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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

君には届かない。

作者: 小林大樹

実験作。

     *


君には届かない――。


     *


列車の運転手。つまりは車掌さんなんだけれど。

昔から、それが僕の夢だった。憧れの職業。


あのころ僕は夢を見ていたんだ――。


     *


岡山の最北端にある町、仙人町。

仙人が降りてきたからという安易なネーミングの僕らの町には、からっきしに何も無い。

うーん。

いや、「何も無い」というのは流石に言い過ぎの風がある。

正確に言いなおすのであれば、この町には「中途半端な舗装の公道と田んぼと山と絶えず水が流れている畦の水路とそこにうじゃうじゃいる蛙と僕らの通う中学校とおじいちゃんとおばあちゃんと町の活性化のため作られた等身大ガンダムとトラクタとコンバインと文字が読めない木の看板と刈られた後に束ねられ積まれた稲穂と肉まんがおいしいコンビニと、後はヘルメットをかぶった中学生」しか存在しない。

きっと百人に聞いたら、九十九人がイエスと答えるレベルの田舎――なのだろう。

そもそも僕はこの街から出たことが無いので比べるべき対象を知らないのである。三十キロぐらい行ったらジャスコとかのあるところがあるけど、それが都会なのかというと違う気がする。

でも別にこの町を嫌っているというわけでもない。

僕にとってのマジョリティがこの何も無い町であるため、わざわざ県南の都市部に出て行こうとは思わないし、実感が湧かない。

どうしたって僕らが見る都会はブラウン管の向こうの世界だし、正直アニメやなんかと変わらない。

実際、僕はここが日本で無いと言われたら信じてしまうだろう。

 そんなマチュピチュみたいな僕らの町だけれど、なぜだか駅というものが存在する。

いつ壊れてしまうか分からないほどのちんけな木造の無人駅。ポストの色だけが鮮やかで、そしてやたらと猫が多い。

お年寄りの休憩所に成り代わってしまっているようなボロっちい駅だった。

学校の友達みんなが熱中していた釣りや麻雀には興味が湧かなくて僕は、来る日も来る日もこの駅で、電車を見ていた。

今でもあの色褪せた二両編成を、鮮明に思い出すことが出来る。

列車が通るところを何枚も写真に収めた。そのコレクションを見ては、電車を操縦する僕の姿を想像して一人悦に浸っていた。そして休みの日はいつもこの列車に乗った。

お小遣いは乗車賃とカメラのフィルム代になって消費されていった。


中学校を卒業して、僕は県南の高校に通うことになった。それなりに頭のいい学校である。

そもそも娯楽というものが無いので、僕らの学校の生徒はみんな成績がよかった。

僕の妹なんかは有り余る才能の殆どを勉学に費やしていたため、岡山県の模試で一位をとるくらいのことはざらだった。彼女の模試の受験人数を見て、初めて日本人としての実感を得た。

そんな出来る妹の影響で、僕も受験をする運びとなり、見事合格したというわけだった。

一日に何時間も電車に乗っていられるので僕は有頂天だった。

しかし僕は、そのときの自分が浅はかことを知る。

僕のテリトリーは駅の構内までだった。

初めて踏み入れた世界に、僕は愕然とした。

目を埋め尽くさんばかりの人の群れ。僕の知っている緑色と茶色にあふれた風景はどこにも無く、全てアスファルトの下に隠れてしまっていた。全てが未知の世界のど真ん中だった。

あたふたと挙動不審な行動をしていたところを警察官に声をかけてもらって、ようやく僕は目的地である白鴎高校にたどり着くことが出来た(今になって考えると、あれが職質というものであったことに気づく)。

