聖女のお仕事は、手紙を書くことです
教会から『あなたが聖女です!』という知らせを受けた時は、それはもうみんな大喜びしたものだった。
聖女といえば、この国の顔のようなもの。
癒しの力を振るい、魔物を祓い、民衆の愛を一身に受ける存在──。
そんな存在に、私が?
聖騎士団が持ってきた紙を目にしても、私は信じられなかった。
頬を何度つねっても夢から覚めることはなかった。こんな村娘が聖女に? 嘘でしょ?
呆然とする私。一方両親は大喜びし、知らせを受けた日には村をあげての盛大な祭りになった。
『エマならばきっと立派な聖女になってくれるとも』と、お父さんが酔っ払って何度も繰り返したのを、今でも覚えている。
出立の前日には、私の好きな鹿肉シチューをそれはもう一生分ってくらい食べさせてくれた。移動の馬車で、吐き気と戦う羽目になったけど。
そうしてやってきた聖都は、白亜の建物が立ち並ぶ大都会。
その中で一際目立つ、お城と呼べるくらい大きな建物が『大聖堂』。
初代聖女の名前に倣った由緒ある教会だって、お付きの騎士の人が教えてくれた。
明日からあそこが私の家になる、んだって。
正式な聖女になれるまで、聖堂で住み込みで修行するみたい。
そっか、立派な聖女になれるように頑張らなきゃ!
ふんすっと拳を握りしめると『その意気です』と騎士さんが言ってくれる。
きっと最初は【治癒魔法】の修行だよね? いやいや【光魔法】が先かな?
なんにしても、しっかり頑張らないと! お父さんとお母さんが自慢できる聖女になるんだ!
そうして立派な聖女になるための、私の修行生活が始まった──。
──はずでした!
◆
かりかりかりかり。
聖堂の一室。
あれからしばらくして【準聖女】の称号が与えられた私は、一心不乱にペンを動かしていた。
かりかりかりかり。
隣の席の子も黙々と文を書いている。私と同期の、隣村からやってきたというマリーだ。
聖都にお呼ばれしたのは、私だけじゃなかった。
今年の聖女候補生は30人くらい。
【治癒魔法】の適正のある子には、手当たり次第に声をかけているんだという。
その中で、読み書きができる私たち二人が【準聖女】ということで見習いのお仕事を割り当てられた。他の子達はまず読み書きの修行から、らしい。
それで、私たちに割り当てられた仕事っていうのが──。
「エマさん? 手が止まっていますよ?」
「す、すみませんっ! いま書きますっ!」
叱責の声が飛んでくる。トーンはやわらかいけれど、有無を言わせない圧がある。
部屋の中、私たちの『監督』ということで割り当てられた先生だ。
なんでも【大聖女】さまのお付きの人でもあるんだとか。そんな人がなんで先生なんか……?
あ、そうそう。
私の知ってる聖女様は正式には【大聖女】ルーア様というのだそうだ。
私たちが【準聖女】。その上に【正聖女】。
修行をつんで【正聖女】になると外でのお仕事が出来るようになって、功績が大きい人が【大聖女】に認定される。
なんていうか、聖女ってそんなたくさんあるんだ……って驚くというか、なんというか。
それで、大聖女ルーアさまっていうのは私が知ってるくらい有名なお方。
もちろん、各地を飛び回って大忙し。聖女だもん。人々を癒したり、魔物を祓ったり……。
そんなふうに色んな人たちを助けて回ってるから、感謝のお手紙もいっぱいくる。貴族、平民問わずね。ファンレターみたいなものって思っていいのかも。
──かりかりかりかり。
もう一度、慎重にペンを動かし始める。
もう言わなくてもわかると思う。
私たちのお仕事は、大聖女さまのファンレターのお返事を代筆すること。
(一応、言葉遣いと文書マナーの修行ってことになってるんだけど……なんか違うような……)
「……ねえ、エマ」
監督の先生が部屋を離れた一瞬の隙を突いて、隣のマリーが小さく囁いてきた。
「何? マリー」
「この『ルーア様! 俺と結婚してください! 家宝のブタを三頭差し出します!』っていう農夫さんからの手紙、なんて返せばいいと思う?」
「……『お気持ちだけありがたく頂戴いたします。ブタさんは大切にお育てください。光の加護があらんことを』でいいんじゃない?」
「なるほど、ブタさんはキープしない方向ね。採用」
かりかりかりかり。
……そう、私たちは聖女。
人々の傷を癒し、光の奇跡を起こす聖女……の、代筆部隊。
手紙の内容は本当にいろいろ。
さっきのマリーのやつみたいな情熱的すぎるプロポーズから、『最近腰が痛いのですがどうすればいいですか』というお悩み相談、『大聖女様の肖像画を送ります』という熱狂的なファンレターまで。
それら一通一通に、大聖女ルーア様のイメージを壊さないよう、極めて清楚で優しく、それでいて深入りしすぎない絶妙な文章で返事を書いていく。
それが私の、仕事。
「……エマさん。そこは『光の加護』ではなく『聖なる導き』とした方が、大聖女様らしい柔らかなニュアンスになりますよ」
「ひゃいっ!? す、すみません先生!」
いつの間にか後ろに立っていた先生に指摘され、私は慌てて書き直す。
治癒魔法の練習? してない。
光魔法の特訓? 滅相もない。
今私が鍛え上げられているのは、圧倒的な敬語力と筆記速度、そして大聖女様のサインを完璧に模倣する偽造技術だった。
(お父さん、お母さん……私、聖女どころか、大聖女様のゴーストライターになってます……!)
