生存者の怒り
'シエラ0、作戦を説明して下さい。貴方は何をしようとしているのですか?'
輝く砂の幕の中、海原は這いずりながら移動する。マルスの問い、言葉で返すわけにはいかない。
シートン先生が、狼王を捕まえた時はどうしたと思う?
海原はマルスに短く心の中で問いかける。輝く砂に閉ざされる視界。視覚に頼っているのは人狼も海原も同じ。
しかし、海原には人狼の位置が分かる。その強すぎる生命の気配、そして青き血の反応をマルスの機能により追いかけていく。
'シートン先生? 動物学者のアーネスト・トンプソン・シートンですか?
そうだ、そのシートンだ。……人間とよ、狼の決着はもうついてんだ。俺は偉大な先人の足跡を辿るだけだ。
海原とマルスが脳内で語り続ける。慎重に匍匐前進を続け、射程距離まで詰める。
人狼の気配は動かない。白狼の亡骸を守ろうとしているのだろう。愛とは決して人間だけが持ち得る感情ではない。
化け物にも、愛はある。ソレが奴に強大なる力をもたらしたのだ。
愛、愛、愛。きっとそれは素晴らしいものなのだろう。それを守るために生き物は時に信じられない力を発揮する。
だが、いつも愛が勝つとは思うなよ。愛によって力を得た貴様は、その愛によって滅ぶ事になる。
海原は目を細めながら進む。当然の事だが海原にソレを踏みにじる事に対する躊躇いなど微塵もなかった。
人間誰しも持ち得る目の前の愛に対しての、畏敬や憧憬、それを海原は持っていない。あるのは今から己がすることが成功するかどうかの心配だけだった。
'シエラ0、目標が此方を探しています。止まって下さい'
マルスからの言葉に海原は行動を止めた。呼吸は最低限、鼻から薄く息を吸う。
どくん、どくん、どくん。心臓の鼓動がやけにうるさい。ヤツに聞かれてしまいそうだ。静まれ、静まれ。
海原は己に言い聞かせる。奴の厄介な鼻は潰した、目だってこのまばゆい帳の中では機能しない。
残りは耳、聴覚だけだ。音さえ立てなければもう奴は俺を追うことは出来ない。海原は自分が組んだパズルを解くように段階を踏む。
そしてその聴覚すらもーー
コープス・エンド起動。
ボン!
PERKを起動、先ほど撃ち続けて地面に散らばっていた己の指先の肉片が腐敗ガス爆発を起こす。再び舞う砂と響く音は必ず人狼の感覚を惑わす。
完璧だ。海原はほくそ笑みながら匍匐前進を再開した。
あとは、あの白狼の亡骸のところまで近づければ全てが終わる。
指先に力を込める。
人狼とまともに戦っても勝てない。確実に殺される。アレはゲームで言うならそういうボスだ。倒し方が決まっているイベントボス、真正面から向かってもクリアは不可能。
ならば、正面から戦わなければいい。作戦はもう出来ている。躊躇いもない、気付かれずに接近すればそれで。
ざり、ざり、ばり。海原が進む、作戦は順調に進んでいる。
そう思っていた。
ピリッ。空気が辛味を持ったような感覚、頰に走った。
瞬間、閃きのように海原の脳に駆け巡ったのは気付きと失念だった。
「あ、やっべ。これ失敗するわ」
あれだけ気をつけていた音、独り言を漏らす海原。
一つ、本気で忘れていた。
ヤツには
「ぐうウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
コレがあった!
瞬時に耳を両手で塞ぐ。
質量を持った嵐、輝く帳が一気に吹き飛び、視界が開く。
天を仰ぐように叫ぶ人狼。その咆哮が、空中に滞留していた輝く砂を全て搔き消した。
「あわわわわ、やらかした」
キンキンと鳴る耳、自分の呟きすら聞こえにくい。
牙をむきだしにし、大口を開きながら此方を見る人狼。
ぞわり、背筋が沸く。
作戦は失敗だ。人の浅知恵は化け物の実力により潰されていた。
ヤバ。
立ち上がる。それより早く人狼が大風のように迫る。指先を向け、照準をーー
近っ、速ーー
ばきん!
