VS樹原先生
その男が現れた。
隠れた月が男を照らす。まるで男が屋上に現れるのを待っていたかのように。
夜の世界がその男に侍る。
夜闇の中、男のしっとりとした声が広がる。
「いま新しく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと言う声がしたと思うと、いきなり眼の前が、ぱっと明るくなったのでした」
朗読するような、誰かに語り聞かせるような声が月の明かりに混じった。
それは久次良がその男から教えられたとあるお話の一節。
「宮沢賢治は夜を、焼いた鋼に例えた。彼の見ていた夜空には、常に星が瞬き、そして夜空を渡る銀河鉄道が見えていたのだろうね、羨ましいものだ」
「……アンタは星なんて見ようとしないだろ」
「あはは、酷いなあ。僕だってこうして、1人で夜空に思いを馳せる事はあるさ。キミも好きだったろう、このおはなしのことが」
月明かりがその男を照らし続ける。人好きのする笑顔が闇の中浮かび上がる。
男は柔らかく微笑み、久次良に向けて語りかける。
「やはり、キミだったか。久次良君」
「……わかっていたのか」
久次良が声を押し殺しながら樹原に言葉を向ける。
その声が震えそうになるのを必死に堪える。
鮫さん、海さん、願わくばこの逃げ出しそうになる脚を止めてくれ、これ以上恥知らずになるわけにはいかないんだ。
久次良の内面を見通すように樹原が目を細めた。
「いいや、見事なものだったよ。今の今までキミという存在は完全に僕の警戒の外にいた。この土壇場で僕に一矢報いるその胆力、賞賛に値するよ」
久次良はその言葉には答えない。ただ、身体中に広がる震えを力を入れて押しとどめる。
「久次良君、懐かしいものだね。こうして2人きりで話すのはいつぶりだろうか…… ああ、思い出した、キミの卒業式の日以来じゃあないか?」
その口ぶりはあの時と変わらない。人望に厚く生徒思いの人格者、その声色は変わらない。優しく広がる暖かな声。
しかし、久次良はもう知っている。それが死臭の漂うおぞましい擬態であることに。
「そうだよ、アンタに屈したまま迎えた卒業式の日以来だ。……あの時、アンタに言えなかった事を今、ようやく伝える事が出来る」
「へえ…… 何かな? 興味があるよ、とてもね」
樹原に見つめられると、どうしても身体の芯が冷える。蛇に睨まれたカエル。
ダメだ、カエルのままじゃあダメなんだ。
口の中が乾く、緩い汗がシャツの生地を湿らせる。
う
それでも久次良は喉を震わせた。
「アンタは…… アンタは薄汚い犯罪者だ。必ず、報いを受けさせてやる」
樹原を睨み付ける。その姿からもう2度と目を逸らさない。
「……あはは。へえ、久次良君、そんな瞳が出来るようになったのか。うん、良い目だ」
視線を受け止め、樹原は嗤う。
「しかし久次良君、僕が本当に好きなのはいつものキミの目だ。卑屈で、臆病で、自罰的なあの目はどうしたんだい? 」
「……もうその目でアンタをみる事は無いよ、先生」
脂汗が、顎の先から雫となって垂れる。
「ふうむ、なるほど、たしかに。今のキミからはあまり恐怖を感じないな。いや、僕の事を、怖れているのは分かる。だが、それは恐怖ではない。僕の事を敵として見ているが故の…… そう、警戒だ」
樹原が流れるように言葉を使う。久次良の高校時代、教室で聞いていたあの声と同じ。
「久次良君、キミはもうすでに、僕の事を恐れていない。何がキミを変えたのかな? あれだけ利口で賢く、そして卑怯者だったキミに何があった?」
足音も立てずに樹原が歩む、久次良のから視線を切り空を見上げながら、屋上の端へ向かう。
「僕はーー」
「決まっている。海原善人と、鮫島竜樹だ。彼等に影響されたキミは、考えを変えた。聞くまでもないね」
久次良の言葉にかぶせるように、樹原の言葉が舞う。僅かにその声が固くなったことに久次良は気付いた。
