遠征前夜
アウローラと別れ、ヴァイオレットが家につくと、ちょうど夕飯を食べてるところだった。鍵を開けて家の中に入ると、カルハが料理の乗った皿を両手で持って食卓まで運ぼうとしていた。
ヴァイオレットが家に帰ってきたのを見たカルハは、嬉しそうに笑った。
「ヴィオ、お帰り!怪我はない?大丈夫だった?やっぱりヴィオがいないと寂しいよ~!また明日から遠征でいなくなるなんて!ローランのことを考えるヴィオのことはもちろん応援してるけど、なんていうか、こう、こう!!」
気持ちをジェスチャーで伝えようとするカルハだが、その反動で腕で支えていた食器が床へと落ちていく。
「あっ!!」
皿を落としてしまい、両手のふさがっているカルハは思わず目を瞑ったが、予想していた皿の割れる音はしない。恐る恐る目を開けると、深海魚のように白い手が、床すれすれで皿を取っていた。サラルだ。
「ただいま帰りました、お兄さん。」
未だにこの不健康そうな人物とは親しくなれていないヴァイオレットだったが、住まわせてもらっている以上、きちんと挨拶をしておく。
「お帰り。風呂を温めておいた。ゆっくり入れ。」
「ありがとうございます。」
小さい声だったが、ヴァイオレットはちゃんと聞き取って礼を言う。風呂が用意されているというのは、今のヴァイオレットにとってとてもありがたいことだった。なにせ6日間、汗や涙やいろいろな物を体から出したというのに、風呂は一度も入らないという状況だったからだ。自分でも異臭を放っているのがはっきりとわかるぐらいだ。周りの人に関しては言わずもがなである。
ブーツを脱いで部屋に荷物を置き、風呂に入ろうと考えていたヴァイオレットだったが、
「ちょっと待って!ご飯、テーブルに置いてくるからちょっと待ってて!」
そのカルハの言葉どおりに廊下で突っ立っていると、廊下へ戻ってきたカルハに風呂まで連行される。
「すごく砂や埃がついてるから、全部脱いじゃって!服、洗うから!」
「え、でも悪いよ」
「悪くなーい!大丈夫!ヴィオは疲れてるんだからこれぐらいはやらせて!ほーら、お風呂に入った入った!着替えは籠に入れておくね!」
バババババっと服を脱がされ、カルハに背中を押されて風呂に入ると風呂場にはリラックスさせる匂いが漂っていた。なんと、今日は特別仕様の薬草風呂だ。カルハが考えてくれたんだろうな、と体の汚れを洗い去り、湯船にゆっくりとつかりながら頭の片隅で考える。疲れで大した思考も働かなかった。薬草の効果でうつらうつらとしていると、控えめに風呂のドアがノックされる。
「ヴィオー?寝ちゃった?」
「大丈夫、寝てないわ。今出る。」
「オッケー!晩ご飯、温めとくね!」
風呂でさっぱりとし、カルハの用意してくれた服を着たヴァイオレットが食卓に向かうと、ヴァイオレットの好物がずらりと並んでいる。
「うわあ!これ、私の好きなものばかり!」
思わず歓声を上げるヴァイオレットにカルハがえへんと胸をはる。
「私が作ったのー!」
「そうよ、今回は全部自分でやりたいって言ってね。私はいっさい手伝ってないわ。」
カルハの母の言葉を聞きながら、夢中で食べるヴァイオレットの様子を見て、カルハも満足気だ。
夕食を全て食べ終え、デザートの林檎を全員で食べる。林檎の皮がうさぎの耳のように残されていて、可愛らしい。
「ヴィオ、6日間お疲れ様!急に警邏隊のところで過ごすって聞いて、みんなでびっくりしたし、心配してたんだ〜」
ヴィオに大きな怪我もなくてよかった〜、と言うカルハの存在が、ヴァイオレットにはとても嬉しい。
「私も教官に聞いた時は驚いたわ。突然のことだったのに、荷物を用意してくれてありがとうございます、お母さん。」
