ホット・アイアンズと田井中 誠
「あ、アイツだ……! 青葉くんを連れ去った蝙蝠の化け物!」
樹原が震えた声で倒れ伏したまま、叫ぶ。
海原も呆然と、その化け物を見上げていた。距離が、距離が近すぎる……。
ヤバイ。思考がうまく切り替わらない。奇襲を受けたショックや、その異様に海原は飲まれてしまってーー
「チッ、全員! 建物の陰へ隠れろ! 警備チーム! オッさん連中を引き連れて一箇所へ固まれ!」
田井中が立ち上がりながら、声を張る。よく通るその声が耳に入ると不思議に海原の身体のこわばりが溶けていった。
「わかった! 行くっすよ!早く!」
少年達の行動は早い。場慣れ、この子達は鉄火場に慣れている。
「はっ、ダセエな、俺」
海原は目を見開き、笑う。そうだ、今はビビってる時じゃない。
頼りのあのキャラがブレ気味の女神はいない。
動け、走れ、死ぬぞ。
自分を鼓舞し立ち上がる。
「樹原! 鮫島、起きろ! 竹田君について行くぞ!」
「あ、ああ!」
「ックソ、わかってるつうのお!」
大人2人を叩き起こして、手を貸す。竹田と海原は視線を交わし、うなづき合う。
「俺がやる! 急げ、ここを離れろ!」
田井中が叫ぶ。
「田井中、地下へ隠れたらダメか?」
竹田が田井中へ言葉を飛ばす。
「ダメだ!! キハラの話聞いてなかったのかよ! 野郎は地下にも入れるだろうが! 索敵が終わっていねえこの状況じゃあ、別の化け物を呼び寄せちまう」
田井中が怒鳴り返す。
「わかった! 海原さん! 先生、鮫島さん!行くすよ! ここを離れましょう!」
竹田がすぐに了承し、おっさん3人を急がせた。
竹田を先頭に海原、鮫島、樹原、そして三人を囲むように警備チームの三人が動く。
打ち捨てられた車両を縫いながら、建物の方へ向かっている。
「ケケケケケケ!!」
海原は走りながら耳障りな獣の鳴き声を聞いた。走りながら振り向くと、その蝙蝠の化け物がこちらへ向かい急降下を。
黒い風が吹く
ーー黒い眼球をむき出しにした化け物が迫る。
近、あ、やば。
「ブチのめせ。ホット・アイアンズ」
唐突に、化け物の鳴き声を遮り、透き通った少年の声が響いた。
静かにしかし力強く宣言されたソレは、世界の枠が外れたと同時に、少年に顕れた力の名前。
本来であれば人の奥底に眠り続けていなければ行けない、理の外の力。
本来であれば奈落を進む人間にのみに顕れた筈の力。
しかして、枠の外れたこの終わった世界では素質のある者全てに備わっている人間の個性に由来する、異質の力。
家族に救われ、家族を失った少年に備わる願いの力。
その力はあまねくすべての鉄、金属を操る。
少年はそのあらざるべきではない力に名前をつけた。
形のはっきりしないその力は名前をつけられた事実によりはっきりと世界に新たに定義された。
ホット・アイアンズ。
熱せられた鉄はその姿を変え、少年の敵を粉砕する。
急降下する蝙蝠の化け物の身体が真横から鉄の塊に横殴りに殴り飛ばされた。きりもみしながら蝙蝠が空中を迷う。
「てめえの相手は俺だ。コーモリヤロー」
海原は建物の陰に滑り込む。振り返ると乗用車の天井に登った、白いパーカーのイケメンヤンキーが馬鹿でかい蝙蝠に向かって中指を立てていた。
1人でやろうってのか? あんなバカでかい化け物と?
