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六原くん、腹据えかねる。

 一時間後、僕たちは黒い家のある鹿児島との県境の街を目指していた。祖父に譲ってもらった年代物のワーゲンバスに乗り込み、運転手は僕、助手席に円で、後部席に六原くんだ。

 ナビゲートは円がすることになった。なんでも、これから向かうのは彼のローカルらしい。それならば当然、黒い家の噂を知っているはずだが、詳しい場所を訊いた僕にテレサがルートを教えてくれた瞬間、彼は怪訝に眉根を寄せていた。

 国道268号線を問題の小林市へと向かう。途中、大淀川に架かる花見橋を渡りビタミン館を右手に過ぎてハンドルを左に切ると、あとは目的地まで道なりに直線が続く。


「円も黒い家の噂は知ってたんじゃないの?」

 僕は彼を横目に訊いた。

 しかし彼は「多分あそこだとは思うんだけど……」と唸り、どうも歯切れが悪い。

「円は霊スポと認識していなかったんじゃないか?」

 後部席の方から六原くんが話題に入ってきた。ほわん、と甘い香りが漂う。ルームミラー越しに見ると、早くもチョコレート菓子を賞味中だ。

 円は勢い良く後部席に首を捻り「そうそう!」と人差し指を立てた。

「雰囲気のある廃屋ではあるんだよ。でも、それだけ」

「雰囲気って?」僕も訊く。

「全体を蔦が覆ってるんだ。おれはジブリ的だと思っていたし、よくデッサンに行ってたぐらいなんだけど、確かに霊スポ扱いしてた奴もいたかもな。実際に住人が死んでるし」

「死んでるんじゃん」

「無理心中じゃないんだよ」

「本当の死因はなんだったんだ?」

 チョコレートジャンキーの質問に、円は「火事だよ」と答える。

「うちのじいちゃんの話では、住んでいたのは赤川さんっていう農家だったらしい。小さな子どものいる若い夫婦だったけど、放火による火事で一家全員が亡くなったんだと」

「建物自体は遺ってんだろ?」

「実際放火にあったのは赤川さんの実家。息子を連れて泊まりに来てたんじゃないか?」

「いつの話だ?」

「おれたちは生まれていた。が、詳細な時期は知らん」

「放火犯は?」

「近所に住む独り住まいの婆さんみたいだな。それがどうにもピーキーな婆さんだったみたいで、前々から赤川さんの母ちゃんとは馬が合わなかったようだぜ?」


 性格に難のある婆さんの放火によって、家は全焼した。丑三つ時、深い夢の底にいた家族はその火事によって逃げ遅れ、四人が亡くなる。放火犯である婆さんはすぐに逮捕されたが、やはり精神鑑定の結果は芳しくなく、結果、檻付きの病院に送られることになった……。らしい。

 なぜ奥歯の異物感があるのかというと、今から十年以上は前の事件であるのと、この話を聞かせてくれた円の祖父が酩酊状態だった為である。つまり孫ですらどこまでが真実か判らない、とのこと。

 それにしても、心霊スポットをデッサンしていたとは……。認識の違いがあったにせよ、変態性を感じる。

「それはそうと……」前を向いたまま変態が言う。「まさか六ちゃんがゾンビを信じてるとはな」

 うんうん。それは僕も意外だった。幽霊は否定してゾンビを肯定する理由が判らない。ロマンがあるじゃない、とでも言うつもりか?

 しかし六原くんは一言「信じてるわけねえだろ」と鼻を鳴らした。

 急ブレーキを踏みそうになった。「じゃあなんでノッたんだよ⁉︎」と唖然とする僕たちに彼は、何をゾンビと間違えたのかに興味があるだけだ、と欠伸を洩らして座席に横になった。ロマンなど毛ほども無かった。


 目的地である小林市は宮崎県の南西部に位置している。左右を山々に囲まれた盆地になっていて、湧水とチョウザメの養殖で有名だ。ローカルである円いわく「夏は暑くて冬は寒い、馬鹿みたいに判りやすい街」とのこと。

 県道53号線から京町小林線を西に進む。ゴジラの背びれみたいな霧島連山の稜線が、宮崎から県境を跨ぎ、鹿児島へと続いていて、ワーゲンバスはその稜線と並走するように進んでいた。途中で交差点を左に折れ、今度はその横腹に突撃する形で進路を変える。農面農道に入って生駒高原を前方彼方にひた走る。

「もうすぐ着く」

 円が前傾姿勢になった。どこかで道を曲がるのかもしれない。右足から少し力を抜いて速度を落とす。

 右手に福祉施設の名を冠したぶどうの直売場が見えた。シャッターは降りていて、ビニールハウスが何棟か横列に並んでいる。その先に背の低いカーブミラーがあって、円はそこを指して右にナビした。ハンドルを切る。

