風と凡人、そして
「くくく、なるほど。ヨキヒト君。キミの道のりはよくわかった。大変だったねえ」
隣を歩くウェンが海原の肩をぱしぱしと叩く。海原は道中、ウェンにこれまでにあった事をいくらか、かいつまんで話していた。
「ああ、わかってくれるか? そうなんだ、色々判断に困ったり、死にかけたり大変なんだわ。次はあんたの番だ。ウェン、あんたは何者だ? なんでこんなところにいる?」
じゃり、さり。重たい足音と、軽い足音が重なる。2人は今、海原のキャンプ地をめがけて歩き続けていた。
あまり長い時間、意識の戻らぬ田井中を放っているわけにも行かないし、かといってこの海原や田井中以外の生存者の由来もわからずに別れる事も出来ない。
わずかに警戒を続けるマルスと話し合った結果、一度キャンプに戻ることになっていた。
「くくく。そうだね、キミが話してくれたんだ。風もなにも話をしないわけには行かないだろう。だが、そうだね、風の話はキミにとってひどく……荒唐無稽で、めちゃくちゃな事かも知れない」
「……地の底の異世界みたいな空間で、化け物を喰って生き延びているっていう状況よりもか?」
「くく、そうだね。キミの話もなかなかに面白いがーー 風にとってそれはどちらかといえば日常的な話だ。モンスターを狩り、それを喰らい生き延びるのはね」
海原はウェンの横顔を眺める。優れた美術品には黄金比と呼ばれるバランスが含まれると聞くが、目の前にあるのもそれと同じだ。
ただ、そこにあるだけの美。海原はその美に対してなんの感情も湧いてこなかった。
雪代やアシュフィールド、そしてそれを象るマルス。この三者の美を初めてみた時、海原は恐怖にも近いモノを抱いた。
しかし、今回は違う。下手をしたらあの3人よりも美しいかも知れないのになにも感じない。それはそれで異様な事だった。
「なかなかタイプワイルドなんだな。ウェン、良いさ。話してくれ。あんたの全てを聞かせろって訳じゃない。せいぜいあれだ。国籍と、ここにいる理由だけでも良い」
知らない、ということは怖れに繋がる。海原はここに来て大抵の常識外れのことには寛容になりつつあったが、ウェンに関してはあまりにも不思議なことが多すぎた。
「くくく。ヨキヒト君。キミはなかなかに面白いね。在り方がとても歪だ。身体からは血の匂いが薄いのに、考え方はまるで訓練された兵士のようだ」
「褒め言葉か? ウェン、悪いが俺はビビリでな。出来れば仲間のいるところにつくまでにあんたのことを少しでも信じたい。安全なやつだと、俺たちの敵ではないんだとな」
「くくく。良いさ、裸まで見せた相手だ。話すよ。まずは国籍、ふむ、国籍か…… これはいきなり難問だね」
「難問? おい、国籍不明とか言わないでくれよ」
「くくく、いやそんなことはないさ。風はどこで生まれたかとか、そんなことはきちんとわかっているよ、ただ……」
「言いにくい事か? ん、待てよ。でもアンタ日本語……、アレ? 日本語話してるよな?」
「くくく、いいや、風はキミと出会ってからずっと日本語とやらを話してはいないよ? 風は風の世界の統一言語でずうっと話している。キミはそれを理解してくれているんだ」
「ちょ、ちょいと待った。意味が分かんねえ。現にアンタは今こうして日本語を話しているじゃねえか。俺が話している言葉も理解しているように見える。どういう事だ?」
「それはキミの相棒がよく知っていると思うよ、聞いて見れば良い」
ウェンが細い指先を海原に向けていたずらっぽく笑う。海原は小さく唸って、マルスに問いかけた。
「……マルス、何かわかるか? その、言葉のことで」
'ポジティブ ヨキヒト。現在、我々は共通語現象の影響下にあります。アビス内においては人類種は異なる言語を操るもの同士であろうと、意思の疎通が可能になります'
「待って、マルス。待ってくれ。なんだ、それは。割と意味が分からん。ここに来て混乱してしまいそうだ」
'ネガティブ ヨキヒト。しかしあなたはすでに共通語現象を体感しています。シエラⅠとの邂逅時において、貴方達はたしかに意思疎通を行なっていました'
「な、に……?」
海原は言葉に詰まる。いやよくよく考えても見ればあの時、アシュフィールドと出会った時もそうだった。
あいつはアメリカ人のはずなのに、日本語を話していた。ボロボロの状態だったから気が回らなかったのか。
海原は既に自分がその奇妙な現象を体験していた事を自覚する。
「くくく、ヨキヒト君。箱庭の下に眠る彼女はヒトが好きなんだ。彼女は彼女の力で人を繋げて、手助けをしているつもりなんだよ」
ウェンは歩調を落とさずに歩き続ける。海原が案内しているはずなのに、まるで目的地を始めから知っているかのような足取りだ。
「ああもう、またなんか思わせぶりなワードが出てきた。あのマッドといい、アンタと言い……くそ、ぶちたいぎぃ」
海原は吐き捨てるように悪態をつきウェンと並んで歩き続ける。
頭をガシガシと掻いたあと、
「シンプルに行こう、ウェン。あんたは何人だ? ここへはどうやって来た? ここで何をしている? ハイ! シンプルに答えてくれ!」
「くくく、そんなやけぱちになるなよ。答えよう、ヨキヒト君」
ウェンがたたたと、小走りで海原の前を行く。くるりと反転、モコモコの衣服は風が舞うようにその動きに合わせてはためいた。