海原はその絶望的な体格差に愕然とする。
体制を整えた蝙蝠は羽ばたきながら滞空して田井中を見下ろしていた。
「田井中1人でやんのかよお?!」
鮫島も同様だったらしい疑問の声を警備チームに向ける。
鮫島の凶悪な面構えになんら怯えた様子のない奇妙な高校生達は一様に顔を見合わせてにかりと笑った。
「田井中は強えーすよ。ここにいる誰よりも」
代表して竹田が笑う。その顔には大人3人と違い、なんら怯えも不安もなかった。
……
…
蝙蝠の化け物が、空中でうっとおしそうに全身を震わせる。どうやら先ほど、鉄の塊をぶつけてやったのは大して効いていなかったようだ。
田井中はセダンの乗用車のルーフに登り。唇を片側吊り上げた好戦的な笑みを浮かべていた。
「お前、ムカつく顔してるな」
「ケケケケケケ、ケケ!」
見下ろす化け物、見上げる人間。サイズの差は明快。これが自然界の法則に従った生存競争ならば人間に勝ち目はない。
田井中は冷静だった。身体の至るところは火照るように熱く、下腹のあたりは溶けた鉛でも流し込まれたかのように熱い。
しかしその熱さを感じる脳は驚くほどにしずかだった。冬の日の湖のように澄み渡っていた。
その冷静な頭で田井中は蝙蝠の化け物をゆっくりと眺める。
1つ羽ばたけばその巨体はちっぽけな人間に迫り、その発達した後足でその身体を捉える事ができるだろう。
あの影の様子から考えるにそうなれば最後、思い切り振り回され、身体中をシェイクされる。
「愉快な人間シェイクの出来上がりってか?
あ?」
田井中の頭の中で算段がついた。その恐るべき特異な力を持って目の前の化け物を殺す算段が。
「ケケケ!」
突然、なんの前触れもなく蝙蝠の化け物は田井中に襲いかかる。独特なカクカクした動きで空中移動し、その強靭な後ろ足で田井中掴もうとーー
「そうだ、てめえは俺に近づかないといけない。つまり、俺は待ってればいいわけだ」
田井中は拳を握りこむ。しかしその拳が振るわれる先は蝙蝠の化け物ではなかった。
「ホット・アイアンズ!」
田井中は右手に力を込めて足蹴にしている乗用車のルーフを思いきり殴り抜けた。
ぐにゃん。
田井中が足場にしている乗用車が歪む。波打つゼリーのようにうごめくソレは、瞬く間に形を変えていく。
「ケッ、てめえから突っ込んでくれるんだ。楽でいいぜ。化け物」
車体の一部が大きなドリルのような形に変化する。今、まさにその姿を変えていく車体、そのドリルの先端は振り下ろされる蝙蝠の後ろ足を迎えるように上へと伸びていく。
「ゲアアイ!?」
ブワっと、瞬時に蝙蝠の化け物は上空へと逃げる。その後ろ足の一本から青い血が垂れ落ちていた。
カウンター気味に田井中が作り出したドリルが蝙蝠の化け物の後ろ足に直撃したのだ。分厚い皮、と針金のように生えた毛を車体から生まれたドリルな貫いた。
「おっと、痛そうだな。オイ。だがもっと痛くなるぜ。てめえは」
ニヤリと田井中が乗用車のルーフから飛び降りて笑う。
「てめえは既に俺のホット・アイアンズの狩場にいる。街中で、金属だらけの人間の世界で俺と闘うなんて、お前、気の毒な化け物だな」
田井中は片手を蝙蝠に向けてくい、くいっと煽るように手のひらを動かす。
「この道路に放ってあるクルマ、全てが俺の武器に、そしてお前の敵になる。覚悟決めてかかってこいや。化け物」
田井中にとってこの状況はボクシングの試合や今ではまったくしなくなった路上での喧嘩となんら変わらない。
本当になんら特別な事ではなかった。
たとえ相手が巨大な蝙蝠の化け物でも関係ない。
つまり、いつものやつだ。
田井中が勝って、相手が負ける。
それは世界が続いていようが終わっていようが関係ない、なんら変わらない世界の定義でもあった。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!




