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????「あらぁ、ここで何してるの?」
聞き慣れた声が聞こえた、気がする。
しかし、その声は実に聞きたくない声だった。
????「健人くんったら、私の講義放ったらかして何デートしてるのよ」
健人「あ、いや。これには深い事情があってですね」
????「デートだったら、深い事情だわね」
磊落に笑ってくれる。
希未「えっと、この人は……?」
希未が不安そうな顔で『この人』の顔を見つめていた。
健人「俺の大学の先生だよ」
希未「えーっ!? 先生さんなんですかっ!?」
????「はいはーい、先生さまよー」
健人「何かそう言うと嫌らしく聞こえますね」
????「サボり魔に言われたくないわよ」
健人「好きでサボってる訳じゃないから」
????「ふーん」
先生さまは、希未を見つめた。
その目線が嫌だったらしく、希未は俺の後ろにチョコンと隠れた。
????「あっははは! そんな取って食うつもりじゃないから」
希未「あうあう……」
????「自己紹介が遅れちゃってゴメンなさいね」
観空「私は鳥飼観空っていうの。宜しくね」
観空先生は、希未に笑顔で話しかけた。
希未「よろしく……です」
希未は少し警戒を解いて、観空にペコリとお辞儀をした。
観空「うんうん、いい子だねー。礼儀がしっかりしている子は好きだよ」
希未「えへへ……」
褒められた希未は、少し照れたように笑った。
観空「確かに色々事情がありそうね。私、今まで貴方が女の子連れて歩いてたとこ見たことないもの」
健人「地味に痛いとこついて来ますな」
観空「本当のことだから、仕方ないじゃないの」
健人「ぶー」
希未「それ、私のセリフ……」
観空「先生と言っても、まだ若いし非常勤講師なのよ、私」
希未「へー」
観空は希未に自分の事を色々話している。
観空「私と健人くんとは親戚でね、子供の頃から色々親しくさせて頂いているのよ」
希未「そうなんですね」
観空「ほら、健人くんって見ての通りガザツな男でしょ? だから彼女とか一生出来ないんじゃないかと思ってさ」
健人「何変なこと言ってるんすか」
観空「変なことじゃなくて本当のことじゃないの」
健人「だから、そのストレートな物言い止めて下さいって」
観空「仕方ないじゃない、それが私の素なんだからさー」
――鳥飼観空。
俺よりも7つ年上の従姉妹に当たる。
実際良く遊びだしたのは、幼稚園に入るか入らないかくらいの時だった。
俺が都合により引っ越した先が、観空のいる家に近かったからだ。
彼女は、俺のうちに毎日来てくれていた。
俺が調子の悪い時も、何くわぬ顔で俺に会ってくれていた。
他愛のないテレビの話や、学校であった話。
具体的な内容は思い出せないが、その行為が、随分有難かったように思える。
彼女が遠い所の高校へ通うようになってから、逢わなくなっていた。
それが今年、俺の大学の非常勤講師として赴任してきやがった。
しかも心理学概論の講師としてだ。
アレだけ磊落な彼女が、どうして心理学みたいなナーバスな事を勉強していたかは、よく判らないが。
希未「ちょっとゴメンなさい、席外してもいいですか?」
観空「えぇ、どうぞー」
健人「ちょっと、何処へ行くんだよ?」
希未「えへへ、ゴメンねー」
駆けて行ってしまった。
不安になった俺も、ベンチから立とうとした時。
観空に手を掴まれた。
観空「アンタ馬鹿か」
健人「どういう事だよ」
観空「彼女のトイレまで付いて行くの? どれだけ過保護なのよ」
健人「あ……、そうだったの……」
観空「アンタにゃ、まだまだ彼氏は務まらないわ」
健人「ぐぅ……」
その音も出なかった。
そう吐き捨てた観空は、近くにあった喫煙ルームへ行き、たばこを吸い始めた。
俺はたばこを吸わないので、しばらくその場で希未が戻ってくるのを待っていた。
…………。
5分は経っただろうか。
トイレが長いような気がするが、それは女の子だからか。
しびれを切らした俺は、観空が居る喫煙ルームへと足を運んだ。
観空「おや、吸うかい?」
健人「フカシすらやったこと無い俺に言うか、そういうセリフ」
観空「あはは、冗談だよ」
そういうと、観空は短くなったたばこの灰を落とし、灰皿へ置いた。
観空「しかしまぁ、人間ちょっとした事で変わるもんだね」
健人「何だよ、いきなり悟ったのか?」
