女? の戦い 終末編
「マルス。ありがとう、ヨキヒト君の命を繋いでくれて」
辺りにつむじ風が舞う。洞窟の入り口から入り込んだにしては大きすぎる風が。
突如現れたつむじ風のなかから、モコモコの民族衣装に身を包んだ華奢な手足がにゅっとまろび出た。
「……ほんとうに、本当に遅くなってごめんよ。……キミたちには助けられてばっかりだね」
'う、ウェンフィルバーナ……田井中とともに逃げたのでは…… なんで、貴女が……'
マルスの思念を風がウェンへと届ける。外なる世界と異なる世界の住人はその意思を交わす。
「戻ってきたんだ。田井中にキャンプまで送ってもらった後にね。彼に後で謝らないといけないな。ろくに説明もせずに飛び出してしまったから」
出口をわずかに一瞥するウェン。白銀の髪の毛が風にたなびく。
「ずっと聴いていたよ。キミ達の闘いを。そうだ、あまりにも簡単な事を忘れていた。生きるという事は、闘う事ということをキミ達が思い出させてくれた」
ウェンの瞳にもう、先ほどまでの迷いはない。
「風が伝えてくれた。キミの言葉を、ありとあらゆる残虐を為してでも生き抜き、勝とうとするキミ達の姿を」
そのしなやかな指先が目を瞑って動かない海原の汚れた頰を撫でた。
'何を……、今更何をしにきた……もう、遅い……ヨキヒトは貴女のために……'
絶え絶えにマルスが呟く。恨み言、しかしもうどんな憎しみもその身体を動かすことはできない。
「……好きにしに来た」
'は?'
「だから好きにしに来たんだ。ヨキヒト君の言葉だよ。風はもう、そんなのにならなくてもいいとね」
クスっ、鳴るのはウェンの笑い声。目には見えない妖精が悪戯に笑ったかのような。
「役割を果たす、誰かの為に何かをする。彼は風にもうそんな事しなくても良いと言ってくれた。……あの時は混乱してしまったけど今ならその意味が分かるよ」
ウェンの綺羅星を閉じ込めたような瞳がズタボロの凡人を写し続ける。
「……ありがとう、ヨキヒト君。風もだ。風もキミ達と一緒に居たい。まだ出会って少ししか経っていないけど、まだお別れしたくないよ」
'……遅い……ウェンフィルバーナ… 貴女の……貴様の判断は遅すぎた。なぜ、もう少し早く…… 何もかもが遅い'
「いいや、マルス。それは違う。風は今度こそ間に合った。キミ達を終わらせない。言ったろう、好きにさせてもらうと」
風が不規則に吹き始める。ウェンの髪がはためき、輝く砂がパチパチと音を立てながら舞い始める。
「さあ、始めよう、良からぬ事を。かつて世界を覆い尽くした禍つ風を、ここにーー」
ぞくり。消えかけのマルスの身体に怖気が走る。それは外なる生命であるマルスにもとより備わっていた防衛機構。
'な、何を……何をしているのです……ウェンフィルバーナ'
「フフ、すぐにわかる、マルス……アリサの子にして、ヨキヒトの友……、外なる一のカケラよ」
ウェンはその場で手のひらを開く。泉の水を掬うように持ち上げられた手のひらの中で、小さなつむじ風が舞っていた。
「起これ、風よ」
手のひらの中で舞う風をウェンが海原の身体の上に零す。
液体のようにとろりと落ちる風が、海原の身体を包んだ。
「これはキミの為にだけ吹く風。どこかの誰かへキミの痛みを押し付ける禍ツ風」
綺羅星の瞳に湛えるのは怪しい熱のような光。それは余す事なく海原へ向けられる。
「風を救ってそのまま死ぬなんて許さない。キミが風を焚きつけたんだ。キミが言ってくれたんだ。冒し尽くす者に奪われた風の力の残りカス、それでもキミの勝ち逃げを防ぐ事ぐらいは出来る」
海原の身体の表面を滑るように風が舞う。骸になりかけの身体を中心につむじ風が形成されていく。
化学でも、外なる生命の権能でもない。物理現象から剥離した光景。
それはまるで、魔法のようなーー
「どこ吹くままに、神風、起動。かの者の傷を世界のどこかへ。痛いの痛いの飛んで行け」
ふうっ。
海原の身体を舞う風に向かって、ウェンが小さく頰を膨らませて吐息を吹きかけた。
どくん。
鼓動が蘇る。
'……心音……心音を確認……!'
