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行ってくるわ

 


 ぎ、ぎ、ぎギギギギギ。



 海原は声の方にゆっくりと振り返る。肩が首が腰が。油の切れた機械が擦れるような音が体内で響くような錯覚。




 背後から聞こえた綺麗な声、綺麗で冷たい声を聞く。



 振り返るとそこには海原の仲間の女性メンバーが怪訝な顔でこちらを見、睨んでいた。



 美が凄むと怖い。またの辺りがキュッと引き上がる。タマヒュン現象に海原はおそわれる。



「海原さん。あなた警備チームに行きたいの?」



 雪代 継音がブラウスに長めの制服スカート姿に身を包み、こちらを見つめている。垂れた前髪に隠れた鋭い右目がちらりと見え隠れする。





「あは、継音。きっと聞き間違いですよー! 昨日あれだけ啖呵切った男の人がまさか、そんな一日で私達捨てるようなことしませんってば!」





 明るいテンション、ジャージを妙に色っぽく着こなす黒髪の和美人。




 そうか今日はそのキャラなのか、雪代よ。



 継音の姉である長音はニコニコと表情を柔らかに明るい声を上げる。怒っている様子は微塵もないのに何故か海原はその笑顔を直視出来なかった。





「叔父さん…… 」




「おい、待て、姪よ。なんで俺をそんな哀れみの表情で見てんだあ、おい」




 隣では姪に憐れみの視線を向けられている哀れな叔父が1人。



 海原は咳払いして、2人の雪代に近付く。




「……違うぞ。君ら2人が想像しているような事はない。とりあえず、おはよう。雪代姉妹よ」




「…おはようございます。海原さん。そうですか。私はてっきり女性にちやほやされたいというみっともない理由で警備チームに行ってしまうのではないかと勘違いしていました」




 淡々と告げる雪代継音の顔に笑顔はない。




「海原さんったら、もう! 冗談がお下手なんですから!! ほんっと笑えない……」




  姉である雪代長音が明るい声で辛辣な事をいう。何故だろう、さっきから汗が止まらない。




 俺は、俺は何も悪いことはしていないはずだ。




 なのに何故、まるで浮気がバレた瞬間の尻にひかれ気味の彼氏みたいな気分にならないといけないんだ。





 モテてないのに、何故男女関係のめんどくさい部分だけ背負わなければならないんだ。海原は頭の中で毒づく。




 薄笑いを浮かべるしかない海原に対して、2人の雪代は同時に溜息をついた。





「まったく、海原さんはまったく。 むっつりスケベヤローなんですから!」



「雪代。俺は別にそんな低俗な気持ちで警備チームの事を口にしたんじゃないんだど」





 語尾が変になりながらも海原は伝えたい事を伝える。





「ふん! どーだか。 わたしの太ももやおしりを触るだけ触っておきながらほかの女の人にも興味を持つなんて、サイテーです」





 雪代がジト目で海原に詰め寄りながら好き勝手にまくし立てる。海原は思わずその柔らかそうな盛り上がったジャージの胸元へ視線が行ってしまう。





 反論が遅れ、言葉に詰まった海原を前に、耳聡い妹が



「……姉さんの太ももや、臀部を……? 海原さん、納得のできる説明を」





 冷たい。ほんとに冷たい視線を海原は感じた。




 海原は昨日、()()()()()()()()()()()()()()思い出した。



「待て待て待て待て! 雪代さん、そういう誤解を招く様な言い方はだね! 感心しないよ、ぼくは! 妹さんも落ち着いてくれ! ほら、まだ昨日の脇腹が痛いから! 半分怪我人だからマジで!」





 まくし立てる海原、手を突き出して首を振る。





「あっ……、その……ごめんなさい」



 継音が途端に剣呑な雰囲気を引っ込め、シュンとしたを向いた。唇を噛み締め、肩を震わす。





 え、何、なんかわかんねえけどすごい罪悪感なんですけど。






 気付けばイチャイチャしていた周りの人間皆が海原と雪代たちの様子をじーと見ていた。







「え、あの人……雪代さんをいじめてるの?」


「てか、さっきあの雪代さんのお姉さんの太ももとか触ったって……」


「見ろよ、あの継音さんの表情……。なんか弱みでも握られてんじゃねえのか」







 隠す気のないヒソヒソ声が周囲から鳴り始める。事情を知っている田井中や鮫島は顔を伏せて肩を震わせていた。





 わ、笑ってやがる……。こいつら。





 海原は針のむしろのこの状況をなんとかすべくまず





「い、いや! その、あれだ! 嘘だ! もう痛みもなんともねえし、そもそもアレは俺がホラ、その場のテンションでやっちまっただけだしよ! 風紀指導に止めてくれて助かったよ!」





