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女の戦い

 

 暗い、寒い。


 私は、闇の中にあった。


 あの人がいない世界は、酷く寒く、なんの匂いもしない物だった。



 知らなければよかった。あの人の当たり前の善意の暖かさなんて。



 知らなければよかった。自分に依存しない人間に、依存する心地よさなんて。





 知らなければよかった、知らなければよかった、知らなければよかった。




 ウミハラ ヨキヒトの事なんて。




 私は無力だ。



 私からウミハラ ヨキヒトを奪った存在にすら、勝てなかった。


 打ちのめされ、叩き伏せられ、こうしてまだ淀みの中にいる。



 妹は違う。


 妹はついに自分の意思で進んだ、停滞を良しとせず失ったモノに囚われる事を良しとせず、進み始めた。



 私はできなかった。ただ、前へ進もうとする継音の背中を押すことしか出来なかった。



 私は、ついていけない。



 もう、あの人のいない世界で、あの人を失った痛みに立ち向かう事すら出来ない。



 このまま、消えてなくなりたい。



 闇の中、私は、わたしは、わたくしは、目を閉じた。






 フわり。



 冷たい闇の中、私の頰を撫でるものがあった。


 ()


 そよ風がふと、輪郭を失いつつある私を撫でた。



「誰?」



 聞いてから私はふと、不思議に思う。



 なぜ、私は風に対して誰と聞いたのだろうか。




 ー本当にそれでいいのかい、ユキシロ オサネ。



 すると驚いた事に風が返事をした。それどころか。


「私の名前……どうして?」



 ー彼が教えてくれたんだ。地上の仲間たちの名前を、話を。よくしてくれた。



 この風は何を言っているのだろう。



「彼……?」


 ーキミのよく知る男だよ。彼がキミの話をよくしていたんだ。だから、キミの事は知ってるとも



 私が知る人……


 ーウミハラ ヨキヒトはキミの話をするとき、どこか眩しいモノを見るような顔をしていた。……少し、嬉しそうな顔だった



「海原さん?! あなた、海原さんを知っているの?!」



 ーああ、よく知っているとも。共にいる時間が短くとも、彼と心を通じ合わせていた。



「は?」



 今、この声何を言った?


 私は思わず低くなる声で、問い詰めようと。



 ーでも想像したよりも、キミは大した女じゃなさそうだね。これならヨキヒトく…… ウミハラ ヨキヒトの興味を移すことは簡単そうだ


「は?」



 今、明らかに喧嘩を売られたような。


 冷たい私の世界に僅かながらも熱が戻り始めた。


 ーふふ、怒ったかい? でも、キミを怒らせても怖くないな。こんなところでいじけてふて寝してる女なんて。今度もまた、誰かに助けてもらう気かい?



 声は好きな事を言う。人をおちょくるような口調、落ち着いた声色。


 嫌いな女のタイプだ。


「……あなた、海原さんのなんなの?」


 ーふふ、友人……かな。今はまだそれで良いと思っている。キミこそ、ウミハラ ヨキヒトのなんなんだい?



 声が、囁く。


 その声が囁く度に、輪郭の消えた私の身体に熱が灯る。


「私はーー」


 言葉が、急に出ない。


 その問いに、私は答えを持っていなかった。


 思い出、あのアパートで私を見つけてくれた海原さん。怪物が溢れる夜の中、私の手を引いてくれた海原さん、終わった世界の中で、私を必要としてくれた海原さん、海原さん、海原さん。


 私にとって海原さんは大切な人だ。彼をもっと知りたい、彼と一緒にいたい、彼と1つになりたい、彼を保存したい、彼を独占したい。


 彼が欲しい。焦がれるほどに。



 もし、自分の力に侍るほかの男のように、彼を思いのままに寄せられたらどれだけ、それは幸せな事なのだろうか。


 私にとって海原さんはそんな存在だ。



 でも



 ーおや、どうしたんだい? 急に黙って。聞かせてよ、ユキシロ オサネ。キミはウミハラ ヨキヒトにとってどんな存在なんだい?



