行方不明者達
「なんだってえ……」
「……詳しく話してくれるか、樹原」
鮫島は目を見開き、海原はわずかに身体を乗り出した。
樹原は小さく頷く。
「ああ、勿論だ。あの子は。東雲くんはぼくたちを逃すためにあそこに残ったんだ。」
「あそこ?」
「僕らが向かった先さ。ヒロシマ市中区、中心街の地下街であるサレオ通りに僕らは向かったんだ」
サレオ通り。ヒロシマ中心街、紙矢町の直下に位置する地下街の名称だ。ヒロシマ市内を渡るアストラムスーパーラインの駅や、地上に張り巡らせた路面電車の駅などにも接続されており、交通の中心地として扱われている。
地下に備わるその街は多数のアパレルショップやカフェの店舗が立ち並び、単なる中心街の連絡路だけではなくその地下街自体が一種の繁華街として機能していた。
「まてよ、樹原。確か地下街は何がいるか分からねえから、入らないようにするって決めてたんじゃあねえのか?」
鮫島が僅かに眉をひそめる。そう、あの時の探索予定でいち早く地下街の危険性を指摘したのは鮫島だった。
「今でも忘れらんねえ。あの夜……。俺が命からがらここへ逃げる時によお、サレオの地下街の入り口から化け物が溢れ出てきたのは良く覚えてる…… なせ虎穴にてめえらは入った?」
「……鮫島」
凄み始める鮫島を抑えるように海原は短く名を呼ぶ。
「いや、鮫島くんの言うことは最もだ。たしかに当初の僕らはサレオの地下街を避けて、中心街に向かうという予定で行動していた。だけど、サレオに向かわなければならない理由が出来たんだ」
「理由?」
「連れ去られたんだ。探索チームの青葉さんの事は覚えているだろう? あの可愛らしい大学生のお嬢さんさ」
海原の脳裏に青葉 伊月の活発な笑顔が浮かぶ。
大学で行っていたボランティア活動の話を聞いたのをよく覚えている。事あるごとに。にかりと笑う朝日のような笑顔は記憶に新しい。
「連れ去られたつーのはよお、つまりサレオにって事か?」
「そう。一瞬の出来事だった。デビオスのビルに入って生き残っている電気器具がないかを探しに行こうとしたまさにその時だった。」
樹原の手が僅かに震えていることに海原は気付く。
「樹原、もういい。また落ち着いた時にゆっくりと……」
海原が樹原の言葉を止めようと肩に手を置こうとしたその時だった。
ガラリ。唐突に保健室のドアが開いた。部屋の主である春野が眠っているのに許可も得ずドアを開ける事が出来ると言う事は……
「いいや、続けてもらうぜ。邪魔すんなよ。オッサン」
声、この少年と大人が入り混じっているような部屋によく渡る声。
海原と鮫島は振り向く。田井中 誠が不機嫌そうに頭を掻きながら入室していた。
「春野は…… チッ、寝てんのか。まあいい。キハラ、話を続けろ。どんなにてめえがきつくてもな。お前にはその責任がある」
「最初から話す必要はねえ、オッサンどもへの説明を続けろ」
どかりと音を立てて田井中が彼らの背後のソファに座り込む。隣で鮫島が冷たい目になっていくのを海原は確認した。
「田井中、今樹原はかなり消耗している。無理には」
ピクリと田井中の形の良い眉が痙攣するのを確認。海原は思わず舌打ちしたくなる衝動に駆られる。
「いや! 海原くん、いいんだ。彼の言う通りだ。ぼくにはその大人としてそして彼らの教師としてその責任がある。それにもう本当に春野くんのおかけで体力は問題ないよ。続けさせてくれ」
樹原が海原を制止ながら声をかける。田井中をかばうようなその姿勢になんら怪しいものを感じる事は海原には出来なかった。
「だそうだ。本人がいいって言うんだ。文句ねーだろ。オッサン」
田井中が長い脚を組み替えながらぼやく。
「……ゆっくりでいい。続きを頼む」
「ああ、ありがとう。最初は雲が差したかとと思ったんだ。それまでは照りつけてい強い日射しが急に陰った」