羊皮紙に向かいながら、私は心の中で静かに涙を拭ったのでした。
◆
それから1ヶ月ほど経って。
私の敬語力と筆記速度が限界突破し、もはや職人の域に達しつつあったある日のこと。
……いやね? 治癒魔法も少しは上手くなったんですよ? 日々の代筆で酷使した、手首の痛みを取るために……。なんか……思ってたのと違う……!
ともかく、そんなある日のこと。
「エマさん、この手紙の返信。任せますね」
すっかり慣れた私に、先生が持ってきた木箱をドカン置く。中身は全部ファンレター。……悲しいことに、今の私なら1日で捌ける量だった。マリーも同じ量を毎日捌いている……。
普段通り、著しく成長した筆記速度でバリバリと『光の加護のあらんことを』を量産していくと。手紙の山の中から一通の上質な封筒が出てきた。
「……あれ? これ私でいいんですか? なんか格調高すぎるような……」
恐る恐る裏面を見てみると、『レオン』と差出人の名前が載っている。姓はなし。
(うーん……お貴族様ならフルネームのはずだけど……平民にしては封筒が立派すぎる気が……)
先生がそれを覗き込んで、ふむ、と声を上げる。
「レオン、ですか。隣国の王子と同名ですね。配達元は……我が国の王都ですか。……うーむ。ま、同姓同名でしょうね。よくある名前です」
「いや判断早くないですか!? 確認とか、こう……ないんですか!?」
(それに私も休憩できるし! 確認するべきでしょ! 確認して欲しい!!)
それに同姓同名にしたって、この封筒は立派すぎる。例えば商家の御曹司とか、そういう可能性だってある。
私が『確認しましょうよ〜』と食い下がると、先生がとんでもないことを言い出した。
「では……エマさん。自身でご確認をお願いします」
「ええっ!? ど、どうやってですか?」
「ルーア様にお聞きしてください。『この手紙、私が対応してよろしいでしょうか?』と」
「私が直接ですか!? 先生がやってくださいよ!? 畏れ多いですよ……!」
「私はマリーさんの指導がありますから」
「う、うぐぐ……」
そんなわけで、私は単身ルーアさまの居室に向かうことになった。本当にたまたま、今日はお部屋にいらっしゃるらしい。運がいいのか悪いのか……。
部屋を出る際、マリーが視線で『ご愁傷様』と言っていたのが妙に気にかかった。
(どういうことだろう? ルーアさまって大聖女だよ? 当然心優しいお方だって聞くんだけど……)
大聖堂の3階。廊下をなんども曲がった先にその部屋はある。当然、私なんかがそうそう立ち寄れないような静謐な空気が漂っている。
(部屋の前まで来たけど……どうしよう……ええと、ノックのマナーは……)
大きく、年季のある扉の前で封筒を抱えてもじもじとしていると、警護の聖騎士さんたちが声をかけてくれた。
「ん? 【準聖女】の子かい? 大聖女様に何か用かな?」
「は、はいっ! 準聖女のエマと言いますっ! その……この封筒、ルーア様に確認いただきたくて……」
封筒を差し出す。
聖騎士さんは一通り封筒を検めると、ああなるほど、というように何度か頷いた。
「例の仕事だね。よしわかった。ちょっと待ってるといい。上手く伝えてくるよ」
「ありがとうございますっ! 何卒よろしくお願いしますっ!」
ぺこりぺこりと頭を下げると、聖騎士さんは扉の奥に消えていった。
しばらくすると、彼はなんとも言えない表情で帰ってきた。言いづらそうな様子で口を開く。
「……エマちゃん。そのまま伝えるよう言われたからそうするよ。
『この程度の手紙でわたくしの手を煩わせないこと。あなたのくだらない身の上話でもなんでも使って、勝手に返信なさい』
……とのことだ」
「……えっ……」
ルーア様からいただいた初めてのお言葉は、想像したこともないものだった。
