「……何?」



「昆虫っつーか、アレだな。カブト虫とかクワガタとか限定なんだがな、夏休みにばあちゃんちの裏山にコイツら探しによく行ったもんなんだわ」



 海原は真正面からまっすぐ突き立てた槍をゆっくりと引く。


 その繭には傷一つついていなかった。



 その様子を眺めて、海原はゆっくりその場にしゃがみこむ。コンビニの前でたむろするヤンキーのように大股を開いてしゃがむ。



「あはは、君、何をしているんだ?」



「静かにしろ。それで昆虫にもよ、色々種類があるんだわ。そのまんまの形で大きくなるダンゴムシとか、幼虫から蛹になる蝶とかよ」



 海原は、その繭の根元を眺める。



 黒い泥が卵型の繭の底面にこびりついている。これが接着剤になって繭を直立させてるわけか。



 ふむふむ、成る程。地面から生えて完全にくっついてるとかじゃねえのね。



 これなら出来そうだな。



 ニヤリと海原は笑い、言葉を紡ぐ。



「俺の見る限り、てめえのガキは完全変態する昆虫とよく似てるな。蝶とかカブト虫とか同じだ。幼虫から蛹へそして、成虫へ変わるタイプだ」



「あは、君、気でも触れたのか?」


「最後まで話は聞いとけ、イカレヤロー。ってかアレだ、お前さっき進化だなんだ言ってたが、正しくは変態だ、間違えんなよ、ムカつくから」



 海原は槍先を繭と地面の間に突っ込む。プチプチと音を立てながら繭を固定している泥が千切れて行った。


 オーケー、やはり接着部分は脆いな。昆虫の繭と同じだ。



「な、何をしているんだ、君は」



 天井から振り降りる声、それを無視して海原が繭の表面に手を伸ばす。



「お前は知らねえよな。繭の中にいる変態中の昆虫がどんな状態になってるかなんてよ」



 ザラザラした感触、まとわりついた泥がいつのまにか乾燥している。これが固まる事で表面は更に硬くなっていた。



 まあ、関係ないけどな。


「要はドロドロになってんだよ、すげえデリケートな状態になって、ドロドロになりながら姿を変えてる最中なんだ」


 力を入れて押してみると卵型の繭が僅かに傾く。底面の接着剤は剥がれかけている。


 これならいける。





「海原、君は一体何をーー」




「ここで問題。変態中のドロドロの蛹の繭、これをゴロゴロ転がしたミックスしたら中身はどうなると思う? なあ、樹原 勇気」




「なっ! 馬鹿な、やめーー」


 何を海原がしようとしているか気付いたらしい樹原が制止の声をあげる。




 止めたいんならそこから降りてこい、まあてめえはそんな事できねえのは知ってるがな。


 海原はその場から足早に後ろ歩き、3メートルほど離れた瞬間、今度は一気に地面を蹴った。


 体重を前に傾け、転ける前に足を前に、更に前へ。


 走る。一気に。大腿筋の筋肉を撓ませ、つま先で跳ねるように走る。




 海原の視界に繭が近くなる。



 ここだ。



 走り幅跳びの要領で一気に飛ぶ。



 叫ぶ。



「シェイクじゃゴラアアア!!」




 ドロップキック。プロレス中継を思い出しながら身体を投げ出すように両足を身体の前へ。


 空中で身を捩る、



 加速のエネルギーが一瞬、身体の中を跳ねた。



 その全てのエネルギーは足底へと伝う。




「ホアチャアアアア!!」




 ドウン!!



 硬い繭を押し出すように海原のドロップキックが繭の正中線を捉えた。



 べちゃり、音を立てながら海原はその場に身体を打ち付ける。




 ぶちり、底面の接着剤ごと卵型の繭が回転しながら地面を転がっていく。




「ストライクだ、化け物」



 海原は打ち付けた腰を抑えながらニヤリと笑う。ごろり、ごろりと5メートル以上転がった繭が横倒しになっていた。



「な、なんてことを……!」



 天井からはっきり狼狽した声が降りてくる。


 海原はニヤリと笑った瞬間




「よっし! 鮫島!! 待たせた! 逃げるぞ!」


 背後を振り向き、海原が親指をぐっと立ててサムズアップを鮫島へ送る。




「馬鹿原がよお! よく周り見てみろ! この空間はもう潰れるぞお! 早く来い! こっちだぁ!」



 ズズズズもももも。周囲の空気が軋む。見ればもう海原達のいるスペースは本格的に狭くなっていた。



 海原は脳が湧き、足底がぞくぞく震える奇妙な感覚を覚えた。



 ピンチ、しかし化け物と樹原にしてやった。



 この異常事態を脳みそがようやく危機として認識を始め、アドレナリンを生み出す。



 海原は自分の口角が上がるのを抑えられない。



「は、はは。ははははは! やべえな、鮫島! 今行く! 逃げようぜ!」



「くっ、ふふふ、ひゃはは。お、お前何笑ってんだよお! 頭おかしいんじゃねえか?」



「てめえもだ、鮫島! 笑顔、ぶちブサイクだぞ」



 あはは、ひゃはは。海原と鮫島は2人本気で笑いながら走り始める。



 2人のスポーツシューズが黒い泥を飛び散らしながら地面を穿つ。



 海原と鮫島は向こう側のぼんわりとした光の方へ走り続ける。


 壁が迫る、関係ない。走り抜けてやる。誰も今の俺たちには追いつけない。


 海原は脳を沸かせるアドレナリンの誘いに誘われるがまま叫ぶ。




「樹原ァ! てめえの悲劇なんざこんなもんだ! 下らねえゴミみてえなもんだ! 雑魚が! 首洗って待ってろや!」



 天井からの返事はもうない。



 隣の鮫島の笑い声を聞くたびに海原は昔、似たような気持ちを抱いたことがあるように感じた。



 海原と鮫島は奈落の奥へと走り進む。



 本来であれば、絶望と悲観の表情をしながら沈むべきその場所に、笑い声が暫くの間響き続けていた。




読んで頂きありがとうございます!



宜しければブクマして是非続きをご覧下さい!

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