表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

47/163

臨界点

 



「う、あ、お」



 唸り声、ぼつり。ぼつりと響く声。



 俺の声だ。



 海原は自分の口から漏れ出る声で、闇の中から意識を掬った。



 記憶の前後がはっきり、しない。



 俺は今、どうなっているんだ?


 海原は寝起きの直後のようなピントの合わない思考を必死で整える。



 まだ身体は動かない。金縛りにあったかのように、意識だけ、脳みそだけが覚醒を迎えていた。



 目を開いているのか、閉じているのかが分からない。ぼんやりとした闇がただ、ただ、広がるばかり。


 思い出せ、一体何があった?



 海原は思考に方向性を持たせる。僅かに脳の細胞が薄目を開けたような感覚を覚えた。





「落ちた、のか……」



 覚えているのは、そう、あの浮遊感だ。ジェットコースターに乗って、急降下するあの感覚、アレによく似ていた。



「う、ああ」


 声を出す、耳に聞こえるのは妙な響きではあるが間違いなく自分のソレであると理解した。



 喉から声を出しているような自覚はない。身体からの感覚の返事が帰ってこない。


 海原は途端にどうしようもない不安に襲われた。


 あれ、これ腕と足きちんとついてるか?





 指先を探すように力を入れてみる。ダメだ、一体何処までが自分の身体で、何処からが自分の身体なのかが分からない。



 頰に冷たい、身体に染み込むような冷たさを感じる。



 冬の日にナイロン素材の布団の上で、毛布なしで寝ているような、冷たさ。



 自分はどうやら寝転がっているような状態という事に海原は気付いた。



 意識が徐々に、徐々に覚醒へ向かう。




 ーーい! ーー!




 音を海原の耳が拾う。声、人間の声だ。



「あ、う、ここだ……、ここだ、ああ」



 海原は喉から絞るように声を出す、今度は喉の感覚が戻って来た。



 声のピントを合わせる。誰か、誰かいないのか?




「ーれか! ーーしてくれ!」



 声が聞こえる、海原のものではない。その声は徐々に、徐々に近付いて来た。



「ーー誰か! 返事をしてくれ 誰かいないのか!」




 この声は……!



「おーい! ここだ! いるぞ!」



「その声は海原くん!? 何処だい? 樹原だ! 無事なのか!?」



 どちゃ、どちゃ、どちゃ。


 ぬかるみを走り抜けるような音が海原の耳元で聞こえる。



「海原くん!」




 頭上から声がかけられた。



「良かった! 無事で!」



 暗闇の中、声だけが響く。人の気配が近い事を海原は感じ取った。



 ひたっと、肩に触られた。冷たさが徐々に消えて行きじわり、じわりと妙な暖かさが触れられた部分に宿る。



 海原はその暖かさが不意に身体の芯へ染み込むようなーー



「うお!」



 バッ、と。まるでスイッチが入ったかのように海原の身体の感覚が一気に戻る。



 どちゃり。泥をはね散らしながら弾けるように海原は立ち上がった。



 結果的に、海原の身体を揺さぶっていた樹原を跳ね除ける形になってしまう。


 はね飛ぶように起きながら無意識に海原はその樹原の手を弾いていた。



「うわっ、びっくり! 海原くん、良かった、無事だったんだね」



「と、す、すまん、身体が急に…… あれ、意外と明るい?」




 身体が動き始めたと、同時に全ての五感が正常に戻る。



 やはり先ほどまでは目を開けてすらいなかったのだと、海原は気付いた。



 目の前に、困ったように笑いながら頰を掻く樹原の顔が薄暗い闇の中でぽかりと浮かぶ。



「良かった……本当に無事で」



「お、おお。樹原も平気だったんだな? ていうか俺たち……」



「気付いているとは思うけど、うん。僕らは恐らくなんらかの崩落に巻き込まれたんだ…… 地面が崩れて、気付いたら僕もここにいたよ」



 海原は、樹原の頰にべっとりとついた黒いコールタールのような泥を目に入れる。



 自分の頰に手を触れてみると、同じく粘り気の強い無臭の泥がこびりついた。



「うわ、最悪…… なんだよ、これ」



「泥……だろうね。一体ここはどこなんだろうか……」




 海原は辺りを見回す。


 街灯に照らされている夜道程度には明るい。そこかしこから生え出ている奇妙に白く光る岩のおかげだろうか?