この程度の、手紙。
呆然としながら、痛む手首をさすって、私はいつもの部屋に帰るべく歩き出した。
◆
「戻りました……」
「……ご苦労様です」
とぼとぼと部屋に戻ってきた私に、先生もマリーも特に何も言わなかった。椅子に座ってしばらくぼーっと封筒を見つめても、叱責が飛んでこない。
静かな部屋に、かりかりかりかり、とマリーが筆を動かす音でハッとした。
(そうだ……お返事、書かないと……)
私は封筒を開き、手紙に目を通した。
《親愛なる大聖女ルーア様へ
日々の公務、真にご苦労様です。あなたの起こす奇跡の噂は常に耳にしております。……ですが、僭越ながら、たまには誰にも言えない愚痴や、好きなものの話などを気兼ねなく語り合えるような、素のお友達のような文通相手になりたいと思い、筆を執りました》
(……なんだかすごく純粋そうな人だなあ……)
手紙の主──レオンさん。本名ではないかもしれないけれど、大聖女様を偶像ではなく『一人の人間』として気遣ってくれているような。そんなものを文字の丁寧さから感じた。
このお相手がどんな人かはわからない。わからないけれど、筆跡や言葉選びからするに、高い身分の人なんだろうなというのはわかった。もしかしたら本当に隣国の王子さまかもしれない……なんて。
しばらくぼんやりと手紙を眺めて、
(きっと、身分を隠して素の自分でおしゃべりがしたかったのかな)
なんて考えた。
なんだか親近感が湧いてしまった私は、大聖女様の代筆として、いつも以上に心を込めてお返事を書いた。
《お便りありがとうございます。
お気遣い、大変嬉しく思います。実は私、最近はお仕事が多くて少々肩が凝っておりまして……。たまにはお茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししたいものですね。
ちなみに私のおすすめは、近くの村で採れる【イグニス茶葉】です。あのお茶は、普通に淹れると渋いのですが、お湯をカンカンに沸騰させて容器ごと熱々にすると、驚くほど甘みと香りが引き立つんですよ!》
……あ、いけない。
ついうっかり、実家でよく飲んでいた地元の名産茶の淹れ方を書いてしまった。まあ、大聖女様の意外な一面ってことで誤魔化せるかな? ちょっと村のことを思い出しちゃってたかも……。
……でも一応、先生に聞いておこう。怒られたら直さなきゃだし。
恐る恐る先生に見せてみると、予想外にもこう言った。
「いいんじゃないでしょうか? ……よく書けていますよ」
その口調が普段より優しくて、少し泣きそうになった。
◆
そんな軽い気持ちで書いたその手紙から──悪夢(?)は始まった。
なんと『レオン』さんから、怒涛の勢いで返事が届くようになったのだ。
しかも内容がすごく面白い。王都の美味しいお店や、ちょっとクスッとくるような失敗談。彼もまた、日頃の重圧から解放されたい一人なのかもしれない。
(もしかしたら本当に『レオン』王子なのかも……なーんて。まあそうじゃなくても商家の跡取りとかだよね。雲の上の人だぁ……)
それでも、相手が優しい方だということはなんとなくわかった。
私たちはすっかり意気投合し、大聖女様のサインを添えた文通は、2ヶ月、3ヶ月と続いていった。
すっかり私の【準聖女】ライフの数少ない楽しみになっていったのだ。
だけれども、よくよく考えると。
(……うん。ルーア様の名義で文通して盛り上がってるの、冷静に考えるとヤバいのでは?)
冷や汗をかき始めた私だったが、時すでに遅し。
ある日、聖堂に衝撃のニュースが飛び込んだ。
『我が国の第一王子、ラインハルト殿下が、大聖女ルーア様との個人的な面会を希望されている』
……はい? はい???