「キミの、僕をみる恐怖に染まった目が好きだった。利口故に、僕に敵わない事を理解し、全てを諦めたあの目がとても、好きだった」
樹原は続ける、星を見上げるその顔には一切の表情はなくーー
「友と自分。キミはあの夏の夜にそれを天秤に賭けた。僕はね、気に入っていたんだ。躊躇いもなく自分を取り、友を見捨てたキミのその人間性をね」
樹原の言葉に久次良が手を握りしめる。
前を向け、あの2人のように。
言葉を止めるな、呑まれるな。
「……アンタの言う通り。僕は卑怯者だ。友達に着いて行く事も、止める事も出来なかった、しなかった。アンタが怖かったから」
絞り出すような声、喉の奥、舌の根から。
「でも、もう違う。これ以上恥知らずのままじゃあ居られない。今度こそ僕はアンタと戦うよ、樹原先生」
言葉が、出る。鼻の奥がツンと痛む。目頭が熱く、涙が滲む。
怖くて、怖くて堪らない。誰よりもあの男の恐さを理解しているが故に。
それでも久次良はその場から逃げる事はない。言葉を止める事も、目線を切る事もない。
「アンタをここで、殺す…… 今、僕の手で、アンタを止めてみせる」
手のひらを強く、強く握り締める。
「あはは…… よく分かった。キミの枷は既に外されているようだ。よく、分かった」
フー、とため息をつく樹原。空を見上げながら久次良に語りかけた。
「……実験は失敗のようだね、久次良君」
「実験……?」
張り詰めた空気が僅かに解けた。
「久次良君、キミを長年悩ませていたその屈辱、恐怖はね、キミを悩ませるだけのものじゃあなかったんだ」
月明かりの元、樹原が屋上のフェンスに身体を預けながら呟く。
長い手が、宣告を与えるように久次良を指差す。
「それは枷であり、キミを守る安全弁でもあった。恐怖で人を縛る事が出来るのか否か、その実験体であり続けるのであれば、キミの安全はある意味保証されていたんだ」
「何を……」
「キミはあの日、あの夜全てを理解していたはずだった。僕には、樹原勇気には勝てないと。聡く、賢いキミはあの日、在り方を決めた。僕に屈し、僕の正体を噤む事を」
無意識に口の中に溜まった唾を久次良は飲み込む。後退りしたくなる脚を、その場に踏みしめる。
「……そうだ、アンタの言う通りだ。でも、もう違う」
「その通りだ。キミは変わった。キミはこの終わった世界の中、成長を果たし、ついに僕の枷を引きちぎり、今この場に立っている。キミの人間としての成長を嬉しく思うよ」
教師としてね、クスリと笑うその姿を久次良は何度もあの教室で見た事がある。どの生徒もその笑顔を好み、その男を慕った。
死臭のするその笑顔で樹原は語る。
「久次良君、キミは僕の実験だった。厄介者を始末する以外の方法で僕の正体を隠す事が出来るのかどうかのね。人は一時的には恐怖で縛る事が出来るが、いつしかそれは薄れて忘れていく……残念だ、実験は失敗だ」
ドラリ、樹原の人間としての輪郭がブレる。月の下、人間の肉の裏側に隠された歪なる生命達が、産声をあげた。
「僕の名前は、樹原勇気。この終わった世界の中、奈落の底の彼女に選ばれた存在。僕の願いは1つ、悲劇が見たい」
大げさに自らに五本の指を向けながら、樹原が語る。舞台に立つが如く、振る舞いを続ける。
「僕はこれまでに、少なくともキミの友人を4人、この手にかけている。基徳高校1年3組、小笠原 猛、咲洲 春、そして、探索チーム、海原善人と、鮫島竜樹。全て、僕が殺した」
滔々と紡がれるその言葉、久次良の身体に力がみなぎる。コイツだけは許してはいけないと義憤が満ちていく。
「果たしてキミは、友の仇を討つ事が出来るのかな。試してみなよ、久次良 慶彦くん」
その身体から、生命が垂れ落ちる。腕から生まれる肉片が、次々に形を変えていく。
蛇の大群、瞬く間に樹原の足元に白蛇の群れが集う。
「言われなくても…… アンタをここで終わらせてやる」