 空間は広い。天井を見上げると海原が落ちた筈の穴などは空いていない。



 シャンデリアのように光る岩が、20メートル程の高さの天井部分から生え出ていた。



 奥の方に道が続いている、少なくともここがサレオ地下街ではない事は分かった。




「光る岩…… そんなもん聞いたことないぞ」



「……奇妙な場所だね、本当に……」




 呆然と海原は呟く、不意にある物の存在を思い出した。



「あ、槍」


 握りしめていた筈の槍がない。落ちる時に手放してしまったのだろうか、あれだけは落とすまいとしていたのだが。



 海原は辺りをもう一度見回す。薄闇の中に、何か棒状のものが地面に突き立っている。



 海原がその棒状のモノのを拾おうと足を進めようとした。



「そうだ! 海原くん!」



 びくり。樹原が大きな声を上げる。思わず海原は振り返る。



「お、おう。どうした」





「すまない、君を見つけた興奮ですぐに言えなかったんだが! 鮫島くんも近くにいるんだ! すぐに一緒に来てくれ!」




 海原に向かい、樹原が急に大声で語りかける。



 どくん。心臓が、鳴る。



「おお、わかった、ちょっとだけ待ってもらえないか?」



「いや、海原くん、それが鮫島君は足を怪我しているようなんだ! すぐ近くにはいるんだがすぐに助けに行こう!」



 ……



 海原は詰め寄ってくる樹原から後ずさり、小走りでその突き立った棒の元へ辿り着いた。



「何してるんだ、海原くん! 早く!」



 喚く樹原を、海原は無視する。突き立った棒、ともに落下した槍が底にあった。



 悪い、樹原。どちらにせよ、これはいる。



 なんでだろうな、今お前と2人でいるってのにどうしてだろうな。



 武器を持っていないと安心出来ないんだ。




「ああ、すぐに行く。案内してくれ」



「それは…… 槍かい? ああ、良かった……僕らの持っていたものはなくなってしまったからね……心強いよ…」



 海原はじっとりと手汗をかいている手で槍を強く握り締めた。




「ああ、俺も心強い。とにかくみんなと早く合流しよう」



 コクリと樹原がうなづく。そのまま海原と樹原は黒い泥が溢れる闇の中を進んでいく。




「鮫島はどんな状況なんだ?」



「怪我をしているんだ。その……坂道のような所で滑り落ちてしまってね」



「鮫島以外は?」



「分からない…… 気付けば鮫島くんが近くで倒れていたんだ。そのまま彼とみんなを探していたら、見通しの悪い場所に転がり落ちてしまったんだよ」



「近くに、海原くん、君がいて本当に良かった…… そういえば影山くんは近くにいたかい?」



「いや…… お前と会ったのが最初だ、心配だな……」




「……そうだね、まったくだ」



 並びながら2人は早歩きで前を進んでいく。僅かな光源を頼りに、周囲を確認。



 坑道のような空間、トラックが二台分通れそうな広いトンネルを歩いているようだ。



 海原は樹原の少し後ろを歩いていく。




「樹原、田井中に殴られたのはもう大丈夫なのか?」



「あはは…… 中々アレは効いたよ。まだ少し痺れてるかな」



 ほおを撫でながら樹原が軽く笑う。



「いいのもらってたからな……。 なあ樹原、お前なんで急にあんな事言い出したんだ?」



「……ふふ。君たち2人には怒られてしまったね。理由は言った筈だ。彼らはまだ子どもだ。大人である僕が責任を持つべきだと考えたまでだよ」



「大人……ね」




 海原は心の中にどうしようもない違和感が積もりつつある事を感じた。



「海原くん、君はやはり僕ではリーダーは務まらないと思うかい?」



「……意外だな。結構そういうのに興味があるタイプだったのか?」



「あはは。これでも一応教師だからね。彼らの事が本当に心配なのさ」



「……あいつらはきっと、お前が心配するほどガキじゃねえと思うんだけどな」




「……というと?」



「あいつらは今年成人するかしないかの年齢だろ? 確かに5、6年前は18って言えばまだ未成年だったけどよ。一応、連中の中には法律的には成人してるのもいるんだ。あんま過保護すぎるのもな」