 周りに聞こえるように大声で継音に健常を伝える。




「え、どういう事?」


「あ、あの事じゃない? 昨日、あの例のガラの悪い3人組が怪我してたじゃない、アレ、あの人と喧嘩したかららしーよ。で、それを止めたのが継音さんなんだって」


「え! じゃあ継音さんなんも悪くないじゃん! なのにあの申し訳なさそうな表情……、やっぱ弱みを握られてるんじゃあ…」



 ヤバイ、ヒソヒソ声がヒッソオオオ、ヒッソオ!声になり始めている。



 このままじゃアレだ。校内で頼りにされている風紀指導を困らせるロクでもない野郎というレッテルを貼られる。





 これまでの地道なロビー活動の意味がなくなる……




 海原はここに来て自分の足場が崩れる、そんな激情に囚われていた。



 ああ、もうどうしようもねえ、チクショウ。




 海原がもうどうにもこうにも行かなくなった瞬間だった。




「さて、コントはそろそろこの辺で終わりだ。野郎ども、女との楽しい会話の続きは帰ってから存分にやってくれ。そろそろ行くぞ」



 田井中のよく通る声が場を支配する。



 大声ではないが、不思議とその声は注目を集める。あのときの東雲 仁の声と同じだと海原は感じた。



 恋人同士でイチャついていた者、海原と雪代姉妹との痴話喧嘩を眺めていた者、皆一様に田井中の方を注視していた。





「東雲と違って喋るのがあまり得意じゃねーが、こういう時は頭が何か話すもんだ。だから少し聞いてくれ」




 田井中が女3人の輪から離れ校門に近付く。校門を背にするよう振り返り全員に話しかけた。





「俺らは今日、特別な事をするわけじゃあねえ。普通に外に出て、普通に帰ってくる。ただ、それだけだ。だが、今の世の中はそんな普通な事すら満足に出来ねえ不自由なモンになっちまった」





 皆黙って、田井中を見る。





「誰のせいかも分からねえし、興味がねえ。世界がこうなった理由は今、別に大してきにすることでもねえ」




 貫禄、自分よりも一回り年下の少年にそれを感じる。






「お前ら、となりにいる女や仲間の顔を見ろ。女もてめえの定めた男の顔を見ろ。瞼が動いて口がひらいたり閉じたりしてるだろ。それが生きてるって事だ。お前らの言葉や仕草に反応して喜んだり、悲しんだり色々な色を見せてくれる、それが生きている人間ってヤツだ」





 海原と雪代の目が合う。その黒陶磁器のような瞳が朧気なろうそくの光のように揺らいだ。





「けどよ、その動きは簡単に止まっちまう。お前らがどれだけ語り掛けても、揺さぶってもピクリとも動かなくなっちまう時が来る。それが、死ぬって事だ」





「俺の家族はみんな死んだ。兄貴は目の前でもう2度と動く事はないようになっちまった。親父もお袋も、今ならなんとなくわかる。もう、いねえ」





 田井中がぐっと、何かに耐えるように目を瞑る。





 数秒、きつく絞られた瞼はやがて再び開く。



「俺は死にたくねえし、死なせたくねえ。だから本当はお前らを外に出したくねえ。なんせお前ら弱っちいからな」



 うっせーよ、と笑い声を警備チームの少年があげる。田井中はその声にニヤリと笑いかけた。






「だが、俺らは外に出なくちゃならねえ。この場にずっと篭りきるのは無理だ。東雲の野郎の言う通り、俺たちは外に、出ないとダメなんだ。飯だって、物資だって限りがある。誰かがやんねえとダメだ」






