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六原くん、前のめる。

彼女の名は花房テレサ。テレサ・テン好きの祖父がつけた本名らしい。人のことは言えないが──僕の名は能崎虹郎という。はじめまして──変わった名だ。

空間演出デザイン科の一年生で、彼女が口走った由梨絵という子も同科の生徒だ。


 きっかけは由梨絵の『今夜黒い家に行くよぉ』という、まるで怪盗の予告状めいたSNS上での発言で、それに興味を惹かれたテレサは由梨絵に発言の意図を尋ねた。

 すると由梨絵は「黒い家」とは心霊スポットのことで、そこに高校時代の友達と肝試しに行くつもりなのだと答えたらしい。

 黒い家は宮崎市から少し離れた県境にほど近い街の廃屋だった。何故「黒い家」と呼ばれているのかはその外観に由来し、過去に無理心中があり、その時に亡くなった子供の足音が云々……、と怪談話の内容は至ってベターな、量産型のものだった。

 しかし、テレサはより強い興味を持った。さもありなん、という感じではあったが、彼女はオカルトの類が好きで、昔から怪談や都市伝説等の話をネットで彙集していたらしい。一緒に行きたい、と頼み、由梨絵が快諾したことで、男女三人の夜のドライブが決定した。


「秋に肝試しとは、物好きだねえ」

 呆れて笑う円に、テレサは「息抜きですよ」と困ったように頰を掻く。

「それに、由梨絵以外は霊なんて信じていませんでした」

「由梨絵さんは信じてたの?」と僕。

「思い込みが激しいところもありますけど『もし何か出たらヤダな』程度だったと思います」

「もし何か出たらヤダな、が本当に何か出て、今、彼女は参っているようだね。場所が霊スポならパターン的には霊の存在に怯えて引き篭もっているだとか、謎の発熱が続いているだとかの霊障関連」


 六原くんの言葉にテレサは強く頷いた。

 その途端、彼は退屈げな表情を露骨に浮かべた。理由はシンプルで、彼は幽霊や神様の存在を一切信じていない。簡単に言えばファックオフ・スピリチュアル。霊感少女を「卑屈なブスの必死な自己アピール」と斬り捨て、神様ですら「ほぼポケモン」と罰当たりに言い放つ。その無信心ぶりは筋金どころかカーボンファイバー入りと言って良い。それなのに宇宙人やUFOの話になると途端に童心にかえるのだから、僕はたまに彼の価値観をマニュアル化して欲しいと思うことがある。

 六原くんの態度に気分を害した様子はなかったけれど、それでもテレサは戸惑ったようだ。瞬きの回数が増えて、視線が左右の僕と円とに平等に振れる。

 一応はフォローをするつもりで、何が出たのかを訊いた。

 すると、テレサは一瞬の迷いの後で「ゾンビです……」と呟いて視線を伏せた。

 そうきたか。今度は僕が戸惑ってしまった。眉唾臭が強くて反応に困る。


「ハロウィン・エディションだな」円も困り顔だ。

「本当に見たんです……」


 テレサの声は消え入りそうだったが、申し訳ない。その話を信じられるほど僕は幼くなかった。冗談を言っているようでもないし、僕たちを騙して彼女にメリットがあるとも思えないけれど、ここ日本においてゾンビというのは、ポーカーに興じながら味噌汁を啜るような強い違和感がある。

 さてどうしたものか。次の言葉を探していると、おずおずと視線を上げたテレサが急に仰け反った。何事かと彼女の視線を追うと、口角を上げて身を乗り出す六原くんがそこにいた。