なんと、あの文通相手の『レオン』さんは、商家の御曹司でも隣国の王子でもなく──我が国・ラインハルト王太子殿下のペンネームだったのだ! そんなことある!?
冷や汗が滝のようにドバッと出た。
(王子、王子……? ええっ……? うちの国の……? ルーア様と……お話……?)
さらに王太子殿下は『手紙で育んだ絆を確かめ合いたい』とも言っていたそうだ!!
涙が止まらなくなってきた。なんで……なんでこんなことに……? 話が大きすぎるよ……!
めそめそ泣きながら布団で震えている私に、先生が招集を言い渡した。
「準聖女エマ。仕事です。至急ルーア様の部屋に行くように。準備なさい」
「ひっ、ひぃぃぃぃ! ごめんなさい〜! 無理です〜! 許してください〜!」
◆
布団に立て篭もる抵抗も虚しく、私は引っ立てられてルーア様の部屋に連行された。
普段は足を踏み入ることすら許されない、大きすぎる扉の先にある、広大で豪華な部屋。
そんな部屋の中央、絨毯の上に私は正座をさせられていた。両脇を聖騎士さんたちに固めている。まるで、裁きを待つ罪人のような姿だった。
「──それで。言い訳はありますの?」
目の前で、鋭利な声が飛んできた。
美しい金の長髪は絹糸のごとくきめ細やかさで、その身にまとうローブは一点のシミもない純白だ。この国の信仰の頂点にして【大聖女】。ルーア様その人だった。
まるで後光がさしているかのような美しさは、普段の民衆の前で見せる『慈愛の聖女』そのものだった。
それでも、微笑みの優雅さと裏腹に、どことなくこう……傲慢というか。偉い人特有の雰囲気を漂わせていた。
「ひ、ひぃぃ……! 申し訳ありません! ただ、その……ルーア様が『くだらない身の上話でも使って勝手に返信なさい』とおっしゃったので……」
「言い訳無用ですわ。そもそも。偉大なる大聖女の私がそのような心無い発言をした、と。あなたは本当にそうおっしゃりたいのかしら?」
ルーア様は私の前まで歩いてきて、微笑みと共に見下ろした。
周りの聖騎士さんは何も言わない。横目で前の騎士さんに助けを求めるも、首を振られるだけだ。先生もじっと目をつぶって何も言わない。
(け、権力……! 権力の前に事実がもみ消されてる……!)
「それに。たとえ身の上話をしてよいと、わたくしが許したとして。それがどうやって我が国の王太子殿下を釣り上げろ、ということになるんですの?」
顎を手でクイッと引っ張られる。ルーア様の手は、農作業のささくれも、ペンだこの一つもない綺麗な手だった。
その顔は笑みの形だったけれど、目は明らかに冷たさに満ちていた。
「あの堅物で有名なラインハルト殿下が、個人的な面会を申し込んでくるなんて前代未聞ですわ。一体全体、あの手紙に何をお書きになったのかしら? あるいは、媚薬でも表面に塗りこんだとか?」
「か、肩が凝るっていう話と……あと、地元のお茶の美味しい淹れ方を書きました。他には実家の犬がブタを追いかけまわして肥溜めに落ちた話とかを……アレンジして……」
「……は? 肥溜め?」
ルーア様の目がより鋭くなった。
数秒の静寂。
大聖女様の真っ白な額に、青筋がピキピキと浮かび上がる。
「な、なんですかその……ド庶民極まりない話題は~~ッ! そんな下品な世間話で殿下の関心を引いたというの!? このわたくしの名前を使って!?」
「ご、ごめんなさいぃぃぃ! なにとぞお許しをぉぉ!」
平服する私の頭上で、ルーア様は苛立たし気に部屋の中をカツカツと歩き回る。
(ああ、終わった……。私の聖女人生、ここでおしまいだ……。反逆罪かなにかで地下牢に叩きこまれるんだ……。お父さん、お母さん、親不孝な娘を許してください……)
そう覚悟して震えていると、ふと足音が止まった。
「……ふん。まあ、いいでしょう」
「……え?」
おそるおそる顔を上げると、ルーア様の笑みは打って変わって、穏やかなそれに戻っていた。いや、ちょっとだけ腹黒い感じもするかもしれない。気のせいだと思おう。
ルーア様は両手を組んで頬に当てると、聖女らしい声で語りだした。
「勝手にわたくしの名前でくだらない手紙をやり取りした罪は万死に値しますけれど……結果として、次期国王であるラインハルト殿下の覚えめでたい状況があるのですもの。これは大功績と言えますわね」
「こ、功績……ですか?」
「当然ですわ。殿下は手紙の主に会いたがっている。そして、手紙の差出人はこのわたくし、大聖女ルーア。……ふふふ、殿下のお心は、わたくしの圧倒的美貌と聖女としてのカリスマで完全に仕留めて差し上げますわ! 目指せ王妃……! 聖女にして国母……!」
高らかに胸を張るルーア様。
立ち直りが早い……というか、手柄を全部横取りする気満々だ!
