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VSグレイ・ピープル

 

「射程距離範囲内ダゼエエエ!! 脳ミソブチマケロオオオオオ!!」


「くっ、WSTG!!」


 なんだ、これは。どこから、現れたっ?!


 咄嗟に能力を使用、迫り来る小人の攻撃を額に生やした亀の甲殻で防ぐ。


 ガイン!!


「ぐあっ?!」


「キャ?!」


 その衝撃で樹原は仰け反り、春野の拘束を解く。


「ジジジジ、クソガアア、防イデンジャネーヨ、サイコヤローガヨオオオオ!! デモヨオオオオ、 護衛対象トノヒキハガシニ成功オオオオオ!!」


「え、え?? 何、これ、君達誰?」


「ジジジジ、お姫様ヲヨオオオオ、ハコベエエェ野郎ドモオオオオオ!! サイコヤローから遠クニ隠セエエエエ!!」


 樹原が頭の衝撃を振り払いながら前を向く。目を疑った。


 灰色の小人が増えている。いや、1人、2人。春野の脇に控えるようにいつのまにか、最初からそこにいたかのように。


「サイズが…… 何者だ、こいつら」


 春野の脇に増えた小人のサイズは幼児ほどの大きさの者になっている。


 先程切り掛かって来た個体は、数十センチほどの手乗りサイズだったが、今目の前に現れたのは、それよりもはるかにでかい。


「え、貴方達、何? やだ、ちょっ?! ええ! あ、おっぱい触らないで!」


「運ベ、運べエエエエ!! 柔ラケエエエエ!! ヒャッホー!!」


 あっという間に御輿を担ぐように春野を2匹で抱えて運び去る。樹原が追撃を試み、一歩踏み込んだ。


「王手ハ追手ッテナァァァァ!! スキダラケダゼエエエ!!」


「何っ…?!」


 虚空を破る、どこからか急に新たな灰色の小人が現れる。また大きい、幼児ほどのサイズ。


 手に持つ鉈を振り上げてーー


「WSTG!!」


 硬質化した触手を手首から伸ばし、鉈を打ち払う。体軀から想像も付かない膂力に樹原は舌打ちをする。


「ゲッ……? ヤベ!」


「死ね……!」


 それでも上手くいなして、その態勢を崩した。すかさず追撃を放ち、仕留めようとしてーー


 すかり、灰色の小人を貫かんと迫った触手は虚しく空を切った。闇に溶けるように灰色の小人が消えたのだ。


「消えた……どういう事だ」


 樹原は息を整えながら周囲に目を配る。能力で目を作り変え、闇を見通す。


 いない。少なくとも目視出来る範囲には、春野一姫も、あの奇妙な灰色の小人も何も見当たらない。


 冷静に自分の状況を振り返る、体力はかなり回復した。短い時間であったとはいえ、癒す能力、春野の治療を受けた直後だ。雪代の2人に負わされたダメージは粗方回復している。


 ならば


「春野さん、君を逃すわけにはいかないな」


 自分の正体を知らせた春野を追い掛ける、これに尽きるだろう。


 樹原が()()()()()()()()()()()


「ドコ二行コウッテンダヨオオオオ!! コッチダゼエエエ!!」


「なっ?!」


 頭部に衝撃、念の為に生やしておいた甲殻がたまたまその攻撃を防ぐ。


 後頭部、背後、馬鹿な、どうやって現れた……?!


 衝撃に樹原が膝をつく。


 気分が悪い、脳の中が膨れている。吐き気もするっ!


 まずい、体勢をっ!


