もう、遅い
「ふっ!!」
腹に力を入れ肩を固める。
脇に備えた槍を身体を回転させながら樹原のがら空きの腹めがけてぶち込む。
身体にも心にも迷いはなかった。海原はその資質の通りやる時にはやる人間だった。
海原はずっと、樹原を信じたかった。
鮫島からの警告は勿論頭に入れていたし、先程の田井中へ行使した技などを見て警戒もしていた。
だがそれでも海原にとって、樹原は大事な仲間だった。
だからギリギリまで海原は、つい2秒前までは、樹原に攻撃をするなんて事はあり得ない事だった。
ガスっ。
本気で槍を刺すつもりだった。
手心は無し、死んでも構わない、むしろ死ねぐらいの気持ちで槍を振るった。
「いやいやいやいや、海原くん…… 君もやはりどこかおかしいよねえ」
目を剥く。あっと、小さく声が漏れた。
本気で刺す、殺すつもりで至近距離から槍を放ったのだ。
槍術を習っていたりした事はないがそれでも、勢いがつき、体重の乗った一撃だった。
捻れた槍先は本来なら、樹原の横腹を貫くはずだったが、その切っ先をズラされた。
「な、なんだ…… お前…それ……」
樹原勇気の腹から服を貫き、何かが飛び出ていた。
びっくり箱から飛び出るかのように、奴の腹から何かが飛び出た。
それが槍先を腹から肩の端にずらしたのだ。
捻れた槍先はたしかにその肉をわずかにえぐり樹原のシャツの肩口を赤く染めた。
あ、足?
黒い、宝石のような艶のそれは蹄。
太い筋ばった筋肉、薄暗さの中で輝くような白い毛並み。
動物の脚?
樹原の腹から蹄のついたヤギのような脚が飛び出ている。
その蹄が槍を……!
「ああ、やっぱり痛いなあ…… あはは、君本気で殺す気で突いてきたんだろう? やるねえ……」
「樹原…… お前……」
なんだ、それと、海原は口の中で繰り返した。それ程までに歪な光景。
槍の柄を再び握り締め、もう一発をかまそうとーー
その時、海原と樹原が立つ淵、その下から聞き覚えのある声が響いた。
「海原ぁああ!! いるのか!? 樹原だ! やっぱり全て野郎の仕業だ!!」
鮫島の声、良かった。生きてた。
でもよ……、ちょっと叫ぶのが遅いぜ。
身体中の細胞が震えた。
腹に衝撃。いや身体の前面全てに衝撃、田井中に食らったボディブロウとは別の種類の衝撃。
足元が急に消え、再びの浮遊感。
あ?
樹原が急に遠くなる、違う、樹原が遠ざかってるんじゃない。
俺が吹き飛ばされーー
槍を握り締める。これだけは手放すわけには行かない。
世界が回る、月明かりの夜道程度の明るさの世界、白、黒。
身体が下に引っ張られる。
視界が揺れ、身体中に衝撃が再び。
どちゃ、ばちゃり。
服に、温い何かが染み込む。
泥だ、転げ落ちだその先には柔らかく、湿った泥がマットのように敷き詰められている。
仰向けのまま止まる身体。上手く息が出来ない。背中を強く打っていた。
身体のそこかしこに鈍い痛みが広がる、海原は目を瞑ってそのまま眠りたくなる。
おもちゃみたいに、あの樹原の腹から飛び出ていた脚に蹴り飛ばされたのだとわかった。
ああ、ぶちたいぎぃ。
「海原! 大丈夫か!?」
ばちゃばちゃと音を立てながら駆け寄ってくる人影、鮫島だ。
なんだよ、やっぱり足怪我なんてしてねえじゃねえか。
超安心した。くちびるがにやけそうになるのを必死に抑える。
鼻の奥がツンと痛むが、それも無視する。
「よーう、鮫島。まだ生きてたのか」
声が震えそうになるのを努めて抑える。ははと乾いた笑いが勝手に漏れ出た。
「ふざけてる場合かよぉ、怪我は!?」
どうした、鮫島、らしくねえ。ドロまみれのそのすがたにいつものふてぶてしさは見つからない。
デコに泥が張り付いてんぜ。
海原は腕と足をバタバタ動かす。右手にはしっかり、手放す事なく槍を握っていた。
目を瞑って、息を整える。痛みが次第に消え、代わりに不思議な気持ち良さを背中と腹に感じた。