夢が広がるのも早い! 野心がデカすぎる!!
「エマ、と言いましたわね? 明日の謁見、あなたもお茶くみ兼カンペ係として後ろに控えなさい。手紙でどんなやり取りをしたのか、完璧にわたくしをサポートするのです。……失敗したらどうなるか、わかっていますわよね?」
「ひゃ、ひゃいぃぃぃっ!」
こうして私は、処刑を免れた代わりにとんでもない野心の片棒を担がされることになってしまったのだった。
◆
翌日、聖堂の特別迎賓室。
部屋の中には、息がつまるほどの緊張感が漂っていた。
「ラインハルト殿下。本日はお忙しい中、このような場を設けていただき光栄に思いますわ」
「いや、無理を言ったのはこちらだ。公務の合間に時間を割いてくれて感謝するよ、大聖女。こうして会うのは初めてだね」
ソファーに腰かけているのは、輝くような金髪と透き通るような碧眼を持つ、絵画から抜け出してきたかのような美青年──この国の第一王子、ラインハルト殿下だった。
(……本当に、王太子殿下……なんだ。あの『レオン』さんが……)
手紙で『この前、執務中に居眠りをして書類にインクをぶちまけてしまい、側近にこっぴどく怒られました』なんてこぼしていた人とは、とても同一人物には見えない。所作の一つ一つ、座っている姿勢一つとっても、完璧な王子様オーラがまぶしすぎる。
対するルーア様も負けていない。
いつもの高飛車(?)オーラをきれいさっぱり消し去り、天女のような慈愛の笑みを浮かべている。しずしずとした動作は、まさしく聖き乙女のそれ。プロだ。このひと、外面の作りこみに関しては間違いなく超一流だ……!
私はと言えば、雑務用の動きやすい修道服を着て、部屋の隅でひたすら気配を消して作業に当たっていた。イグニス茶の淹れ方を知っているのは私だったので、当然私の仕事になった。
時折、ルーア様が返答に困ると、おつきの人を介して助言を届けてもらう。カンペ役としては完璧……なはずだ。
そして、その時がやってきた。
「手紙で殿下がお気に召したとおっしゃっていた、地方の名産──イグニス茶をご用意いたしましたの。……エマ、お茶を」
「は、はいっ」
名前を呼ばれ、私はお盆をもって進み出る。
手紙に書いた通り──茶葉の甘味と香りを極限まで引き出すため、容器ごと沸騰したお湯でガンッガンに温め、グツグツと湯気を立てる極上の熱湯で淹れたイグニス茶だ。
そっとコップに注ぐと、ふわっと独特の甘い湯気が立ち上る。
「ほう……。王宮で試した時よりも、香りが強い。なるほど、手紙でおっしゃっていた淹れ方というのはこういうやり方でしたか」
ラインハルト殿下が目を細めてカップを手に取る。
ルーア様もまた、優雅な手つきで自らのカップを持ち上げた。
「ええ、そうですの。わたくし、このお茶が何よりも大好きでして。殿下にもぜひ、この味を楽しんで頂きたかったのです」
そういって、ルーア様は完璧で聖女的な淑女の所作でお茶に口をつけ──、
「──っっっっ!?」
ビクゥッ!? とルーア様の背筋が跳ね上がった。
……あ。言い忘れてたんですけれど、イグニス茶って、いれたてはマグマ並みに熱いんです。一応、ルーア様にも『熱いので気を付けて飲んでください』と伝えたんですけれど……。
ルーア様の目が限界まで見開かれ、顔面が見る見るうちに真っ赤になっていく。
吹き出したいのを大聖女の忍耐力で必死に堪えているのか、喉がごくりと動くたびに『ん゛っ、ん゛ん゛っ』と苦し気な声が漏れ聞こえてくる。
「……ルーア様? どうかなされましたか?」
「ふ、……げほっ。ふふふ……な、なんでも……なんでもありませんわ殿下……っ! す、少し、喉が、感動にうちふるえただけでしてよ……っ!」
涙目になりながら、引きつった笑顔を貼り付けるルーア様。
もしかすると舌をやけどしてしまっているかもしれない。
(……あ、こっそり口に治癒魔法かけてる)
一方のラインハルト殿下は、ふうふうと上品に息を吹きかけて冷ましながら、一口お茶を口に含んだ。
「……なるほど。確かにこれほどの熱さだからこそ、茶葉本来の甘さが引き出されている。手紙ではわからないこともあるものですね。素晴らしい味だ」
殿下は満足そうに微笑む。
けれど、その視線が再びルーア様に向けられた時、彼の瞳にわずかな疑問の色が走ったのを私は見逃さなかった。
そしてその目が流れるように一瞬だけ、私たち──お付きの方にチラッと向けられた。
その一瞬で心臓が止まりそうになったけれど、何とか私はピシッと背筋を維持することができた。
(ば、バレてる!? バレてないよね!? バレてたら私処刑だよ~~~!)