久次良が意識を内に向ける。呼び水は怒り。奈落の底から久次良に持たされた祝福が、彼の人間としての枠を外していく。
その力に名前は無い。それでも久次良は祈る。
「お願いだ。力を貸してくれ。もうこれ以上僕は僕を嫌う事は出来ない」
「あはは、さようなら、久次良くん。始末させてもらうよ、いつも通りにね」
樹原の腕から、じゅるり、粘液に塗れたタコの触腕のようなものが肉を割って現れる。それは艶やかに、鋭く、そして濡れている。
「やれるもんなら、やってみろ。樹原先生…… いや、樹原勇気!!」
久次良が一際強く叫んだ。呪縛を引きちぎるように叫ぶ。
彼の力が世界の理を歪める。在り方を、法則をたった1人の人間の願いが変えていく。
それは大人達に現れる力とは違う。己の身に変化をもたらすのでなく、世界に変化を強制する力。
大人になれない少年達は、まだ信じている。
世界は必ず変える事が出来ると。
それ故に少年達の力は、世界を侵す。
その願いのあるがままに。
来い、来い、来い。
「灰色の小鬼達、一番勝負だ」
呟きとともに、夜の空気がぼやけた。久次良の周りにいつのまにか現れた深い霧。
その中で、いくつもの影が蠢く。
「……へえ、これは、面白い」
樹原の小さな呟きをかき消すように。
「イヤッホオオオオオ!! 野郎ドモオオオオオ!! マスターノ招集ダァ!! 」
「ギギギギギ、アレタベテイイ? タベテイイ?」
「アホホホホ、ギギギギギ、イーヒヒヒヒヒヒ、ホホホホホホホホホ!!」
「ジジジジ、ジジジジ。命令ヲ受諾、敵対者トノ交戦ヲ開始」
好き勝手に騒ぎ立てる、異形の生命がそこに集う。
奈落が久次良に与えた才能が世界を犯した。
灰色の小人、いや、小鬼。
見よ、その醜悪なる表情の作りを。金色の瞳に、灰色の短躯。ボロの腰蓑に、粗雑な作りの肩当て。
その手に握る鉈の分厚さ、わずかに鉄錆の香りが漂うそれを、皆が持つ。
灰色の小鬼、小学生ほどの身長、それにそぐわぬ陰影のついた筋肉。
それらが全て、久次良を守るようにそこに侍る。
「敵カ、久次良。ワレラヲ、全員呼ブホドの敵か」
ぬっと、集団を掻き分けながら一際体格の大きな小鬼が現れる。
爛々と輝くその金色の瞳は、黄金を眼球としてあしらわれたが如く。
「うん、王、君の言う通りだ。君達の力が必要だ。力を貸してくれ」
「フム、我ガ同盟者ヨ、ヨミジの光ヨ、ヨカロウ、貴殿ノ敵は我ラノ敵。イマコソ約定ヲ果タサン」
「ありがとう、王様、飛車角落ち、金、銀落ちで無茶を頼む」
「カマワン、貴殿ニ受ケタ恩ハ、ドノヨウナ辛苦ニクラベテモナオ、アマリアル」
久次良の足元に、王と呼ばれた灰色の小鬼が侍る。
小さく久次良が頷くと、ゆっくりと立ち上がり、樹原の方を向いた。
「敵ハ、アレカ」
「ああ、そうだ。絶対に許せない。大敵だ。済まない、なんとしてでも時間を稼いでくれ」
久次良の呟きに、王と呼ばれた個体が頷く。
そして何かを嗅ぐように、その潰れた鼻を動かした。
同時に、その身体を小さく、小刻みに震わせる。
どうした、久次良がその異変に気付き声を掛けようとした瞬間。
「ク、ク、ハハハハハハハハハ!!ははははは!! 同盟者よ! 久次良慶彦よ! 貴殿は、貴殿は何と素晴らしい人間なのだろうか!!」
たどたどしい言葉が鮮明に。
突然、王が笑い出した。
久次良でさえ、ぎょっとするような異形の笑い声が、月に伸びる。
「何と、何と素晴らしい、素晴らしき日か!! よもや、再び相見える事が出来ようとは……!! その匂い、その目、似ている、あの人間に! ああ、ニスガタ!!! あああ、ああ! 父上! 母上!! クルメク、ラプチャ! みなの魂に、奴の血を捧げよう!! 例え、ニスガタであろうと!! ああああ! なんたる僥倖か!」
なにそのテンション。久次良が始めて見る己の能力の様子に若干引いていると。
ガン!、ガン!