 樹原が身体の向きを変え振り向くと、そこには


「トドメダゼエエエエ!! クビヨコセエエエエ!」


「くっ?!」


 間に合わない、樹原は瞬く時間の中、能力を使用しーー


「チッ、モウ一手終ワリカヨオオオ!! 次は仕留メテヤルゼエ……」


 すうっと、灰色の小人の姿が再び消えた。好機であるにもかかわらず、樹原への追撃は止まった。


「……はあ、はあ、はあ。一手、終わりだと?」


 樹原は荒れた呼吸を整えながら立ち上がる。またしても虚空から現れた灰色の小人は、虚空に消えた。


 間違いなく、これは己の敵。虚空から現れる灰色の小人による攻撃、常軌を逸した現象、つまりはーー


「これは力の持ち主による攻撃……僕個人への攻撃だ……」


 樹原は、立ち止まったまま思考を巡らせる。


 対能力戦、これで4度目。東雲や夏山、そして雪代姉妹。いずれもこの世から外れた強大なる力の持ち主。その全てを樹原はその能力と頭脳で下して来た。


 これまでの戦闘経験で樹原がなによりも重視していたのは、理解だ。


「落ち着け……落ち着け…… まずは……」


 立ち止まったまま樹原がブツブツと呟く、春野を追う、この敵も始末する、その両方を行う為に必要なことを思考する。


「僕の邪魔は何者にもさせない。姿なき能力者よ。認めよう、キミは僕の滅ぼすべき敵だ」



 攻撃に対しての動揺が、心の波紋が消えていく。


 今、己に必要なのは感情ではなく、思考。


 敵を殺す、己の邪魔をする者を始末するための思考。


 それ以外は必要ない。


 樹原の頭のスイッチが切り替わる。雪代の力によって起こされた暗い欲望も、春野へと感じていた嗜虐心も、全て色を失っていく。


 代わりに、生まれるのは。


 思考。



「春野一姫の攻撃とは考えにくい、能力は1人につき1つ。それは彼女も言っていた。ならば、春野じゃあない。別の第三者が存在する筈だ……」


 敵がいる。そしてそれは春野ではない。


 護衛対象…… 春野を守っていた? なんのために?


 いやそれよりも、まず考えなければならないのは、この攻撃の正体、敵能力の理解。


 樹原は一時、敵の正体への考察を止める。


 目もそろそろ夜闇に慣れてきた頃合いだ。じっと、立ち止まったまま辺りを見回す。


 目を凝らしても、耳を澄ましても自分以外の存在の気配すら感じられない。


 完全に見失っている。


 ならば、目でも耳でも探せないのなら。


「WSTG ピットスネーク」


 手をその場に伸ばす。肘のあたりの肉が割れ、そこから小さな蛇のような生き物が生まれる。眼のない白蛇が、樹原の腕にまとわりつき辺りを見回すような仕草を繰り返す。


「周囲を探せ」


 怪物種158号、ピットスネーク。奈落の生命が樹原の身体より産まれ堕ちる。


 目を無くす代わりにピット器官と呼ばれる熱センサーを進化させたその蛇の化け物が、創造主の為にその力を振るう。



「キュ、キュー? キュ、キュ?」


 とぐろを巻きながら周囲を見回す白蛇、樹原は己の腕にまとわりつくそれをじっと、見つめる。



「反応は……無し。なるほど、温感すら無いというわけか」


 白蛇が申し訳なさそうに首を垂れるのを眺めながら樹原は思考を続ける。


 予想は1つ外れた、単に透明になり身を潜めているのとは違う。この攻撃は、もっと別のシステムにより構築されている……


 樹原は乱れた息を整える。時間はまだある、焦る必要はない。


 こうして、立ち止まっていても次の攻撃はーー


「待てよ、何故今は攻撃が発生しない? 棒立ちの状態の僕に対して、なんのアクションも起こさないだと……?」


 思考を言葉に出して整理する、仮説を立て、考察し、理解する。


 能力との対峙、人間との戦闘においてはこれがなによりも重要である事を樹原は学習していた。


 攻撃のトリガーがある、あの灰色の小人達の攻撃にはなんらかのルールが存在しているはずだ。


 もし、無秩序にそれができるなら今この瞬間にも襲い掛かって来ている筈。


 思い出せ、何か共通点がある筈だ。


 攻撃は3回、始めは春野に攻撃した瞬間。これはわかりやすい。恐らくこの行動がスイッチとなって敵の能力は発動したのだ。



 では、2回目と3回目の攻撃は、なんだ?