「いいのよ、ヴァイオレットちゃん。というか、あれで良かったのよね?騎士見習いの旅装の用意だなんてやったことがなかったから、抜けているものがないか心配だったの。」
「完璧でした。軟膏が入っていることに、私のバディも羨ましいと言っていました。」
「あれ、役に立つわよね!入れておいてよかったわ。実はお湯に溶かして飲んでも、大抵の風邪は治るの。味は不味いけどね!」
シャクシャクと林檎が消費されていき、皿が空になるとすっとサラルが立ち上がり、皿を洗いに皿を持って行った。
「6日間、警邏隊の元でよく頑張ったな。ところで今日の風呂はどうだった?」
マルシの問いにヴァイオレットは素直に感想を述べる。
「いい匂いで落ち着きました。実はカルハに呼ばれなければ、完全に寝ているところでしたね。」
「そうか、それはよかった。今の言葉を聞いてサラルも喜んでるだろうよ。」
「お兄さんが、ですか?」
マルシの口から出てきたのが彼の娘のカルハではなく、サラルであることにヴァイオレットは少し驚いた。
「ああ。今日の湯船はあいつが薬草を山から選んできて作り出したんだ。あいつは大の温泉好きだからな。こういうのが喜ばれるだろうってことがわかっているんだろうよ。」
「そうだったんですか。」
そうしているうちに、カルハが風呂に入るということになりヴァイオレットも明日の用意をするために二階の自室へ戻ることにする。カルハの両親におやすみなさい、と言ってから台所へと向かう。そこでは、サラルが皿を洗い終え、皿を拭いているところだった。
「あの、お兄さん。」
ヴァイオレットが呼びかけると、サラルは気怠げにヴァイオレットの方へ首を向けてきた。黒い目は、とろんと眠そうだ。
「お風呂、気持よかったです。ありがとうございました。」
「そうか。それはよかった。」
そこで口をつぐんだサラルは黙りこみ、ヴァイオレットをじっと見つめた。なにかあるのかとヴァイオレットがじっとしていると、再びゆっくりと小さな声でぼそりと一言。
「明日からも頑張れ。無理するな。」
「ありがとうございます。頑張ってきます!おやすみなさい。」
ヴァイオレットの言葉に頷くと、サラルが再び皿を拭きはじめたのを見届けて、ヴァイオレットは自室へと向かった。部屋は綺麗に掃除されていて、旅の準備も整えられている。明日、カルハとカルハのお母さんにお礼を言わなければ、と思いつつ、ヴァイオレットはベットに腰掛けて剣の手入れを始める。正直言って、とてつもなく眠たいが、これだけは絶対に一日の終わりにすると決めているのだ。
しばらく剣の手入れをして満足していると、小さくドアがノックされる。どうぞ、と言えば、枕を抱えたカルハがいた。
「今晩は、一緒に寝てもいい?また明日からヴィオがいないって考えると、眠れなくって。」
「うん、いいよ。」
そうして二人でベットに潜り込むとカルハは少し嬉しそうに笑う。
「ヴィオのいい匂いがする。」
「カルハもいい匂いだよ?あ、明日からの遠征の準備、してくれてありがとうね。」
「いいのいいの。学校から帰ってきた時に用意しただけだもん。」
そしてヴァイオレットのリングに目を向けたカルハは目を瞑りながら呟く。
「ローラン、どこでなにしてるのかな?」
「本当よね。」
少し落ちこんだ二人だったが、カルハがヴァイオレットの額に額を合わせながら呟く。
「絶対見つかるよ。絶対。おやすみ、ヴィオ。良い明日を迎えられますように。」
「おやすみ。カルハにも幸運が訪れますように。」
寝付くのが早い二人は、すやすやと早々に夢の世界へと旅立った。そのため、ヴァイオレットの指輪が青く光り耀いているのにも気がついていないのだった。