しかし、学校の敷地内に逃げ込んだところでアウェイである状況は何も変わらない。

クラス分けというシステムを知らないため(一クラスの人数ですら、中学校の生徒数よりも多かった)、目的地が分からない。

そもそもこんな巨大な建造物は千人町には存在しなかったので、歩き方も分からない。

入学早々、校門の前で途方に暮れていた僕を助けてくれたのが彼女だった。

「ねえ君、どうしたん?」

目の前に知らない人の顔があった。

「え。あの」

「新入生やに?私もなんよ」

こんなに人がいるなんてなぁ、と彼女は言った。甘くトロンとしていて、猫みたいな声だった。

「私、あんま人居ないとこから来たんよぉ」

「あ、僕も地方、」

そう言った瞬間、彼女はぱっと目を見開いたかと思うと、なにかいたずらを考え付いた様にニマッと笑った。

 「そうなん。よろしくなぁ!」

その甘い声と同じで、猫のような可愛い笑顔だと思った。

二人で協力しながら、どうにかお互いの教室にたどり着いた。一年A組。彼女は一年B組。

クラスで一人ぼっちの僕には、彼女の猫みたいな声がたまらなく恋しかった。


彼女も僕と同じように夢を持っていた。小説家。

文章を書くなんてかっちりしたことを、いつもぼへっとしている彼女にできるはずがないと思っていたが、読ませてもらった小説の内容は定規を当てたようにカチッとしていてビックリした。文字が整列してるんじゃないかとさえ思った。一体彼女のどこからこれらの言葉が出てきたのか不思議でたまらない。話すことといえばお互いの夢の話ばかりだった。

熱心に夢を語る彼女のことが、好きになった。

二人で映画を見に行った。水族館に行った。写真を一杯とった。電車にも乗った。彼女は少し退屈そうだったけど、最後まで付き合ってくれた。

誕生日には指輪をプレゼントした。

タイガーアイ。彼女は「阪神!阪神!」といって喜んでいた。お返しは阪神トラのストラップだった。

トラは僕の鞄にぶら下げた。そのせいで妹に「兄ちゃん!私ら巨人軍じゃろ!?」と滅多打ちにされた。

長年応援した巨人軍は、彼女といる一秒にすら値しなかった。全てが彼女だった。彼女といる時間は僕にとっての全てだった。


彼女と、初めて喧嘩をした。

 僕が彼女の書いた小説のデータの一部をなくしてしまったのが原因だった。彼女は叫ぶようにして僕をなじった。ヒートアップした彼女は辛らつな言葉を吐いた。全て僕のせいだった。