小さく、息を吐く。
「問題ねえ、足も手もくっついてる、あれ、これ腹に穴空いてないか?」
「この馬鹿! 大丈夫だ! 腹に穴は空いてねえ! 脳みその心配しといた方がいいくらいだ」
鮫島が海原に駆け寄り、服が汚れるのも厭わずにその場に膝ついた。
「どういう意味かはまた余裕ある時にゆっくり聞くわ、鮫島。ていうかお前なんでこんな所にいるんだ?」
むくりと海原は腹筋に力を入れ上半身を起こす。
「てめえと同じだ。あのくそ野郎に嵌められた。嫌な野郎だとは思ってたが、まさか化け物とはなあ」
高さはあまりない。5メートルもない、ほぼ直角に近い坂道、その上に、海原達よりも高い場所に奴はいた。
腹から飛び出たそのヤギの脚が、ズルズルと音を立てながら引っ込んで行く。
「おい、樹原! 今なら言い訳があるんなら聞くぞ! 手元が狂ったとか、ユーモアのねえお前なりの冗談だとかな!」
海原は叫ぶ。上に向かい、自分達よりも高いの場所から見下ろすかのように此方を見つめる男に向かって。
「海原ぁ、野郎はもうだめだ。予想通りだった。奴は俺らの敵だ」
「まあ、待てよ。鮫島。最後だ。一応これが最後。確認しとこうぜ」
俺たちの勘違いだったら悪いからな。海原はぼんやりと呟く。
身体の節々に感じる痛みは徐々に収まりつつある。
「あはは。何も言い訳はないよ。僕は君たちをそこに突き落とした。手元が狂ったわけでも、冗談でもない。本気だ」
海原と鮫島に冷たい声が降り注ぐ。此方を見つめるその男の顔は薄暗くてはっきりよく見えなかった。
「そーかー。だってよ、鮫島くん」
「……はあ。聞いたよ海原くん。おおい、樹原ぁ。俺からも質問だ。なんでこんな事をしやがる? 理由はなんだぁ?」
洞窟のような空間に鮫島の間延びした声が反響する。
「理由…… そうだな。強いていうなら君たちは、とても……邪魔なんだ」
「邪魔だとぉ?」
「そうだ。鮫島くん。特に君はとても厄介だった。正直、天敵と言っても過言ではないよ。人を信じずその事に罪悪感を感じる事がない。君はずっと僕の事を疑っていたよね」
「いいや? そんな事はねえぞ。被害妄想だな、樹原。それとも なんか後ろ暗いことでもあんのかぁ?」
「あはは。それ、それだよ。鮫島くん。君はそうやって会話の中で人を見て行く。その能力は僕にとって本当に危険なものなんだ。昔の友人を思い出すよ。彼が生きて、大人になっていれば君みたいな男になってたんだろうねえ」
「へえ、てめえみたいな気持ち悪りぃ野郎にも友達がいるなんてなあ…… さぞボランティア精神に満ち溢れた野郎だったんだな」
「……あはは。そうだね、彼はいい奴だったよ。始末するときにほんの少し躊躇した程にね…… その点君にはその心配はなさそうだ」
静かに降り行く樹原の言葉、それには不快感を催す重みがあった。
「樹原、お前は一体何がしたい? 俺たち2人はなんの邪魔になんだよ」
海原が手をあげながら声を張る。ひどく眠くて、酷く疲れた。
とても、とても悲しかったがもうあまり時間はない。
聞きたい事は今のうちに聞いておこう。
「何がしたい……、まあいいか。これで最後なんだし、おしえてあげようかな」
「おお、ぜひとも聞きたい。下らねえ理由だったらぶち殺すからなー」
まあ、どのみち殺すけどな。海原は槍の握りを確かめる。
「あはは、海原くん。一番厄介なのは鮫島くんだけど、一番始末したかったのはじつは君なんだよ、君と僕はとてもよく、似ているからねえ……」
失礼な野郎だ。海原はねじれた槍先に泥をこびりつける。次はこれで突き立ててみよう。かすり傷でも破傷風になれば相当痛いはずだ。
樹原の言葉を聞きながら、海原はソレをどうやって殺すか真剣に考え始めていた。
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