新生活の場へ
メディー村から森に囲まれた細い道を馬車で1週間走り続け森が途切れた時、ようやっと王都のシンボルである王城が見えてきた。馬車の走る道も格段に道幅が広がり石畳で綺麗に整備されている。
馬車を操縦していた騎士が馬車の内側を覗きこみ人の良い笑みを浮かべた。
「皆さん!もうすぐ王都につきますよ!カルハちゃん、ヴァイオレットちゃん、君達にはもうすぐ降りてもらうから準備をしてくれ。」
カルハとヴァイオレットはカルハの父親からのすすめでまずは知り合いが営む定食屋に立ち寄ることになっていた。
「ほら、これが王都の門ですよ。」
大きな石柱と扉の迫力にカルハとヴァイオレット、鍛冶屋の旦那は驚きながらそれを見上げる。
「おおっ!どうなってんだこれっ!俺、こんなでかい建物見たことないぞ。」
鍛冶屋の正直な感想に騎士は笑った。
「俺も王都に初めて来た時はそうでした。大きくて驚かされますよね。」
ローランの両親は商売で何度も来たことがあるため驚いているようにはみえない。息子の墓が気になっているようだ。
「馬車を止めますよ~!カルハちゃんとヴァイオレットちゃん、降りてくれるかな?」
「うん!降りれるよ!」
かなりの高さがあるにも関わらずひらりと馬車から地面に飛び降りたカルハは騎士達を苦笑させた。
「カルハは元気だなあ!ヴァイオレットよりも騎士に向いているんじゃないか?」
「お兄さんがそう言ってくれるなら、治癒師になれなかった時は騎士になろうかな!」
ヴァイオレットに手をかしながらヴァイオレットを馬車からおろしていた騎士に明るく返答するカルハだった。ヴァイオレットは口を開くようにはなったが依然として自分から喋り出すことはない。
「ハッハッハッ!そりゃあいいな!二人とも頑張って俺達の後輩になれよ!じゃあな!」
馬車の手綱を操る騎士と馬車を警護する騎士達はそれぞれの言葉をかけて王城に向かって走り去っていった。
後に残ったのはキツい目をしたヴァイオレットと走り去る馬車に向かって手を振るカルハ、そして王都のことを知らない二人をカルハの父親の知り合いが営む定食屋までの案内を任された騎士1人だった。
「行こうか。えっと、何ていうお店だっけ?」
「ちょっと待って……あった!コブノーさんって人が店主の『小魚亭』」
カルハが父親から渡された手紙の中から店の名前を探しだすと騎士はああ、あの店か。と言う。なんでも彼はそこの常連だそうだ。
「小魚亭か……たしか、魚人の女の人がいるお店だったな。美味しくて安いし、赤ちゃんも一緒に入れるから家族連れに人気の店だよ。僕達騎士団も夜によく使わせてもらうしね。ツマミが美味いんだ。」
「ふーん?そうなんだ!」
王都のメインストリートを少し歩いただけでその店は見えてきた。
「ヴィオ。小魚亭の看板って、魚の形をしていて可愛い看板だね。」
「そうね。」
店の壁には等間隔にガラス製で木枠に囲まれた魚の窓が並び、屋根からはメインストリートにむかってのびる木製の魚の形をした看板がぶら下がっており、店に入るためのドアにも同様の看板がぶら下がっている。店の壁面にそって可愛らしい花が鉢植えに植えられて窓から見る店内の客達は楽しげに食事をしていた。
「父さんの知り合いってどんな人なんだろうね。こんなかわいい店をやってる人だから、女の人かな?」
そんなカルハの予想に苦笑した騎士は店の扉を開け二人を伴って店内に入った。ウエイターの薄い水色で短髪の髪をした若い男に話しかける。
「コブノーさんを呼んで下さい。可愛らしい2人のお客ですよってね。」