 答えられない。その問いに。


 わからなかった。海原さんにとって私はどんな存在だったのだろう。


 あれほど焦がれていたのに、この声に聞かれるまで、そんな事考えていなかった。


 なぜーー



 ーキミは可哀想な人だね。ユキシロ オサネ。人を魅せる事を出来ても、ほんとに必要な人の気持ちが分からない、いやわかろうともしない


 ー哀れだね。人を魅せる力のせいで、キミは人の事を愛せないんだ。だってキミにとっては人は、男は自分に依存し、自分に寄る存在なのだからね


 その声色は、僅かに今まで聞いていたものとは違う。


 悔恨、それとも寂寥。


 その言葉は私だけに向けられたものじゃないような気がしていた。





 ーウミハラ ヨキヒトに相応しいのは強い女の子だ。彼は他者と補完し合う必要がない人間だからね。それに耐える事の出来る精神が相応しい




 この声が言っている事が、少しわかる。



 そうだ、私は海原さんがいないだけでこんな風になってしまったけど、きっと海原さんは私がいなくても平気だ。



 胸の奥が疼く。悲しさではない。


 それは浅ましい興奮だ。


 ああ、気付いてしまった。気付いてしまった。



 私は、海原さんに惹かれるのは彼が私を必要とはしないからなんだ。


 私を、私の血の力を求めて引き寄せられる存在とは違う、私を必要としない人間、強くて冷たくて、悲しい人間。



 彼がそんな人間だから、私は惹かれたのだ。


 私が忌み嫌う血の力、しかし強力な古い力に囚われない。



 なんのことはない。



 ただ、それだけの理由。



「私は、私は……」


 ー哀れだね、ユキシロ オサネ。お前が彼に惹かれるのは、彼がお前の事を雪代の女としてでは無く、ただのユキシロ オサネとして見てくれるからだったのに



「や、やめて、言わないで……」


 私はその場でうずくまる。


 それでもその声は止まらない。



 ー肝心のお前は、ウミハラ ヨキヒトという個人を見ていない。ただ、お前の力の及ばぬ珍しい人間だから。それだけの理由だよ、お前が彼に惹かれるのは



「う、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」


 耳を塞ぐ。


 聴きたくない。なんで、今こんな時にそんな事を聞かされないといけないのか。




 ーねえ、キミ、もうさ、ウミハラ ヨキヒトから離れてよ。彼は優しいのではなく、お人好しだからさ。キミの浅ましさに気付いていながらも、キミを突き放したりはしないだろう? でも、それは良くない、彼にとって良くないんだ



 女の声、女の声がうるさい。


 蛇のような女、こいつ絶対、性格が悪い。性悪女だ。



 ーウミハラ ヨキヒトの中にはもうどうしようもない事に彼にとってとても大切なモノがいる。まあ、それはもう諦めよう。少し小煩い姑くらいに考える事にしたんだ。でも、キミは違う。キミは別に彼の隣にいなくても良い



「なんで、なんで、お前なんかにそんな事言われないといけないの?」


 ー簡単さ、ウミハラ ヨキヒトが欲しいんだ。彼の隣にいたい、彼と話がしたい、彼に笑っでほしい。彼とともに在りたい。でも、今はそれが出来ないんだ、彼を守るために少し無茶をしたからね


 うふふと笑うこの声、苛立ち。また冷たい身体に感覚に熱が灯る。



 怒りが、私を闇から浮かばせていく。



 この声は、私の敵だ。


 私から海原さんを奪おうとする、敵だ。



 ーほんとはね、少し期待していたんだ。ウミハラ ヨキヒトが気にかける女だ。もっとガッツのある人間だと思っていた


 ー様子を見に来たらそれがどうだ。ただ一度たたきのめされただけで、もう悲劇のヒロイン気取り。これじゃあ、キミの妹の方がよほど手強そうだね、でも、このままじゃあ。





 その声に私はびくりと硬直した。



「妹…… 継音! 継音がどうしたの?!」


 ーおや、少し元気が戻ったね。最初に言ったろう? いいのかい、と。



 闇の中、またぬるい風が吹く。


 その風が腹立たしい。失った私の輪郭を、その苛立つ風が浮かび上がらせる。



 ーこのままでは、キミの妹は死ぬよ。キミを、友人を守ろうとして、大衆と化け物に殺される


 ーいいのかい、それで本当に。ここで、このまま寝ていて本当にいいのかい?



 ー負け犬さん。















「……黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって。クソ女…… でも、今はその安い挑発に乗ってやる」






 ぶちり。闇が歪む。私を捉えていた闇を、私は力づくでねじ伏せていく。


 願わくば、この闇に混じるあの女、風ごとねじり潰してしまうように。



 ーふふふ、それでいい、それでいいよ、ユキシロ オサネ。ライバルはやはり、手強いぐらいが面白いからね。いつか、また会う事があるよ。キミが、ヨキヒト君と共にある限りね




 風が、遠ざかる。


 私が熱を取り戻し、闇を払うごとにその風は遠ざかっていく。



 待て、まだ、肝心な事を聞いていない。




「待て!! 待てよ!! 名乗りなさい、覚えておいてあげるから。わたしに教えろ! 私の敵の名前を!!」



 声を張り上げる、ああ、海原さんが居なくなってからこんなに大声をあげた記憶がない。


 怒りが、この風への怒りが、私に生の実感をもたらせる。



 風は一拍おいた。



 見えない筈のその笑みが、女らしい笑みが目に見えた気がした。






「ウェン」











「風の名前は、ウェンフィルバーナ・ジルバソル・トゥスク。ヨキヒト君は風の事を愛情を込めて、ウェンと呼ぶけど…… ああ、キミは名前で呼ばれる事はないんだよね」


 また、にやりとその風が、その女が笑った。



「ゆ、き、し、ろさん」



 潰す。


 力を向ける、しかし瞬時に風の気配は消えた。


 いつか必ず潰す。



「覚えたよ…… ウェンフィルバーナ。忘れるものか。忘れるものか……」




 私は、闇の中を抜け出た。


 腹立たしいことに、憎らしい風の言葉により、怒りにより、私は混沌の夢のような闇から抜け出した。






「今だけは、感謝してあげる。ウェンフィルバーナ」


 目を開く。


 目の前に広がるのは天井、私は身体をゆっくりと起こす。


 月明かりが、ただ美しい。海原さんと見れたら良かったのに。


 荒れた教室。


 そこにもう、妹の姿はなく。



 突然、身体中の毛穴が裏返るような違和感。


 血の力が、妹の危機を伝えた。



「継音……!」



 私は身を乗り出す。あの女への怒りも、海原さんへの想いも今は消えた。


 継音、継音、早く継音のところへ。




 気付けば。私の力は目の前の月明かりを通す、窓ガラスを粉々に砕いていた。



 行け、行け、行け。



 私は身を乗り出す。見下ろす校庭、そこに居る。


 早く行かないと、早く助けに行かないと。




「私は継音のお姉さんなんだから」



 そして、私は、私を呼ぶ愛しい妹の叫びを聞いた。






読んで頂きありがとうございます!


宜しければぜひブクマして続きをご覧ください!

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