観空「ばーか。悟り開くなんて、まだまだ早いわよ」
そう言いながら、観空は新しいたばこに火を付けていた。
観空は大きく息を吐く。辺りに白煙が立ち込めた。
観空「健人くんの事だよ。彼女が出来たことで、キミの心の中で彼女の存在がとても大きくなった」
観空「んで、彼女がいなくなることに対して不安を覚えた」
観空「それが変化じゃなくって何なの」
健人「それは俺を褒めてんの、貶してんの?」
観空「面白い研究材料ではあるわね」
健人「貶してるんじゃないか」
観空「あはは、いいじゃないのー」
健人「よくねぇよ!!」
突っかかる物言いは、観空の癖だった。
昔から、本心を突いたり動揺を与えたりする言葉を言うのが上手かった。
……俺が単純だからかも知れないが。
しかし、希未はまだ帰ってこない。
これはいくら何でも遅すぎるんじゃ……。
観空「トイレに行ったにしては、少し長いわねぇ」
観空にも、長いと感じたようだ。
健人「そうだな……」
観空「私が様子見に行ってあげようか、彼氏さん?」
健人「からかうなっ」
観空「あはは、失敬失敬」
と、全く謝るつもりのない声を出しながら、観空はトイレへ向かっていった。
ったく、希未は何をやっているのか。
観空がトイレの入り口に着こうかとした所で、希未が出てきた。
希未と観空が何か言葉を交わしながら、こちらへ戻ってきた。
希未「ゴメンねー、待ったでしょ」
健人「待ってないよ、でも長かったね」
観空「随分ストレートな物言いね」
健人「先生さまに言われたくないです」
観空「ぶー」
希未「それ、私のセリフ……」
観空「あはは、ごめんごめん」
健人「しかし、本当に大丈夫か? 長かったから、どこか具合が悪いのかと思ってしまったぞ」
希未「そういう訳じゃないんだけどね」
彼女は、少し苦笑いをした。
そういう顔をするんだ、女性ならではのデリケートな事でもあるんだろうな。
俺はそう思い、トイレに時間が掛かったことに関しては、気にしないことにした。
健人「それじゃ、そろそろ俺たちはお暇しますね」
希未「先生さん、さようならー」
観空「はいはい、さようならー。健人くんは明日補修だからね!」
最後に俺の心を抉ってくれやがる先生さまでした。
俺達が地上へ上る階段へ向かおうとした時。
観空が後ろから声をかけた。
観空「そういや、貴女の名前を聴くの忘れてたわ。何て名前?」
そういうと、希未は踵を返し。
希未「星野尾希未です!」
と、元気良く答えた。
(『そっかー。希未ちゃん、健人くんの事頼むわねー!』)
そういう返事が帰ってくるものと、思っていたのだが。
観空「…………っ」
何故か、観空は返事を返さなかった。
(駅ビルかどこかに入る)
電車の終点は都内でも1・2位を争う発展した場所だった。
俺の大学はここから更に別の路線に乗り換えて行った所にあるため、
暇を持て余した場合には、道草を思う存分食える場所であった。
まぁ、家にいても仕方なかったし、こういう場所だったら時間も潰せるだろう。
……さっきみたいに観空のような知り合いに遭遇したら、それはそれで嫌だけども。
ただ、それは。
希未「ねぇねぇ! 色々見て回ろうよ!」
希未のはしゃいでいる様子を見て、不安はどこかへ消えてしまった。
まぁ、いいか。
最初に彼女が行ったところは、エレベーターだった。
希未「のぞみ、こういうビルのエレベーター乗るの好きなんだ」
やはり、どこか変わった女の子だなぁと思う。
女の子なら、普通は洋服やファンシーグッズなどに興味を示すかと思うのだが。
不思議と誰もいないエレベーターに、俺達は乗り込んだ。
希未「ねぇねぇ、せっかくだから屋上へ行こうよ」
健人「屋上って何もないよ」
希未「えっ? だってこういうデパートってさ、屋上は遊園地みたいになってるでしょう?」
いつの時代の知識だ、それは。
健人「ともかく、屋上はただの展望台デッキになってるよ」
希未「ぶー」
健人「ぶーたれても仕方ないって」
希未「でもいいや、屋上から景色見てみたいね」
健人「希未がそこまで言うのなら、行かない理由はないしね」
希未「やったあ!」
俺は、エレベーターの『R』のボタンを押した。
グン、と力が掛かり、上へ引っ張られる感覚を受けた。
いつ乗っても、急に地面が上へ下へ高下する感覚になれない。
むしろ、気持ち悪ささえ覚える。
希未「うわぁ! このエレベーターって外の景色が見えるんだね! すごーいっ!!」