「それにこの生活を続ける為には東雲が、あの気障ヤローが必要だ。職務怠慢の生徒会長を俺たちが連れ戻す! 野郎を必ず生徒会室の椅子に座らせる!」






「だからてめえら! 力を貸せ! 生きる為に行くぞ! 死んだらぶっ殺す! 以上! 」




 田井中がフーと、息を吐く様子が海原には見えた。あの野郎、何が話すのが苦手だよ。めちゃくちゃ喋ってんじゃねえか。





「よー、海原ぁ。ガキがよお、あっこまで気ぃ張ってんだ。俺らもよ、やらねえといけねえよなあ」





「そうだな、鮫島」





 ざわざわと皆が別れを済ませて、校門の方へ進んでいく。男達を女が見送る。






「オッサン!」





 校門からこちらへスピーチを終えた田井中が歩み寄って来た。





「キチンと話はつけていけよ。後悔がないようにな!」





 田井中が海原を指差しながら声を上げた。





 その指先は海原と彼の背後に佇む2人の女ぬ向けられている。





 海原は田井中に示されたかのように後ろを振り向いた。此方をじぃと、観察するように見つめてくる現実離れした、恐怖すら感じさせる美しさを持つ2人の女。






 2人の雪代に向き合う。


 後悔のないように。そうだ、もしかしたらこれが最後かもしれねえんだ。


 海原は少し、息を吸い込む。






「雪代」


「……はい」


「はい!」


 2人の女が同時に返事をする。やべ、そうか。どっちも雪代だわ。



「あ、じゃあまずはボーー いや、雪代 継音…さん」




「なに」





「あー、その昨日は悪かった。咄嗟の事であんなやり方しか思いつかなかった。面倒かけたな」





「……別に問題ない。今はもう理解している。あなたなりに、私の事を考えての行動だったのでしょう?」





 昨日の、()()について海原は謝る。あの場ではアレが最善だった。今でも海原はそう思っているがそれでも謝るべきだと判断したのだ。





「……そうか。ありがとうな。君には本当に苦労をかけてると思う。……ここの事は頼んだわ」




「礼はいらない。コレが私の役割。だからあなたもあなたの役割を果たして。……死んだら許さないから」




「おお、了解。後、がきんちょって言ってごめんなさい。」


「……私、やっぱりあなたの事嫌い」






 それきり継音はぷいと、そっぽを向く。その様子を見て海原は小さく笑った。





 2人の様子を黙って見ていた、雪代 長音の方を向く。




「雪代ーー」




「納得はまだしていません。ムカついてもいますよ、わたしは。海原さん」




「うげ」





「心配してくれてるのは素直に嬉しいですがあなたがわたしを心配してくれるのと同じぐらいに、わたしもあなたが心配なんです」





「……」




「あなたの隣にいると海の音がします。わたしはその音がとても好きです。手離したくないです」





「え、あ、うん。音?」





 唐突に話す雪代のテンションに海原はついていけない。ペースを握られた事でなにを話すかを海原は忘れていた。






「あなたと離れたくないっつってんですよ。バカ原さん」





「初めての罵倒パターンだな」





「うるさいです、もう。ほんとに、サイテー……」





「悪いけど、雪代。俺は謝らないぞ」





「知ってます。あなた、割と強情ですし、性格もねじ曲がってるからもうその年で修正は効かないだろうし」





「やかましいわ。……雪代、頼りにしてる。妹さんと一緒に、ここを頼んだ」






 海原が雪代に一歩近付く。自分の首ぐらいの位置にある頭を撫でようと、手を伸ばしたがやっぱり辞めた。





「……普通、ここは頭撫でたりするのでは……?」





「あー…、なんかキモがられるかなと思って、な。つい」




「そーいうところがキモいんですよっ」





 ゴスっ。海原は胸に軽い衝撃を感じる。雪代に頭突きされてと気付いたのは甘い香りが鼻をくすぐった時だった。





 桃かなにかの果物の香りを濃厚にしたそれを海原は感じる。



 胸がしめつけられそうになる錯覚を覚えながら海原はゆっくりと胸にぶつけられたままの雪代の頭に手を置いた。





「絶対、帰って来てくださいよ。約束してください」




「わかった、約束する」





「破ったらもう2度と、海原さんに意思決定の自由は無いと思ってくださいね」




「こえーよ、罰が具体的で怖い。まあ、うん。わかったよ」




 長い髪が下りて雪代の顔は見えない。黒い髪に埋もれた耳がチラと覗く。繊細な陶磁器で出来た小物のような耳はわずかに赤みを帯びていた。




 海原の手が、無意識に惹きつけられるようにその白い耳に伸びーー




「……ゴホン」




「わあ……」




 継音の咳払いと、春野の感嘆の声で正気に戻る。




 雪代も同じくびくりと大きく体を震わせて海原の胸から離れた。



「……風紀指導の立場からして不純異性交遊は例え生徒でなくても許せません」





「すごい、こいびとさんみたい」




 継音が冷たい目で、春野はどこかキラキラした目で海原を見る。



「うう、継音。やっぱりわたしも……」





「姉さん、もう一度読みましょうか?」



 継音が小脇に抱えていた文庫本を掲げる。海原の位置からでも表紙のタイトルを見る事が出来た。




 "男に嫌われる重い女達"