「わかりました。こちらでお待ち下さい。」
開いている席の椅子をひいて3人を座らせてくれる。お昼時のせいか店内にはけっこうな人がいる。
「騎士さん。さっきのお兄さん、すごい色の髪だったね。黒とか金とか茶色の髪はよくみるけど、それ以外の色の髪を持つ人はあんまり目にしなかったんだけど。」
「そうだね。だいたいああいう髪色の人は異種族間での子孫だからね。あの兄さんは腕がたつウエイターで酔っ払いの対処が上手いんだ。」
柔らかいピンクや黄色の光を放ち店内を照らす魚の形をしたランプは和やかな雰囲気を作っている。
昼食に何を食べようかと3人がメニューを見ていると、先ほどのウエイターが3人の座る机の前に立っていた。
「ご注文をお聞きしましょうか?」
「えーっと、じゃあこの、『巨大海老の丸揚げ』1つ!」
カルハがメニューに大きく描かれた挿絵をどんっと指すと、ウエイターの後ろに立っていた白髪の男が
「おおっ!嬢ちゃん食えんのか!?」
と驚きの声を上げている。ウエイターの眉間に少し皺がよった。
「ランチセットをもらおうかな。」
騎士が注文をするとまだウエイターの後ろにいた白髪の男が、
「そんなもんで腹が足りんのか?」
とぶつくさぼやく。ウエイターの眉間の皺はますます深まり、ウエイターが注文を書きつけている紙の支えにしている木の板にめりめりと亀裂が入った。
「『肉とサラダの盛り合わせ』で。」
ヴァイオレットが最後に注文すれば
「ほお〜!騎士に比べて嬢ちゃんたちゃあよく食うんだなあ!」
そう言って感心したような白髪の男の足をガンッと踏みつけたため、男は痛みで悶絶してうずくまる。
「かしこまりました。確認を取らせていただきます。『巨大海老の丸揚げ』がお1つ。ランチセットがお1つ。『肉とサラダの盛り合わせ』がお1つ。以上でよろしいでしょうか。」
「はい。」
おじさん大丈夫かな?とカルハがウエイターの後ろをのぞきこむ横で騎士は笑みを浮かべてウエイターの言葉に頷いた。
ウエイターは後ろの男などはいないかのように綺麗なお辞儀をしてみせると、うずくまった男を手袋をした手で指した。
「こちらが店主のコブノーでございます。ゆっくりとお楽しみ下さいませ。」
えっ!このおじさんが?と驚くカルハだったが、ウエイターはすたすたと他のテーブルに注文を取りに行く。
「おいこら父ちゃんに何すんだ、メルス!」
ウエイターに怒鳴った男だったがカルハ達の方をむくとにかっと笑い、開いている椅子にドカッと座る。この可愛らしい定食屋の主というよりも、冒険者や戦士と紹介された方がしっくりくる男だった。
「で?俺に何の用だ?お嬢ちゃんみたいな可愛い知り合いは俺の友人にゃあいなかったはずなんだがなあ。」
小魚亭の店主、コブノーの言葉にカルハはゴソゴソと鞄の中を探り、1つの封筒を取り出す。
「父さんに言われて来ました。王都に住む兄の家に行く前にここへよらせてもらえって。これ、読んで下さい。父さんの手紙です。」
カルハから封筒を受け取るとすぐに封を破って手紙を読み出すコブノーだったが。
「これが親父さんの手紙か。どれどれ?ん。この字はどっかで見たことが……」
読み進めていくうちにコブノーの顔は驚きに溢れていく。力が入りすぎて手紙がぐしゃぐしゃだ。
そうして手紙を読み終える頃には顔を涙でびしょびしょにしており、カルハとヴァイオレットの所まで立ち上がって歩いてくると、
「うおおおおお!嬢ちゃん達、おめえ!かわいそうになあ!よく頑張った!盗賊に襲われてよく生き残ったなあ!!そっから治癒師と騎士になろうと思うなんて、すげえぞ!ヴァイオレット、俺はお前と恋人がもう一回会うことを応援してっからな!うおおおおおおおおおおお!」
