生贄、されど氷は溶けず。
「ミイイイイイイツケタア」
事態を飲み込めないまま、その声を聞く。
どこから鳴っているかわからない。やまびこのような声。
「ヒッ、上、……上!!」
だれかが叫ぶ。
継音は釣られて、上を、竹田が落ちて来た天窓を見上げる。
「なに、アレ」
割れた天窓、その向こうに何かがいる。
なにがが、天窓の向こうからこちらを見下ろしている。
割れた天窓から見えるのは夜の空かと思いきや、違う。その穴からここを覗き込んでいるものがいる。
「ああああ、ミイイイイイイツケタア、綺麗なカオ、綺麗なおメメ、綺麗な髪の毛エエエエ。あああ、ちょおおおだい、それ、ちょおおおだい」
口だ。人間の唇のような赤く艶やかなものが天窓の穴から此方を見下ろしている。
「取られたのおおおお、わたしいいい、綺麗だったのにいいい、全部奪われたのおおおお、だから、ちよおおあおおだいいい」
体育館はもうパニックだった。
誰しもがわめき、叫び、可能な限り建物の隅に隠れようとする。
継音と春野はそこを動かない。近くには守るべき負傷者がいるからだ。
継音と春野はそこを動けない、半ば力がある故にその存在の異質さが、身体の四肢にまとわりついて動きを阻害したからだ。
継音と春野は、そこから動けない。目の前には息があるかも分からぬ竹田が横たわる。分かるのは1つだけ。
竹田を天窓から投げ落としたのは、真上にいるこの化け物だ。
「そこの子もおおお、よかったけどおおお、やっぱり、女の子がいいいいい。わたしもおおおお女の子だからああああ」
喋っている、間延びした話し方、聞き取りにくいが、それは確かに言葉を操る。
継音は首の後ろに鳥肌が立つことを自覚した。
こんな化け物今まで見たこともない。
「お前が…… 竹田くんを」
「お前じゃないいいいい、わたしいいいい、りんねええええええ。名前があるのおおおおおおお」
怒ったように化け物が声を上げる。
ビリビリと体育館全体が、その声量に震えた。
「う、うわああ!! ば、化け物だああああ!!」
「こ、殺される……! そ、外に……」
「バカ! 外に出ても同じ事だ!」
「おかあさああん!!」
体育館は、混乱している。皆口々に叫び、喚き、パニックになっていた。
「あはあああ、たくさんんん、人がいるううううう。わあああ、小さい子オオオオオといふうううう、ちょおおおおおだいいいいい」
パリン、パリン。
天窓にへばりついている化け物が興奮したようにもがく。
窓が割れた音がした思うと、その化け物から何かが垂れ下がる。
「ひ、な、何? 何?!」
「こ、こっちに来る?!」
ニョロニョロとくねりながら、化け物の身体から触手が伸びる。
触手の1つが、泣き喚く小さな子供に狙いを定める。
「お、おかあさああん、こっちに来てるぅー!!」
悲鳴、母親は幼子を庇うように抱きしめ、迫る触手に背を向ける、たとえそれが無意味なことだとしても。
触手は化け物の体表と同じく、夜を汚く融かしこんだ黒色で、先端は妙に尖っていた。
子を守ろうとする親にはそんなことは関係なかった。
触手が、母親ごと、狙い通りに幼子を貫かんとする。
パキ、ピキ。
「……させない」
その触手が動きを止める。
零下に晒され、物理法則を無視して瞬時に凍りつく。
継音が、触手を見る。
その度に避難者へと向けられたそれが凍り付いて行く。
伸ばされた触手、10はくだらぬそれらを全て、継音が凍らせ、とどめた。
「え、生きて……」
「うわああん、お母さん!」
「あの子が……守ってくれたのか」
「や、やっぱり化けものじゃないか……」
避難者たちが呆然と継音を見つめる。
驚愕、安堵、そして恐怖。
さまざまな感情のこもった視線が継音へと向けられていた。
「もオオオオオオオオオオン!! なんでええ絵邪魔するのおおおおおおおおおお!!」
ビキビビギ!。、
建物が軋む。化けものが体育館を揺らしているのだ。
「ひいいい!! 」
「く、崩れちまうぞこのままじゃあ!!」