「はは。見解の相違だね。海原くん。君のそのセリフは子どもを見守るつもりのない、無責任な大人がよくいうセリフにそっくりだ」



 海原は僅かに目を鋭くした。思った以上に樹原の言葉が鋭かったからだ。



「僕は誰がなんと言おうとも僕の生徒を守るつもりだ。それがきっと神が僕に与えた使命だと思うんだ」



「お前がいい先生だってのはわかったよ。悪いが俺にはあいつらを子ども扱いする余裕がない」



「余裕?」



「そう、余裕だ。こんな世界になっちまった。ポストアポカリプスってのか? もう大人も子どもも関係ねえ、子どもだから特別扱いとか、そんな事してる場合じゃねえと俺は思う」




「余裕とは自ら作るものだよ、海原くん」




 海原はやけに饒舌な樹原に何かを言おうとしてそれからやめた。



「平行線だな。だが、まあそういうの意見もあるってのはわかった」



「ふふ、君は大人だね。諦めるという事に慣れているだろ?」



「凡人が人生を少しでも楽で良いものにする為には必須スキルでな。諦めるでもしねえと俺らにこの世は眩しすぎた」



「過去形なんだね」


「もう、終わっちまったからな」



 2人は歩く、それきり会話はなくただ、泥を踏みしめる粘着質な音だけが空間に響いていく。



 しばしの沈黙、5分ほど歩くと不意に樹原が立ち止まる。



「ここだ、海原くん。気をつけて、その場で止まってくれ」




 広いトンネルのような空間。樹原が片手を挙げて動きを制する。


 その先には光る岩で照らされた道は見当たらない、



 進行方向の先は確かに黒い闇が広がっている。


 ここか。



「鮫島は?」



「ゆっくり気をつけながらしゃがんで下を見てくれるかい? 傾斜のきつい坂道になっている。その奥だ」



 ……



「おい! 鮫島! 海原だ!! 返事しろ! 助けに来たぞ」



 海原は樹原の指示を無視して声を張る。闇の奥に向けるように届けた声への返事はない。



「……おかしいな。いるはずなんだが。おーい! 鮫島くん? 海原くんを連れて来たぞ!返事をしてくれ」



 返事はない。ただ積もるように静けさだけがその場に広がる。



「いないのか?」



 海原は思わず呟く。心臓の動悸が強くなる。




 やめろ、なわけないだろ。


「おかしいね、もしかしたら鮫島くんの事だ。()()()()()()()()()()()()()()()()






 ……動悸が強く、心臓が跳ねた。




「樹原、今……なんて言った?」




 聞き間違い、言い間違い。納得させてくれるか、上手く誤魔化してくれる事を本気で願った。







 だが、樹原の言葉はそのどれでもなかった。



「ん? …… ああ。なるほどね。もしかして君も初めから疑ってたのかな」




 どれでもない。まるで樹原は開き直るかのように小さく、フフと笑った。






 鳥肌が、やべえ




 臨界点は意外なところで振り切った。



 判断はすぐに終わった。アウトだ、もう迷う暇はない。



 ここには、海原と樹原しかいない。危険、やらねばやられる。


 海原は手に持っていた槍を振りかぶる。思い切りその場で足を踏みしめ、狙いを定める。



 捻れた切っ先を向けられた樹原が、薄く笑っている。


 薄いくちびるを醜く吊り上げたその表情を見るのはこれで2回目だ。



 子ども達に不和をばら撒き、そして今度はーー


 てめえ、あの時やっぱり、笑ってやがったのか。



 海原は槍を樹原の腹めがけて、突き立てた。




読んで頂きありがとうございます!



宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