そう言いながら二人を抱きしめる。カルハは
「おじさん!苦しいから!それと鼻水がこっちにかかるからやめて!」
と大声をあげるがコブノーには聞こえていない。反対側のヴァイオレットは苦しそうな顔をしている。
すると、コップや料理を乗せるお盆がすごい回転をつけながら飛んできて、コブノーの褐色の額に直撃する。コブノーはあまりの痛みにカルハとヴァイオレットを抱え込むことをやめて頭を抱えてうずくまった。
「父さん。店内では騒がないで下さい。お客様に迷惑です。」
メルスと呼ばれたウエイターよりは少し年上でメルスと同じく水色で長めの髪を1つくくりにしているウエイターがコブノーに笑っていない目をして笑いかけた。先ほどのメルスと違うのは褐色の肌を持つという点だけであり、毒舌や攻撃力はメルスよりも上回りそうだ。
「悪かった、タイ。」
「わかればいいんです。わかれば。学習能力のないことが残念ですが。」
コブノーが投げ返したお盆をキャッチしたタイと呼ばれたウエイターはカルハ達にむかってお辞儀をし、厨房に消えたと思うと両手に料理を盆の上に乗せてやってくる。
右手には大きな海老が5、6匹揚げられた皿を盆の上に、右腕の上にはスープとライス、サラダと揚げ物が乗った皿、右肘の上にはおしぼりやナイフ、フォークの入ったかご、左手の上には大ぶりに切られた焼き肉とふんだんに野菜を盛り合わせた皿を乗せた盆、左腕には水の入ったコップを4つ乗せた盆、左肘の上にはパンがたくさん詰められたバスケットを乗せてやって来た。
彼は危なげなくそれらの料理をテーブルに置くとメルスのように優雅なお辞儀をしてテーブルから離れていった。
「うちの子供達は怖え。優しいのはかみさんだけだ。
うちの子供の話はいいさ。後でもゆっくり話せるしな。でだ。」
タイが持ってきたコップの水をぐいっと飲むとテーブルに肘をついて話しだす。
「マルシの頼みだから断るわけにゃあいかねえからなあ。ま、俺にはハナから断わる気はねえけどな。」
そのコブノーの肯定の言葉に、父からの手紙の内容は知らないものの嬉しさを満面に顔へと表したカルハだったが、その横の騎士は飲んでいたスープを吹き出した。
「マルシっ……!?おやっさん、あの戦神と知り合いなんですか!?」
自身が吹き出したスープはそのままに身を乗り出してコブノーに聞く騎士を迷惑そうな顔をしたヴァイオレットがおしぼりでテーブルを拭いているとウエイトレスが替えのおしぼりを持ってきてくれた。さらさらとした白い髪に白い肌は色素が抜けてしまったかのように見える。
「まあそうだな。あいつの息子と仲がいいからその縁でな。つーか、カルハって嬢ちゃんはマルシの娘なんだろ?」
「えっ?カルハちゃん、本当に?」
ウエイトレスにぺこりと頭を下げたヴァイオレットにウエイトレスも勢いよくお辞儀を返して他の仕事へ戻って行く。
ヴァイオレットの横ではまさかといった騎士の問いにカルハがあっさりと肯定している。
「うん。マルシって父さんの名前だよ。」
「マジかよ……じゃああの異様な気配の人が戦神だったのか……」
なにかを呻く騎士を横目にコブノーは話を続けた。
「マルシからの手紙にはお前の兄ちゃんのサラルが家にいない場合、世話をしてやってくれと書いてあった。
サラルは今んところ王都の家にいるけどなあ、あいつ、滅多に部屋から出てこねえから一緒に家までついていってやるよ。あいつは寝起きがとんでもなく悪いからなあ。前にサラルが寝起きの時に一回息子が殺されかけた。