 春野へ攻撃というスイッチに関しては、2回目と3回目の攻撃に関しては触れていない筈。


 攻撃のスイッチは複数、春野一姫への攻撃と少なくとも、もう一個以上はある筈だ。


 考えろ、考えろ、考えろ。


 まだ敵の攻撃は来ていない。立ち止まったままの自分に対して、なんの攻撃もーー


 樹原は、脳にピリリと閃きが広がるのを感じた。


 ゆっくりと、自分の足元を、眺める。動きやすいスポーツシューズの紐の結び目もはっきりと見えていて。



「……仮説は出来た。キミのことが少しづつわかってきたよ」


 ニイ、と笑みを深める。身体のうちに力を巡らせる。どこからでも生やせるように、準備する。


 そしてそのまま、足を一歩、前へーー




「ヒャッハァーー、遊ビ駒ハ活用セヨッテナァア!! 隙アーー」



 一歩、進んだ瞬間、虚空から再び躍り出る灰色の小人、叫びながら鉈を振り上げーー




「いいや、これは隙じゃない。誘いというんだよ」


「キュー!!」


 その鉈を白蛇が一瞬で、絡めとり奪う。


「アッ?!」


 奪われた鉈に小人が目を丸くし、立ち止まった。それが、この駒の最期に見た景色になる。


「仮説は正しかった。成る程、面白い能力だ。そして、さようなら、捨て駒君」


 樹原が呆然と立ちすくむ小人に向かい、嗤う。


 返す刀で白蛇が瞬時に身体を膨らませ、鉈ごと小人に絡みつく。悲鳴を、上げるよりも先にその身体を絞り切った。


「キュ、キュー!!」


「ああ、食べなさい。成る程、今度は実体は消えないようだね」


 手乗りサイズから、大人と変わりないサイズに巨大化した白蛇が、絞め殺した灰色の小人を丸呑みにする。


「成る程、攻撃のトリガーは一歩、その場から移動する事か、そしてーー」


 樹原はまた一歩、足を進める。


「居玉ハ避ケヨッ!! ヨクモニーチャンヲヤッテクレタナアアア!!」


 進んだ瞬間、頭上に現れた灰色の小人、こちらに振り下ろす鉈を、樹原は瞬時に肩から肩から生やした鋭い触手で弾く。


 ぎいん。


 高く鈍い音が鳴り、空中で弾かれた灰色の小人がくるりと着地した。


「チッ、ツギノ一手マデオ預ケカヨオオオ……」


 すうっと、そのまま虚空へと消えていく。


「ふむ、2個目のルールも理解した。一手、つまりは一合以上の行動をした瞬間には、どこかへ消えていく訳だ。そして、また一歩を踏み出した瞬間襲ってくると……、つまりは」


