表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

六原くん、辿り着く。

その宣告によって僕の頭は思考を停止した。彼女こそが由梨絵だ。その言葉が壊れたオーディオみたいに何度も繰り返し脳内に響く。

 狼狽したように、テレサは後退した。


「待って。意味が判らない……」


 貼り付いた舌をようやく剥がして、訊く。心音が鼓膜に激しく響いていた。

 普段にない険しい表情で六原くんは円の方へと顎をしゃくる。


「円に調べてもらった。今の時代にラインアカウントではなく、実際のホーンナンバーを簡単に教えたところで引っかかりは覚えたんだ。そうしたら、デザイン科の一年生の中に『花房テレサ』なんて子はいなかった。この子の本当の名前は『花房由梨絵』だよ」


 それが先ほどから円が俯いている原因か。信じられない。じゃあ何が真実なんだ? 言葉を失う僕に、六原くんは頭を掻きながら、言う。


「最初から妙だとは感じていた。いくら相談事に必要とは言え、怖い目にあい、更に負傷した友人の患部を画像に遺すのは配慮が欠けるだろう? しかし、それが友人ではなく自分の怪我だとすれば話が変わってくる。全身が紫黒一色なのも印象を偏らせる為だろうし、何より、彼女の話は矛盾ばかりだ」


 テレサ……。いや、由梨絵の話に矛盾があったか? 昼間の会話を懸命にリピート再生したけれど、ぴんと来ない。

 六原くんは丁寧に指折り数えながら説明を続けた。


「由梨絵は部屋に引き篭っている。ゾンビを恐れている。発熱している。SNSのアカウントを削除しようとしている。当人は彼女の連絡にも反応が薄い」五指を開き「これだけ情報を出しておいて、反応が『薄い』とするには無理がある。どう考えてもビンビンの反応だ。それにゾンビを恐れてのアカウント削除も腑に落ちない。別に奴等はスマホのモニターから這い出るわけじゃないからね。センスゼロだしファンタジーが過ぎる。アカウント削除の理由は他にあるんだよ。その理由は後から話す。──事件当夜、君は離れた場所にいたと言っていたが、それにしてはゾンビの容相の細かな点まで説明出来たもんだ。気象庁に問い合わせたけれど、その日も空は今日と同じく分厚い雲に覆われていたらしい。光源も月明かりも無いのに、よく見えたね。それだけならまだ良いが、君は余計なことまで口にし過ぎだ」

「……なにをですか?」

 由梨絵は俯いている。まだ彼女の口から六原くんの話を認めるような発言は出ていないが、その姿が全てを物語っている。

「腐敗臭。君はそれを饐えたような強い臭いだったと言った。今、それが臭うか?」

 湿った土と草の匂いしかしない。

「正体はアレだろう?」六原くんはその場で振り返り、後方を指差した。「ビニールハウス」

 ビニールハウスがなんだと言うのだ。まだ、ぴんと来ない。

「最初に来た時、僕はハウス内を確認している。そこには収穫されずに腐ったぶどうが掛け袋ごと地面に廃棄されていた。どれも腐敗した果汁で黒く染みていたよ。そこで思い出したんだ。ワインの簡単な作り方をね」

「ワインって個人で出来るもんなのか?」

 どうやら円も詳しい話は耳にしていないらしい。彼の疑問に六原くんは静かに頷く。

「楽勝だ。煮沸消毒した容器を用意し、ぶどうを皮ごとミキサーにかけ、麻袋なんかに入れて果汁を絞り出せば良い。あとは放置するだけで糖がアルコールへと変化し、粗悪ではあるがワインの完成だ」

 知らなかった。僕や円だけでなく、きっとほとんどの人はワインの作り方なんて知らないだろう。

「ワインを日当たりの良い場所に放置するとどうなる?」

 次の問題を出された。これは判る。

「酢になる」

 僕が答えると、六原くんは静かに頷いた。

「そうだ。ワインビネガーなんかもあるし、呑み忘れたワインが酸っぱくなって捨てざるを得なくなる失敗談はよく耳にする。つまり、廃棄された袋の中では同じ現象が起きていると考えた。それが話に出ていた腐敗臭の正体だ。それを直線距離にして畑二枚を隔てたここで匂ったと言うのは苦しいね。なら何故、彼女がそんなことを口に出来たのか……。答えは一つ。ハウス内に侵入したからさ」


 侵入という棘のある言葉をあえてチョイスしたのは、それが彼の怒りに直結しているからだろう。

 由梨絵はもはや、諦めの表情を浮かべていた。敵わない。とてもじゃないが嘘の通用する相手ではない。そう観念したように。


「筋書きはこうだ。君と、恐らく恋人の彼は当初、ここへは純粋に肝試しに来た。SNSで実況中継さながらの発言を繰り返していたしね。その時に時江さんと遭遇する。室内に荒らされた様子はなかったから、庭でだろう。君は咄嗟の事に驚き、スマホを彼女に向けた。それが揉み合いの原因だ。SNSの事は認知していたし、そいつが原因で荒らしに来る人間が増えたことは時江さんの悩みの種だったからね。必死だったろうから相当強く掴み掛かったんだろう。その際に君は手首に負傷した。傷を見た彼は頭に血が昇ったんだろう。アドレナリンが出過ぎた状態で時江さんを力の限り突き飛ばす。蹲り、苦痛に呻く時江さんを置いて無慈悲にも君たちは逃げ出した。その時、ふと目についたのがあのぶどう園だ。ここですぐに車に乗り込めばいいものを、彼は絶賛興奮中だ。酷い目にあったのだから手土産でも貰っておくか、とぶどうを盗む。

