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第8章 迷宮、時効成立か

第8章 迷宮、時効成立か



一九九〇年以来、「ふぐ毒殺人事件」は何の手がかりも得られなかった。

被害者が生前、会社に残していた住所録や、本人が所持していた住所録など、約五千人に上るそれらの人物を見ても、親類縁者、顧客、知人友人だった。

その全てがシロだった。そして狭間良孝の名はなかった。

ついにお蔵入りになっていた。

公訴時効の十五年間は、二〇〇五年で満了と言う事になるのだったが、五十七歳になった米盛勇夫は定年退職し、郷里の大貫に帰っていた。

たまに、法律や犯罪についての講演の依頼が来れば、町の公民館へ出向き、現行法律に、自分の経験を交えて話をしていた。

その日も、米盛勇夫は公民館へ出向いた。

室内は禁煙なので、表で数人がタバコを吸っていた。

米盛勇夫がその横を通りかかり、急に足を止めた。

「今、狭間とか、話に出ていたようでしたが、何の話でしたか?」

聞かれた数人は、顔を見合って、たわいもない事です。と言った。

「確か、狭間、狭間良孝とか言いませんでしたか?」

数人は、再び顔を見合い、言ったと応えた。

もう少し詳しく知りたいが話してくれませんか、と米盛は頼んだ。

話は、こうだった。

「自分の同級生の盾端竜子が、いよいよいけなくなった。狭間良孝が、外国へ行ってから、意味不明の事を口にするようになり、初めの頃は、生活には取り立てて触りはなかったが、認知症と重なったらしく、最近では目が離せなくなった」

と言う事だった。

そして

「たぶん自分が紹介した事を気に病んでいたからではないか」

と言うのだった。

米盛は、その話の筋がよく飲み込めなかった。

「盾端竜子が遊茶美枝子を狭間良孝に紹介したんです」

と理由を聴かされた。

そしてそれは、高校時代の事だと言う。

「良孝には、当時よくのろけられたんですよ。何せ東京を諦めて、板前になったのは、遊茶の願いで、いつか二人で店を持つんだ。とね。ところがいきなり遊茶が死んでしまい。盾端は、聞かれた時、早く教えておくんだった。と言って、悩んでましたよ。それが高じたみたいでした」

「それで、狭間良孝と遊茶美枝子は、会えたのかね」

「さあ、そこまでは知りません」

「その盾端竜子さんと言う人に、会う事は出来ますか?」

「いつも家に居るようですから、大丈夫かと思いますよ」

米盛にとって、この日の講演は、長く感じて仕方がなかった。

盾端竜子の住所は、狭間良孝の父親が、かつて事件を起こした近くだった。

米盛が、事前に連絡をした時、彼の名を狭い村で知らないものはなく、快く家族は応じてくれた。

翌日、盾端竜子と家族同伴で面会が叶った。


「この通りなもんで、果たして、お役に立つものかどうか」と竜子の母親が気遣った。

盾端竜子は、目の焦点が合わず、常にその瞳は、落ち着きなく動いていた。

まるで白雉美人だった。とても還暦を迎える年齢には見えなかった。

「狭間良孝さんをご存知ですか?」と米盛は盾端竜子に言って、その視線を母親に移した。

「竜子、知ってるの、ほら、たまに学校へ行く朝、迎に来た人じゃないのかい」

だが、竜子は何の反応もしなかった。

竜子は何か考えるような顔をすると、かすかに頬笑み、

「・・・ミーチャン、気になるんでしょ。リョウに渡すから、来るわよ。ん、赤くなってたよ」と竜子は三回に切ってしゃべると、さっと笑顔が曇り

「え、どうしてそんな事、言わない。絶対・・・」と言うと、竜子は固く口を結んだ。

だが、さらに

「諦めてるよ。二十年だよ。必ず来るよ。教えるよ」

ここまで言うと、竜子は首をうなだれた。

「何の事か、お分かりになりますか?」と米盛は母親に聞いた。

「はい、何度も同じ事を口走るもんですから、この子の同級生に会って、聞けば何の事なのか解ると思いまして、伺っております」


『ミーチャン(遊茶美枝子)、気になるんでしょ。リョウ(狭間良孝)に(住所)渡すから、(返事)来るわよ。ん、(狭間良孝は)赤くなってたよ。え、どうして(お母さん万引きなんてしたの?)。(狭間良孝には)そんな事、言わない。絶対。(狭間良孝は)諦めてるよ。(あれから、もう)二十年だよ。(電話)必ず来るよ。(番号)教えるよ』