そんな俺の心はつゆ知らず、彼女ははしゃいでいた。
ったくもう……。
ピンポーン。
エレベーターは、屋上へと到着した。
ここへ来るまで、何処の階へも止まらなかったのが不思議ではあったが、気にしても仕方がない。
屋上は、本当に何もなかった。
夏になればビアガーデンなどで賑わったりするが、まだ5月ということもあり、それに使うような物は置いていなかった。
しかし、周りを見てみれば、5月に相応しい澄んだ青空が広がり、爽やかな風が薫っていた。
また、都内を一望出来る程の高さがあり、まさに絶景というべきビューが広がっていた。
希未はすぐさまフェンスのある所まで走って行き、周りの景色を見つめていた。
希未「すごい……」
彼女はこの景色を見て、感銘を受けているようだった。
俺は彼女がこの景色を堪能し尽くすまで、待っているつもりだった。
……何を隠そう、俺は高い所があまり得意ではないからだ。
遠くを見つめるくらいなら出来るが、屋上から下を覗くのはまっぴらゴメンだ。
何というか、下を見るとクラクラ来てしまう。
希未「ねぇねぇ、健人くんもこっちおいでよ!」
健人「俺はここで待ってるよ」
希未「んもう、釣れないなぁ。まさか、高所恐怖症?」
健人「何とでも言ってくれ」
希未がいくら言おうと、俺はここから動くつもりはない。うん。
希未「へぇ……、ここはとっても高いんだね――」
そういうと、希未はフェンスに乗り出し、下を覗いた。
彼女はそのまましばらく動けなくなり、顔面蒼白になって、こちらへ戻ってきた。
ほら、言わんこっちゃない。
希未「すんごい高いんだね、ココ……」
健人「そう。だから俺は下を覗きたくなかったから、フェンスまで近づかなかったんだ」
希未「それならそうと、早く言ってよ……」
健人「屋上へ行きたいって言ったのは希未だろう。その意志を尊重したんだ」
希未「ぶー」
もう、彼女がぶーたれるのは慣れた。
俺達は次なる場所へ行くことにした。
彼女のたっての希望で、おもちゃ売り場へ行くことにした。
……いい年したお嬢さんがおもちゃかよ、とか思ったが、敢えて何も言わないことにした。
とりあえず、彼女を満足させる事に注視しようと考えた。
希未「どうしても見てみたいおもちゃがあるんだー」
とかのたまっていたのだが。
そう言うなり、彼女は女の子が買うであろうスペースへ足を運んだ。
ここには、女の子に人気な『魔法少女戦隊よつのは☆ナギサ』のお面やらフィギュアが置いてあった。
『魔法少女戦隊よつのは☆ナギサ』は、日曜日の朝にやっている、やたらテンションの高いアニメだ。
魔法でモンスターを倒すと謳っておきながら、拳でモンスターを改心させるという、何とも判らない設定だったりする。
また、日曜朝に似つかわしくない鬱展開で、大きなお友達にも一定のファンが付いているという、そんなアニメである。
彼女は、そういうものに興味があってここに来たのだろうか。
しかし、希未は渋い顔をしていた。
希未「おかしいなー。普通は置いてあるはずだと思ったんだけども」
健人「何か探しているのか?」
と、俺は問うてみた。
希未「うん。日曜日の朝にやってる、セーラー服で悪い奴らを倒していくアニメのグッズだよ」
健人「????」
――あれ?
今やってるアニメでは、女の子こそ出てくるものの、セーラー服着て敵を倒すというシーンは無かったはずだ。
健人「それ、何ていう名前のアニメ?」
希未「あれ、健人くんはそういうのには疎いんだったっけ。ゴメンゴメン、私突っ走っちゃったね」
希未「えっと、それは……」
そのアニメの名前がパッと出てくると思ったのだが。
彼女は必死にその名前を思い出しているらしい。
健人「ど忘れしたのか?」
希未「うん、忘れちゃった。おかしいな、毎週見てたのにどうして名前が出てこないんだろう?」
健人「あんまり印象に残ってないからなんじゃないの?」
希未「そんなことないよ、健人くんは女の子の観るアニメだからということで馬鹿にしてるんでしょう?」
健人「いや、そういうことじゃないけど……」
希未「うーん、置いてないんじゃ仕方ないか」
彼女は、『セーラー服で戦うのアニメ』のグッズを探しているらしかった。
しかし、それは今現在やっているものではないのは、彼女の言葉から想像できた。
……どういう事なんだろう。
彼女が何か勘違いしているのだろうか?