「………」
鮫島は話し続ける樹原をじぃとみつめる。親指と人差し指の指先を僅かに擦り合わせながら口を挟まずただ、ひたすらにじぃと聴く。
「次の瞬間、先頭を歩いていた青葉くんの姿が消えた。いや、何かに遮られたというべきか。突風のようなものが吹いたと思ったらそれは奴の羽ばたきの風圧だったんだ」
「羽ばたき?」
「青葉さんはまるで鷹にさらわれる小鼠のようにそれに連れ去られたんだ。そうだな、人間を3倍ほど大きくした蝙蝠というべきか。初めてみる怪物だったよ」
海原は口内に溜まった唾を飲み込む。鷹に攫われた小鼠という表現が妙に生々しい。
「青葉くんを連れて飛び去ったその蝙蝠はそのまま近くのサレオ連絡口に飛び込んだんだ。知ってるだろ? あの一番広い連絡口だよ」
「あそこか。たしかにそれだけ大きくてもあの連絡口ならスペースは充分だろうな」
海原はうなづきながら呟いた。
「待て、キハラ。それだ。いくら間口が広いっつても地下街には狭い区間もある。それだけのサイズの化け物がそのまま入り込めるとは思えねえ」
田井中がパチリと親指を鳴らす。キザな所作もこの少年がやれば様になるから不思議だと海原は感じた。
「田井中君。君はやはり賢い。その通り、地下街の広さとその化け物のサイズは合わない。入り口に入れたとしてもその中で行動する事は難しい」
「御託はいい。要点だけ話せ。お前らはそのあとどうした? そこで何を見た?」
田井中の鋭い目付きと、樹原の柔和な目付きが混じる。
「……始めに動いたのはやはり東雲君だった。彼は青葉君が化け物に地下街へ連れ去られらた瞬間に、助けに向かったよ。僕らも彼にすぐついて行った…… 地下街の連絡口を降りたんだ」
海原はそこで、樹原の身体がまた微かに震え初めているのに気付く。右手で左肩を抑えている。
「樹原、ゆっくりでいい。そこで何を見たんだ?」
海原がなるべくゆっくりと樹原に語りかける。抑揚をつけ、声が広がるように。仕事で高齢者に接する時に海原はよくこの話し方を選んでいた。
「広くなっていたんだ」
「……なに?」
「海原くん。そこで僕が見たのは、巣だ」
「巣だと?」
田井中が聞き返す。
「サレオは、紙矢町地下街は変わり果てていた。コンクリートで作られていたはずの壁や床は、ぐちゃぐちゃの黒い泥に包まれ、ところどころが崩壊しているせいで、元の地下街よりも面積が広くなっていたよ」
「………なんだ、そりゃ」
「済まない、詳しい事はあまりわかっていない。わかるのはあそこは既に人が住める場所ではないという事だ」
「青葉さんは……見つかったのか?」
海原は静かに問う。樹原が首を静かに横に振った。
「済まない、結局彼女は見つからなかった。僕らはその地下街に入った瞬間に、別の化け物に襲われて散り散りになってしまったんだ」
樹原はそこで顔を伏せる。
「田井中…… これ以上は」
「ダメだ、オッサン。まだコイツは重要なことを話していねえ」
田井中が立ち上がり、こちらに近づく。海原の隣、折りたたみのパイプ椅子を掴みそれを広げるとそこに座り込んだ。
「それで東雲はどうした? やつは生きてんのか」
田井中が分かりやすく樹原を睨みつける。この2人は以前は教師と生徒の関係のはずだが、田井中のそれは少なくとも目上の人間に対するものではない。
樹原はそれに慣れているのか、とくに動揺する事もなく応えた。
「……済まない。最後に東雲くんを見たのはその襲ってきた化け物に立ち向かっていく姿だけだ。ぼくたちを逃すために……彼は」
「事実だけを話せ、樹原。」
「……一目散に逃げるなか、肩越しで振り向くと東雲くんのあの不思議な力の光が見えた。済まない、その後の事は……あまり覚えていないんだ。気付けば……紙矢町の端っこのゴミ捨て場で眠っていた……。それ以外はなにも、何も思い出せないんだ……」