ゆらゆら揺れる体育館。少なくともこの化け物は予想よりも大きい。
「もオオオオオオオオオオ、邪魔、邪魔、どいつもこいつも邪魔よオオオオオオオ! こんな場所ぶっ壊してやるううううう」
「ひ、や、辞めてくれ!! 頼む! ここを壊さないでくれ!」
「んふううううう? ドウシヨウカナアア? 壊さないでホシイノオオトオオ??」
化けものがくねくねと身を悶える。
継音は視界の端で、血まみれの竹田の指がピクリと動いたのを確認した。
まだ生きている。なら、救える。
「決めたああああ。そこの女の子2人、どちらかが体育館の外に出て来てエエエエ、私に食べられてくれたらあああああ、他の人たちは見逃してあげるウウウウウウウウウン」
化け物の触手が、春野と継音それぞれを指差す。
体育館の空気が、一瞬冷めた。
「そ、そんなこと……」
先程継音が救った幼子の母親が呆然と呟く。その表情には呵責が見て取れた。
「わ、わかった!! すぐにこのガキを外に出す!! お前の言う通りにするから! 見逃してくれ!!」
恥も外聞もない。継音の首を絞めた男が喚いた。
「うううううンンンン。じゃあ、早くうううう。ハヤクウウウウウウウウ」
体育館の避難者が、継音と、それから春野へ視線を無遠慮に向ける。
そしてあっけなく、沈黙の限界が訪れた。
「はやく行けよ!! 聞いてただろうが!!」
「そ、そうよ! アンタたちが出て行けば全て丸く収まるのよ!!」
「頼む、君たちが行ってくれ!! ほら、外には警備チームとかいうのもいるんだろ?」
「行け!! はやく出て行け!」
でーていけ、でーていけ、でーていけ。
人の悪意が、そのまま叫びに鳴る。
一人一人の罪悪感は薄い。何故なら彼らは今個人ではなく集団。
自分が悪いのではない。皆言っているから自分も言うのだ。
自分の責任ではない、まだ少女というべき年の子どもを死地へと押しやるのは。
そんな醜い自己保身の考えが、大衆の声となる。
「はやく出て行けよ!! お前らだって、外にいるのと同じ! 化けものだろうが!!」
継音の中で、何かが色を失った。
それはもともと持っていた常識や良識だった。
姉に教わった特別ではない人たちへの思いやりや、慈しみ。それらが全てどうでもいいものだと気付いてしまった。
「訂正して」
だがそれでも譲れないものがある。
今、かれらはなんと言ったか。
お前達。
今、大衆はそう言った。
継音だけではない。ここにいる春野や警備チームの皆にすら向けられた言葉
人の生命を、尊厳を守ろうと戦った彼らが何故そんな事を言われなければならない。
「訂正しなさい。化けものという言葉を、訂正しろ」
「な、なんだ? またやるのか? いいぞ! もうやれよ! 化け物! 俺たちのような弱い存在なんて殺せよ! それでお前も外の化け物と完全に同じだ!」
やけになったのだろうか。男がやけに強気になって唾を飛ばす。
いっそのこと。
いっそのことこの体育館にいる人間を全て凍らせてやろうか。
そうすればここに釘付けになっている警備チームの生徒も逃げ出せる筈だ。
継音が笑う。そして男の向こう、大衆の方からこちらを唯一心配そうに見つめる親娘の姿を見つけた。
殺意がしぼむ。
「ふっ、馬鹿ね。私、そんなことできるはずがないのに」
「何、グダグだ言ってるんだ! はやくしろよ!」
男の声に、継音は力が抜けたように頷く。
もう、どうでもよくなって来た。
こんなのを守る為、こんなのを生かすために皆戦ってきたのか。
徒労感。
継音が集団の中を割って外に出ようしたとき、
「待って!! 継音さん、 行っちゃダメ!」
春野がその手をとり、継音の歩みを止める。
「私が、私が行くから! 継音さんはダメだよ! お姉さんはどうするの?」
「……一姫、髪の毛に虫がついてる」
「え?、どこ?」
唐突に継音のつぶやき、春野がそれに反応して自分の髪を触った。
ピキン。
「え? つ、継音さん?」
「ユキシラ、貴女の足元だけを凍らせた。大丈夫、皮膚は凍らせてないから。靴だけだよ