 思考と行動の歯車が噛み合う。呟きながら、また一歩。その足取りはいよいよ軽く。


「一歩千金!! 飛車ノ出番ハナイゼエエエエエエ!!」


「こうすれば良い訳だ」


 次は足元から湧いた灰色の小人、地を飛ぶように這いながら、銀色に闇の中煌めく鉈を振り回しーー



「アギャ?!!」


 身体中を、一瞬で触手に貫かれる。喉を潰され、空気が抜けるような悲鳴をあげ、だらりと膝をつく。


「一撃で殺す。全ての攻撃にカウンターを合わせる。防ぐのではなく、刺せばいい訳か。ふむ、攻略法は出来上がったね」


 崩れ落ちた死骸は消えない。触手を引き抜くと力なく、青い血を垂れ流しながら灰色の小人の身体は崩れ落ちる。


「WSTG」


 ぼたぼた、ぼたぼた。


 樹原の右腕、左腕から音を立てながら何匹もの白蛇が生まれる。


 これでこの能力への攻略は完成した。


 樹原は悠々と一歩、また一歩と歩みを進める。


 灰色の小人達が、叫びながら現れる度に足元に侍る白蛇が瞬時にその存在に反応し、絡めとり、食らい付き、丸呑みにしていく。


 小人の叫びを、白蛇の歓喜の声を聞き流しつつ樹原はふと、立ち止まる。


「ああ、どうして気づかなかったんだ。成る程、キミか、この能力の持ち主は」


 顔を抑えながら、樹原はこみ上げる笑い声を必死で抑えていた。


 攻撃の仕組みは理解した、そしてこの攻撃を誰が行なったかも理解した。



 決まっている、このコミュニティで、自分の予想だにしない行動を取ることが出来るのは、己の敵と言える存在は少ない。



「見事だ。この瞬間まで僕に警戒すらさせなかったその慎重さ。土壇場で状況をひっくり返す勝負強さ……」


 思考、思考、思考。


 簡単な結論だ。このコミュニティで自分の敵に()()()()連中など1つしかない。


 探索チーム。


 終わった世界を受け入れ、行動を開始したイかれた、あるいはまともな大人の集団。


 初めから自分を警戒していた鮫島と海原、その2人と最も距離の近かったのはーー


「あはは、良いだろう。元教え子とまたゆっくり語り合うのも悪くない」



 その最後の1人。この攻撃はその人物からの攻撃に違いない。



「ああ、海原、鮫島。キミ達は死してなお、まだ僕の邪魔をしようと言うのだね。死に意味があると、死んでも遺るものがあると、そう言う訳だ」


 嗤う、低い笑い声が校舎に響く。


 この近くには誰もいないと分かっているとは言え、あれだけ正体を隠す事に気をつけていた男が、今やその悪徳を隠そうともせずに、ただ嗤う。


「成る程、久次良君、キミか。再び教え子を手にかけないといけないのはとても、悲しい…… うん、悲しいな」


 悲しさとは無縁の表情で樹原は廊下を歩く。一歩歩く度に、また灰色の小人と白蛇の大群が絡み合う。



「久次良 慶彦君、キミは僕の敵だ。認めよう、僕の全能力を駆使して、キミを始末する」


 樹原は、再び己の身体から新たなる生命を生み出す。


 ぼとりと、落ちた肉塊がみるみる間に姿を構築していく。翼、嘴。


 赤黒いカラスとなった肉塊は樹原の肩に留まり、小さく嘶いた。


「探せ、ウワサガラス。僕に対する敵意を嗅ぎ取れ」


「ギャ、ギャギャ」


 ばさり。ばさり。


 樹原の肩から飛び立つカラスがゆっくりと、校舎の広い廊下を飛ぶ。敵意を嗅ぎ取るこの怪物が、その痕跡を辿り始めた。


「キミの才能、灰色の小人、グレイピープルとでも名付けようか。奈落からの素晴らしい贈り物だ、だが、それでもーー」


 樹原は進む。


 虚空から躍り出る灰色の小人が、また足元に蔓延る白蛇に頭から噛みつかれ飲み込まれていく。


「僕には敵わない。彼女からの贈り物、僕の能力には絶対に敵わない、それがとても悲しい、そして、再び()()()()()の生徒を手にかけるのが残念でならないよ」


 樹原の歩みは止まらない。闇夜において、うかぶようにゆっくりと飛ぶカラスの後を歩く。


 その足は、校舎のガラス張りの渡り廊下へと伸びつつある。


 ここより進むは、1つだけ。


 それは基特高校が見回せる屋上へのルートであった。












 …,……

 ……



