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女? の戦い その2

 


「風は、彼に一緒にいたいと言われたよ。マルスと彼は1つというがそんな事言われた事があるのかい?」



 ぼそり、呟かれ落とされる言葉。愛おしげに海原の顎の輪郭を滑るたおやかな手指。



 'ポジティブ 言葉に頼らなければ絆を確認出来ないとは……、私はヨキヒトにゆびきりという彼の故郷でのまじないのような儀式を取り行っています……、内容は確かそう、死が2人を分かつまで……とか'


 その体内で蠢く粘液のような本体が、じわり。海原の身体と深く結びつく。これは自分のものだと主張するように、凡人の身体に染み込む。



「ふふ、死、程度で別たれるんだね、キミ達の絆は。じゃあさっきは危ない所だったんだね。ああ、礼はいらないよ。崩壊寸前のキミが助かった事も、ヨキヒト君が命を拾ったこともね。良かったじゃないか、死程度で、別たれる事がなくて」


 ピクリと、手指の動きが止まる。ウェンの綺羅星を含んだ瞳が見つめるのは海原の奥底に棲まうモノ。



 'よく回る口ですね、ウェンフィルバーナ。怪物種に組み伏せられ泣いていたのが嘘のようだ。誰にそんな自信を貰ったのですか?'


 外なる生命は、かつて世界を睨んで恐れさせた威を平然と受け止める。どろり、更に深く海原の身体へと流れ込む。


「ヨキヒト君だよ、彼の言葉と闘いは風に教えてくれた。生命の強さとしぶとさをね」


 再び、ウェンは膝枕をしながら海原の顔を覗き込む。うなされながら口をつぐむその姿に、クスリと小さく笑う。


 'ああ、お褒めに預かり光栄です。どこかの誰かを助ける為にヨキヒトと私は死地に残ったのですから。


 海原の奥底と再び、深く再結合したマルスは淡々と答える。


「ふ、ふふふ。面白いなあ。マルスは」


 'ポジティブ それほどでも。事象の操作など神の業にも似た事を為し得る貴女の方がよほど、キテレツで面白いかとは存じますが'


 売りことばに買いことば、静かな口調の両者はそれでも口をつぐむことはない。



「ふふ、外なる生命……、星雲の深淵を超えて、始めて出会えた温もりに依存したかい? ヨキヒトとアリサは違う存在だよ」


 '……どうやら貴女は知らなくても良い事まで知っているみたいですね。貴女に言われなくても分かっています。アリサは確かに私の大切な存在ですが、ヨキヒトも同じです'


 しんと、沈黙が募る。深海の水圧のような重たい空気。意識のないはずの海原は額から脂汗を垂らしていた。



「……やめた。ごめんねマルス。少し意地になっていたみたいだ。喧嘩なんてこの場でしても意味はない」


 '……ああ、ソレは良かった。……貴女に感謝していないわけではありません。たとえどんな外法に依るものであっても、貴女がヨキヒトを助けてくれた事には変わりありません'


 マルスは少し、黙る。どくん、とくん。規則的に力強い鼓動を繰り返す心音を誰よりも近い場所で聴く。


 つい先ほどは消えかけていたその、音を聴いてそれから



 'だから、ありがとう。ウェンフィルバーナ。ヨキヒトを助けてくれて。貴女のおかげで私は私の宿主を失わずに済んだ'


 その言葉を送る。


 一瞬、ほんの一瞬だがウェンの目にはヨキヒトの隣に侍る芳醇な金の御髪に包まれた幼子がニコリと笑うのが映っていた。


「……負けたよ。マルス。そんな事言われたら風が意地悪になるじゃないか。風もだ。キミがいなければヨキヒト君はそもそも、ここまで生き延びていないだろう。彼をここまで生かしてくれてありがとう」


 空間に溶けていく、幼子の幻影に向かいウェンが笑いかける。


 元々ウェンの居た世界ではついぞ誰も見ることのなかった、風の巫女、世界の叛逆者、ウェンフィルバーナの笑顔。


 2つの生命は笑い合う。交差しないはずの異質な存在が1人の凡人を挟んでコロコロと笑い合っていた。


「まったく、ヨキヒト君。キミは幸せモノだね。……外なる支配者のカケラ、マルスにここまで買われてるんだから」


 'ええ、ヨキヒト。貴方は運が良い。神の領域に足を踏み込んでいる不敬なる異常存在、ウェンフィルバーナに執着されているのですから'


「ふふ、ふふふふふ」


 'はは、あははは'