「風は、アイルズの民。人間種の中には風達をエルフと呼ぶものもいる」
にかりとウェンが笑いながら答える。しなやかな手足をしゃりと動かし胸に当てる。
舞のようだ。海原は足を止めてそのうごきを見つめる。
「ここへどうやって来たかは分からない。風はね、前の世界で死んだんだ。死んで、闇に消えて、気付いたらここに居た。それ以外は本当にわからない」
死んだ。たしかにウェンは今、そう言った。海原は何かの言い間違えなのではないかとウェンへ声を向けようとーー
「そして、最後の質問の答え。風は彼女に選ばれた管理人の1人だ。この広く大きな彼女の箱庭にして、彼の墓所の管理人の1人。そうだね、彼女は風のことをこう呼んでいた」
ウェンが笑う。涼しげな笑い。実際に風が吹いているせいだろうか。5月の木陰に吹く涼しげな風が海原の頰を撫でる。
「ダンジョンマスターとね。はじめまして、外なる異物、箱庭に入る資格を持った日本人よ。風は彼女に代わり、キミの訪問を歓迎するよ」
ウェンの動きに合わせて、世界にゆるく風が吹き付ける。吹き付けた風がウェンの一挙手一投足にまとわりついているようだ。
「……くそ、質問に答えてもらったのに何1つわかんねえ」
「得てして、人生とはそのようなものだよ。ヨキヒト君」
ウェンがにかりと笑い、とてててと海原の元へ再び駆け寄る。
「さあ、目的地は後もう少しだ。そうだね、キミのバッグの中にあるモンスターの肉でもつまみながら話そうじゃないか。歓迎するよ、風達の箱庭にね」
「……ウェン、最後にもう一つ質問いいか?」
「ああ、構わないよ」
「お前は俺たちの敵か? 味方か?」
わずかな緊張感が世界に浮いた。海原は軽く手に力を入れる。
ウェンはそれに気付きながらも涼やかに笑うだけ。
「くく、どちらが良いかな? 風はキミ達とは戦いたくないのだけどね」
「……あんたの弓矢は鋭そうだ。戦うのは恐ろしい」
「くく、同じ意見だ。キミの手指は尖っている。闘うのは恐ろしいな」
2人は同時に薄く笑った。
「なあ、どうだろうヨキヒト君。ここは1つお互いの目的を果たすために協力し合わないか?」
「協力?」
「そう、協力さ。風はキミがここを脱出するまでの間、キミの力になろう。風が出来ることをキミに捧げよう」
「……ただじゃないんだろう?」
「くく、ああ、もちろん。代わりにキミには風の狩りに加わって欲しいんだ。この箱庭の生態系を乱すモンスターを共に狩って欲しい」
海原は脳内でマルスへ問いかける。どう思う、と。
'ポジティブ 彼女は我々にとって未知の存在です。敵対しなくていいのならそれに越したことはありません。ヨキヒト。あなたの判断に従います'
「くく、マルスも問題ないみたいだね。どうかな? キミ達が助けてくれると本当にありがたいのだけど」
「……その生態系を乱すモンスターてのはなんなんだ? アンタほどの弓矢の名手でも狩れないのか?」
「……正直に言うと、分からないんだ。風がこの箱庭の管理人になった時から既に、蓋は開いていた。もしかしたら、キミと同じように外からやって来たのかも知れない」
「分からない? 管理人のアンタが分からないって……、それは……」
2人の歩幅が広くなる。最後の傾斜、ここを登りきればキャンプ地だ。
会話を続けながら2人はその坂を登る。
「先ほどのモンスターもそうだ。風は彼らのことを群狼と呼んでいるのだが、彼らも様子がおかしい。まるで何かに怯えるように不必要に凶暴になっているんだよ」
「連中か。もともと割と凶暴な奴らだと思うが」
「ああ、キミはたしか群狼に襲われたのだったね。それも奇妙な話だ。普段なら群狼達の巡回ルートからここは大きく外れているはずだ」
海原はあの時、オアシスでの強襲を思い出す。ウェンの話が事実とするならあの時の出来事もその異変が原因という事なのだろうか?
「まあ、答えは急がないよ。ヨキヒト君。そうだな、とりあえずキミ達のキャンプ地で透明な水を飲んで、お肉を食べて、お昼寝をした後にでも答えを聞かせてくれ」
「ふっ、ケッコーくつろぐ気満々じゃねえか。別にいいけどよ」
海原は思わず口を綻ばせて笑う。海原はウェンの人間くさく、それでいて浮世離れしている雰囲気が嫌いではなかった。
その相反する性質を併せ持つ矛盾は、海原にも思い当たるものがあるからなのかもしれない。
2人が傾斜のついた砂丘を登り切る。
目の前には海原達のキャンプ地、オアシスが広がっている。
太い屋久杉のような樹木のウロには田井中がそのまま呑気に眠っている。
「ようこそ、俺たちのキャンプ地へ、まあゆっくりして行ってくれ」
「くく、ありがとう。ヨキヒト君、マルス。ああ、久しぶりだな。言葉の通じる存在と過ごすのは」
海原がおどけて、ウエイターのようにウェンを促す。
ウェンも朗らかに笑いながら、足取り軽くオアシスに近付いた。
その時だった。
'……警告!! 敵性反応?! 至近!'
「ぁ?! 風早の加護!! 廻り廻りて我らを包め!!」
ギィン!!
唐突に巻き起こる風。海原とウェンを包むように足元から風が吹き上がる。
次の瞬間、どこからか2人めがけて飛んできた何かが風に弾かれる音が響いてーー
「ギィイ、ィツケタ」
風の隙間からたしかに、海原はその鳴き声を聞いた。
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