「ゾンビとはフリーキーだ!」

 出たよ童心。琴線に触れたらしい。

「お前、ゾンビなんて話を信じるのか?」円は鼻を鳴らして「日本でゾンビってのは滑稽だろ?」

「幽霊は怖くて、ゾンビなら鼻白むのか?」

「だって、あんなもん土葬文化ならではだろ。この国は火葬だぜ?」

「それは違う」

六原くんはきっぱりと否定した。

「歴史的に日本はスーパー土葬国家だ。明治維新後の廃仏毀釈では火葬禁止令が出たほどだぞ? 今でこそ火葬が一般的だが、昭和四十年頃の普及率は三十数パーセント程度で、今のように社会に根付いたのはごく最近なんだよ。そもそも天皇や皇族の埋葬は故人が生前、火葬の希望を出さない限り基本的に土葬なんだぜ? 土葬はこの国の文化だ。ゾンビが出るならむしろ当然と言える」


 反論の是非を問うように彼は左の眉尻を上げた。

 僕たちは揃って肩を竦める。火葬の普及率など考えたこともなかったから、論議の座卓にすら腰を降ろせない。

 誰からの反論も出ないので、六原くんは改めてテレサに先を促した。


「その子に何があった?」


 彼女は迷う素振りを見せる。先ほどの僕と円の反応の薄さから躊躇しているらしい。申し訳ない。

 それでも彼女が口を開いてくれたのは「ちゃんと聞く」のシンプルながらも心強い六原くんの一言が背中を押したからだ。余計なことは口にすまいと静かに誓う。


「由梨絵がゾンビに引っ掻かれたんです。それが原因か、発熱が続いていて……」

「噛まれた、ではなく?」

「これを見てください」


 テレサがこちらに向けたスマートフォンのモニターには、枝のように細い腕が映っていた。由梨絵の腕だろう。右の手首から三本の赤い線が斜めに走っている。たいした傷じゃないが、白く細い腕との対比ではやはり痛々しく見える。


「これは腕を掴まれているね」

 六原くんの指摘の通りだった。ゾンビと由梨絵は揉み合ったという。

「最終的には、噛まれる寸前に男の子が突き飛ばしたんで慌てて逃げたんです」

「ゾンビを?」

「はい。彼女を助けようとして、かなり強く」

「それで、そのゾンビは?」

「呻き声をあげて蹲っていました。その呻き声も怖すぎて私たちは慌てて逃げました」


 僕にはそのゾンビがただの浮浪者としか思えなかった。大方、廃屋に住み着いていた浮浪者と心霊スポットで騒いでいた若者が争っただけのシンプルな話ではないだろうか?

 六原くんもその可能性には気付いているはずだが、質問を重ねる。


「君はその場にいた? それとも離れた位置にいた?」

「怖くて離れていました。探索しようとしたのは由梨絵と男の子だけです」

「自分から参加を志願したわりには怖気付いたわけだ?」

「実際に見たら判りますよ。想像以上に不気味だったんですから」

「挑発したわけじゃないんだ。すまない」

 膨れ面のテレサに、六原くんは左手を上げて詫びる。

「そのゾンビはどんな姿だった? 記憶の範囲内で構わない」


 パニックだったので、と前置きしてからテレサはゾンビの容相を語ってくれた。彼女の話によれば、ゾンビは所々を引き裂かれたぼろぼろの白いワンピース姿だったらしい。

「女?」と口を挟むと「髪は長かったです」と答えてくれる。瘦せぎすの体で、顔が酷く腐敗していたらしい。

 そうなると僕が唱える浮浪者説にも疑問の余地が出てくる。

 残暑が過ぎ去ったこの時期の宮崎は朝晩の冷え込みが激しい。いくら浮浪者とはいえ寒さを凌ぐ衣服ぐらいは持っているだろうし、よく考えて見ると、廃屋に無断で居座った浮浪者がわざわざ騒ぎを起こす真似をするだろうか? 警察や市の退去勧告を考えれば余計な騒動は避けるのが自然だ。顔が酷く腐敗していたという話も気になる。テレサが僕たちを信じさせようと話を脚色している可能性もあるが、その理由も判らない。


「問題の二人から話を聞けない?」


 六原くんが訊くと、テレサはバツが悪そうにかぶりを振った。男の子と連絡先を交換する余裕はなかったらしい。気持ちは判る。怖い目にあい、仲間の一人が怪我を負ったとなれば陽気に連絡先を交換する気にはならないだろう。