 ひとしきり互いに笑い合う。


 'さて、ウェンフィルバーナ。そろそろヨキヒトの髪の毛を撫で回すのもいいでしょう。皮脂汚れや、汗の匂いが貴女に移ってしまいますよ'


「ん? すん、すん。いいや、そんなに気にならない匂いだよ。むしろずっと嗅いでいたくなるようなーー」


 マルスの朗らかな声に、ウェンは海原の髪を撫で回していた手をおもむろに鼻へ持っていきすんすんと嗅ぐ。


 マルスの身体がぐねりとうごめいた。


 'ウェンフィルバーナ。ヨキヒトの匂いを嗅がないでください。臭いですよ'


「すんふん。いいや、そんな事ないよマルス。気にしないでくれ、風は平気だから」


 マルスの平坦な声を無視して、ウェンは指先の匂いを嗅ぐ。小さな鼻がすん、すんと動き、またその手を海原の髪……頭皮へと滑らせた。


 '随分鈍いですね、その無駄に尖った耳は飾りですか? 嗅ぐなと言っているんです。ヨキヒトから出た分泌物は私の分泌物でもあります。つまり、私のモノです。やめてください、ウェンフィルバーナ'


「知っていたかい? マルス。ヨキヒト君はどうやら風の耳に興味があるようでね。話しているといつもこの耳に視線が行っているんだ。ふふ、困るよ。目が覚めたら、触らせてあげようかな」


 ウェンは己の尖った耳に手を這わす。その心中で海原の無骨な指先がその耳に届くのを想像した後、身体をピクリと震わせた。



 先ほどまでのわずかに緩んだ空気がまた、張り詰めて来た。


 海原の額にまた、脂汗が吹き出てーー


「おっと」


 'は?'


 ペロリ。


 桜色に朱が差したような鮮やかな舌が、海原の額を撫でた。脂汗が掬われるようにその舌に攫われていく。


 ウェンが、海原の額を突然、ひと舐め。


「危ない。汗が目に垂れそうだった。ヨキヒト君は今意識がないからね。目に汗が入ったら大変だろう? マルス」


 'クソ女。馬脚を現しましたね。プロトコルⅠ 宿主を守れ。宿主の意識が無い為、自己防衛プログラム起ーー'


 マルスの本体が沸騰するような熱を持ちながら海原の瞳から、涙のように溢れる。


 不敵な笑みを浮かべるウェンは、膝枕を崩す事なくその身体に風を纏わらせた。



 一触即発。やはりこの女たちの相性は最悪で。


 かたや無限に広がる宇宙の歪み、その更に奥に存在する一から別たれた外なる生命。


 かたや、世界にたった1人で喧嘩を売って、滅亡まであと一歩まで迫った異なる世界の叛逆者。


 互いの存在が膨れ上がり、そしてーー



「そこまでだ。コスプレ女。オッさんの首を膝に乗せてなんて殺気を出してやがる」



 洞窟が、ぐらりと揺れる。


 冷や水をかけられたように、恐ろしい女と、推定女の威容が収まった。


 赤い四肢、その類稀なる才能により人の身に余る異能を120パーセント以上引き出し、平然としている天才が、静かにその場にたどり着いた。


 ぜえ、ぜえ。と息を切らしながら、中性的な顔立ちの人物は地面に血液でかたどった右腕をくっつける。


「あ、しまった。タイナカの事を忘れていた」


 ぽやりと呟くウェン。


「よう、コスプレ女。泣き止んだと思ったら次はトンチキなマジックで瞬間移動たぁ恐れいるぜ。次はどんな面白マジックを見せてくれんだ? あ?」



 田井中誠が顔に青筋を立てながらその場にたどり着いた。


「ふふ……。マルス、ごめんなさい。あのどうにか、タイナカの説得を一緒にしてくれないかな?」


 'ネガティブ、私の言葉はヨキヒトと貴女にしか届きません。ああ、1つ忠告すると、田井中 誠の体内のブルー因子が活性化しています。酷く怒っているみたいですね'


 それきりつぶやき、マルスは海原の身体の奥底に引っ込む。


「怒ってないぜ、コスプレ女。俺は怒ってなんかねえ。安全な場所にたどり着いた途端に、百面相食らって、命がけで取り返した野郎になんの説明もなく失踪されたくらいじゃあ、俺はキレねえ」