大きな金属音が響いた。
「うわっ」
見れば侍る灰色の小鬼が一様に鉈を地面に叩きつけ音を鳴らしている。
「同盟者よ!! 貴殿に最上の感謝と敬意を!! 我らに復讐の機会を与えてくれた事、この血と灰の力に欠けて、ただ感謝を!」
「……やる気が出てるみたいで何よりだよ。樹原勇気、アンタ一体どこまで恨みを買ってるんだ?」
目を爛々と輝かせた小鬼の集団の中から、久次良は樹原に声を向けた。
「あはは、人違い……かな。それとも、僕に似た誰かが、何かしでかしたのかな? キミたちのような怪物に恨みを買う存在とは、一体どのような者なのだろうね」
夜の闇が、月明かりに裂かれる。
緩い空気の中、最初に仕掛けたのは樹原だった。
足元の白蛇達が一斉に、大挙し、灰色の小鬼に迫る。
それはまるで瀑布のように、身体をしならせぶわりと飛び交かった。
「舐めるなよ、樹原勇気」
灰色の塊が閃く。
青い血が舞う、白蛇の大群が細切れの肉片に変わった。
「ああ、ああ、今宵我らはあの日の滅びを覆す。今度、滅ぶのは貴様の方だ。人間」
灰色の小鬼が嗤う。10はくだらない小鬼の集団がゲラゲラ笑い始める。
その身に怪物の生命を宿す者と、怪物そのものを手繰る者の殺し合いが始まった。
「ふむ、面白い能力だ。能力は1人につき1つの法則の中でシステムのみが変わった訳か」
樹原勇気が呟き、バラバラにされた白蛇達の残骸を見つめた。
「キミの能力はその存在、怪物種を操る、もしくは指揮する能力だ。……距離によって、もしくは使い方によっては能力の特性を、変える事が出来るようだね」
「丁寧な解説ありがとうございます…… それと隙だらけだ」
樹原の背後の空間を割り、灰色の小鬼が飛び出る。その額には墨で描かれた桂馬という数字が踊る。
「イイイイイイホホホホホロ!! 控えの桂に好手アリイイイイイイホホホホホロ!!」
奇声をあげながらその身をつむじ風のように回転させ鉈を振るう。
樹原の頭めがけて鉈が翻り、
「あはは、桂の高跳び歩の餌食とも言うけどね」
樹原はその攻撃を見ることすらせずに片手間に受け止める。腕から伸びた触腕が硬質な音で軋む。
「キミの攻略法はすでに出来ている。ああ、やはり将棋だ。そうだね、キミは確かに将棋が強かった」
とつり、とつり樹原が呟く。
「僕も将棋はそれなりに好きだ。ほら、面白いじゃないか。相手から駒を奪って使う事が出来るのだからね、こんな風に」
チュプ。
羽交い締めにした小鬼の頭に樹原が触手を突き刺す。
「オベベベベベ!!」
脳みそをかき混ぜられた小鬼が目をぐるぐる回しながら悲鳴をあげる。
「出来上がりだ、ほら、行きなさい」
樹原の拘束から解かれ、脳を弄られた小鬼が爛々とした目で久次良と、王と呼ばれた個体に向き合う。
「王様……」
「……安心しろ、同盟者、ヤツらのやり口は知っている。もう、知っているのだ」
「下日、下痢、げひひひひひひ!! ?」
無理やりに駆動された操り人形、樹原に殺されその自由意思を奪われた哀れな小鬼が、よだれを垂らしながら飛び上がる。
影が交差する。
片方は飛び上がり、片方は地に向かって翻る。
月夜の下、青い血が流れた。
「……へえ。なるほど」
「同胞よ、お前の死は誰にも汚させない。お前を冒涜したものは必ず滅ぼしてやる」
首が飛んだ。一瞬の交差、王の小鬼が一瞬で樹原に操られた個体の首を分厚い鉈で掻き切った。
「ごめんね、王様」
「良い、これは我の役割だ。同盟者、貴殿は貴殿の役割を果たせ」
仲間の骸を一瞥した王の小鬼が、獣性の中に理性を秘めた視線を久次良に送る。
「……うん、ありがとう。後悔は残さないようにするよ」
「くはは、皮肉なものだ。悔いこそ我らを結びつけた依り代であるというのにな」
王の小鬼が凶悪な笑みを浮かべる。犬歯を浮かべた獣の笑い。奇しく、久次良も似たように笑う。
小鬼の集団が笑う。それは異なる歴史の中で、屠られたとある生命。
小鬼の集団が嗤う。あり得ない筈のチャンス、機会を得た小鬼、灰色の怪物たちがゲラゲラ嗤う。
共に歩むのは、人間。小鬼たちと同じく、過去に悔いを残す、姿形の違う同胞。
あの時は駄目だった。人間の悪性に敗れ去った。今度は違う、そのやり方を知っている。そして、共に歩む人間がいる。
仲間の骸を操られ、仕向けられようともその骸を裂いて進む、灰色の小鬼の集団。