「……フゥ。よう、オッさん、思ったより早かったな」


「悪りぃ、田井中。少し手こずった。だが、お前にぶっ殺されなくて済んだようだな」


「ああ、まったくだ。アンタを殺すのは骨が折れそうだからな。約束守ってくれて助かったぜ」


 軽口を海原と田井中が叩き合う。通路の壁に身体を預けていた田井中が、すっと態勢を元に戻した。


 海原はそのまま歩みを進める、田井中もそれに倣って歩き始める。



「……終わらせたのか?」


 田井中が海原の方を見ずに問いかける。


「ああ、落とし前はつけさせた。後は1人だけだ」


 海原も田井中の方を見ずに、ただ答えた。


「……そおか。いよいよだな、野郎の好きにはさせねえ。ガッコーがめちゃくちゃにされる前にーー」


「焦んなよ、田井中。なんだかんだでよ、俺たちは間に合う。きっとな」


 海原の静かな声に田井中が少し、黙った。それから、


「やけに確信めいてんな。いや、少し楽観的じゃねえか?」


「ああ、楽観的かもな。少しよ、気付いたってか、思い出した事があるんだ」


「ああ? 思い出した事?」


 会話しながら2人は長い通路を進む。少しづつ、少しづつだが、夏の香りが濃くなる。


「田井中、お前は凄いやつだ。こんな状況になっても諦めない、そして仲間想いの良い奴だ」


「んだよ、唐突に。気持ち悪りぃな、オッさん」


「うるせーよ。そう思ったんだから仕方ねえじゃろが。んでよ、俺の仲間は探索チームの連中はお前と同じぐらい凄い奴が多いってことに気づいたんだよ」


 海原は少し、ほんの少し口角を緩める。頭の中に浮かぶのは思い出。


 あの小さなちゃぶ台を囲んだ食事の光景が一瞬。


 ーー久次良ァ、てめえもっと食えっつうの。


 ーーうるさいなぁ、鮫さん。パワハラだよ、パワハラ。ねえ、海さんもなんとか言ってよ。


「……ああ、そうだ。俺は最初から1人で戦ってんじゃねえ。敵だらけじゃねえ。俺は我々であり、俺達でもあるんだ」


 生きる意味を探せ。


 貴方はもう、その意味を持っている。


 鮫島とウェンから受け取った言葉が蘇る。


 ああ、わかった、わかった。


「オッさん?」


 ひとりでに、口角を緩めて笑う海原に田井中が言葉を向けた。


「悪りぃ。少し気が楽になってな。大丈夫だよ、田井中。基特高校は、大丈夫だ。樹原の奴になんか負けねー、まだアイツが居るからな」


「アイツ? 警備チームの誰かか?」


 田井中の言葉に海原は首を振る。違う、と小さく呟き田井中に語りかけた。


「久次良だ。久次良慶彦。アイツが留守を守ってくれてる限り、俺達の負けはねーよ」


 海原には確信めいたものがあった。鮫島がそうだったのだ。久次良もそうに決まっている。


 2人は進む、夏の匂いが濃くなる。


 出口は、すぐ近くだ。








 ….……

 ……

 …




 同時刻、基特高校屋上にて



「お疲れ様、金と銀はそのまま春野さんの護衛を続けて。保健室から出しちゃあダメだよ」


 月明かりにぼうっと照らされる屋上。もう誰も使う事のない一対のバスケットゴールが静かに風に揺らされる。


 屋上の中心、1人の青年が胡座をかいて独り言を呟く。


 細身の身体にふわふわしたマッシュルームヘア。パチリとした目を細めてブツブツと何かに話しかけるように。


「飛車、角行はそのまま中区近縁を探し続けろ。地下通り出入り口を回り続けろ。彼らが出てくるのならその辺りしかない」



 胡座をかいたまま少年は呟き、ある場所をずうっと見つめている。


 屋上への唯一の出入り口、階段扉をずうっと。闇に慣れた瞳が、月明かりを吸い込み割りかしその視界ははっきりしていた。


 あの扉が開いた時、全てが始まり、終わる。


 青年は、久次良 慶彦は鼓動の度に身体中に広がる緊張をただ噛み締めていた。


「……あの日もこんな風に蒸し暑い夜だったけ」


 久次良は、数年前の夜を思い出す。あの時踏みだせなかった一歩を。


 樹原勇気という恐怖に気付きながらも、それに立ち向かう事が出来なかった少年時代を思い出す。


 自分が見捨てた友、友と呼びたかった少年と少女は恐らくもう、生きていないのだろう。

 

