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ドミノ倒しの始まり

 


 驚愕、その言葉の意味を理解したと同時に、脳から汗がぶわりと滲み出た。


 田井中 誠は決して穏和なタイプの人間ではない。


 リーダーという立場にいるのもある意味、東雲のような人望に依るものや、雪代 継音のような在り方に依るものではない。



 要は単純に腕っ節が強いからリーダーになっているタイプの人間だ。




 誇り高く、それでいて苛烈な少年だという事を海原は良く知っていた。



 そんな事お前らの方が充分知ってるはずだろうが。




 あのプライドの高い田井中への、最悪の一言。


 それが意味するものは、つまりーー





「待て!! 田井中、ダメだ!」



 海原は反射的に影山を庇うように、前へ出る。



「どけよ」


 金髪の少年、田井中 誠の表情が見えない。


 声をかけようとした瞬間、ぼんっと鈍い音がした。


 海原は遅れてそれが自分の腹から方から鳴った音だと気付いた。



「ゔっ」



 鳩尾から背骨に突きつける衝撃。


 見えなかった。田井中のボディブロウがいつのまにか海原の鳩尾に突き刺さっていた。



 たまらず海原はその場に崩れ落ちる。息が出ない、吐く事が出来ずに喘ぐように短い呼気を繰り返す。


 ぴちゃり、手からこぼれ落ちた槍が泥濘みに跳ねる。




「おい! 海原ぁ!」



 鮫島のガラにもない焦った声が聞こえた。


 あー、くそ、やべ。いいのもらっちまった、後で絶対仕返ししてやる。



 腹を抑えて伏せる海原とそれに駆け寄る鮫島を無視して、田井中が一歩、影山に詰め寄る。




「前に来い、影山。大人の影に隠れてんじゃねえ。このクソデブが」



「そ、そういうところだっ! 田井中 君、いや、田井中!! そうやってすぐ君は暴力に訴える! そんなヤツにリーダーなんか任せておけない!」



 ま、待て……。急にどうしたんだ、オイ。さっきまでみんな、あれだけ仲良く……



 海原は必死に首を上げて身体を起こそうとするも、なかなかいう事を聞いてくれない。


 流石は全国でも有数のハードパンチャーのブロー。身体の芯にダメージが残る。



 今にも田井中は影山に殴りかかりそうだ。その声色は静かだが、言葉の端に抑えきれない怒りを感じる。



「い、いつもいつも君はボクらを見下して、命令ばっかりする! せ、先生はボクらの事を思って色々な話をしてくれるんだ! だからボクは先生にリーダーになって欲しい!」



「そうか、歯、食いしばれ」



 待て、ダメだ…… お前が殴ったら、本当に強い奴が弱い奴を殴ったらダメなんだ!



 田井中……



 言葉が出ない。海原は届けるべき言葉を持っているのにそれを渡す事が出来なかった。



 だれか止めてくれ、田井中を、あの素直なアホを止めてくれ。



 海原はすがるようにその光景を見ていた。


 その願いは悪い形で叶えられた。



「なっ」


「あっ」


「ふっ」





 田井中の背後に影がフッと覆い被さった。肩を掴んだ状態で田井中の足を蹴り払い、巧みな重心移動を以って瞬時に地面に抑え込む。



 べちゃりと泥の飛沫が飛んだ。田井中が地面に叩きつけられた。






 お前、お前何を……





「何してやがる!! 樹原 勇気!!」



 鮫島が叫ぶ。



「見て分からないのかい、彼を止めたんだ…… 放っておけば彼は影山君を殴っていただろう」




「ガッ、ぐ、クソ! キハラァァ! テメエエエ!! 」



 樹原が田井中に背後からくみつき、容易に組み伏せたのだ。田井中の手を後ろに引っ張り体重を掛けて完全に制圧している。



 あの動き、まるで訓練を積んだ警察官のような手際の良さ。


 少なくとも今まで、海原は樹原に武術の心得がある事なんて知らなかった。


 田井中は目を見開き、血走った目で樹原をにらみつけている。



 なんだよこの状況は。



「せ、先生、すごい…… あの田井中を……」


 海原は背後で影山が何やらポケーとしながら、しかしどこか恍惚に独り言をつぶやくのを耳にした。



 まずい、この状況は、非常にまずいぞ。



「田井中君、落ち着きなさい。君は今何をしようとしてたんだい?」



 ゆっくりと語り掛ける樹原の声は優しい。海原はその声を聞いていると僅かに吐き気がしてきた。


「キハラぁぁ、テメエ…… 覚悟は出来てんだろうなあ」




 狼が唸るかのような低い声で田井中が凄む。


「覚悟、ふむ。出来ているとも。僕には僕の生徒を守る覚悟がある。たとえ傷つけられようとも、例え子どもを傷つけようとも、僕の生徒を傷付ける者は許さないという覚悟がね」