。それ私が離れたら溶けるから、そのあと竹田くんをお願いね。一姫」
「え、え?」
春野の足下がの日の朝にできる凍った水たまりのように固まっている。
春野はその場を動けない。器用に、靴だけ、靴下の薄皮一枚凍らされている。
「一姫、貴女が始めて私に話し掛けてくれたとき、とても嬉しかった。友達の作り方とかそういうの全部、一姫が教えてくれたね」
「な、何言って……? ね、ねえ! 継音さん! これ、すぐ溶かしてよ!! ねえ! まさか貴女!」
「ふふ、貴女、鮫島さんと同じで頑固よね。人の事言えないわ。そうでもしないと一姫、着いてきちゃうから」
それはいつか春野が継音へと告げた言葉と同じ。
表情の乏しい継音が精一杯、春野の真似をして、下手くそに片目を瞑ってウインクした。
「あの日、私に話し掛けてくれてありがとう。仲良くしてくれてありがとう、私と」
それはいつか、いつか言おうとして言えなかった言葉。
言おう、言おうと思ってたら世界はこんな風になっていた。いや、世界がこんな風になってしまったあとでも言えなかった言葉。
「一姫、私と友達になってくれてありがとう」
精一杯の笑顔。
そして振り向く。騒ぎ立てる大衆をよそに雪代 継音は外へと出て行く。
大衆の為じゃない。
継音はその叫ぶ連中に混ざって、こちらを見つめる親娘と、背後の友人達を思った。
継音は継音の守りたい者のために戦う。
だれかに言われてそうするのではなく、自分がそうしたいからそうする。
終わった世界で己の選択を肯定してくれるのは、社会でなく個人のみ。
体育館の扉を開く。
もう、背後の大衆の叫びは聞こえない。
初めての対等な友人、その泣き声だけが耳に残る。
ふと上を見上げると夏の夜が広がる。
星空はなく、ただはっきりと丸い月がぼうっと太陽の光を写していた。
温い空気が動いた。薄い夏服の上から身体を舐めるよつに。
「あはああああ、デテキタアア。コンバンワアアアア」
ぬらり、ぬろり。
夜が動いたのかと思った。
体育館の建物とほぼ同じぐらいの巨体。
闇色の体表に全身が爛れている。
腕は2本、足は2本。それだけなら普通。
しかし、その巨体には首がなかった。代わりに胴体に先程体育館に押し付けていた唇のようなものが付いている。
艶めかしくそれが動く。
腹に唇を生やした首なしの巨人が、継音を見下ろしていた。
「……ほかの警備チームの人たちはどうした?」
継音は正気を失いそうなその異様を前にして、言葉を向けた。
「ううううンンン?… 食べれなかったああのおお。野球帽の子に邪魔サレテエエエエ、皆逃げちゃったあののおおお。少し、ムカついたからやり過ぎたかな? ふふふ」
「もういい…… ここで氷腐れ。化け者め」
「わたしイイイイイイイ、化けものジャナイノオオオオオ、リンネエエエエエエ」
「うるさい、死ね。化け物」
継音が首なしを見る。
見る、それだけで継音の力が世界を侵す。
凍りつく。空気中の水分が、それを纏う生命が。
「あ、ああああれ? ワタシ、凍ってるウウウウウウウウウン?」
薄汚い叫びをあげながら、一瞬で真白な氷像が出来上がる。
胴に備えた大きな唇が開いたまま凍り付いた化けもの。
「ふふ」
怜悧な笑いが溢れる。己の力を化け物にぶつける、それがとても気持ちの良いものでーー
「ササササアアアウアアアムムウウウウイイイキイイイイイアアアアアアアアアアアア
!!」
空気が震える。
凍り付いた筈の化け物から咆哮が響いた。
「アアアアアアアアアアアア!! 水が、寒い、嫌だ嫌だ嫌だ!! 沈めるなああああ! イヤアア! アアアア!」
「…嘘」
べき、べき。
真白な氷が溶けて、透明に変わって行く。
油の切れた機械のようにギギギとぎこちなく氷漬けの化け物が動き始める。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「くっ」
再度、化け物を凍らせようと力を使ーー
「っあ?!」
膝が抜ける。