「……それにしてもルーア様。手紙では『お茶を飲むと肩の荷が下りる』とか『たまにはのんびり愚痴を言いあいたいですね』と仰っていましたが……直接お会いしてみると、随分と……格式高く、完璧な方なのですね」
「ふふ……滅相もありませんわ。大聖女たるもの、殿下の前でみっともない振る舞いを見せるわけには行きませんもの。……わかるでしょう? 手紙では少々、殿下の目に余るくだらない話をしてしまったかもしれませんけれど。『レオン』様が殿下だとわかっていたなら私も──」
「──くだらない、ですか」
殿下はどこか寂しげに、手元のカップを見つめた。
(……あれ? なんか空気が……?)
殿下が求めていたものは、大聖女の威厳でもなければ、完璧な社交辞令でもなく。
もしかすると手紙の中で交わしていたような、くだらなくて温かい『素の自分』だったんじゃないだろうか。
そんな私の予感をよそに、ルーア様はイグニス茶を口にしながら、ぺらぺらと自分の功績を語り続けていたのだった。
◆
「なんなんですのあのお茶はーーーーっっっっ!!!!」
迎賓室から戻るなり、ルーア様の怒声が居室にこだました。
部屋の扉が閉まった瞬間、私の襟元がつかみ上げられる。
「煮えたぎる溶岩を飲ませる気でしたの!? 舌が!! わたくしの舌が全焼するところでしたわよ!? あわや大火傷で大聖女の喉が潰れて、声が出なくなるところでしたわよ!?」
「ひ、ひぃっ! すみません! でもイグニス茶はすっごく熱いって……! 気を付けてくださいって私言いましたぁ!」
「言い訳を聞いてるんじゃありませんの! おかげで殿下の前で粗相を……ッ! みっともない様をさらしてしまいましたのよ!? 殿下もなんだか途中で冷たい目をして帰ってしまわれましたし……これもあなたのイグニス茶のせいでしょうに!」
バッと荒々しく私の襟元を放りだすと、ルーア様はつかつかと居室の奥へ歩いていく。
周りの聖騎士さんや先生の同情的な視線が、一層痛いような気がした。
「もう顔も見たくありませんわ。……下がってよろしくてよ、この役立たず」
「……っ、失礼、いたしました」
私は深々と頭を下げ、逃げるようにその部屋を飛び出した。
扉を抜け、すれ違う準聖女やマリーの声を無視して、がむしゃらに走り続ける。
人のいないところを目指してたどり着いたのは、薄暗くこぢんまりとした礼拝所。
聖堂の大ホールじみた礼拝所じゃなくて、普段は特に使い道がないような、小さな一室が今の私にはあっていた。
ほとんど人が来ないその場所で、私は一人、長椅子に身を隠すように座っていた。
膝を抱えて丸まると、薄暗さも相まってちょうどよく隠れられるのだ。
「……はぁぁぁぁぁぁぁ……」
深すぎるため息が、静かな礼拝所に反響した。
ずーんと、心が重い。
完全にルーア様の怒りを買ってしまった。大聖女様に『役立たず』と言われてしまったのだ。もう、私の聖女候補としての道は絶たれたと言っていい。
(クビかな……やっぱりクビだよね……。最悪処刑もあるかも……)
村を出るとき、お父さんが誇らしげに涙を流していた顔が浮かぶ。
お母さんが村のみんなと『エマ頑張ってね!』と掲げてくれた横断幕も浮かぶ。
(ごめんなさい、お父さん、お母さん……。私、聖女になれませんでした。手紙の代筆ばかりやらされて、ルーア様に熱湯のお茶を飲ませて、キレられてクビになりました……)
これで村への強制送還だ。どんな顔をして帰ればいいんだろう。
こんな状況でも思い浮かぶのは、出立の前の鹿肉シチューの味だ。
「うぅ……」
情けなくて、目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくる。
痛むのは心だけじゃなかった。
日々の過酷な代筆業務のせいで、右手首がズキズキと悲鳴を上げている。
私は涙をぬぐいながら、自分の右手首に左手をかざす。
「……【ヒール】」