希未「まぁいいや。ねぇ、今度は健人くんの行きたいところへ連れて行ってよ」
健人「えっ?」
希未「えっ、じゃなくて。ほら、こういう時は男性が女性をエスコートしないとっ」
健人「ったく……」
俺は一瞬バツの悪そうな顔をしかけたが。
希未「にぱーっ」
彼女の屈託のない笑顔に応えるため、次の場所へと移動した。
希未「ファンシーショップ?」
健人「あぁ、希未も女の子なんだから、こういう所行きたいだろう?」
希未「んー、まー、そうだけどねー」
彼女はあんまり興味のなさそうな返事をした。
俺だって興味はないが、女性をエスコートすると言われたら、こういう場所しか思い浮かばなかった。
我ながら貧相な頭の持ち主だと思う。
希未「ま、ゲーセンとか連れて行かなかっただけでも良しとしますか」
随分と上から目線になったもんだ。
ということで、ファンシーショップの中を色々見て回った。
希未「あら、この蝋燭みたいなのは何かしら?」
彼女がアロマキャンドルを手にとって、不思議そうな顔で言った。
この歳になって、アロマキャンドルを知らないとは。
余程の馬鹿か、コイツは。
仕方ない、俺が教えてやろう。
健人「これはアロマキャンドルといって、この蝋燭の中に癒しの香りが閉じ込められているんだ」
希未「ほへーっ!?」
かなり食いついてきたみたいだ。
希未「ねぇねぇ健人くん! これどういうものか見てみたい! 実演して見せてよっ!」
健人「実演ってここでか……?」
と、俺達のやり取りを聴いていた店員さんが、気を利かせてくれてライターを持ってきてくれた。
店員「このキャンドルの中から好きなモノをどうぞ。サービスですよ」
どれか一つ好きなキャンドルに火を付けていいとの事だった。
それを聴いた希未は、目を輝かせた。
そして、数多のアロマキャンドルを手にとって、どれにしようか吟味していた。
その光景は、まるで小さな女の子のようだった。
その仕草が、妙に微笑ましかった。
希未「よし、これにするー!」
そうして手にしたキャンドルは、かわいらしい熊の形をしたものだった。
俺はそのキャンドルに火を付け、蝋燭を床に置いた。
蝋燭から放たれたシトラスの香りが、辺りに蔓延した。
健人「どうだ? いい香りだろう?」
俺は、彼女に何気ない言葉を掛けた。
しかし、彼女はそれが聞こえていないかのように、キャンドルに点いている火をじっと見つめていた。
下においたキャンドルに対して、彼女は顎と手を床につけてじっと見ていた。
香りよりも炎の方が気になるか。
キャンドルの火は、青い光を放っていた。
あまり見慣れない炎の色に、彼女は魅入っていたのだろうか。
彼女の赤い目と、青い炎が、なんとも言えないコントラストを描いていた。
希未「…………」
随分と長い間、炎を見つめているような気がする。
彼女の額には、薄っすらと汗が滲み出ていた。
気が付くと、彼女の顔の色が悪い。
これは拙い。これ以上彼女に、炎を見せては――。
バタン。
彼女は、気を失ってしまった。
(夢。炎の渦巻く夢。以前の夢よりも、もっと具体的に)
――炎。
僕が目を覚めた時には、すでに周りは火の海だった。
辺りには大きな鉄の塊が無数に転がっている。
その炎で焼かれたであろう黒い物体も多数あり、それによって生じた灰が空中に散らばっていた。
ここは一体何処なんだ。僕は何をしていて、こんな所に来たのか。
ぼやけた視界は、時間が経てばたつほどハッキリとしてきた。
しかし、それはこの世のものと思えないほどの怖い状況を移すだけだった。
周りは赤や青などの炎で包まれている。
一体ここは……。
不安になった僕は、お父さんお母さんを呼んだ。
確か、僕の近くにいたはずなのに。
しかし、その声は炎にかき消されてしまう。
いくら呼んでも。いくら叫んでも。
炎が無慈悲に僕の声を覆ってしまうのだ。
疲れ果てた僕は、ふと視線を横に向けた。
そこには、見慣れた熊のキーホルダーがあった。
これは確か、うちのお母さんが家の鍵と車の鍵と一緒に付けていた熊だった。
炎に当てられたからだろうか、熊は半分以上焼け焦げていた。
となると、お母さんはすぐ近くに居るかもしれない。
そう思って、辺りを見回した。
すると、すぐに見つかった。
――いや。
見つけてしまったと言うべきだろうか。
熊のキーホルダーが落ちていた場所から、ほんの2メートル先に。
黒い人型の物体があった。