指定怪物種
もやの中で動く影。それが身じろぎしたのが分かる。質量を伴うような動き。
水底を覗いたら怪物と目が合ったような戦慄を海原は今、感じていた。
もやが、霧が晴れる。チャフのように光り輝く砂がゆっくりと重力に従って元の位置へ。
爆発の余波が沈み、ゆっくりと帳が開かれた。
「うっわ……まじかよ」
'……おめでとう、ヨキヒト。記録されている中で5回目の指定怪物種との遭遇です。即時退避を提案します'
それと目が合った。
多数の死骸、頭部が吹き飛んだ死骸の山の上に立つソレはもう、変わっていた。
地面を踏みしめていた四つ脚は変わり果てる。長く筋肉質な2本の脚。黒い皮フとところどころが毛皮におおわれたそれがゆっくりと動く。
8つに割れた腹筋、雄々しく浮き出た胸筋には一筋の大きな裂傷が残る。
身長は約2メートルほど、雄々しい、神話の彫刻と獣が高次元で融合したような姿。
異様、その貌を海原は知っている。
己を喰いかけたあの獣、狼。
貌はそのままだ。鋭い瞳に、大きな牙、飛び出た口。狼の貌。
「オオカミ男……、ほんっとなんでもありかよ。ここの化け物どもは……」
'……目視により、指定怪物種 12號 人狼の誕生を確認……'
マルスの声がわずかに震えている。海原はいつのまにか乱れ始めている呼吸を整える。
恐怖、先ほどまで克服しかけていた、滅ぼしかけていた感情がじくり、じくりと身体を包み初めていた。
「……ウオオ」
海原の見つめる先、人の身体に、狼の貌を持つその半人半獣の長い手は、力なくこうべを垂れる白い毛皮の狼を抱いていた。
刀剣のような爪を持っているにもかかわらず、人狼は、母親が赤子を抱くように慎重にその身体を抱えている。
慈しみ、愛。
その様子から見て取れる化け物が化け物に向けるその心、危険だ。
コイツは危険すぎる。口の中が乾いているのに唾が溜まる。
ソイツと目が合った瞬間に気付いた。伝わった、気付かされた。
コイツはもう人間を絶対に許さない。目につく全ての人間を殺しつくす。食べる為ではなくただ、殺すためだけに殺す。
そういうモノになったのだと、気付いた。
'ヨキヒト、ヨキヒト! 早く、この場からの撤退を! 交戦は許可出来ません!'
「……出来ねえ……」
マルスの言葉に噛みしめるように海原が答える。なにかを考える前にその言葉が漏れる。
手のひらの先が痺れる。身体と魂が怖じける。逃げろ、生きろと叫び続ける。
海原は逃げたい、逃げたくてたまらない。足の裏がざわつく。背中を向けて出口へ走り抜けたい。この場からいなくなりたい。
しかし海原はそこを動かない、ゆっくりと指先を構える。それは揺るぎのない殺意を込めての行動。
海原の牙、PERK NO 0013 ロケット・フィンガーの狙いを定める。
海原の答えは、これだった。
「出来ねえ、それは出来ねえよ、マルス。逃げるのはダメだ。ここで逃げたらヤツは必ず俺を追いかける」
ーー絶対に死ぬなよ、死んだらぶちのめす
ーーバーベキューをしよう!
2人の仲間、奈落で過ごした時間が海原の脚を止めていた。
目の前の化けモノ、コイツだけはあの2人に会わせる訳には行かない。ここで、ここで必ず仕留めなければならない。
「マルス、頼む。力を貸してくれ。一緒に戦ってくれ」
'ヨキヒト……、私と結合している貴方ならわかるはず。ブルー因子により進化した貴方ならば、あの怪物種の脅威が分かるはずです'
「てめえ、こんな時にまた新情報を発表しやがって……、分かるさ、今回はマジでやばい。家族を殺されて怒る化け物なんて、やばいに決まってる」
'ならば!'
「だからこそだ! マルス! コイツをあいつらに会わせる訳にゃいかねえ! 二度とだ! もう二度と俺は仲間を死なせねえ! 覚悟を決めろ、マルス! 俺が、我々がやらねえといけねえんだ!」
海原は震える指先に力を込める。今だけでいいい、震えよ、止まれ。この凡人に力を。仲間を守れるだけの勇気を。
「俺はもう腹ァ決めたぞ! これは俺が始めたことだ! 禍根は残さねえ、一度始めたんなら最後までやり通す。必ず終わらせる! マルス! お前が必要だ!」
頭の中が切り替わる。目の前の神々しさすら感じる光景に向けて海原は啖呵を切る。
'……ああ、アリサ。願わくば我々に力をーーポジティブ、作戦の続行を承認……、目標指定怪物種、プロトコルに従い私の全性能を以って戦闘行動に移ります。ヨキヒト、幸運を'
マルスの言葉が終わった瞬間、海原は行動を開始した。
同時にゆっくりと、割れ物に触れるように人狼がそっと白狼の身体を地面に横たえる。
右手、人差し指が弾け飛ぶ。根元から破裂するようにちぎれ飛んだ硬質化した指先が空を裂く。
バキン!