だと、話が繋がると、盾端竜子の母親は説明をし、狭間さんからは当時、東京からよく電話も来て、私も取り次いだ事が有る。と言い添えた。


米盛勇夫は家に帰ると、東京の前田伸雅に電話をした。

一週間後に前田伸雅から報告があった。

(確かに一九九〇年九月四日に狭間良孝はロンドンへ出ていました。在英大使館に聞きましたが、確当する人物は、滞在届けを出さなかったらしく、記録がないというのです。ただ、英国の出入国管理局に問い合わせたところ、入国から二年後にフランスへ出ているという事なんです。そこに一九九九年あたりから、フランスを中心に、頻繁にロンドン、イタリア、オーストリアを往復しているという記録があり、頻繁にと言っても、年に三度位の割りで、出入国をしていました。狭間良孝は、フランスに居ると思いまして、在仏の日本大使館に聞きましたら、やはり届出はないそうです。そんな訳で時間がかかりましたが、早い方だそうですよ、回答が。それで今、在仏日本大使館に頼んで、フランス警察の協力を得て、日本レストランに当ってもらってます。たぶん一月位掛かるそうだと言ってました。すぐ判りますよ、外国では狭い日本社会ですから)


前田伸雅からの報告を聞いて、米盛勇夫は石巻の鈴城広州を訪ねる事にした。

「まあ、そんな訳なんだよ」と米盛は言って肩を落とした。

「そうか、あいつ、外国に行ってたのか」

「日本へは一度も帰って来ていないらしいよ」

「十四年間もか、もし山の神がやったとしても、状況証拠や推測でしかないだろう」

「その通りだ。別件の糸口もないようだし、かといって時効十五年は、国外滞在期間が、換算されないから、時効も成立しないよ」と米盛が鈴城に言った。

「こんな事言っちゃ、お前に叱られるかも知らんが、山ノ神、勝ちだな」

「たいした根性だよ、まったく」

「あいつ、きっと連絡寄越すよ、きっと」と鈴城広州が独り言を言った。

「なに、どうしてわかる?」

「今までの事を思い出すと、奴が電話を寄越す時は、ひと段落、いや気持ちに余裕が出来た時だったように思う。いつも明るい声だったからな」

「お前が一番可愛がっていたから、解るのかも知らんな」

「松島の時がそうだった。あの頃会社が東京で、夏の帰省でこっちへ来て、観光を兼ねて来て見たんだが、もういなかったよ。ここの住所は知らないと思うが、あいつのことだ、俺を探してでも、寄越すよ。必ず寄越すよ」

「それにしても、お前、かれこれ半世紀だぜ、来るかな?」

「いや、来る、あの頃の仲間は俺だけだと思っているから、必ず来る」

「フム、そう言われれば、そうだな。皆いなくなったものな」


米盛は、鈴城の家からの帰りがけ、確かに解っても、どうする事も出来ない。

見事な完全犯罪だと思い、単独犯の怖さを改めて知った気がし、褒めてやりたくさえなった。

それから二月が経ち、東京の前田から米盛に電話が来た。

居場所は不明でした。

仮に判っても、拘束する理由もない、と鈴城広州と話した同じ話が繰り返されただけだった。

ましてや、間もなくシェンゲン協定加盟・全二十八ケ国の発効期日が迫り、基幹十五ケ国のオーストリア、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、スペイン、ポルトガル、ギリシャに北欧五ケ国、ハンガリーなどの東欧を加えた加盟が成立すれば、狭間良孝が何処に滞在しているのか、まったく分らなくなると言う事だった。


その頃、パリの日本レストランでは、狭間良孝って誰だ、と言う話題が有った。

ケイが、狭間良孝に、リョウさん、狭間良孝って人を知ってますか?