淡い光が手首を包み、じんわりと痛みを和らげていく。
治癒魔法の修行なんてぜんぜんしてないのに、手首の痛みを消すためだけに覚えた治癒魔法。こんなみじめな技術、どうやって村のみんなに紹介すればいいのか。
鼻をすすりながら、なおもめそめそと泣いていると、
「……そんなところで泣いていると、本当にゴーストになってしまうよ」
不意に、頭上から柔らかい声が降ってきた。
「ひゃっ!?」
驚いて飛び跳ねそうになる。
涙でかすむ視界の先、いつの間にか私の隣、一人の青年が腰を下ろしていた。
フードを目深にかぶっているけれど、その隙間から見える輝くような金髪と、吸い込まれるような碧眼は──。
「ら、ラインハルト殿下……!?」
「しーっ。ちょっと抜け出してきたところなんだ。大声を出さないでおくれ」
殿下は人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく微笑んだ。
さっきの会談の際に見せた笑顔とは違う、完璧さのない男の子の笑みだった。
(い、いやいやいや!! なんでこんなところに殿下が!?)
目をぐるぐる回して、慌てて平伏しようとする私の肩を、殿下の手がそっと制した。
「やめてくれ。『殿下』はいま、ここにはいない。今ごろ聖堂の老人どもと腹の探り合いをしているはずさ。きっとそれは、肩が凝るだろうね。……『大聖女』と同じく、ね」
肩が凝る。
私はその言葉で、手紙で《最近はお仕事が多くて少々肩がこっておりまして……。》と書いていたことを思い出した。
見上げると、碧眼が何かを見通すような視線を送ってきていた。
(ば、バレてる……!? いや違うよね!? 言葉の綾だよね!?)
私がしどろもどろになっていると、殿下はじっと私の手首を見つめた。
思わず左手で右手をさすってしまっていた、頻繁に痛むからすっかり癖になっていたのだ。
「手首、痛むのかい?」
「えっ? あ、はい。その……毎日書類をたくさん書くので、腱鞘炎になってしまって……。それで、痛みをごまかすために治癒魔法を……」
「書類を、たくさん?」
「あ……その……書類というか、なんというか……」
殿下は一瞬黙って、私の目をじっと見つめた。
しばらく、見極めるように時間を置くと、
「……手紙、だね?」
有無を言わせない口調でそういった。
「……ち、ちがいま……」
「これは独り言なんだけど。大聖女……彼女の手は、一切ペンを持ったようなあとがない。治癒魔法で消しているのかもしれない、とも思うんだけどね。──ところで僕の手を見てくれるかい。……あるだろう。ペンだこが」
差し出された手は、普段から大量の書類と格闘している人のそれだった。
男の人の手にしては華奢だけれど、それでも、ペンを持った数を伺わせる。そんな手だった。
「今日の謁見で、イグニス茶を淹れていたのは君だった。それだけなら偶然かもしれない。けれど、大聖女の手にはペンだこがなく、君は手首を痛めるほど文字を書いている。……疑うには十分だったんだよ」
殿下はそっと私の右手を取ると、握りしめた指を一本一本ほどいていった。
村娘として農作業で荒れて、ここにきてからはペンだこまで出来た。聖女らしくもない、そんな手だ。
「ほら。あるじゃないか、君にも。これだけ筆を持てば、肩もこるはずだよ。そうだろう、大聖女──いや、準聖女エマ。『レオン』の愚痴を聞いて、友達になってくれたのは、君だったんだね?」
「…………っ!」
息が止まった。すべて、バレていた。
身代わりで手紙を書いていたことも、私がその手紙の主だったことも。
「あ、あの、私……騙すつもりじゃなくて……! その、手紙の内容は私が、勝手に……! 本当にごめんなさい……!」
「謝らないでくれ。僕はそれで、随分と救われたのだから」
殿下は首を横に振った。