 かれらは勇敢で高潔であるが故に、その未来を奪われた。


 自分は臆病で卑怯だった為に、見逃され、未来へ進む事が出来た。


 あの時、最後に一歩踏み出す事が出来なかった。だから、喪った。


 今度はどうだ、久次良慶彦。


 お前は再び選択の時を迎えている。


 久次良は不規則な鼓動を繰り返す己の胸に問い掛ける。


 失うことの辛さ、恐怖に屈した屈辱。嫌な思いがじっとり滲み出るような感覚。


 久次良はその辛さに顔を顰める。


 怖い、恐い、こわい。


 怖くてたまらない、僕は樹原勇気が怖くてたまらない。


 なのに、僕は選んだ。樹原と戦うこの道を。一度目は見逃された。あの男の歪んだ嗜虐心と、優越感が奇跡的に作用して、自分だけは見逃された。


「でも、もう2度目はない」


 久次良は胸のうちで繰り返す問答に己で答える。


 そう、2度目はない。樹原勇気は、自分の敵を許す事はない。


 既に、久次良は選択を済ましていた。あの夏の日に踏みだせなかった一歩をとっくの昔に踏み出していたのだ。


 あの時、出来なかった事を選んだのは彼等への贖罪か、樹原への義憤か、それともーー



「ううん、わかってる。わかってるよ、鮫さん、海さん。アンタ達がいたからだ。僕はアンタ達に賭けた。アンタ達ならあの樹原勇気に負けないって、賭けたんだ」


 今はもう無い、久次良の始めて出来た仲間の名前を呼ぶ。


 それだけで、胸のつっかえが少し軽くなり、呼吸が涼しくなっていくのを感じた。


「サキシマ、オガサ。君達の仇も取る。それが恥知らずにも、生き残った僕の責任だ」


 遠い昔に喪くした友の名前を呼ぶ。あの時、一緒に行っていれば、どうなったのだろうか、樹原勇気の凶行を止める事が出来たのか、それとも行方不明の高校生が2人から3人に増えただけだろうか。



 それはもう分からない。



 分かるのはーー


 分かっているのはーー




 ぎ、ぎいいいい。



 屋上への出入り口、扉に続くドアが開く。月が雲に隠され、深い闇の帳が落ちた。



 かあああ、かあああ、ギャギギ!!



 開いたドアの隙間から鴉が飛び出す。耳障りな声で月に吠えた。


 そして、ふっと、なんの勿体振りも見せずに奴はドアを開いて現れた。



「……やあ、久次良君。いい夜だね」


「……ええ、先生。良い夜ですね」



 ーーわかっているのは、今日の、この夏の夜の選択を久次良は決して後悔しないという事だけだった。


 例えそれがどのような結末を迎えるとしても、この選択を久次良は絶対に後悔しない。



 あの時踏みだせなかった一歩の先へ、今度こそーー




 温い風がゆっくりと、月を隠す。




読んで頂きありがとうございました!


宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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― 新着の感想 ―
途中胸糞悪くて飛ばしたけどまだ主人公組来てないのか…
[気になる点] TWG→TSWG→WSTG [一言] なんかやたらとジョジョっぽくなりましたね
[一言] ウッディの読書感想文にあった悪の教典と樹原の行動が重なるなーと思ってたけど本当に樹原悪の教典みたいなこともうやってたのか。
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