「上、等」


 田井中が、決められていない方の手を身体をずらして大きく掲げる、まるで後は地面に叩きつけるだけと言わんばかりに。



 田井中のその動作が意味するのはーー



「ホットーー」



「やめろ! 誠!! 相手は先生だぞ!」



 それまで沈黙を保っていた竹田が弾けるように叫んだ。



 田井中が何をしようとしたのかが分かったのだろう。



 海原はその時、たしかに見た、鳩尾の痛みが薄まる中で、田井中を押さえつけている、樹原の唇が僅かに、醜くつりあがるのを。




 お前、そりゃ。どういう事だ……。











「やめろぉ」



 ぱち。



 振り上げられた手が振り下ろされる事は無かった。すんでのところで、鮫島がその田井中の手を宙空にあるうちにキャッチしていたのだ。



 全員が黙ってその光景を見つめる。



「あ……」



「よく我慢したなあ、田井中。お前、本気で使うつもりじゃあなかっただろお?」



 鮫島がゆっくりと組み伏せられたままの田井中の手を放す。



 落ちた手がべちよりと泥のぬかるみに浸かる。



「オイ、樹原ぁ。いいからもう、離してやれよ」



「……ダメだ。彼がいつ僕の生徒にーー」



「田井中だって、お前の生徒だろうが。てめえはセンセェなんだろ、樹原」



「ふむ、一理あるな。だがしかし、だからこそ僕には彼を止める、そう、教育する必要があるんだよ。こういう風に涙を飲んで体罰に近い事をしてもね」



「へぇえ、お前がそこまで熱心な先生だったとはなあ…… 知らなかったよ。どうでもいいから早く離せや」



「君の命令に従う必要はない。究極な事を言えば君に僕の教育を邪魔する権利はどこにもない」




「いいや、ある。俺にはよお、お前の、基特高校の教員に文句を言う資格がある」



 海原は鮫島が凶悪な笑顔で笑うのが見えた。



 ああ、なるほど。



 春野さん、君の()()はやはり、ギザ歯の悪徳……悪徳の()()()銀行員だ。



 ああ言えばこう言う、まさにお前の為にある言葉だな。鮫島。




「俺はお前の生徒の叔父なんだよお、保護者だ。春野 一姫の叔父、鮫島 竜樹だ。いつも姪が世話になってんなあ、オイ」



「……へぇ、なるほど」



 ニヤリと笑う、鮫島。静かに返す樹原。しかし、樹原の額に汗が一筋浮いているのを海原は見逃さなかった。



「そう言う事だ。これがどう言う意味か分からねえ程馬鹿じゃあねえだろうが。保護者の立場として、基特高校の教員の中にこんな暴力野郎がいるのには納得出来ねえ」



「保護者として、教師であるてめえに言うぜ。今すぐその薄汚え手を離せ、モンスターペアレント舐めんじゃあねえぞ」



「……僕がそんないちゃもんに動じるとでも?」



「動じるさぁ。てめえは動じねえといけない。教師として、田井中を押さえつけてるてめえに、保護者としてそれを辞めろと言ってんだ。お前がそれを聞かねえなら……」



 鮫島が顎を上げて、舐めつけるように樹原を見やる。



「てめえはもう、教師でもなんでもねえ。ガキを痛めつけるただの不審者だ」



 海原はようやく鳩尾のダメージから復帰した、呼吸が軽いのがこんなにも素晴らしい事だったとは思わなかった。



「ハア、ハア、鮫島の言う通りだ。そこのガキには直接殴られた俺だけがやり返す権利がある…… 樹原、お前はなんの権利があって、ガキには手を出しているんだ?」



 決まった、えづかずにきちんと最後まで言えた。海原の胸にわずかな満足感が充足する。





「……あ、はは。参ったね、一転して僕が悪者かい? 酷いな、僕は殴られそうになっていた生徒を守りたかっただけなんだが…… 」



 樹原が顔を伏せる、しかし、田井中を押さえつけるその構えからは力が抜けていない。



「ねえ、君はどう思う? 影山君…… 君を殴ろうとした彼を離せと、そこの大人は言うんだが…… どうしてほしい?」



 海原は目を疑う、なんだ、この男は? 本当にあの樹原 勇気なのか?


 海原の知っている樹原 勇気はこんな、こんな生徒と生徒が争うように仕向ける人間ではなかった筈だ。



 目の前にいるのは、一体なんなんだ?



 海原はどうしよもない怖気を目の前の男から感じていた。


 それはまるで暗い夜の便所の中に、派手な色の毛虫を見つけたかのような背筋が沸くような怖気……



 海原は右の拳を握り締める。無意識に身体に力を込める。


 背後で影山の声が聞こえた。





読んで頂きありがとうございます!


宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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