「ふふ、……あの、タイナカ。出来ればその足元に生やしている棘みたいなのを引っ込めてくれると、風はとても嬉しいなって」


「ああ、悪いな。また誰だかサンに逃げられちゃあ敵わねえからよ。で、説明しろよ。恩人のオッさんに向けて、んな殺気を飛ばしてた理由をよお」


「ひえ。違うんだ、タイナカ、聞いておくれ! ヨキヒト君の中にいるマルスが風に意地悪言うから!」


「うるせえ!! 人のせいにしてんじゃねえ!ブチのめすぞ! すぐオッさんから離れろ! 俺が連れて帰る! テメエは自分で帰れ!」


 ずんずんと、田井中が歩を進め、ウェンの身体を押しのける。


 あうあーと喚きながらウェンの軽い身体は地面に転がった。


「おい、オッさん。生きてるか? ……息はしてるな。……オイ、マルスだったか? 今オッさんの身体はどんな状況だ? 動かしても良いのか。良いんなら、何かしら合図を送れ。出来るんだろ、そういうの」


 田井中は静かに海原の容体を確認する。じっと見つめる海原の身体、ピクリと右手が不自然に上下に揺れた。


「……わかった。キャンプ地まで運ぶ。おい、コスプレ女、周囲を警戒しとけ。もう立てるだろ」


 よよよと泣いたふりを続けるウェンに対して田井中が短く指示を飛ばす。


 コクリと小さく頷いたウェンが、背中に忍ばせた短弓を構えた。


「わかったよ、タイナカ。ヨキヒト君を安全な場所に連れて行こう」


「はあ……。失踪の理由はなんとなくわかるがよ。あとできちんと何をしたとか説明しろよ。どんだけ心配したと思ってんだ。クソが」


 田井中がゆっくりと、意識を失った海原の身体を起こす。無意識に操作した地面が意識のない身体を支えるように、小さな柱に変化して海原の身体を押し上げる。


「よっと」


 鍛えた細い身体が海原の無骨な身体をおぶる。血液で造られた田井中の新たなる四肢は容易にその重量を持ち上げた。


 ざっ、ざっ、ざっ。


 田井中が歩を進める。出口に向かって今度はゆっくりと歩み始めた。


 その後ろをたたたっとウェンが小走りで着いて行く。


 怪物種の居なくなったその住処を人間達が後にする。輝く砂に刻まれた足跡は、その場に残り続けた。


 死骸すら残さずに、選択肢を誤った怪物たちは滅んだ。


 凡人の怒り、外なる生命に敵対したが故の滅亡。


 人は生き残り、怪物は去った。


 人は本来ならば、その生命と引き換えに事を成すはずだった。


 人は英雄でも超人でもない。偉業には犠牲が必要だったのだ。


 死と引き換えに、凡人は勝利を得た。そのはずだった。


 決まり切っていた死。それは強き外なる生命の力を持ってしても避けられる事のない運命だった。



 白銀の御髪がゆれる。


 人が紡いだ縁は、恐ろしき力を招いた。死すら吹き飛ばす外法。神の御業にひとしき力。


 凡人に魅入られた白銀の風は、人の死を世界の誰かに吹き飛ばして、()()()()()


 彼らは知らない。その死が何処に飛んだのかを。


 彼女にはどうでも良い事だった。役割を放棄する事を選んだ彼女にとって、凡人とそれに連なる親しい存在以外の事など、紙屑のようにどうでも良い事になっていたのだ。



 吹き飛んだ死は、世界の誰かに押し付けられた。


 世界のどこか、奈落の底より吹き飛んだ死は、今この瞬間、地上の誰かに押し付けられたのだった。



 …………

 ………

 ……



 〜地上……夜明け前。基特高校外苑、ヒロシマ城の堀近くにて〜






 赤き血が吹き出す。今まさに、その場に立ち尽くし、目の前に膝をつく人物へ最後のトドメを刺そうというその瞬間ーー



 プシュ。


 女の()()()()()に深い傷が突如現れた。


「えっ……?」


 がくりと揺れる身体。その手に握りしめた血濡れの鉈が、カランと音を立てて地に堕ちる。


 深い傷、まるで()()()()()()()()()()()()荒々しく致命的な傷が、彼女に突如ーー



 信じられないモノを見るように、彼女のアーモンド型の瞳が広げられる。


 必殺のタイミング。ようやく掴んだ好機。


 それが儚く散る。


 彼女は熱を感じた後、襲い来る痛みの奔流の中、先ほどまで膝をつき虫の息だった敵が、立ち上がっている事に気付いた。



 混乱、焦燥、その中で、彼女は、彼女の敵、最大の試練そのものと言った男の声を聞いた。











「あはは。やはり、運命は僕の味方だ。キミではない。運命が選んだのは、キミではなく、この樹原 勇気だ」




 赤い血が掘りの水に溶けた。


読んで頂きありがとうございます!


宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!

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