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1日の終わりに 悪友の晩餐

 


「海原、ちょ、そこのマヨネーズ取ってくれ」


「ん」



 海原は膝元に転がっていたマヨネーズの容器を手を差し出す鮫島に渡す。


 オールバックの三白眼がくしゃりと笑顔に歪む。


「サンキュー! やっぱこれがねえとよお。飯食ってる気がしねえよなあ」



 鮫島は手元にあるツナ缶にぐるぐるとマヨネーズをかける。渦巻き状に盛られたそれはもはやツナ缶を食べるのかマヨネーズを食べるのかが分からない。


「うわ、鮫さんそれ凄いね。最早マヨネーズの付け合わせにツナ缶を食べるってレベルじゃん」



 鮫島の隣に座る久次良が、眉を潜めながら呟く。手元には鮫島と同じくツナ缶が開かれていてそれをフォークでつまみながら食べていた。



「はっ、この暴力的なカロリーが今の俺にゃ必要なんだよ、久次良、テメエはむしろもっと食え、そんな細っこい腕しやがってよお」



 鮫島が割り箸でツナ缶を掻き込むようにように頬張る。あっという間に缶詰は空っぽになった。



「こんな生活じゃなけりゃあ、鮫島。お前すぐにコレステロールで健康診断引っかかるぞ」


「ケッ、海原。テメェまでなんだよう。俺は食いたいモンを食いたいように食べる。それが一番健康に良いんだっつうの」



「そうか。まあそれも確かに一理あるな」



 海原は割り箸でツナ缶をちびちびとつまむ。手近にある醤油を一差し。浮いた油と醤油が混じり、割り箸を刺すとふわりと匂いが浮かんで来た。



 ここは探索チームに割り当てられた空き教室。すでに夕日は彼方の山際に沈み、辺りは明るい夜になりつつある。



 あの後。屋上で雪代と別れた海原は探索チームの教室に戻り、夕飯を摂っていた。



 雪代は今頃、妹のいる生徒会室で食事を摂っている。海原は2人の間に姉妹の朗らかな会話があるのを祈りつつ箸を進める。



 教室の中心、畳マットが四畳分ほど敷かれたスペースにはいつかの探索で鮫島が持ち帰った灰色のちゃぶ台が置かれ、3人はそこで食卓を囲っていた。



 男3人でちゃぶ台を囲み、缶詰を摘む。数種類の缶詰とミネラルウオーターが2リットル入ったペットボトルが置かれただけの奇妙な食卓。


 しかして3人の表情は暖かなものだった。



「にしてもよぉ〜、海原、普通食料袋をボスんところに忘れてくるかぁ?」



 鮫島が紙コップを手に持ち、海原に突き出しながら声をかけた。



「あー、うん。すまん。あれはマジで俺がアホだった。言い訳のしようもねえよ」


 海原は目を瞑り、眉間を抑えながら軽く頭を下げる。特に言い返す事もない。


「はは。でもまさかわざわざ妹さんがここまでトートバックを返しに来てくれるとは思わなかったね。びっくりしたよ、ボク」


 久次良が、何もつけていないツナ缶を口に運びながら笑う。食べるペースは彼が一番遅い。



「まったくだぜ、結局よお〜、家庭科室にもボスが行ったみてえだしよ。あなたたちの仲間が忘れていった。きちんと伝えて…… だぜ。急に部屋に入ってきてよ、まったくアレがなけりゃあ今度こそ久次良に勝ってたのによ」



