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そして始まりの朝が来たりて その2

 


「う、う、あ、うみはら……くん?」



 寝起きのぼやけた声、目の前で眠っていた男、樹原 勇気がおぼろげに海原の名を呼んだ

 。



「樹原! お、起きていいのか? 痛むところはないか?」



「ええ、ありがとう。少し休んだおかげで……だいぶ楽になりましたよ」



 薄く、樹原 勇気が笑う。その笑みは海原を安心させようと努力されたものであることはすぐに分かった。



「む、無理すんな。寝ておいてくれ。」


 起き上がろうとする樹原を制するように海原は椅子から立ち上がる。



「あ、はは。大丈夫さ。見た目ほど弱っちゃあいないよ……」


 精悍な顔つきとは裏腹にその話し方や物腰は柔らかい。オロオロとする海原と対照的に非常に落ち着いている様子だった。



「樹原ぁ、目が覚めたのか?」



 そのやりとりが聞こえたのだろうか。春野の側に座っていた鮫島がやって来た。


「ああ、鮫島くんも来てくれたのか。悪かったね」


「みずくせえ事言ってんなよ。センセー、ったく心配かけやがって……」



 海原は鮫島の声が僅かに湿った事に気付いた。



「あ、はは。心配かけて申し訳ない。なんとか、こうして生きて帰ってこれたよ」



 力なく憔悴した様子で樹原は呟く。目にはまだ隈が残り、唇の端は切れている。ダメージはやはり各所に残っているのだろう。



「本当に、生きていてよかった。でも今はまだ寝てくれ。しっかりと身体を休めるんだ」



 海原が手近にある机の上から500ミリサイズのペットボトルを取り、キャップを開ける。



 カチっという小気味好い音が鳴った。



「少しづつ、飲んでくれ」



 海原が蓋を開けたペッとボトルを差し出す。中に入った透明な水に朝日が差し込み、きらりと光った。



「ありがとう。海原くん。喉乾いてたんだ」



 ふにゃりと相好を崩し、樹原がペットボトルを受け取り、こくり、こくりと飲み始める。



「鮫島、春野さんは?」



「まだ寝てる、もうちょっと休ませてやりてえ。見た所樹原も大丈夫そうだしなあ」



 鮫島がチラリと後方を確認して返事をする。海原はこくりと頷くことで同意する。



「ふぅっ。ああ、生き返るっていうのはこの事なんだろうね。なんて美味しいんだろうか」



「一気に飲むなよぉ…… ここは大丈夫だ。ゆっくり飲め」


「ほかに欲しいものはないか、樹原? 何か腹に入れた方が良くないか?」



 2人がゆっくりとした口調で、樹原に語りかける。あの鮫島でさえ普段の早口で人を威圧するような声色は身を潜め、まるで優しげな親戚のおじさんのような口調で言葉を紡いでいた。



「あ、ああ、っ。だ、大、大丈夫っだよ。スンっ、グスっ」



 グス、グス、スン。樹原が急に鼻をすすり始めた。嗚咽混じりのその声、2人はすぐに理解した。


 樹原が泣いている。鼻水を啜り、目の端からは次々にボロボロ涙を流し始めた。



「ご、ごめ、んよ、グス。き、君たちの顔を見ていると急、急に気が抜けて、う、ひっ」





 水を飲み、気が抜けたのだろうか。嗚咽混じりに樹原が静かに語る。目は徐々に赤く腫れ、ほおに朱が混じる。


 片手で顔の半分を覆いながらしばらくの間、静かに樹原は涙を流し続けた。


 大声こそあげることはなかったが、堰を切ったようにとめどなく涙が溢れる。


 この場にその涙を止める事の出来る者などいようはずもない。



 海原と鮫島はただ、ただ、ゆっくりと樹原が落ち着くのを待ち続けた。



 涙を流す。それは生き残った者にのみ与えられた特権であるが故に。



 そのまま樹原は5分以上、静かに泣いた。朝日の差す教室に、濡れた水音と鼻をすする音のみがじわりと広がった。






 …………………

 ……………

 ………

 ……



「す、すまない。少し気が動転していたようだ……。恥ずかしいところを見せてしまったね」



 たははと、樹原が人懐こい笑顔で笑う。目尻には涙の足跡が残り、顔は残照のように僅かに赤を残す。



 それでもだいぶ落ち着いたらしい。泣くことはストレスの解消になるという事を海原は思い出していた。



「いや、気にするな。どうせ野郎しか見てねえよ」


 海原が自分と鮫島を交互に指差して笑う。


 鮫島もニヤリとうなづく。



「あ、はは。そうかい。それは良かった。女性に子どものように泣かれる所を見られるのは流石にぼくでも恥ずかしいしね」


 いたずらげに精悍な顔がまたくしゃりと笑顔の形に変わる。



「ケッ、ちょっぴり調子戻って来たんじゃあねえか? 色男のセンセエよお」


 鮫島が愉快そうに樹原へ声をかける。


 樹原が白い歯をちろりと見せ



「はは。そうだね。たしかにぼくの涙は女性に効くらしいから。そういう意味ではそうだね、使い所を間違えたかな?」



 片目をパチリと閉じて樹原が笑う。海原や鮫島がするとサブイボが立ちそうなその振る舞いも、目の前の顔の整った美丈夫が行うとサマになってしまう。



 やはり人生は不平等なのだと海原はしんみりと考えた。



「やかましいわ、でもそれだけ軽口が叩けるんなら安心した。樹原、とにかく今はゆっくり身体を休めてくれ」



「ありがとう、海原くん。お言葉に甘えて……と言いたいところなのだけど、すぐにでも君たちに伝えなければならない事がある」



 空気に重さがあるのだとしたら、雰囲気を表すその概念に重さがあるのだとしたら確実に、今、この場の空気が重くなった。



「……樹原よお、そりゃてめえの体調より大事な話なのか? 時間はあるんだ、まずは海原が言う通り休んでからよお」


「いや、鮫島くん。残念ながら時間はあまり残されていない。心配してくれてありがとう」



 鮫島の言葉を樹原が、小さな、しかし力強い言葉で遮る。


 その目には先程まではなかった、力のようなものが見受けられる。


 口ごもる鮫島は、小さく息を吐いて樹原を、それから海原を見た。



 海原は鮫島の視線に気付きながらも、それをあえて無視する。



 そして、樹原に問いかけた。



「……その伝えたい事ってのはなんだ?」



 ゆっくりとした速度で海原は樹原に問うた。返ってくる答え、もしそれが海原の予想通りの言葉であるのなら。



「あの時、起きた事の全て。そして、東雲くん。ぼくの生徒で、生徒会長の彼についてだ」




「彼は、まだ生きているかも知れないんだ」




 部屋の空気が重くなる。



 いつしか、後ろから聴こえていた春野の寝息は聴こえなくなっていた。


読んで頂きありがとうございます!



宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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