とうに限界は来ていたのだ。血の力の酷使、樹原との戦闘、いくら春野の治療を受けていたと言え、既に、継音の体力は無く。
身体が動かない。疲労が一気に遅く。
それを避ける事が出来なかった。
「ああああああああああああああああああああ!!」
「っ! あ!?」
めちゃくちゃに暴れる巨人、その腕の一撃が継音の身体を捉えた。
冗談のように、その軽い身体が吹き飛ぶ。10メートルほど吹き飛んで、校庭に転がった。
「あ、ぐ」
身体がバラバラになったような感覚。継音は立ち上がることが出来ない。
「アハアアアア!! 溶けたあああああ!! アレエエエエ、腕、また凍ってるるううううううう」
じゅううと音を立てながら氷を溶かした巨人がもがく。先程継音を吹き飛ばした右腕だけが真白にまた凍り付いていた。
「ごほっ」
咄嗟、一瞬。その巨体が継音の身体を捉える寸前で、継音の力は発動した。
カウンターのように向けられた腕を凍らし、わずかではあるがその攻撃の勢いを殺していたのだ。
それが無くば、継音の身体はバラバラになっていたかも知れない。
身体が動かない、身体的なダメージだけではない。
自分の力が通用しない。
この終わった世界の中、継音の精神を保たせていたのは自信だった。
自分の力に対する絶対的な自信。見るだけで、相対するだけで問答無用で、相手を凍りつかせる異常。
その絶対的な力に対する自信が、たった一晩で砕けた。
あの男は凍らせる事が出来なかった。凍らしても凍らしても、身体から生やした甲殻が氷を溶かしていった。
この化け物も凍らせなかった。
身震いするだけで、真白の戒めは簡単に溶けた。
継音は途端に、この世界の事が恐ろしくなった。己の力の通じぬ、この世界が。
「すうううごいあいああいい。凍らせたたんだあああああ、一瞬でええええ、捨てギイイイイイイイイイ」
巨人が興奮したように身体を震わす。みるみるうちに凍らした腕も、溶けて行く。
「あなたあははははは、最後のオオオオオオオ、お楽しみにイイイイイイイにとっておいたげるううううう。先に体育館の人たちを食べたいイイイイイイイいい」
は?
継音は耳鳴りのなか、化け物の醜い声を聞いた。
揺れる視界、見える。首の無い巨体がのろのろと体育館へと向かうのを。
継音からゆっくり、離れて行く。
息が僅かに漏れた。
あ……
継音は今、自分が安堵した事に気付いた。
このままやり過ごせるのではないか。そんな考えが脳裏をよぎる。
勝てない。アレには勝てない。
そうだ、体育科にいるあんな連中のためになんでこんな思いをしてまで犠牲にならないといけないのだ。
このまま目をつむろう。このまま倒れていよう。そうすれば、自分だけは助かるかもしれなーー
「は? ……マジか?」
言葉が、己の口から漏れ出た。
継音の普段の口ぶりとは違う台詞、しかしたしかに自分の口から出た言葉だった。
今、自分は何を考えた、今、自分がやった事を、姉を置いてまでした選択を自分で放棄しかけた。
校庭の土を握りしめる。指は動く。
校庭の土を蹴る。脚も動く。
なら、動ける。まだ生きてる、なら戦える。
臆した自分を、動かすのは何か。
継音にも分からない。1つだけわかっているのは今、ここで何もしなければ、二度と会えない人が増えてしまう事だけだった。
「……そんなの、ダメ。嫌だ、私は……嫌だ」
上体を浮かし、這いつくばりながらも前を見る。
自分を見逃そうとして、背中を向けている化け物に対し、力の狙いを定める。
勇気を、私に、勇気を。
必要なものはそれだけ。
臆病な自分にないもの。それを継音が願う。
力を使えば、化け物は自分を狙う。
多分、死ぬ。
「勇気を…… 姉さん、一姫…… 私に勇気を…… 貴女達を守れる勇気をください」
想うのは、継音にとっての大切なもの。記憶を探り、それを懐に。勇気に変える。
「あ……」
ふと、何故だろう。
あれだけ、姉や友の思い出を探っていたのに、ふと継音の脳裏に浮かんだのは。
ーー行ってくる!!