だけれど僕は、執拗に僕をさげすむ彼女に苛立った。なにもそこまで怒らなくとも良いじゃないかと反感を覚えた。

「無くなったのはたかが一部分だろ?しかもあんま必要でもなかったと

――彼女の右拳。

瞬間的に左の頬が鉄のように熱くなる。

反対に頭の中は一瞬でクールダウンした。

浅はかだった。僕は僕のことしか考えていなかった。彼女のことなんて――。

猫の瞳に燈っていた炎が、燻ることもなく波のように消えた。彼女は無表情を崩さないまま、一人早足で行ってしまった。

僕は――。


モヤモヤした気持ちのまま、一人でとぼとぼ歩いて駅へと向かう。

空を遮る真っ黒い雲に、鬱屈とした敵意を覚えた。すれ違う人間を全員殺してやろうかと思った。

なにより僕をむちゃくちゃに壊して欲しかった。

彼女と歩いていたときには一瞬だった道のりが、今日は永遠に感じられた。

肩に提げた鞄が重くて歩き辛かった。涙が出そうなほど重かった。

やっとの思いで駅にたどり着き、いつもと同じように9番ホームへ向かい、いつもと同じ二両編成に乗り込んだ。いつもと同じ。僕のほかには誰もいなかった。

席につく。すぐさま甲高い音がして列車が動き始める。加速度が心地よく感じた。

このまま眠ってしまおうかと、鞄に突っ伏して気づく。

トラがいなくなっていた。二つを繋ぎ止めていた紐だけが、きつくスチールの金具を締め付けていた。

正面の窓に雨粒が衝突して、流れて落ちた。鞄に頭を押し付けたまま、眼球だけがその雨粒を追った。

すぐにガラスは雨に塗りつぶされた。窓の外で背の高い草が揺れた。電線が小刻みに震えていた。

そのままずっとそれを眺めていた。

この電車の中だけが沈黙していた。玻璃の向こうに心があった。

彼女と和解する方法だけを模索していた。

――いつまでそうしていただろうか。沈黙を切り裂いたのはブレーキ音だった。

そのまま電車は止まってしまって、まぁそのくらいのことはこれまでに何度か経験していた僕は、焦らず運転手に声をかける。

…………………………………………………………………………………………………………返事が無い。

運転席を見やるが、幌が降りきっていて中を確認できなかった。

仕方が無いので、電車の最前席まで行って中を確認しようとぱっと幌をワイプさせる。

そのまま運転手に声をかけようと思ったが――しかし声が出なかった。

「え。?」

――フロントガラス。

列車のフロントガラスは血にまみれていて、肉が張り付いていて、       指輪。

 「え?。、」

あああ赤ぁ……うん。いや、――、そのえっと――



……真っ赤だった。

           『喉が爆発する』



その「ああ、ああぁぁぁぁ!」ヒビの入った「ああぁあ、ああ!」ガラスに女「ああぁあ、ああぁぁ」性の左手が――「ああぁあ、あ!」突き「ああ違う違う!!」刺さってぶ「、ああ指輪ぁぁぁぁ!」らんぶらんと「ああぁあ!」揺れてい「あああぁあ、あ、ああ!」でも、僕はその左手が「がッア」、ワイパーみ「あぁっが。いや、ちょっと、。」たいで、滑稽だとか、場違いなこと「まっ……。ん、ィア」を、思って「・、ア、……。ぁ、――!」



吐いた。     

    赤。 

「!」         赤     赤

吐いた。

「赤う、。あが――。」

赤。 「!」吐い

た。

                   赤。



――全部吐き出した。



……多分、一瞬のことだった、のだろう――。

運転手は青白い顔をしていた。僕も青い顔をしているはずだった。

冷静になったで考える。「人を轢いた。生きていた人を――」

怖くなって恐ろしくなった。

僕が大好きだった何回も乗ったのにこの電車もただのナイフと凶器と同じに思えた。


「あれ――?」


――いや。でも違う。よく考えるとおかしい。


「――?なんだ」


うん。僕は落ち着いてる。頭のなかを整理しよう。

電車が人を轢いたとか、そんなことで僕は吐いたりはしないはずだ。絶対的に事故は起きてしまうわけだから。

だからそれは、一番僕が怖かったのは、そんなことじゃあなくて、つまり。






           指輪。が、

  その指輪の持ち主が。

                          一瞬でも

 彼女かもしれないと

                                     

                                 思ってしまった事だった。









それから僕はどこにも行かず、家に引きこもるようになった。学校もやめてしまった。

電車を眼に入れるだけでだめだった。体が自分のものではなくなるようだった。

彼女のことは忘れないでおこうと思う。もう終わってしまった事だ。結末がどうであれ、僕が許されることは二度とない。それがどっちだったのか、結末を知ったところで、もう元には戻れない。

崩れてしまった。

列車も、稲穂も、トラも、駅も、彼女も、コンビニも、おこづかいも、僕も、水族館も、一年A組も、小説家も、マチュピチュも、クラス分けも、写真も、指輪も、何もかも。夢も。

 



「列車の運転手」「つまりは車掌さんなんだけれど」「昔から、それが僕の夢だった」「憧れの職業」


「あのころ僕は夢を見ていたんだ」


「君には、届かない――。」


愛してくれて、ありがとう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 文章力の高さを感じました。特に最後の方は芸術とも言えますね。もっと読みたいと思えるくらいのよい作品だと思います。これからも頑張って下さい!
[良い点] 「この電車の中だけが沈黙していた。玻璃の向こうに心があった」までの数行が特に気に入った。この作者さんの持ってる文章の書き口が如実に出てると思う。本当にこういう書き方は好き。 ラストの部分は…
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