それと何か不便なことがあったらうちに来な。そんなにサラルの家から遠くねえし、我が家は世話を焼くのが好きだからなあ。困った時はうちに来るんだぞ。」
呻いていた騎士がまたもや復活し、今度は椅子から飛び上がった。いちいち反応が大げさな男だ。
「サラル!?サラルって、あの『紅の勇者』で騎士名誉職についていてほとんど出仕しないサラル様ですか!?」
うるさそうに他の客がカルハ達のテーブルを見る中で冷めないうちに食べてしまおうとカルハは巨大な海老を食べ始める。その食いっぷりは見ている側が清々しくなるものだった。
ヴァイオレットはカルハが食べ始める頃にはあれほど盛られてあった野菜をあらかた食べ終え、残すところあとわずかにしている。
コブノーは二人の食いっぷりに、にっと笑いカルハとサラルはやっぱ兄弟だなあと思う。サラルの野郎も馬鹿みてえに美味そうに食いやがる、と。サラルもカルハもヴァイオレットも定食屋の俺が嬉しい食い方をしてくれるもんだと喜んでいた。
「ああそうだ。ぐうたら野郎のサラルだ。」
「おやっさん、あなた凄い人達と人脈ありすぎませんか!?」
「うるせえな。さっさと飯食え。」
コブノーは喋るばかりで食べない騎士の口に『巨大海老の丸揚げ』を注文した客へのサービスでついてくるパンを突っ込んだ。
不満気な騎士だったが、
「お前が一番量の少ねえ料理を頼みやがったくせにそれよりも量の多い料理を先に嬢ちゃん二人が完食してんだぞ?情けなくねえか?」
コブノーにそうしらっと言われ、慌ててご飯を口に詰め込んだ。
***
騎士が昼食を食べ終えコブノーのおごりとして小魚亭を出た後、小魚亭まで連れてきてくれた騎士に礼を言って二人は騎士と別れカルハの兄であるサラルの家までコブノーに案内してもらうことになった。
小魚亭から王都のメインストリートを歩き続けて数分すると真正面には立派な王城があり、王城の前にある広場には噴水がある。噴水の周りには何かの像が置いてあるが、カルハとヴァイオレットにはそれらの像が何かよくわからなかった。とりあえず人々の像である。
城の左には鬱蒼とした森があり、森側には侵入者を拒むための深く流れがある水の堀と鋭いナイフのようなものが幾重にも張り巡らされた城壁がある。城の右斜め手前には大きな建物が隣接していて子供達がたくさん出入りしている。もちろん建物と城との間にも城壁にはナイフのようなものが同じく設置され深い川が流れている。
コブノーは左の森が繁る道に入っていく。道幅は馬車が2台通れるぐらいか。
「さっき騎士さんが言ってたけど、おじさんってどうして魚人を雇ってるの?」
実は店でウエイトレスの尻の少し上から長い尻尾が出ていることにカルハは気づいていた。
異種族間の差別撤廃令が公に発表されてからまだ14年。悲しいことにキオワ国内にはまだ人族とは違う種族を平等に扱えない者達が多数いる。
「ああ、そりゃあ俺の家族だからな。雇うってぇ言うより、店を手伝ってもらってんだ。」
小さな二人の歩調にあわせて歩くコブノーは口調もゆっくりと穏やかに話す。
「ウエイトレスさんとウエイターさんが合わせて3人いたから……コブノーさんと奥さんを合わせて5人家族?」
「惜しい!上の息子二人を合わせて7人家族だ!」
どうだっ!と指を指すカルハにむけにやりと笑ったコブノーはカルハの答えが間違いであることを告げた。
「7人!賑やかで楽しそう!」
「そうだな。賑やかで楽しいんだが、下の3人は俺に厳しいんだよ。嬢ちゃん達も見ただろ?」