と言う会話が有った。

フランスの「ユーロ寿司」の従業員は皆、狭間良孝をリョウとしか呼んだ事がなかった。


大崎平野の波打つ田園は、刈り入れを待つまで、緑の海になっていた。

田園に、大きな夕日が沈もうとしていた。

米盛勇夫が、その夕日を眺め、何とか今年も豊作になりそうだと、畦から村道に上がり、杉林を抜けて、我が家の庭に入った時、家の奥から電話の音が聞こえ、長男の嫁が米盛勇夫を呼んで、家から表に出て来た。

「あ、お父さん、石巻の鈴城広州さんから電話が入ってます」

米盛は玄関を入るとすぐ、外して置いてある電話の受話器を掴んだ。

「もしもし、え、山ノ神、やっぱり来たのか。何処からだい? なに、ハンガリー、そうか、凄いな、ん、元気だ、ああ、行って見たいな。広州の確信が見事に当ったじゃないか。稲刈り終わってからじゃないと俺は無理だよ。広州は行くつもりでもしてるのかい?」

(ああ、詳しい住所は判らないが、そう思っているところだ)

狭間良孝がハンガリーから鈴城広州に、電話が来ての事であった。


米盛は、受話器を置くと、自分の部屋に入った。

部屋の書棚に積まれた法律関係や判例などの本を眺め、長い警察官と言う仕事を振り返った。どの一冊を取っても、思い出が蘇った。

万引き、セクハラと言った日常的な犯罪や、詐欺強盗、そして殺人と言った重罪まで、こうした犯罪が露見し、法による裁きを受けたとしても、犯罪を犯した本人の中から、その罪の意識は消えるのだろうか、例え法的に時効が成立しても、果たして本人の中でも、時効が成立しているだろうか、法の裁きは、気休めでしかないように、米盛勇夫は思った。死刑は気休めと言うより、諦めを導くもののように思えるのであった。

被害者の遺族が、加害者を死刑にできた時、何が報われると言うのだろう。

人を殺したのだから、死刑が当たり前だ、と言う憤怒の吐け口でしかないのではないか。

加害者に死刑を求め、何をそこから求める事が出来るだろう。

犯人が生きていると思えば腹も立つ、という事を、どう鎮める事が出来るか、死刑はそれへの手段に過ぎないのではないか。

殺人者はその手で人を殺し、遺族は法で人を殺す。言い換えれば、死刑は、被害者遺族への慰めでしかない。

犯罪者は、死によって、何が裁かれた事になるのか。

生きている者への諦めを、誘引しただけではないか。

加害者に、死に値するほどの反省を求めるには、死刑ではなく、無期として、その生きる環境を、どう制限したものにするか、制限に段階の違いを設定し、その中で生かしておく事が、犯罪者に対する反省を促す事になりはしないか。

生きて塗炭の苦しみをするより、死んでしまいたい、と言う心境になる事は、誰でも一度は持った事が有るだろう。

死は時に、逃避の場になってしまう。その場を設定するのが、死刑と言う判決ではないだろうか。すると、加害者も被害者遺族も、死刑と言う事で納得せざる得ない事になる。

だが、加害者本人は、一体どんな罪への償いをした事になるのか、単なる妥協でしかないじゃないか、そう米盛勇夫は思った。

病は健康に対する地獄であるように、借金苦は裕福に対する地獄、だとすれば、日常生活の中から、何かを遮断する事で、地獄を作る事が出来る気がした。

例えば音、光、匂い、味、感触、つまり、耳、目、鼻、舌、肌といった五感触を犯罪者の環境から削除する。

漆黒の暗闇の空間で、人間は、果たしてどの位の時間を生きていけるだろう。

殺人罪に、こうした裁きを適応したなら、本人は死の恐怖を骨の髄から味わう事になるのではないか、ひと思いに死にたい、この望みさえ叶えられない環境に置かれたならば、人間にとって、これ以上の地獄はないのではないか、米盛勇夫はそう思った。



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