 反論があればどうぞ? 僕がしていることは推論を束ねた得物で君に一撃をくれているに等しいからね。盾を持つなら掲げれば良い」


 六原くんは両手をポケットに、腰を屈めて由梨絵の顔を覗き込んだ。感情の変化を少しも見逃さぬとするように。推論の得物を喉笛に突き立てるように。


「君がSNSのアカウントを削除した理由がこれだ。もし時江さんの身に何かあったり、被害届けが出されたらすぐに身元を特定されるからね。なにせ、君は実況中継していたんだ。証拠の手垢はべっとりで、ニュースになれば誰の犯行かすぐに露呈する。動向が気掛かりで仕方なかったろうな。だから僕たちを利用した。スクリーンショットを見せて由梨絵という確かな存在を認識させ、自らはテレサという創造した三人目になりきることで高みの見物かい? それのどこに安息が許されているのか甚だ疑問だがね」


 最初から騙されていたのだ。自分の罪の露見を恐れてテレサという架空の友人を作り上げる。そして自らその友人になりきり、あくまでも友達の為、というていで相談を持ちかけ、僕たちに現状を探らせた。まさか相談者自身が「架空の存在」とは思わないから、僕たちは六原くんを除き、見事に踊らされたわけだ。

 僕は由梨絵に失望していた。後輩として好印象を抱いていた分、騙されていたと知った時の落差は激しい。道中の会話も全部六原くんを欺けるかどうか見極める為の探りだったのだろうか?

 彼女を覗き込んだ体勢のまま、六原くんは僕たちですら寒気が走るほどの冷たい声で低く呟いた。ふざけんなよ、と。

 彼に凝視された由梨絵は怯えて震えている。大きく開かれた瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちているが、きっと本人は自分が泣いていることにさえ気付いていないだろう。彼から目を背けることさえ出来ずにいるのだから。


「粋じゃねえにもほどがある。よく聞けよ? この廃屋は時江さんにとって息子夫婦や孫の、あのハウスや盗んだぶどうは先立たれた夫の、それぞれが唯一残してくれた形見なんだ。あの日、遅くまで直売所に残っていた時江さんは、大音量の音楽を鳴らして園へと向かう若者向けの軽自動車を見て、またか、と憤ったらしい。以前から「黒い家」と称してここを荒らす人間が多かったからだ。さらにそういう馬鹿は一貫して帰り際にぶどうを盗んでいく。彼女はここを荒らされる度に、涙を流しながら片付けをしていたそうだ。掃除し、在りし日の姿に近づけ、この家を守る為に。それなのに、イタチごっこのように繰り返し荒らされる。丹精込めて育てたぶどうも手土産代わりに盗まれる。警察に相談しても巡回を増やすだけの淡白な対応だ。想像してみろ? それは時江さんにとって何度も家族を殺されるようなものだ。火事以降、生きる気力を失っていた時江さんは周囲の助けもあってなんとか立ち直った。なんとか今日を生きる活力を取り戻した。その活力こそがこの廃屋とぶどう園だったんだ。彼女にとってこの廃屋とぶどう園は失った家族そのものなんだよ。何も知らない人間が勝手に足を踏み入れて良い場所じゃねえ。手土産代わりに盗んで良いぶどうじゃねえ。いくらパニックになっていたとはいえ突き飛ばし、ましてや、ここを守ることに必死だった彼女を『ゾンビ』と呼んで蔑む理由は毛ほども無えんだよ!」

 久しく見ない六原くんの本気の怒りだった。

「……最低だ」


 由梨絵がその場で崩れ落ちる。そして喉を震わせ星の光一つ無い夜空を見上げながら咽び泣く。それは咆哮に近かった。鼓舞するものを持たない後悔の咆哮。

 僕は俯いたまま顔を上げることが出来なかった。同じだ。僕も彼女と同じなのだ。背景に何があるのかなど考えもせずに噂に踊らされる。火事のことを知ってさえ、気味の悪さは拭えなかった。ここが廃屋になった経緯を考えれば、裏にどんな想いが込められているのかを慮れたはずなのに。何が美大生たるものだ。何が自分の好奇心を満たす為だ。

 頭を掻きながら「堪えるわ……」と円が呟く。

 みんな同じだ。己の浅はかさと裏に潜んでいた事実の重さにどんな顔をして良いのかも判らない。それは六原くんとて例外じゃなかった。


「時江さん、泣いてたよ。本当に霊が出るならこれ以上の幸せは無いって。いくら僕でも、幽霊なんていません、とは口に出来なかった」


 図書館で別れた後、六原くんは時江さんに会いに行ったのだ。きっと自分の後輩の非礼を詫び、話を聞く為に。いくら非難されようが、いくら罵られようが頭を下げ続ける覚悟を持って。

 彼だけが一度も蔑みの言葉を口にしなかった。彼だけが最後まで真摯に問題に向き合い「赤川時江さん」と「ゾンビ」の正体に辿り着いた。

 僕たちが背負うものは本当は軽いのかもしれない。それはいつも最初に真実に辿り着く六原くんが、自分の言葉に変え、一度クッションになってくれることで重さを軽減してくれるからだ。

 幸せに包まれるはずだったその家を見上げながら、彼は言った。

「心霊スポットは偶発的に生まれるわけじゃない。人の好奇心が、蔑みが、悪意が、恐怖が、人間が、心霊スポットを造る。自分本意な騒ぎの裏に涙を浮かべる人がいるかもしれないなんて考えもせずにね」

 追悼の線香を焚くように彼はタバコに火を点けた。

 僕にはその顔がまるで泣いているように見えるのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