 小高い位置に並ぶ左右のハウスには、ほとんど房が下がっていなかった。そのことに驚く。これからが旬だと思っていたのに、一本の樹に実る房はこんなにも僅かなものなのだろうか。

 訝しんでいると「どうしたよ?」と訊かれた。ビニールハウスを見て感じた疑問を口にすると、円は「ああ……」と間延びして顎先を掻く。


「虹郎の地元は鹿児島だもんな。ぶどうってのは実は秋の果物じゃなくて夏が旬の果物なんだよ。大体、九月末までがピークかな?」

「えっ、そうなの?」

 意外な事実に驚いた。今までぶどうは栗なんかと同じ秋が旬のフルーツだと信じていたからだ。

「そうなのお」円は鼻から下をだらしなく伸ばして顎先を掻き続ける。「知らない人って結構いるんじゃねえかなあ? なんか秋っぽいイメージは昔からあるし。でも、今はもう終わりの時期なんだよ。大方収穫し終えて、今残ってるのは市場にパック詰めで出す分だろ。ようは売れ残りみたいなもんだけど、味は良いぜ? 毎年うちの母ちゃんが今の時期を狙って買いに出たりもするしな。瑞々しいって言うよりも濃縮した甘さって感じで、多分どっかの甘党は気に入ると思うね」


 へえ。僕は素直に感心していた。これまでの人生で知らずの内に誤解していた事実が正される瞬間はいつだって心地良い。予防線を張った気にもなる。誤解したままだといつか恥をかくこともあるだろう。それは家族との食事中かもしれない。将来、社会に出て部下と共に酒の席に着いた時かもしれない。そんな時に間違った知識を吹聴して恥をかくのは僕にとって恐怖でしかなかった。でも、こうして早い段階で知っておけば後の自分のリスクが一つ減る。リスクが減るってことはそれだけ心は穏やかでいられるってことだ。きっと僕は安堵することで快感を覚えるようプログラムされているのだろう。

 ビニールハウスを過ぎると、今度は収穫の時期を過ぎ森林のジオラマみたいになった茶畑が広がっていた。一番茶の頃には壮大な眺めだったのかもしれないが、秋の深まるこの時期では斜陽じみている。

 小さく左右に振れる小径の先にはまたビニールハウスが横並びに何棟も建っていた。


「あそこを抜けた先だ」


 円はもうシートベルトを外していた。

 小径は前方で大きく左にカーブしている。

 農耕機や軽トラを旋回させる為か、小径の先に中州のような平地がある。そこにワーゲンバスを停めた。

 後部席の六原くんを起こそうと円が身を捩る。が、いつの間に目覚めていたのか、ルームミラー越しの彼は外のビニールハウスに注視していた。

 僕はハンドルに顎を載せながらそいつを眺めている。エンジンのアイドリングなのか、自分の心拍なのかよく判らない鼓動が耳の奥に響く。

 僕の真横まで首を伸ばした六原くんが最初にそいつの感想を述べた。


「エッジが効いてんな」


 黙って頷いた。

 外に出ると、不気味さは加速度的に高まった。初秋にしてはやけに冷たい風が助長しているのかもしれない。

 何枚もの畑に囲まれてそいつは鎮座していた。外観のほとんどが蔦に覆われていて、遠目からだとその蔦は家を飲み込んでいるようにも見える。まるで多足類の昆虫が群がっているようでもあった。周囲に光源は無く、商店はおろか自動販売機すら見当たらない。なぜこんな場所に家を建てたのかの理解に苦しむ。以前は心霊スポットと認識していなかった円ですら「あれ……、怖い!」と怖気付いていた。

 六原くんが歩きだし、後に続く。ハウスを右に、何枚も連なる畑の間を縫う小径を進んだ。土手を真っ直ぐ進めば早いのだが、なるべくテレサたちが歩いた道をなぞるように歩を進める。一度大きく右に迂回してから、その前に立つ。

 近くで見ると威圧感は相当なものだった。幾重にも折り重なった蔦が外壁に歪な凹凸を作っていて、枯れてスチールグレーになった蔦の上にまだ瑞々しいコバルトグリーンの蔦が重なっている。屋根までの侵食はなかったが、長年の風雨に打たれたせいか、一部スレート瓦が落ちて、中のルーフィングが露出していた。

 蔦は家を囲むブロック塀と、開いたままの門扉までも半分ほど飲み込んでいて、その元凶たる樹木自らも、蔦にくまなく絡みつかれて、まるで両手を広げた案山子のように小さな庭に立っていた。なるほど、これが「黒い家」の由来か。