至近距離で発射された指弾を、躱される。もう間に合わない。
振り下ろされる爪、それに向けて右腕を振り上げて防ごうと
「グウオオオオ!!」
「うわぁああ?!」
ばじゅ。
振り上げた腕を、そのまま押し込まれるように弾かれる。大上段から振り下ろされた爪がガードの上から海原の肩に吸い込まれていく。
肉の潰れる音、圧倒的な熱、熱い、熱い。
無意識にその場から一歩後退ってなければ肩を落とされていただろう一撃。
どく、どく、どく。血が流れる。ワイシャツの生地ごと肉がえぐり取られた。
ああ、やべえ。やべえ。これ、やべえ。
「ぐっ、ラァ!!」
距離を、距離を取らなければ! 海原は潰された右肩を諦め、左手の指先を眼前で屈む人狼へと向けーー
「グウオオオオ!!!」
至近距離で、人狼が吼える。
「ぎゅむ」
虫の潰れたような声、誰の声だ。俺の声か。
腹部をぶん殴られたような衝撃が再び、完装肌が壊れ、薄皮の向けた腹に質量を持った咆哮が直撃する。
海原はそのままもんどりうってその場から吹き飛ぶ。
匍匐前進で稼いだ距離などこれで全て帳消しになった。敵は遥か怪物、改めて海原はその脅威を思い知らされていた。
人狼が、追撃に迫る。迫力、殺意。ヤツはここで終わらせるつもりだ。
右肩が上がらない。筋肉を断たれたようだ。痛みはなく、ただ冷たさと熱が同居して、血が流れていく感覚のみがわかる。
「やべ、これ死んだわ」
左手の中指の照準を合わせる。身体の芯がブレる。上手く合わせられない。
人狼が迫るーー
'生命維持に関わる負傷を確認、バイタル低下。右僧帽筋裂傷。出血多量。宿主の死亡の可能性が65パーセントを超過、現状況を宿主の生命の危機と認識'
マルスの平坦な声が響く。縁起でもねえ事言いやがる。海原は薄く笑って、中指を発射した。
ヒョイと人狼はその場で跳ぶ。頭を狙って放たれたその指は飛び越えられた。
爪が迫る。
'新 PERK 起動条件クリア。 PERK サバイバーズ・レイジ起動開始'
その声が響いた瞬間、海原の視界が赤く染まる。世界に血の帳を貼ったように全てが赤く、赤く染まっていた。
「は?」
'サバイバーズ・レイジ起動、残り180秒。シエラ0、交戦開始'
マルスは答えない。赤く染まって世界の中、人狼の爪が振るわれる。やけにゆっくりなその動きを海原は眺める。
その顔を見る。牙と剥き出しにして口を裂いたその形相を。
どくん。熱い。身体が熱い。皮膚がピリピリと、火に晒されているやうだ。
背中は冷たい。背後に死の幽谷が迫っているような。
ああ、俺は今死にかけているのか。なんでだ? なんで俺が死にかけているんだ?
どくん。脳が茹る。髄液が沸騰しているのではないか。とかく、熱い。
爪がゆっくりと海原の首筋めがけて振り下ろされていく。なんだ、コレはなんだ。
コイツは俺に何をしようとしている?
赤い世界の中、右肩から更に赤い血が溢れているのが分かる。
それは己の生命の源、それがどんどん、どんどんこぼれ落ちていてーー
とくん、どくん、どくん、どくん。
死ぬ、このままでは死んでしまう。なんで、なんで、俺が死なないといけない?
なんで俺がこんな目にあう? 誰が悪い?
誰がコレをやった?
'貴方はその答えを知っている'
マルスの答えに海原は前を向く。人狼、進化した化け物と目が合った。
「お、ま、えか」
ブチ。頭の中で何かがキレた。
赤い世界、速度が元に戻る。
爪が振り下ろされ、そして
「ああああああああおああいああおああ!!!」
断裂した僧帽筋を無理やり稼働させる右手と左手の手のひらを広げ、同時にその爪、人狼の袈裟がきに振り下ろされる右手首を掴んだ。
「グウオ?!」
'サバイバーズ・レイジ、貴方の新たなる進化です。さあ、シエラ0。生存者の怒りを見せてください'
「おまえかあああああ!!!」
握り潰す。
万力の力、鋼鉄と化した右手と左手が、生物の肉を握り潰した。
厚い毛皮はその圧力で裂け、肉が潰れ、潰れた肉が骨を押し潰す。
人間が化け物の手首を握り潰したのだ。
「ギュウア?!!」
信じられない、と言わんばかりに人狼が悲鳴をあげた。その場に膝をつき、人狼の身体が崩れ落ちる。
潰れた手首を握りしめたまま、海原がその場でくるりと身体を一回転。
ぶちゅるり。身体の力を使い潰れた手首を捻り切る。
「おまえ、おまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえ!!!」
「ギュウアアアアアあアアアアアア?!!」
ちぎった手首、青い血をぼたぼたと迸らせるそれを海原はその場に投げ捨てる。
「……凄え PERKだな、マルス」
'ポジティブ 人間の生命にはまだこのようなら可能性が残っています。細かな説明は後で。シエラ0、残り145秒です'
「了解」
膝をつき、その場でなくした手首を抑えながら呻く人狼を海原は見下ろす。今や、海原が人狼を見下ろす立ち位置にある。
「オラぁ!」
人狼の首を海原が掴む、そのまま力づくでそれを引き抜く。
「グウオオオオ!!」
みちり。みちりと肉のちぎれる音がした時、人狼が残りの左の爪を海原に向けて振るう。
赤い世界、火事場の馬鹿力を100倍以上に大袈裟にしたこの力。海原は左手でその一撃を受け止めた。
「遅い」
そのまま首を引き抜くのやめて、力任せ首を掴んだまま思い切り投げ飛ばす。真横に首投げされた人狼の巨大な身体が吹き飛んでいく。
'残り99秒'
視界がひらけた。海原の目の前、向こうには庇護者を無くした白狼の骸が転がっている。
「俺は失敗したが、お前も失敗したな。守るんならそれをやり遂げるべきだった」
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