 なんともいえない題名の文庫本を継音はまるで印籠のように雪代へ突きつける。昨日、雪代を説得する時に、継音が用意したものだ。






「うっ、わかった。分かりました……」




「聞き分けの良い姉を持てて良かったです。さて、海原さん」




 感情の起伏の乏しい顔で継音が海原に声を掛けた。




「アイ。ボス」


「その呼び方はやめて。ふう、正直、なんで姉さんはあなたみたいな人に拘るのか本当に良く分かりません。ガサツだし、ふざけるし、紳士ぶる割には暴力的だし、か、身体付きもなんか怖いし」





 風紀指導、俺の事嫌いすぎね? 海原は心の中で呟く。声に出すとショックで震えそうだった。





「でも、あなたは良い人、だと思う。昨日の事も最初はビックリしたけど、ああいうやり方もあるんだと感じました」





「やり過ぎたかもしれんけどな」





「それでも。だからそんなあなたに私は姉さんと違ってお願いも約束も求めない。ただ、基特高校、風紀指導、探索チームのリーダーとしてあなたに命令します」




 継音が、海原を見る。




 姉とよく似た、まっすぐ人を見るその目で。




「絶対に生きて帰りなさい。これは鮫島さんも同じ。死ぬ事は私が許しません」






 海原は少し目を開く。隣の鮫島をチラリと見つめる。


 鮫島が人の悪そうな笑みを浮かべて頷いた。





「了解、我らがリーダー。きちんとお土産持って帰りますよ」




「リーダー、うん、その呼び方なら良い。次からはそう呼んで」




 継音が形の良い顎に手を当てて呟いた。




 海原は噴き出しそうになるのを我慢しながら2人の雪代を眺め、



「雪代、リーダー、行ってくるわ」





 にかりと笑う。




「「行ってらっしゃい」」




 よく似た、しかし違う声が同時に重なる。不思議な事に海原は何故かとても身体が軽くなっていた。






 海原は振り返り、校門へ向かう。もう言葉をかける事もかけられる事もなかった。





 そのまま校門へ向かう集団の中へ入って行く。鮫島も同様に春野の頭をわしゃわしゃと撫でて、その場を後にした。






「挨拶は終わったかよ、オッさん」





 集団の先頭に立つ田井中がニヤリと笑った。





「おう、待たして悪かった、いつでもオッケーだ」



 足元、靴紐は結んだ。


 腰、ベルトは緩んで無い。


 胸元、ボタンは2つ開けた。もちろんネクタイなんかしていない。


 口を縛ったナップザックの中には軽食と水を必要な分入れてある。それに特注の鉄パイプも忍ばせた。



 準備、完了。








「行くぞ。野郎ども」


 ぎ、ギギギギ。


 鉄が軋む音を上げながら観音開きの校門が開く。


 外の風景、終わった世界が朝靄の中、姿を現す。





 ここより先は人の力届かぬ、残酷な世界。地の底より這い出てきた別の世界の生き物が支配する終わった世界。



 夏の風、アスファルトの乾いた匂い、そして鉄錆の匂いが海原達の鼻をくすぐった。



 遠くの空でもくもくと入道雲が山間に影を落としている。





 目標、東雲 仁、及び他、行方不明者の捜索。



 探索チーム、警備チームの混合集団。


 その名も捜索チーム、出発。


 警備チームリーダー、田井中 誠


 警備チーム所属 竹田 翼


 同じく、井川蓮二


 同じく 影山 勉


 同じく、伊藤 達治


 探索チーム所属 海原 善人


 同じく、鮫島 竜樹


 同じく、樹原 勇気


 残り8人。








 ヒロシマ サバイバル 開始。


読んで頂きありがとうございます!



宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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