「グウウウウウウオオオオオオ!!」
咆哮が飛ぶ。指向性を持った叫びがその圧力により人差し指を吹き飛んだ。
そのまま暴風のような勢いを持って海原の元へ届くその叫び。
「うお?!」
間一髪、海原はその場から真横にスライディングするように飛びのく。地面の砂が吹き飛ぶ。
「は、はは、デタラメやろうが」
'ヨキヒト!! 前方! 交戦!」
叫び、視界にはこちらに向かって走り迫る化け者。
脚をばたつかせてすぐさま立ち上がる。心臓が早い。脚がおぼつかない。速い速い、来る来る!
「き、タア!!」
「グウオオオオ音!!!!」
大上段から力任せに振り下ろされるその獣と人、いや、化け者と巨人が混ざってるような大腕。
極度の緊張、黒い体毛に覆われた強靭な筋肉、鋭い爪。
ガァキキキキキ!!
「うおえ! 死ぬ!」
「グルおおお」
咄嗟に両腕をクロスしてかろうじて海原はその一撃を受け止める。
ギシっ。腕の骨が鳴る、よくしなる枝のように両腕がたわむ。後5キロ海原の体重が軽かったり、マルスによる微細な戦闘行動の最適化サポートがなければ、ガードの上から頭蓋骨を叩き割られていた、そんな一撃だった。
膝の皿が割れてその中身が漏れそうだ。みしりと音を立てて海原の身体がわずかに砂に沈む。
うっわあ、やっべえ。
感想などそれしか出てこない。コンタクトスポーツの経験のある海原はその一合だけで理解した。
その生命との明らかなる差に。
'っ、PERK展開!! 完装肌! 腹部!!'
マルスの叫び、腹が締め付けられたような感覚。いつまでたっても慣れない、身体が変異していく予感。
内臓を守る骨格、筋肉、そのさらに上を覆う皮膚が一気に硬質化していく。
がいん! 腹に感じる圧力。腹からつけ抜けた衝撃が背骨を叩く。
「あえっ」
間抜けな声、誰の声だ? ああ、俺の声か。海原の思考はゆっくりと流れる。次に感じるのは浮遊感。脚が地面から離れて、身体がくの字に折れる。
「オオオオオオオオオ!!」
掬い上げるような一撃をモロに食らった。海原の、身長にしては重めの体重、75キロの体重が軽々と、子どもが振り回した拍子に手からすっぽ抜けた人形のように吹き飛ぶ。
流れる景色、浮遊感、鉄臭い口の中。回る景色の中、口からこぼれた赤い血が粒のように舞うのが見えた。
4、5メートル吹き飛ばされ、そのままあえなく海原は地面に転がる。
ああ、これまじでやべえ、高校の頃、親善試合でオーストラリアのチームの巨漢にぶん投げられた時よりやべえ。
眠気のようなものを感じつつ海原は血と混じる唾を吐き出し、ふらふらと立ち上がる。
「うげえ」
ぼたぼた、吐き気、赤い血の混じる吐瀉物が輝く砂を汚す。
'ぐっ……、ダメコン開始……、バイタル異常……、脳波正常値確認……、イミテーションダンジョンドランク充填完了……'
「っやべ!」
ふらつき、マルスの言葉を聞き流していると空気が動いた。海原は反射的に前を見る。
トドメと言わんばかりに駆ける人狼が今度は海原を挟み込むように左右から両手の爪を振るう。
すんでのところで海原はとっさにしゃがみこむ。頭上、数ミリの高さで大爪が空気を裂く音が届く。少しでも遅ければ、頭をぺっちゃんこにされた上に引き裂かれていただろう。
しゃがんだ勢いのままゴロリと横に転がりなんとか距離を取る。
両腕を振り切ったフォロースルーを崩さぬままに人狼が首の動きだけで海原を追う。
「グウウオオ、ニンゲン……、ダイショウヲ……、イチゾクのフクシュウヲ」
「ゴホっ、……てめえ、怒りのパワーで進化とかは主人公の特権だぜ……。化け物がよお」
PERKがなければ今頃、脳漿をあたりにぶちまけて、内臓の中身をほとんど零していただろう。
口の端に溢れる血をぐいと拭う。正攻法では勝ち目などない。
あるとするならば……。
海原は場に目を配らせる。こちらに狙いをつける人狼、あたりに散らばる群狼の死骸、白狼の亡骸。
「……愛と勇気がいつも勝つとは思うなよ、化け物」
それでも海原は、人間は生き残る事を諦めない。どんな手を使ってでも生き残る。
はじめから海原は、そう決めていた。
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