「ふん、まあてめえにゃあハナから期待しちゃいない。生きて帰れただけでも奇跡みてえなもんだ」
田井中が言い放つ。少年の抜き身すぎる言葉に海原は何かを言おうとして、辞めた。今はそんな事を言っている場合じゃないと判断した。
「……済まない。僕は何も、何も出来なかった。ただ、ただ、逃げる事しか…… なによりも守るべき生徒を見捨てて…」
「キハラ、あんたにできる事なんてちっぽけなもんだ。蟻がライオンに立ち向かう事が出来ねえのを俺は責めたりしない。ほかに逃げれたやつはいないのか?」
田井中がばっさりと言い放つ。ほんの少し言い方が柔らかくなったのでないかと海原は感じた。
「分からない……。皆パニックになって散り散りになってしまったから。本当に分からないんだ。」
「そうか。まあこれで大体決まりだな。なるほど、だから影はあんな動きをしていたのか……」
田井中の瞳が左上に動く。何かを考えているような仕草にも思えた。
「オッサン、昨日した話覚えてるか?」
海原は田井中の方を見つめ、記憶を呼び起こす。昨日、話。
「もちろん。皆が消えた場所のだいたいのアタリがついたってやつだろ」
「そうだ。そして今のキハラの話で確証を得た。なるほど俺らがアタリをつけていた場所と地下街の大入り口は近い。これで東雲たちを探しに行けるってもんだ」
田井中がニヤリと笑う。
「キハラ、戻ってきてもらって早々だがーー」
田井中が何を言おうとしているのかに海原はすぐ気付いた。いやそれは無理だろうと田井中を窘めようとしたその時
「か、彼らを探しに行くのか? だったら頼む! 僕も連れて行ってくれ!! 案内ができる! 地下街の化け物に襲われた場所も覚えている! 役にたつぞ!」
生気を取り戻したかのように樹原が目を向きながら声を上げた。興奮しているようだ。
「いや、落ち着け、樹原。まずは身体を休めてだな」
「いや、オッサン。それはダメだ。本人もこう言ってんだ。人手と正確な情報が欲しい。キハラにも捜索に来てもらう」
無慈悲な宣告、とでも言うべきか。当たり前のことのように田井中は告げる。それがもう既に決定事項であるかのごとく。
「田井中!」
「んだよ、オッサン。あんただってわかってんだろうが。事は一刻を争い、人手は足りねえ。人的資源の有効活用ってやつだ。今はそういう時期なんだよ」
海原がその名を呼び窘めても意味がない。田井中は既に決めているようだ。
そして田井中の言うことが正しいことを海原は理解していた。
「安心しろよ。流石に今から行くとかそう言う事を言ってんじゃねえ。明日だ」
田井中が指を立てる。
「キハラ、1日待つ。それまでに体調を万全にまで戻せ。春野が起きたらもう一度あの光を受けろ。飯は食いたいものがあれば言え。用意させる。」
田井中がつらつらと必要な事のみを告げる。
「ありがとう。足手まといにはならない。言われた事は全てやろう。ありがとう、田井中くん」
「礼はいらねえ。あんたのことを考えているわけじゃあない。仮にあんたが行きたくないと言えば脅してでも連れて行くつもりだったからな」
田井中は立ち上がり猛禽のような鋭い視線をぐるりと回した。
「俺はもう行く。出発は明日。日の出と共にここを出る。オッサン、えーと、それと……」
田井中が鮫島を指差しながら言葉に詰まった。そういえばこの2人はあまり絡みがなかったっけなと海原は思い返した。
「鮫島だ。」
「ああ、鮫島。あんたら2人はそうだな。最後の打ち合わせがしたい。夕方また呼ばせてもらう」
「わかった。」
海原が応え、鮫島を一瞥する。問題はないようだ。
「つーか、あの冷血女。結局来なかったな……。オッサン、後であの女にも状況を伝えといてくれるか?」
田井中が未だ教室に来ていない、雪代継音の事を話す。
言われてみればそうだ。この部屋には後1人、この話を聞かなければならない人間がいない、厳密にいえば姉を入れて2人か。
