そして、始まりの朝が来たりて
「おい! 起きろ、海原! 」
海原の浅い眠りは乱暴な男の声で破られた。浅い水面に沈んでいたかのような意識が一気に引き上げられる。
「ん、起きた」
一瞬で仮初めの覚醒を海原は得る。もやつく視界を目をこする事ではっきりさせる。あのきつく苦しいリーマン勤めは決して意味のないものではなかった。
朝に強いのは役に立つ。海原は日が差し込む教室の中起床した。
まだ近くのスペースで久次良は眠っている。スースーと安らかな寝息が聞こえていた。
「よし、すぐに校門、いや保健室に行くぞ。一大事だ」
「何があったんだ、鮫島。お前がそこまで焦るんだ。トラブルか?」
「はっ、トラブル……ではねぇだろうなあ」
「じゃあ、なんだよ」
海原は立ち上がり、足首をプラプラと振ったり伸びをしながら身体を起こして行く。
柔らかな布団に包まれて寝ているわけではないために、節々に痛みは感じるものの、だるさや布団への未練は、ない。
鮫島は興奮しているようだ。オールバックの髪からぴょこんと数本の髪の毛が飛び出ている。
三白眼気味の目を大きく見開き、
「帰ってきたんだよ!! 行方不明の探索チームのあいつがなあ!」
海原はその言葉で、一気に体に血が巡り始めたのを自覚した。身体の末端が熱い。
「すぐ行こう! 戻ってきたのはだれか知ってんのか?」
「樹原だ! 樹原 勇気! あのメガネヤローだ!」
ドタバタと2人は久次良を置いたまま教室を後にする。彼の寝起きが絶望的に悪い事を2人はこの1ヶ月の付き合いでよく知っていた。
………………………
…………….…
….…….….
……
朝日が差し込む校舎を海原と鮫島が駆ける。海原は半袖短パンにはだしでランニングシューズを履き、鮫島は予備の体育ジャージを羽織っていた。
彼らの教室と保健室は同じ階にある。広い校舎とは言え走れば1分もかからない。
2人の大人がだれもいない廊下を駆け巡る。廊下の壁には7月の標語と銘打たれた張り紙が貼られている。
2人がその張り紙の位置を置き去るように走り抜ける。
[7月の標語 廊下を走らない]
保健室はすぐ、目の前だ。
どんどんどんどん。
鮫島がドアを叩く。果たしてこんなノックに意味はあるのか。これならいきなり開けた方がまだマシではないのかと、海原は火急の割に呑気な事を考えていた。
「もしもしぃ! 鮫島と海原だ! 今、着いた!」
「良かった! どうぞ! 入室を許可します!」
保健指導 春野 一姫の声がドアの向こうから届く。
そうだ、これがあった。海原は息を切らせながら脳を回す。
図書指導、子守 希美の力によりこの基特高校は不可視の壁に覆われている。それは外界からの化け物の侵入を防ぐ大いなる盾として機能していた。
そしてその力は一部の校内の部屋にも通ずる。保健室や生徒会室、そして図書室はその部屋の主人の許可がないと入れないようになっているのだ。
女性が眠る部屋には例外なくその力が張り巡らせていた。残念ながらこのような事態の中でも間違いを起こす人間は存在する。
これは東雲が避難生活を円滑に進めていくために決めたルールの1つだった。
春野から声が返ってきたと同時に鮫島が勢いよくドアを開く。
海原は鮫島と同時に部屋に入った。
「海原さん! 叔父さん! 」
白衣をヘンテコにきこなした、膝小僧の眩しい美少女が駆け寄ってくる。
「一姫!」
鮫島が膝をついて胸襟を開く、迎え入れるように開かれたその胸に春野が飛び込むことはない。
「もう、叔父さん! ふざけてる場合じゃないでしょ! 海原さん、朝早くに起こしてごめんなさい。ありがとうございます」
膝をついたまま固まる鮫島を無視して春野は海原に向けて頭を下げる。ヘアゴムで縛られた一房の髪が跳ねた。
「いやとんでもない。状況を」
「海原、てめえ、もうちょい柔らかな言葉を一姫にだなあ」
八重歯をむき出しにしながら可愛い姪に無視された
「叔父さんは静かにしてて下さい! その、今は眠っています。さっき遠果ちゃんに雪代さんと、田井中君を呼んでもらうようにお願いしていますから、多分そろそろみんな来るかと」
「さすが春野さん。満点の対応だ。叔父さんにもその段取りの良さを教えてあげてくれ」
「海原くぅん、君はいつも一言多いよお?」
鮫島が海原に詰め寄る。いつものことだと海原は無視を決め込み春野へ話し始めた。
「春野さん、樹原の容態はどうなんだ?」
「はい、外傷は脚に擦り傷、くらいです。ただ相当怖い目にあったらしくて酷く憔悴してます。あと食事も全然とれてなかったみたいで……。さっき蜂蜜だけ舐めてもらって、すぐそこのベッドに寝ています」
春野が指差したのは一番手前のベッドスペース。カーテンが閉められておりここからでは樹原の様子は見れない。
「衰弱ってところか。治りそうか?」
「それは大丈夫だと思います。呼吸も安定してるし、顔色もだいぶ良くなりました。日の出とともに帰って来てたから……、今は眠り始めて1時間ってところです」
春野は安心したのかあくびを噛み殺しながら話す。
「そうか…… ありがとう。春野さん。君がいて本当に良かった。良かったら少し休んでてくれ。また何かあったらすぐに起こすから」
「えっ! で、でもわたし、保健指導だし、それは」
鮫島がずいと2人の間に割り込み、春野のほっぺたを摘んだ。
「一姫ぇ、ここはこのおっさんの言う通りにしとけ。安心しろや、俺らがきちんと様子見ておくからよお、少し寝てくれ、なっ?」
「い、いひゃい、おじひゃん、離してよう」
「おめえが寝るっつたら離してやらあ。おら、寝ろ。」
鮫島がほっぺたを放す。春野が頰を撫でながら
「もう! 信じられない! 叔父さんの馬鹿、ボーリョクアラサー、ギザ歯の悪徳銀行員!」
「おい待て、一姫。なんか悪口が具体的過ぎて叔父さんちょっとびっくり。駄目だぞお! そういうところばっかり姉貴と似たらよお!」
海原は2人のやりとりを眺めながら小さく息を吐く。
「べーっだ! 叔父さんすぐ乱暴するから嫌いでーす!」
子供じみた行動。それは鮫島に対する信頼の表れだろうと海原は気づいた。
「ごめんなさい、海原さん。お言葉に甘えます。そこのソファで仮眠をとりますから何かあればすぐに起こして下さいね」
きりっと表情を切り替えた春野に海原は笑いながら、頷く。
少し、顔を紅くした春野が一番奥のベットスペースに潜り込みからタオルケットを取り出す。
「じゃあ、少し寝ます。おやすみなさい。海原さん。叔父さん」
ソファに横になりながら春野が2人に声をかける。
2人のおっさんが手を挙げてそれに答える。数秒もしないうちに春野は目を瞑り、寝息を立て始めた。
おそらく樹原にも力による治療を施したのだろう。アレはやはりかなりの消耗を強いるものなのだと海原は認識を新たにした。
「海原、俺は一姫を見てるからよ、樹原の様子を確認しといてくれねえか?」
「了解、間も無くほかの連中も集まってくるだろうからな。少しだけでも休ませたい」
海原は鮫島の提案に短く答えて樹原が寝ているというベッドのカーテンに手を掛けた。
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