「テレサさんを連れて来なくて良かったね」


 心底そう感じた。夜は夜で確かに気味が悪いだろうが、きっと、ここは昼間の方が人間の本能に訴えかける気味の悪さを発している。全貌を深い闇に塗りつぶされ、抽象的になった方が却って薄ら寒い想いをしないで済むことは往往にして、ある。


「あの黒づくめじゃ雰囲気増すだけだしな」

 円も頷く。

「無駄だ。どうせ理由をつけて断るよ」


 六原くんが門扉を抜けつつぽつりと呟いた。

 その言い方に引っ掛かりを覚える。テレサは怖い目にあったばかりなのだから当然来たがるはずもない。男ならまだしも、彼女はまだローティーンの女の子なのだ。「どうせ」と突き放すのは少し酷だろう。いくら妻以外の異性にはドライだとしても過乾燥じゃないか? 普段から肝試しに興じる人間には冷ややかな男ではあるが、らしくない。

 玄関は蔦に飲まれて開きそうもなかった。仕方がないので庭の方へと向かうと、こちらには縁側とガラス戸があって既に先の訪問者にガラス戸が割られていた。侵入の為に蔦を裁断したようで、そこだけがぽっかりと口を開けている。

 縁側に足を掛け首を入れると、六原くんは熱心に中の様子を観察しだした。まるで探し物でもするみたいに色んな角度に視線を投げている。

 彼の背後からおっかなびっくり室内を覗いてみた。中には過去に人が住んでいた痕跡があった。居間であろう十二畳ほどの部屋には樫材のテーブルに平積みの本、籐椅子なんかが残されているし、キッチンへと繋がる──これまたガラスが破られている──引き戸の奥には食器棚が見えた。飛行機やピースサインの家族を描いた子どもの絵や、捲られることのないカレンダーなんかが黄色く変色しながらもまだ壁には貼られてあって、戻らぬ主人たちを待ち続けているみたいで哀愁を誘う。しかしそこに物悲しさはあっても、やはり気味の悪さは強く残った。生活の痕跡が残るほどに魂の残渣を強く感じるのだ。

 でもなんだろう……。僕は妙な違和感を覚えていた。うまく説明出来ないが、埃舞う廃屋にどうも引っ掛かる。それが何かを考えていたけれど、六原くんの声に思考が中断させられた。


「僕はこの中には入れないな」


 ぽつりと言い、今度は表に回る。

 そりゃそうだろう。思わず笑ってしまう。誰だって、こんな不気味な場所には足を踏み入れたくない。夜ともなれば光源の一つも無いのだ。幽霊否定派の彼ですら腰を引くのだから、僕なら例え警備のアルバイトだとしても丁重に断る。

 六原くんは表に回ったけれど、まさか玄関を確認したかったわけでもあるまい。黒い家の玄関はもうその機能を失っていた。蔦に飲まれて、裁断しない限りはどうやっても開きそうもなく、見る限り、侵入するならここしかない。

 とりあえず、後を追って表に回る。

 彼はカーポート内を中腰で観察していた。

「なあ……」隣に立った円がタバコに火を着ける。「なんで由梨絵って子はここを知ってたんだろうな?」

 コツコツトンネルや仏舎利塔なんかは県内でもメジャーな心霊スポットだから、ローカル以外の人間でも知っている。しかし黒い家はどちらかと言えばアングラだ。


「そうだね。もし地元だとしたら今更来ないだろうし」

 円は小首を傾げて紫煙を吐く。代わりに答えたのは六原くんだった。

「ネットやSNSで噂はすぐに広がっていく。探せばいくらでも見つかるだろうさ。弾けまくったポップコーンどもには金脈だろうよ」

 ゾンビの痕跡──あるとも思えないが──を見つけられず、不機嫌な様子だ。

「幽霊信者には心からの嫌悪を、か?」円が揶揄う。

「粋じゃないんだよ」カーポートから出てきた六原くんが、寂しそうに廃屋を見上げた。「死者を弔わない馬鹿が多過ぎる。僕たちも含めてね」


 その瞬間、突風が吹いて僕はバランスを崩しかけた。

 甲高い風切り音が質量を伴うようにこだましていて、それがまるで廃屋が発する咆哮のように聞こえる。あるいは嘆きの叫びか……。

 風の音に混じって、キンッ、とジッポライターを開く音が響いた。苦労しながらもタバコに火を点した六原くんは険しい表情で廃屋を見上げる。

 彼の吐き出す紫煙が僕の鼻先に僅かに甘く薫って、そして朧げに消えていった。

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