 由梨絵本人にも話は聞けないようだ。彼女はゾンビからの襲撃でナーバスになり自宅アパートに引き篭もっているようだ。テレサからの連絡にも反応が薄いらしい。

 怖がる気持ちは理解できるが友人任せが過ぎないか? 何故か苛立つ。


「君が気付いたことで良い。何か妙なことは起きなかったかな?」


 六原くんはポケットに両手を入れて尋ねた。

 テレサは身を乗り出して頷く。重要なことがあったようだ。


「ゾンビが出てくる前に嫌な臭いがしたんです。腐敗臭と言うか、饐えたような強い臭いだったのを覚えています」

「腐敗臭か……」

六原くんは考え込むように目を閉じたが、すぐに訊いた。

「もう一度確認するけれど、君は離れた位置で様子を窺っていたんだね? そこで友人がゾンビに襲われる光景を目にした」


 テレサが頷く。

 六原くんは黙り込んだ。

 すると、彼女は「役に立つかは判りませんが……」と遠慮がちに言い、テーブルに置いたスマートフォンに左指を滑らせた。これを、と向けたモニターにはSNSのスクリーンショット。『マジ不気味』という発言の下に、僅かな光源を頼りに撮影した廃屋内の画像がアップされていた。画質は悪い。


「これは?」と六原くん。興味を持った様子は、無い。

「彼女、実況中継するみたいに中の様子をアップしていたんです」

 画像上部には由梨絵のアカウントを示すアルファベットが並んでいる。

「怖くてアカウントを削除するって言うから、その前にスクショしておいたんです」

「ゾンビが写っているのは無いの?」

「さすがにそこまでは……」


 渋い表情を見せる彼女に六原くんは、なら時間の無駄、と非情にも言い捨てた。

 ですよね、とテレサは肩を落とす。

 もう少し言葉を選べ。

 話を一通り聞いて満足したのか、六原くんはポケットから両手を出し、テレサに言った。


「僕に何を期待する?」

 テレサはテーブルの下でグッと両手に力を込めたようだ。

「由梨絵は自分がゾンビになること、ゾンビが自分を追って来るんじゃないかってことにビビってます。そんなことはないと証明してほしいんです」

 テレサの不安げな瞳を見て、彼は仕方がないと言うようにため息を吐いた。


「さて、どうする?」


 今度は僕たちに訊く。いつものことだ。将来的に、六原くんを探偵のモデルにしたミステリを書きたいらしい円は当然「行く!」と胸を張った。

 僕だって彼が何をしようとしているのかは気になるし、何より、美大生たるもの作品制作の為のインプットは重要だ。頷いた。

 僕たちの意思を確認した後、六原くんは「それで、代価なんだけど……」とノーモーションでテレサに顔を寄せた。

 突然の急接近に彼女は驚いたようだが、ワンテンポ置くとすぐ頰に紅がさした。髭の似合う野生的なタイプより女顔の中性的なタイプの方が好みらしい。

 彼女は慌てて、これまた黒革のリュックから財布を取り出し、何枚かの紙幣を抜こうとして彼に静止された。やはり一年生の彼女は知らないようだ。

 六原くんは相談に乗る為の代価に金銭を要求しない。要求するのは必要なものだけ。彼は左右の僕たちを同時に親指で示してテレサに言った。


「善意かな。この二人の友人は協力してくれるらしい。──円?」

 円はポケットを探って「おれはセブンスター」

「虹郎?」


 車を出すのはいつも僕の役目なので道中のガソリン代を暗算する。そこから自分の好奇心を満たす為の代価を引いて、バーガーキングのチーズワッパーをリクエストする。

 六原くんはチョコレート菓子をいくつかと、明治の板チョコレートを一枚リクエストした。まるで子供のおやつだが「間違っても明治以外はなしだ」と拘りを見せる。

 テレサは戸惑っていた。こいつらはアホかしらん、と呆れているのかもしれない。

 そんな彼女に、六原くんは涼しい表情を浮かべて奥歯で二度、舌を打った。


「時間だ」


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