眉を下げるコブノーにカルハは答える。
「あれはコブノーさんが悪いよ。ね、ヴィオ。」
「ええ。他のお客様に迷惑をかけていたわ。」
「そうかあ。俺、もとから声がでけえからなあ。気をつけてるんだがどうにもなあ。」
ヴァイオレットってえ娘、いい声してんじゃねえか。と初めてヴァイオレットが喋った声を耳にしたコブノーはガシガシと頭をかく。
このわけありの嬢ちゃんを、サラルは上手く世話できんのかねえ。と。
「さあ!ついたぞ!ここがサラルの家だ!」
3人の目の前にはコブノーの営む小魚亭や街の家々の白い壁、真っ赤な屋根を持つ建物ではなく、地味な茶色い壁に黒い屋根の風景と同化してしまっている家がそこにあった。コブノーに言われなければカルハとヴァイオレットも気がつかなかっただろう。
「起きててくれよお、サラルぅ。」
願うように念じながら木製のドアの横につけられた呼び鈴を鳴らすコブノーの横でカルハとヴァイオレットは家の観察を続けていた。
家は大きく四角の塀に囲まれているようだった。通りに面した側の塀には鉄製の門があり、蔦が巻きついている。門をくぐり抜けると今カルハ達のいる扉の前にたどり着く。
道に面した塀には家と少し間があり、全ての塀には蔦が茂っている。これが主に家と森とを同化させている原因の1つだろう。壁と家との間には雑草が高くぼうぼうに荒れており、森に向かってのびる塀2本と通りに面した塀との曲がり角2つに2本の木が植えられているだけだ。
そこから先はカルハ達には見えなかったが雑草がぼうぼうだということは簡単に予想できた。
「サーラール!客だぞ、客!お前の妹と妹の友達だあ!二人とも可愛いぞ!」
呼び鈴をリンリン鳴らし、扉に顔を近づけて叫んでいたコブノーは内側からドアを開けられてしたたかに鼻を打った。
「妹……?父さんが言ってた件か?学院と騎士団に通うのに住むっていう?」
カルハ達には細く開けた扉の中から白い手がにゅっと扉を押しているのだけが見えた。真っ白を通り越して青白い。とても不健康そうな腕だ。
「いだだだだ!なんだ、マルシと喋ったのか!またあの連絡の取れる指輪か?便利でいいなあ、おい!」
「ああ。」
「久しぶりに顔を見せろ!」
「うるせえ。」
扉を大きく開けて現れたのはカルハの父、マルシよりも少し背の高い男だった。長らく室外に出ていないのか腕と同じく不健康な肌で長く伸びた黒い前髪からのぞく鋭い目は真っ黒だ。耳と鼻は少し尖っており、髪の毛は寝癖だらけでだらしない。両耳には赤く光るピアスが1つずつついているが似合っていない。腕と足は異様に長く、ぶかぶかでよれよれの服を着ている。猫背で姿勢が悪く気だるげでやる気のなさが全身から滲み出ていた。
マルシの茶色い髪や萌黄色の目、すらりとした耳目に筋肉がほどよくついた容姿とは、親子と思えないほど似ていない。
「ほんとにお兄ちゃん……?」
あまりもの様子に思わずカルハはあんぐりと口を開けてしまう。なにせ、初恋の相手が兄だと父親から聞いていたが、その時の兄はもっときっちりした服装だった気がするし、髪も綺麗に整えられていた。はずだった。
「あ"?俺は養子だからな。血は繋がってねえ。入れ。」
サラルは扉を閉めて屋内に入ってしまう。その言い方に肩を落としたカルハを
「残念ね。」
と頭を撫でるヴァイオレットを見たコブノーは首を傾げた。
「どうした?嫌になったか?嫌ならサラルに言ってうちに住んでもいいんだぞ?」
がさつだが気の利いたコブノーの提案にヴァイオレットはゆるゆると首を横に振った。