「いや、鮫さん。それは関係ないよ。普通にあの時点で詰みだったし」



「なっ! 久次良、テメェ、適当な事言ってんじゃねえよ〜 まだあの後37手は続いたろうがよ」



「うん、でも55手前で決まってたからさ」



「嘘、だろ」



 2人のやりとりを見て海原が僅かに口角を上げた。くだらない、そんなやりとりがやけに心地よい。味気ない缶詰でも充分だ。



 だれかとともに囲う食卓には変わりない。



 海原はツナ缶を食べ終わると、ちゃぶ台に並べられた別の缶詰に手を伸ばす。



 サンマの蒲焼き、濃いタレで味付けされており栄養価も高い。



 パカリと栓を引き抜き、開封。割り箸で身をほぐす。



 口に運ぶと、濃厚で甘辛いタレと青魚の薫り高い味が混じる。独特の生臭さはタレにより塗り潰されており気にはならない。



 無性に白米が食べたくなるのをこらえながら、海原は米代わりのクラッカーをかじった。


 意外とこれが合う。塩気の強いクラッカーで口の中をリセットし再び、秋刀魚に手を伸ばす。


 2分もかからず海原は今日、最後の食料を食べ終わった。平時の頃より仕事の都合で早飯を常としていたために海原の食事ペースは早い。


 それは鮫島も同様だったみたいだ。コンビーフの缶詰をぺろりと平らげた彼が今、紙コップの水を飲み干していた。


 海原はペットボトルを手に取り、鮫島に次の一杯を促す。鮫島は片手を縦に、半合掌しながら紙コップを差し出した。



 トッ、トッ、トッ。


 水が膨らみ、たわむ音がペットボトルから。透明なミネラルウオーター。


 基特高校に元々備わっていた緊急時の備蓄から持ち出したそれが鮫島の紙コップに満ちて行く。


「うわ、2人とも食べるの早すぎじゃない?」


 ツナ缶をつまみながら久次良は食事を終えていた2人に向かって呻いた。まだ久次良のツナ缶は半分以上も残っている。



「久次良くんよぉ〜、社会人になると飯を悠長に食う事が必ずしも許される訳じゃないんだぜえ。取引先との商談、トラブルの対応、目まぐるしく動く一日の中でよー、飯なんざパッと食うしかねえんだよ」



「うへえ、社畜ってほんとにそんなのなるんだ。勘弁してよ」


 脅かすように悪い顔をしながら鮫島が嘶く。もともと凶悪そうな三白眼をギョロリと見開き久次良を見つめていた。


「確かに昼飯にはあんまり時間取れなかったな。コンビニでコロッケとか買って車の中で食ったりしたっけ」



 海原は在りし日を思い浮かべながら呟く。辛めの炭酸に脂っこいコロッケ。口に広がる油っ気をあの炭酸飲料で流し込んだ時の感覚が容易に想像できた。



「そーそー! 予定が詰まってるとよお。中々店に入るのが億劫になるんだよなあ…… 懐かしいぜえ」



 鮫島が水を煽る。ごくり、ごくりと突き出た喉仏が上下し、空になった紙コップがちゃぶ台に置かれた。



「そんなに忙しいんだ……。僕ならいっそのことなんも食べなくなるかも。急かされて食べるの嫌いだし」



 小動物のような一口を続けながら久次良がツナ缶を口に運んだ。




「それはダメだ」


「そりゃあダメだぜえ」



 海原と鮫島がほぼ同時に断言した。久次良を合計4つの瞳がいぬくように見つめた。



「な、なに? ハモらないでよ。おっさん二人のハモリは妙に怖いよ」



「おっさんじゃねぇ、お兄さんだろうが。久次良よお〜、いいか、強い社会人、ないしは強い人間ってのはなあ、食える人間なんだぜ」


「食える人間?」


「そうだ。たとえなあ、五分後にまあ怒り狂ってる顧客の元によお、土下座するような勢いで謝らないといけない約束があろうと、上司に隠していたミスがバレた時も、どんな時でも飯を食わねえと人間は戦えないんだぜえ」



 鮫島が久次良を指差しながら言葉を紡ぐ。海原は腕を組みながらウンウンとうなづいた。


「そうだぞ。久次良。結局どんな状況でも人間、飯さえ食えればなんとかなるんだ。ヤバイのは食いたくないじゃなくて、食べないを選択する事だ」


「食いたくなくても喰えってやつだぜえ、久次良」


 2人が久次良に向かってくどくど続ける。その姿は先程久次良が表現した通り、まさに。



「うう、おっさん2人がいじめてくる。ご飯の事だけでくどくど、くどくど。なんらかのハラスメントだよう」



 おっさんが若者をいびっているようにしか見えなかった。



「あっ、こいつ、またおっさんて言ったぜえ。海原さんどうしますかあ」



「そうですなあ。ここまでおっさんと言うのであれば……どうでしょう、鮫島さん。いっそのことおっさんらしく、我々の大人の店でのアバンチュールなひと時を目の前の、がきんちょに伝道するのは如何か?」



