それぞれの夢
ムッスー。聞こえないはずの音が聞こえるようだった。
海の音が広がる、燦々と照らしつくす太陽の光を受けて金糸の髪が煌めく。
煌めきながら、ソイツは不機嫌そうに小さな頰を膨らませていた。
「なあ、マルス。そろそろ機嫌を直してくれよ。俺が悪かったて」
海原はブッスーと座る金髪碧眼の少女にむけてあたまを下げる。
細めた目がじとりと海原を見つめる。
「知りません、ヨキヒトなんか。私の提言よりあの怪しげな存在を優先するのですから」
ふんっと、アリサの姿を象ったマルスが顔を背ける。ぷくりと膨らんだ頰はまるで餅のようだ。突っつきたくなる衝動を抑えて海原はさらに頭を下げる。
「悪かったって! マルス。すまん、お前に頼りすぎた、反省している」
海原はその場に膝をついてマルスを見上げる。口を噤んでこちらを見下ろすマルスの表情はとても人間的でいてーー
「本当に危ない所だったのですよ、ヨキヒト! 私に対精神汚染プログラムが備わっていたからいいものを! ウェンフィルバーナはとても危険な存在です!」
腰に手を当てながらマルスが声を荒げる。海原はへへーとさらに姿勢を低くするのみ。
「えっと、そんなにやばかったのか?」
海原の問いにマルスが白いワンピースの裾を掴みながら大きく頷く。
「ポジティブ!! ドーパミンの過剰供給、脳内麻薬の過剰供給、ウェンフィルバーナとの会話の中で貴方に起きた異変です! 確実に彼女は我々に何かを隠しています!」
プンプンとマルスが腕組みしながら辺りを行ったり来たりする。
「あー、だろうな。マルスが警告してくれて確信を得たがやっぱりアイツ俺らにナニカしようとしてたのか」
「……ヨキヒト、貴方は私が気付く前にウェンフィルバーナの行動に気付いていましたね。何故、それに気づいていながら貴方はまだ彼女と行動を共にするのですか?」
マルスの碧眼が海原を見つめる、う、と小さく唸り海原が頭を掻きながら答えた。
「何個か理由はある。例えば、アイツは俺たちが知らない事を知っている。この意味わかんねー空間の事とかな。ここを生き残る際にはそういう情報の有無が差になって現れると思うのが1つ」
「ふむ、しかしそれは私でも大丈夫なはずです。確かにクリアランスレベルでヨキヒトに話せることは限られていますが、それでも生存に必要な情報は伝えているつもりです」
「まあ、それを言われちゃいてーんだが……。マルスに隠し事は出来ねーな。悪りぃ、マルス。一番は俺がアイツをほっとけねーんだ」
「ほっとけない、とは」
「そのままさ。ウェンの事は良く知らないし、付き合いも短い。でもな、アイツ似てるんだわ。俺の仲間の1人に」
海原は、あの奇妙な力を持つ、いや奇妙な力に振り回されている隣人の事を思い出す。その身にいくつもの人格がある……と思い込んでいる不器用な女の事を。
「ソイツの抱えてるモンとウェンの抱えてるモンがな、俺にゃ少し似ていると思うんだよ。他人と関わりたいのにやり方がわからない。人と寄り添いたいのに、人の気持ちが分からない。……そんな場合じゃないのはわかってんだが、ほっとけねえんだよ」
「……む、むむ。まったく、アリサといい、ヨキヒトと言い……どうして私のホストは皆、こうお人好しばかりなのでしょうか」
マルスが口をもごもごと動かしながら目をぎゅーと瞑って唸る。
ああ、やはりこいつ良い奴だなと海原は顔を綻ばせた。
「後はマルス、お前がいるからだな」
「私? どういう事ですか?」
ポカンとした顔、マルスの形の良い眉が片方釣り上がる。
「お前がいるから安心して無茶が出来るんだよ。もし、俺がしくじってもお前がいる。俺は1人じゃなくて、我々だからな」
ざざあん。波の音がひときわ大きくなる。海を背にしていたマルスの足元にまで波が届いた。
「……ヨキヒト、貴方はなかなか寄生生物タラシですね、危険です。……そんな言い方されたら何も言えなくなるじゃないですか」
ぷくりとマルスが頰を膨らませて、そっぽを向く。海原は、その小さな白い耳が少し赤くなっているのを見て、笑った。
「マルス、悪りぃ。頼りにしてる」
「む。むう。そういうところもアリサと似ていますね…… はあ、分かりました、ウェンフィルバーナと行動を共にする事は理解しました。私は貴方と最後まで共にいるだけです、ヨキヒト」
小さくため息をつきながらマルスがヨキヒトと同じようにしゃがみ込んだ。
「しかし、私はウェンフィルバーナへの警戒は続けます。すこしでも怪しい行動があった場合、状況によっては実力を発揮することもあるので、そこだけはヨキヒト、理解してくださいね」
「ああ、わかったよ、マルス。ありがとう」
「ポジティブ 貴方達人間といると退屈しないで済みます。さて、話したい事も話しましたし、そろそろ始めますか、ヨキヒト」
「お、PERK選択の時間か。えーと、ヘビミミズとパックス数頭分か」
「ポジティブ ヘビミミズの方は駆除と共に肉の摂取までできたのでブルー因子もたくさん手に入りました」