「いいえ。ただ、カルハの夢が崩れ去っただけよ。」
「……そうかあ。なんかよくわからんがかわいそうになあ。」
とりあえず家の中に入ると汚い食器やゴミは散乱して足の踏み場もないほど散らかってあるというわけではなかったが、歩いた跡がついてしまうほどの埃が積もっている。入ってすぐの右手に立派な本棚があり、埃が入らないようにかきちんとガラスの戸がついてあり、たくさんの本が入っている。
その真ん中で3人が入るのを待っていたのかだらしない男が立っていた。のそのそと男が歩くのを見守っていると腕を上げるのも億劫そうにサラルはこっちにこいと手で招く。
3人が近づくと
「ここはトイレ。で、あっちが物置。箒とかが入ってる。」
本棚とは反対の左側にあるドアをちょいちょいとさして説明する。玄関から近いのがトイレで遠いのが物置だ。
「で、ここがキッチン。器具は揃ってあるが必要なら言え。」
玄関から突き当りにある部屋のドアを開けてじっくりとカルハとヴァイオレットに見させると、廊下を右に曲がる。
「ここが俺の部屋でこっちが風呂。俺の部屋の前はダイニングルーム。俺の部屋にはあまり入らないでくれ。」
キッチン、サラルの部屋、風呂が一直線に並んでいる。埃は溜まっているがカルハとヴァイオレットが見る限り皿などの生活用品はひと通り揃っているようだった。
「二階に行く。」
風呂の前に側面の見えるコの字型の階段を上ると左には2つ部屋があるのがわかり、右には窓を開ければ外に出られる広いバルコニーがある。
「ここの2つを好きに使え。この部屋は客間だ。」
角になっていてわからなかったがかなりの広さがある部屋が右に1つあった。
「以上。何かあれば俺でもそこのおっさんにでも聞け。何かあるか?」
その言葉を皮切りにカルハの質問攻めが始まった。
「勉強教えてくれる?」
「わかる範囲でならな。」
「剣術は?」
「別にいいが音をあげるなよ。」
「庭の雑草の代わりに花を植えてもいい?」
「好きにしろ。」
「ありがとう!」
満足したのか質問を終えたカルハは階段を駆け下りていく。転ばないか心配だ。
「お前はないのか?質問は。」
ヴァイオレットに目を向けたサラルはだるそうにそう聞いた。するとヴァイオレットは頭を下げてサラルに頼み込む。
「戦い方を教えて下さい。騎士団や戦場でも勝てるものを。」
さらさらとした赤茶色の頭をじっと見ていたサラルだったが、腕を組むと
「いいぞ。だが、あのチビにも言ったように手加減はしない。うじうじうるせえのも嫌いだ。わかったか?」
「ええ。お願いします!」
頭をあげてサラルの黒い目を真っ直ぐに見たヴァイオレットはカルハを追って階下に降りていく。
彼女が完全に階下に降りたことを耳で聞き取ったサラルはめんどくせーと呟いた。
「なんだよ、聞いてたのと違うじゃねえか。何が弱々しい女の子だ。芯がある。あの坊主、まだまだだな。」
コブノーと二人きりになった途端、気配が変わる。だらしない姿のままだが気だるげな雰囲気は失せ、鋭利な気配が代わりに彼の内面から表へと出てくる。
コブノーは動揺などしていない。これが素のサラルなのだろう。
「ああ?マルシがそう言ってたのか?」
コブノーの不思議そうな声に
「いいや違う。」
と否定したサラルは右耳の後ろをぼりぼりとかいて否定する。
「こっちの話だ。気にするな。それにしてもとんでもない経歴を持った二人だな。」
「そうだよなあ。何かあったら相談するんだぞ?」
「ああ。頼んだ。」
かなり歳の離れた友人である二人は同じようにため息をついた。