「わかった、きちんと伝えておく」
海原が手をあげながら応える。
「頼んだぜ。もしあの女がどうしてもあんたらが外に出る事を拒んだ時は言え 」
田井中はそう言い残し、踵を返して部屋を出た。
部屋の中に満ちていた妙な緊張感が少し、和らぐ。
言ってどうするつもりなのかを海原も鮫島も聞く事はなかった。
「樹原、本当にいいのか?」
「もちろんさ。ぼくはまだ動ける。今は火急の時だ。できる事を出来る人間がすればいいんだ」
「センセェてのは勤勉なんだなぁ、感心するぜえ。おい」
口数の少なくなっていた鮫島が茶化す。その目には先程まで湛えていた爬虫類のような不気味な冷たさは見受けられない。
「それほどでもないさ。……済まない。今から明日に備えて眠らせてもらうよ。少しでも体力を回復しておきたい……」
「ああ、安心しろよお。おい、海原。センセェは俺と一姫で看病しとく」
「ああ、わかった。あんま大勢でいてもな。何かあったらすぐに言ってくれ。」
「おお、そうさせてもらうぜ。後でタバコに付き合えや。、一姫を起こしたらすぐに向かうからよ」
僅かに鮫島の声のトーンが低くなる。海原は努めて表情を変えずに軽くうなづいた。
「了解、いつものところだな。先に行っとくわ」
「おう、頼んだぜえ。すぐにいくからよ」
「じゃあ僕は休ませてもらうよ、海原くん。話せて良かった」
樹原が上半身だけを起こし、海原に小さく手を振る。
海原は小さく息を吸い、
「樹原、その……」
「ん? なんだい?」
樹原がにこりと人好きのする笑顔を浮かべる。少なくとも海原にはその笑顔に陰りは見られない。
「いや、なんでもない。生きてて良かった。ゆっくり休んでくれ」
海原はそのままくるりと振り返り出口へ向かう。
ソファの上で春野がタオルケットに身を包み仰向けに寝ている。鮫島が一緒にいるから問題はないだろう。
海原が保健室を出る。
校舎に備わるガラス窓から朝日が差している。海原はその光の中へ進んでいった。外から見ると明るい光も浴びて見るとそうでもない。
まだ遠い朝日はそれでもじり、と海原の肌に触れ続ける。
また暑い夏の1日が始まった。
………………
………
…
彼は、胸の中で先程までの振る舞いを振り返る。
おそらくなんの問題もないはずだ。
ああ、あそこで追加で水を飲めたのはラッキーだった。
そう苦労せずに泣く事が出来たのだから。
彼はもう一度、その精密な記憶力を持つ頭の中で先程の光景を再生する。
再生、海原の自罰的な表情。ふむ。
再生、田井中の高揚を隠した冷静な仮面の顔。これは違う。
再生、春野のかなり上手な寝たふり。なるほど。
再生、まるで沼から頭のみを出したワニのような眼。急に口数が少なくなった鮫島のあの此方を観察するような顔。ストップ。これだ。
録画機能を持つ機械並のスペックを持つ脳細胞が映像を再生、そして気になるシーンで止める。
一部の人物の表情が硬く、此方を観察するような動きが何点か見受けられる。
ああ、やはり。
君達には怪しまれているようだ。
だがまだ甘い。怪しんでいるのをバレるようではダメだ。
だが、やはりそうか。
あの少年の次にはやはり君達か。
彼は目を瞑り、ともすれば眠っているように見える顔の中、思考を巡らせる。
朝日が眩しい。まぶたを閉じていても彼の網膜に日光の影が焼き付いていた。
万人にその恵みは降り注ぐ。善悪もなくただ、ただそうあるがゆえに。
彼は、まどろみの中脳みその一部を働かせながら思考を続けていく。
パズルを1つ、1つ、組み立てていく。 仕込みは既に済ませてある。
後はリハーサルとイメージトレーニングだ。
朝日の中、彼の脳みそは蠢き続けた。
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