自分から姉を取った、あのがさつな凡人の呑気な笑顔だった。
「……馬鹿ね」
その言葉は果たして誰に向けられたものだったか。その形の整った唇に浮いた笑みは誰に向けてのものだったか。
それは継音にも分からなかった。
「ユキシラ」
言葉、力の名前。
同時に、継音が握りしめた土から一直線、化け物に向かって地面が凍る。
ペキン。
導火線を渡る火のように、凍りつく地面が、化け物の脚を凍りつかせた。
「……お前の相手は、この私、姉さんの妹の雪代 継音だ」
地面に這いつくばりながら、雪代が嗤う。
奇しくもその笑みは、今まさに屋上で死闘を繰り広げる最後の探索チームの生き残りが浮かべたものと同じ。
彼女が嫌う男が、浮かべる笑みとよく似ていた。
「勇敢ねええええええええ。すごいいいいいいいいい。凄イイイイイイイき」
なんのことはない。化け物が嗤う。凍り付いた脚を無理やり力づくで動かして、アイスバーを折るような気軽さで、凍結を溶く。
「気に入ったわああああああああああ、気が変わっだわあああああああ。貴女のようなあああああ、人とは違う勇気を持った人間って好きのオオオオオオオオオオン」
ズシン、ぐしん。
巨体が歩くたび、継音の身体に振動が沁みる。
それは死の実感として近づく。
「縁起物ねえええええ、貴女を食って、私も貴女のようになるのおおおおおお、素敵いいいいいい。勇敢、誇り高い、おめでとオオオオオオオ、貴女は今、恐怖を乗り越えた、自分を乗り越えたののオオオオオおお」
化け物が流暢に叫ぶ。
継音は残り僅かな力を振り絞り、その場から立ち上がろうとする。
ダメだ、力が入らない。膝が崩れる。
生まれたての子鹿が倒れこむように、その場に座り込んだ。
「……クソ」
既に、巨体が目の前に。
もう、間に合わない。
「貴女はあああああああああ、自分を超えたのおおおお。恐怖を、殺し、試練にいいいい立ち向かったのおおおおおお、素晴らしいわああああああ。でも」
喚く。胴体真ん中に生えた忙しなく動く唇が、ふと黙った。
そして、唇が動く。
「だから、死ぬ事になる」
「っ……」
継音は睨む。出ないと溢れそうになる涙が抑えきれないから。
信じられないほどに冷たく重たい言葉が化け物から紡がれた。
その場に座り込んだままの継音へと、化け物の手が伸びる。
継音の首など、さくらんぼを摘むほどの手軽さでもぎ取れてしまいそうな巨大な手が、伸びた。
「言い残す事はあるうううううううううう?」
「……絶対にお前を氷殺してやる。お腹を壊さないようにせいぜいよく噛んで食べた方がいい」
怪物が、ニタリ。胴体の唇がつり上がった。
いつまで経っても、その時は来なかった。
ふと気付くと、怪物の巨体が小刻みに震えている。
かと思うと、首のないその巨体がまったくの明後日の方向を向いた。
「……どうした、化け物…… 私はここだ……」
継音が力なく呟く。そのつぶやきは化け物には届いていない。
ただ、小刻みに、とある方向。
校舎の方向を見つめていてーー
「何ヲヲヲヲ、貴様ア、あの男、樹原ぁぁぁ、何を目覚めさせたの、あの男オオオオオオオ」
震えていた。巨体が、化け物が、まるで恐怖に身を震わすように、慄いた。
継音にはそれが理解出来なかった。
しかし、理解出来ずともそれが起こった。
ーーーーーーーーン。
瀑布、滝、水音。今までに聞いたどんな音とも違う爆音。
基特高校の校舎の窓、建物のガラスが同時に割れた。
「え」
「なにイイイイイイイ、なにイイイイイイイ、お前えええええええええええっ、お前なにイイイイイイイ???」
呆然と呟く継音、校舎に向かって、いや、だれかに向かって喚く化け物。
そして、
「お前エエエエエエエ、誰っ、ちゅぶーー」
パンっ。
安物の風船が呆気なく割れたような間抜けな音。
血しぶきすら無く、首のない巨人の胴体が破裂した。
ぐらり。残された下半身だけが、倒れる。
継音は理解できなかった。目の前で起きた事がよく分からなかった。
ただ、その声を聞くだけ。
「私の大事な妹に触れるなよ、下郎」
憧れたその人の声を。己の守ろうとしたその声を。
「…あ、…。ああ!!」
見上げる。気配がわかる。自分と同じ血、更に濃い血の気配が。
割れた窓ガラス、その1つから、空へとその身を投げ出す人影が1つ。
ふわり、見えない力によって浮くように地面に着地する。
その姿を継音は知っている。
月の明かりに照らされる夜を映す艶かな黒髪を。雪よりも美しく、月明かりを弾く白い肌を。
闇夜の中で、怪しく光る赤い双眼を。
美しく、恐ろしく、そして己の憧れた彼女を呼ぶ。
「姉さん!!」
「いえす! アイアーム! お疲れ様、継音、よく頑張ったね」
当たり前のように4階の高さから舞い降りたその女。
雪のような冷たい美貌で、太陽に向かって伸びる花のように笑った。
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