マルスはその身体、心臓が再び強く動き始めた事に気付く。
ウェンが吹きはらった風がクルクルと洞窟の天井に吸い込まれるように消えていく。
'出血、停止……、脳波、確認……馬鹿な、身体機能が戻っていく。何を、何をしたのですか、ウェンフィルバーナ!'
「ああ、マルス、そんなに怯えるなよ。風の恩人を救ったのさ。彼の傷、キミのダメージを風にのせて、否定した。吹き飛ばしたんだ。キミ達が負傷によって死にかけたという事実そのものをね」
ありえない言葉、しかし現実には海原の首筋や肩、その他の大小さまざまな傷はいつのまにか消え去っている。
ズタズタに裂かれ、青い血や赤い血に塗れるワイシャツだけがその負傷が夢のものではなかった事の証だった。
海原の負傷は治ったのではなく、まるでそのものがはじめからなかったかのように吹き飛んでいた。
'馬鹿な! そんな……できるはずがない! ……ありえない、これはもはや傷の回復ではなく、事象の否定だ。ソレは、それではまるでーー'
「神の業……、あるいは魔法かな? ふふ、大した力じゃないよ。所詮、世界に挑めば埃のように吹き飛ばされたちっぽけな力さ」
わずかに赤みを戻す海原の頰を指先で撫ぜるウェン。その場にしゃがみ込み、そっとその間抜けに開いた口に、顔を近づける。
桜色の唇をすぼめ、垂れる白銀の髪の毛を尖った耳にかける。静かにウェンの唇が海原のーー
'止まれ、ウェンフィルバーナ……。ヨキヒトにそれ以上近づかないで'
「……ふう。ヨキヒト君の傷、そして死は今吹き飛んだ。しかし、まだ彼は息を吹き返してないだろう? 人工呼吸だよ、マルス。口吸いじゃあない」
伏せていた顔をゆっくりともたげながらウェンが静かに言葉を述べる。無表情、しかしその耳はピコリ、ピコリと上下していた。
'ネガティブ。誰も口吸いなんて言っていない。不要です。身体操作開始、右肺、左肺収縮。気道を確保、開始ーー'
マルスはウェンの反論を切り捨てる。鼓動を始め、負傷の全てがなかった事になっている海原の身体を操作する。
どくん、どくん。
「がっ……ゲホッゲホッ、ゴホッ! 」
海原が突如咳き込む、身体を揺らしながら息を吐いた。しばらく咳き込んだ後は規則的なリズムでスー、ゴーといびきを立てながら呼吸を開始していた。
'宿主の生体反応の回復を確認。呼吸、心拍、脳波どれも許容範囲内……、本機の本体の損傷の回復も開始……'
「ふふ、残念。ヨキヒト君の事が大好きなんだね。マルス」
'プロトコルに従ったまでです。ヨキヒトはアリサが選んだ人間です。私は、アリサの為にも彼を守り抜く義務があります'
マルスの言葉にウェンはニコリと笑いその場に座り込む。
「その姿勢だとヨキヒト君もつらいだろう。ねえ、マルスこれぐらいはいいだろう?」
そのままウェンは海原の頭をもたげて自分の膝に乗せる。ゴワゴワの短髪をその白魚のような手指がそっと撫でる。
「誰かにバカエルフなんて呼ばれるのも、誰かの為に法理を使うのも、膝に誰かの頭を乗せるのも始めてだよ、キミ、風が何者か知っているのかい? この」
呑気にいびきをかき続ける海原の頰をウェンが長い手指でつまむ、グニグニとなん度か、それを繰り返す。
柔らかな微笑みを浮かべながら、ウェンは静かに海原の顔をいじくりまわした。
'……もういいでしょう。ウェンフィルバーナ。触りすぎです。頭を膝に乗せるのはヨキヒトの気道確保の為に有効なので認めますが、顔を触る行為には医療的な有効性はありません'
「ふふ、怒られちゃった。わかったよ、マルス。キミのヨキヒト君だもんね……今は」
'ネガティブ……いいえ、ソレは違います。私がヨキヒトのモノです。彼は私の宿主ですから。我々です。これからもずっと'
風が止んだ。
ウェンは見えないはずのマルスに視線を飛ばす。瞳を持たないはずのマルスもその視線を受け止める。
外なる生命、大いなる一のカケラと、異なる世界の救世主、あるいは叛逆者の無言の圧がぶつかり合う。
「う、うーん……」
未だ意識の戻らぬ海原の額にべっとりとした脂汗が浮かんでいた。
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