マルスが小さく、細い指先をヒュバッと鳴らす。
ヨキヒトの足元で小さな赤い果実をつけた苗木が生え出した。
「さあ、ヨキヒト。進化を始めましょう。貴方はどんな風になりたいですか?」
「痛くないのがいいです」
「ネガティヴ、ヨキヒト。残念ながら生物の進化はいつも苦痛が伴います」
ざざあん。波間の間に、人と寄生生物の語り合う声が響き続けた。
知恵を出し合い、アイデアを語り2人は強くなっていく。
互いの契約を果たさんが為に。
………
……
…
その日の夢は、昔の夢だった。
風は、圧倒的な力、暴威を持ってその場に立っている。
身に宿すは世界から掠め取った力、おおよそ個人には持ち得ぬ巨大なる力。
風はその時、確かにこの世のありとあらゆるものを超越していた。
風は世界が嫌いだった。欲と陰謀にまみれ、争う事しかしないくだらない世界。手に入れた力、その全てを他人を優越するためだけにしか使おうとしない人間。
世界を救う気のない天使。出来損ないの世界。
風から唯一の宝物を、おばあちゃんを奪い取った世界が大嫌いだった。
だから、風は世界に対して叛逆を起こした。奪い取られた風には、世界から奪い取っても良い権利がある。
あの時は本気でそう信じていたし、今だって全てが間違いではないと考えている。
この世界が嫌い、この世界に棲まう人間が嫌い。
そして、風は。
風は。
世界を好きになれない自分が一番嫌い。
夢を、見た。昔の夢を。
風が纏うは世界が力。
その力を世界の中心に突き立てようとしたその時。
風が世界を壊そうとしたその時に、彼は現れた。
携えるは何の変哲もない一振りの湾曲した刃と、小型の銃筒。
ボサボサの黒髪に、濁った栗色の瞳。ショーユの香ばしい匂い。
よう、止めに来たぞ。エルフ。
気軽に挨拶を、するようにそいつは風と相対した。
冒険者、世界の中心で富と命を奪い尽くす歪みの象徴。
風は叫んだ。冒険者ごときが何をしに来たと。風はそいつのその顔が気に入らなかった。
どこまでも、どこまでも。ぼうっとしているのに絶対的な自信を持ったその瞳が気に入らなかった。
冒険者? 違うな、俺はーー
その先のセリフは覚えていない。
覚えているのは、風はそこで敗れた。そして死んだ。それだけだ。
なんで、彼はあれほどまでに強かったのだろうか。
その理由が分からない、何度叩き潰しても立ち上がる。
戦力の差は明確だった、負ける訳がないのに、負けた。
彼はあの時、何を思って戦ったのだろうか。それが風には分からなかった。
風は、どこで間違えたのだろうか。
その日、夢を見た。
風を殺したニホンジン、風を救ったニホンジンと同じ髪と瞳と匂いを持つ男と出会った。
お前がそんなのになる必要はない。お前という仲間がいればそれでいい。
死んだ身体に、熱が灯る。
風はその日、夢を見た。今度は昔の夢じゃなかった。
風はきっと、この夢を、始めて出来た仲間達を守るだろう。たとえ己の命に代えても。
………
……
…
これで2回目だ。
目の前で、てめえの無力さで大事な人間を失うのは2回目だった。
1度目は兄貴だ。最後まで笑いながら、怪物に握りつぶされるその瞬間まで、兄貴は笑っていた。笑って逝った。
ホット・アイアンズが目覚めたのはその時だ。今でも思う。なんで、あの時この力は兄貴が死ぬ前に現れなかったのだろうか。
俺はいつも、間に合わない。
2度目、影山の時もそうだ。ホット・アイアンズがあるにも関わらず間に合わず、そして敗北した。
俺は、奴に勝てなかった。
今でも思い出すと、力が抜けそうになる。何も出来ずに四肢を斬り飛ばされる恐怖、全てが通用しない無力感。
それらは全身に鉛のような重さをもたらし、俺の動きを止めやがる。
人生で始めて感じる、本物の挫折。
俺は樹原 勇気が怖くてたまらない。
なあ、オッサン。教えてくれよ、なんでアンタはまだ戦える?
アンタはなんで、樹原を殺せるなんて思えるんだ。
俺には、奴が化け物よりも恐ろしいナニカに見えて仕方がない。
怖い、怖い、怖い。
恐怖を焼き尽くせ。今すぐに。
アンタの言葉が俺をギリギリで繋ぎ止めている。
少し、少しだけまっててくれよ。必ず立ち上がるから。
夢を見た。
影山が能面みてえな無表情でこちらを見つめてくる夢を。
兄貴が、親父が、お袋が。同じように俺を無表情で見つめてくる。
ああ、いやだ。俺をそんな目でみるなよ。
怖い、怖い、怖い。
焼き尽くせ。
恐怖を。
言葉を思い出す。海原 善人にもらった言葉を。
確かに早くなんとかしねえと、俺はきっと恐怖に殺される。
焼き尽くせ。恐怖を。
夢を、見た。先の見えねえ暗い夢を。この夢はいつ覚めるのだろうか。
俺には分からなかった。
だが、1つだけ決めている事がある。
オッサン、海原 善人。アイツと共にここを生きて脱出する。それだけは決めていた。
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