 おっさん2人が、にマリと顔を歪めて肩を寄せ合う。あまり良い光景ではないそれを見て久次良が、ひくりと唇を痙攣させた。



「や、やめてよ。僕がそう言う話苦手なの知ってるだろ、2人とも」



「もちろんだ。久次良くん。しかし残念ながら大人になると言うことは苦手な事から逃げる事が出来なくなることを意味するのだ」



「そうだぜえ、久次良クン。我々だって心が痛い。だがな、目の前の年下の友人を思っての行動だと言うことはよお、理解してくれたまえ」



「や、やだ。大人の店ってあれだろ。あのエッチなやつだろ! このスケベジジイ!」



「なんとでもいいたまえぇ。チェリーボオオオイ」


 やけに巻き舌気味に鮫島がのたまう。



「年上の友人からのありがたい薫陶だ。我々はこれを幼年期の終わりと呼んでいる」


 腕を組みながら神妙な、ゆっくりとした口調で海原が告げた。


「名作に謝れ!」


 久次良がらしくない大声を出した。


 わきわきとおっさん2人が手をこまねながら食事中の若者へ迫って行く。その光景から緊張感は微塵も感じられない。



 彼らがいる教室からそう遠くない距離にある体育館。避難者が集うその場とは空気がまるで違う。



 未だに食料の質の貧しさに文句を言うもの、待遇の悪さに子供相手に怒鳴り散らかすもの、より弱きものに当たるもの。


 その体育館に笑顔は少ない。



 世界が終わったことを受け入れて笑いながら食べるものと、世界が終わったことを受け入れる事が出来ずに食べられないものの差ははっきりと出ていた。



 大多数の人間と違う、異なる事を狂気と呼ぶのなら今、世界が終わったことを受け入れているこの3人は狂っているのだろう。




 だが、狂っている3人は笑ってご飯を食べていた。それ以上に大切な事が果たしてこの世界にあるのだろうか。



 教室に騒がしい笑い声が響く。結局そのやかましい声は世界が完全に闇に包まれ、月が空に登るまで続いていた。



 止まらないおっさん2人の悪ノリを封じたのは、久次良の



「海さん、その話。雪さんにもしちゃうからね」



「鮫さん、その話。姪っ子の春ちゃんにも言うからね」


 身もふたもない慈悲なきチクリの宣告だった。


 萎んだ風船のようにシュンとした2人はちゃぶ台をさっと片付けて、バスタオルを布団がわりにすぐに床につく。


 この2人は寝るのが異様に早い。これも2人の言う社会人として備わる力なのだろうかと久次良は考えた。


 ぐー、がー、こー。


 遠慮のない、いびきが暗い教室に響き渡る。やがてそれは音が小さくなっていく。


「ふん、何が大人だよ」


 考えて、それからそれが思ったよりしょうもない事だと気づいてクスリと笑った。


 久次良はそんな年上の頼りになるのか、ならないのか分からない友人を見て笑いながら同じく床につく。


 充分な食事を摂ったわけではない。少食の久次良ですら缶詰め2缶のみだと流石に足りない。空腹感が身体に溜まっているのを自覚する。



 周りに転がって寝ている、おっさん2人はもっときついだろう。海原も鮫島も健啖な方であるはず。


 なのにこの2人はそれをおくびにも出さない。久次良は暗闇の中で目を開き先ほどまでの食卓の喧騒を思い出す。



 考えてみれば、こんな馬鹿話をしたのは初めてなんじゃないかな。久次良はタオルを広げながら想いを巡らす。



 ともすれば整った、整いすぎて女とまちがわれることもある容姿に、細くしなやかな身体。おとなしい性格。


 ある種同年代の中では浮世離れしたした存在であった久次良である。


 友人がいなかった訳ではないがこんな馬鹿な話はしたことがなかった、と久次良はぼんやりと考える。


 どこか周りの人々は久次良に遠慮し、遠巻きに眺めるだけだった。


 こんな馬鹿みたいな話に混ざったのは、混ぜてくれたのはこのろくでもない年上の友人たちが始めてだった。



 そしてその馬鹿話とろくでもない大人たちが意外と嫌いではないことに気付いていた。にやける頰を撫でて久次良は横になる。


 3人は思い思いの場所にねころがる。鮫島は畳の中心、海原は畳の隅、そして久次良はその間。



 願わくば。



 願わくば、皆が無事でこのまま続くようにと、祈りながら。


 久次良は目を瞑る。


 夜が来る。この時間は人間の時間ではない。


 化け物の時間だ。さあ眠ろう。無事に目を開く事を期待しながら。























 そして、始まりの朝が来る。



 これが3人で囲む最後の晩餐になろうとは誰も知る由がなかった。



読んで頂きありがとうございます!



宜しければ是非ブクマして続きをご覧ください!

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