「こういう立場にいるとね、気を抜ける場所なんてものはなくて、ね。君からの手紙だけが、唯一息をつける場所だった。他愛のない世間話も、実家の犬が肥溜めに落ちた話も。全部、初めての友達との大切な思い出なのだから。騙した、などと言わせるわけにはいかないよ」
碧眼が、まっすぐに私を射抜いた。
「今回のことで、君は大聖女の不興を買ったようだね。……しかし、君をクビにさせるわけにはいかないな。大聖堂側には、僕から正式に話をつけよう」
「えっ……? い、いえ……その……殿下の手を煩わせるわけには……」
「『殿下』はいない、とさっき言ったね? 僕は『レオン』として話をしているつもりだ」
殿下はいたずらっぽく、けれど有無を言わせぬ様子でほほ笑んだ。
「これからも、君には僕の手紙の相手になってもらわないと。……君が準聖女を卒業して、立派な聖女になっても、だ。せっかくの初めての手紙友達だ。ずっといてもらわないと、困る。『レオン』は意外と強欲なんだよ? 覚えておいてほしいな」
「え……?」
その言葉の意味を理解した瞬間、私の顔は急に熱くなってしまった。
それってつまり、
(殿下とずっと文通相手でいろ、ってこと……だよね?)
その意味を深く考える余裕もないまま、私の脳はぐるぐると初めての熱に浮かされていった。
◆
かりかりかりかり。
聖堂の一室。あれからしばらくの月日が経った。
今日も今日とて、私は一心不乱にペンを動かしていた。
「……ねえ、エマ」
隣の席で筆を走らせていたマリーが、胡散臭いものをみるような目で私の机を指さした。
「何? マリー」
「あのさ。その机の上に乗ってる、金ぴかの封筒、何? 毎日届いてない? ってかさ、大聖堂の偉い人たち、なんかエマにだけ甘くない? 何があったのよ」
「……えっと……。業務契約……?」
「いや絶対違うでしょ……」
かりかりかりかり。
あれから、私の生活は一変した。
クビになるどころか、大聖堂の上層部から『王太子殿下直々のご指名である』として、私には【特別書記官】というよくわからない役職が与えられたのだ。
仕事は単純。殿下のお手紙にお返事を書くだけ。手当はなし、いつものお仕事もそのまま……。名前だけの役職に近い。
唯一違うのは、記名の部分が『大聖女ルーア』から『準聖女エマ』になったぐらい。……もちろん、殿下宛ての手紙でだけなのだけれど。
ルーア様はと言えば。
『……そう。まあ、あの堅物王子の相手なんて、そうそう続けるものでもありませんものね』
と言っていたけれど。それ以上のお咎めはなかった。むしろ最近は各地を飛び回っていて、顔を合わせる機会もない。大聖女様として立派に仕事をしているというのは、ファンレターからも伝わってくる。……そして『気性が少しだけおとなしくなりました』と先生からこっそり教えられた。何があったんだろ……。
一瞬、殿下の顔が思い浮かんでぶんぶんと首を振った。
パンパン、と頬を叩いて考えを切り替える。
(ルーア様もその慈愛をもう少し、私たちにも向けてくれればいいんだけどなぁ……)
そして私の手元には、今日も殿下からの楽し気な手紙が届いている。
……もちろん、お返事はもう書き終えた。
今、私が書いているのは別の手紙だ。
故郷の村で、私のことを自慢に思ってくれている優しい両親への手紙。
私は羊皮紙を広げ、著しく成長した筆記速度で、さらさらとペンを走らせていく。
《お父さん、お母さんへ。
ここに来てから結構な時間が経ってしまいました。
目まぐるしい日々に翻弄されながら、私は立派な聖女を目指して毎日元気に頑張っています。
聖女というのは私が思っていたのと、ちょっと違うところもありました。
と、いうのも。
信じてもらえるかは分からないのですけど、聖女のお仕事について書いていきますね。
初めての私のお仕事は、手紙をかくことでした──》
【了】
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