「王様、みんな、頼む。僕の復讐に協力してくれ」
「同盟者よ、悪く思うな、我らの復讐に付き合ってもらうぞ」
久次良の力が互いの悔いを繋ぎ合わせた。
生命の流れの中に溶けていくはずだった灰色の部族の記憶と生命を無理やりにこの世界へ引き戻した。
死する、生きる。
世界の在り方を侵すその力、現実を小馬鹿にするその力こそ、世界が終わったおかげで久次良に齎された進化。
レベルアップした人間は、世界の法則すら塗り替える、まさに傲慢な力。
久次良は、嗤う。
灰色の小鬼、己の力が黄泉路から繋ぎ合わせた怪物達。その獣性が感染る。
遂に迎えたこの時を、灰色の小鬼と共に嗤う
。
その小鬼達は、賢い。
己の力が個体としては劣る事を理解し、個では無く群れで、部族で狩りをする。
その小鬼達は、残酷だ。
彼らは知っている、獲物の肉は苦しめれば苦しめる程柔らかくなる事を。
その怪物達は、愛を知る。
決してその愛が、同族以外に向けられる事はない、故にこの怪物達が、人間と共に戦う事などはあり得なかった。
この歴史を除いては。
ここではない、別の場所、異なる歴史の中、彼らに与えられた呼称はーー
「怪物種15号、灰ゴブリン。ああ、君たちか」
笑う。男もまた超常の力を手繰る者。久次良の力の由来は知らずともその力が呼び起こした存在を知る。
男に、樹原に貸し与えられた力が囁く。
目の前の怪物、奈落の、大穴の生命の全てを囁く。
「素晴らしい才能だよ、久次良君。残念でならない、ここでその才能が消えると思うとね」
「消えるのは…… 滅びるのは、アンタの方だ」
そこから先は言葉はなかった。
久次良の呼び寄せた灰色の怪物、戦士の集団が樹原を取り囲む。
樹原から薄い笑みが消える、代わりにその表情が映すのは能面のような無機質。
触手が舞う、小鬼がそれを捌く。
少しづつ、少しづつ、樹原が久次良に近付いていく。
樹原が小鬼の攻勢を捌き、久次良を射程距離の中に納めるか、それとも久次良がその前に樹原を仕留めるか。
これはそういう戦いだった。
久次良は必死に、縁を、線を紡ぐ。この世に彼らを留める為に。
樹原は淡々と繰り返す、寄せる、現れる、翻る、おそろしき怪物達の群れと対等に渡り合う。
時に鉈を触手で絡めとり、時に身体に生やした甲殻で受け止める。
星月夜の下、小鬼と男と少年が生命をぶつけ合う。
久次良は、これまで生きて来た中で感じた事のないほどの激情の中に居た。
殺される、殺す、死ぬ、生きる。
目の前で繰り返される殺しの応酬、小鬼が飛び、それを樹原が斬り飛ばす、かと思えばまた新たなる小鬼が死角から樹原の身体を斬りつける。
獣の狩り、強大な獲物を群れで狩る肉食獣の狩り。
「イイイイイイイホオオオオオオ!!」
「畳み掛けろ!! ヤツに行動させるな! 同胞よ!! 吠えろ! 狩れ!」
王、久次良の能力の要。その後悔と怨恨こそ久次良が引き上げた牙。
彼が吼える、もはや戻らぬ同胞の形代とともに今度こそ大敵を屠らんと猛る。
小鬼、灰色の生命、灰ゴブリンの狩りがここにある。
「いけ、行け!! 王様!!」
久次良が叫ぶ、狩りの興奮を共に、あの夏の後悔を共に。
今度こそ、今度こそ。
今度、こそーー
「キミは初めから知っていた筈だ。僕には、勝てない」
ふっと、月が流れる雲に攫われる。世界に重たい闇の帳が一瞬。
すぐに雲は風に流され、月を返す。
そうした頃にはもう。
「ア、ギ……?! 」
「ぐ、ぐ…… あ」
「え?」
何が、起きて? 久次良の目の前で灰ゴブリン達の群れが一瞬で掻き消えた。
いや、違う。辺りに漂う甘い匂い。
青い血の、匂い。
「人の成長は必ずしも、幸福を運んでくるとは限らない。僕からの最期の授業だ。久次良君」
ヒュン。
風切り音が久次良の耳の中で聴こえた。
肩の辺りに熱を感じた瞬間、足の底が地面から離れる。
「がっ……」
肺から空気が弾き出されるのと、背中に痛みが走るのはほぼ同時。
ぽっかりと浮かんだ月が、やけに近い。
久次良は自分が仰向けに倒れている事に遅れて気付いた。
肩が、熱い。
久次良はフワフワしたその感覚の中、声を聴く。
読んで頂きありがとうございます!
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