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王子殿下に偽証を頼まれたので、金貨五十枚と直筆指示書を持って壇上に上がりました

作者: 浅葱きしろ
掲載日:2026/06/27

選んでいただきありがとうございます。

ゆるっとふわっと設定も多いと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

 きらびやかなシャンデリアの光が、大理石の床に反射して眩しい。王立ラングレー学園の年度末パーティー会場は、着飾った貴族の子息令嬢たちで埋め尽くされていた。


 その華やかな熱気から隠れるように、ホールの隅、観葉植物の陰にアニエスは立っていた。


 度の入っていない分厚い瓶底眼鏡を指先で押し上げ、手にした炭酸水を小さく一口、口に含む。喉を通る冷たい刺激だけが、このくだらない空間で唯一信頼できる現実だった。


 (はあ……高いドレスを着てお高くとまっている割に、やることは野生動物の縄張り争いと変わらない。早く終わってくれないかしら。今夜の分のバイト代が早く欲しいのに)


 アニエスの視線の先、一段高くなった壇上で、今まさに「お約束の劇」が始まろうとしていた。


 「セシリア・グレイスフォード! 前へ出てこい! 貴様との婚約を、本日この場をもって破棄する!」


 響き渡ったのは、第一王子ルパートの声だった。絵本から抜け出してきたような金髪碧眼の容姿は確かに見栄えが良いが、その顔には傲慢極まりない笑みが張り付いている。


 彼の隣には、ふわふわとしたピンクゴールドの髪を揺らし、うるうるとした瞳でルパートの袖にしがみつく男爵令嬢、シャロンがいた。


 「殿下……そんな、私のためにそこまで……。でも、セシリア様が怖くて……ううっ」


 シャロンはか細い声で呟きながら、ルパートの胸に顔を埋めた。その際、袖口で目元をこすって赤く見せる仕草を、アニエスは見逃さなかった。


 (はいはい、涙のタイミングは百点満点。さすがは男爵家から王妃の座を狙うだけのことはあるわね。涙腺の蛇口が緩すぎじゃないかしら)


 アニエスは心の中で容赦なく毒づきながら、懐のインナーポケットにそっと手を触れた。そこには、ただの一枚の紙きれしか入っていない。それなのに、三日前に押し付けられた金貨の詰まった革袋と同じくらい、ずっしりとした重みを感じるものだった。


 すべては、三日前のあの滑稽な呼び出しから始まっていた。


 三日前、放課後の人気のない第三魔術演習室。


 アニエスは、王子ルパートとシャロンに呼び出されていた。


 「よく来てくれたね、アニエス。地味な平民特待生の君をわざわざ呼んだのは、他でもない。王家が成すべき正義に、君の手を貸してほしいからだ」


 ルパートは偉そうに胸を張り、うっとりとした口調で語りかけてきた。自分の高潔さに酔いしれているのが、その濁った碧眼から透けて見えている。


 隣のシャロンは、さも怯えているかのようにルパートの後ろに隠れながら、値踏みするような視線をアニエスに送っていた。


 「私のような平民に、殿下から直々のご用命とは恐悦至極に存じます」


 アニエスは極上の「猫かぶり」を披露し、深く頭を下げた。瓶底眼鏡の奥の目は完璧に死んでいたが、声だけは震える平民の少女を完璧に演じてみせた。


 「うむ。実は、我が婚約者であるセシリアのことだ。彼女は嫉妬に狂い、シャロンに対して陰湿な嫌がらせを繰り返してきた。先日はついに、西校舎の階段からシャロンを突き落とすという凶行に及んだのだ」


 「まあ……それは恐ろしいことですわね」


 アニエスの脳裏には、数日前、西校舎の階段で一人で躓いて派手に転び、近くを通ったセシリアに「せ、背中を、セシリア様に押されて……!」と大騒ぎしていたシャロンの姿が浮かんでいた。セシリアはただ無表情に「階段の真ん中で転ぶのは通行の妨げです」と冷たく言い放って去っただけだったのだが、彼らの頭の中では「突き落とされた」ことになっているらしい。


 「そこでだ。アニエス。君はあの日、西校舎の現場の近くにいただろう? 証人として、年度末パーティーの壇上で『セシリアがシャロンを突き落とす瞬間を見た』と証言してほしいのだ」


 ルパートはそう言って、机の上に重々しく革袋を置いた。ガション、と鈍い金属音が響く。


 「これは前金だ。金貨五十枚。平民の君の実家なら、これだけで数年は遊んで暮らせるだろう? もちろん、証言が成功した暁には、さらに同額を約束しよう」


 (金貨五十枚……! なるほど、大金ね。平民を買収するには十分すぎる額だわ)


 アニエスの心臓がわずかに跳ねた。実家は貧しい万屋で、病弱な弟の薬代と、自分自身の学費で常に火の車だ。金貨五十枚があれば、どれほど暮らしが楽になるか。


 しかし、アニエスはすぐには飛びつかなかった。彼女の冷徹な脳細胞が、瞬時に損得勘定を弾き出す。


 (待って。第一王子の個人的な買収に応じる? 相手は公爵令嬢セシリア様。もし私が嘘の証言をして、後からそれがバレたらどうなる? 『王規および学園法における虚偽の証言』は、特待生の剥奪と一発退学。それどころか、公爵家からの報復で我が家は路頭に迷うわ)


 何より、アニエスにはセシリアに対する「恩」があった。


 半年前、アニエスは退学の危機に瀕していた。高等部上級課程で使う「高度魔導教科書」は、一冊で金貨三枚もする狂った価格だった。実家の稼ぎではどうしても購入できず、教科書を持たない生徒は実技試験を受けられないという学園の規則により、除籍処分が下されそうになっていたのだ。


 その窮地を救ってくれたのが、生徒会長であるセシリアだった。


 セシリアはアニエスの元を訪れ、氷のような瞳で冷淡にこう告げたのだ。


 「アニエス・マイルズ。あなたの前学期の魔術理論の成績は学年首位。そのような優秀な頭脳を、教科書代ごときで失うのは我が学園、ひいては我が国の損失です。生徒会規則第十四条に基づき、今年度から『優秀な特待生に対する魔導教科書無償貸与制度』を新設します。あなたの教科書はすべて生徒会で手配しました。これを受け取りなさい」


 セシリアはただ淡々と、合理的な手続きとして教科書を差し出した。哀れみもなければ、恩着せがましい態度も一切なかった。ただ、「期待しているわ」と、静かに一言だけ声をかけてくれた。その冷徹な優しさのおかげで、アニエスは学問を続けられたのだ。


 だからこそ、アニエスには裏切るという選択肢は皆無だった。あのお嬢様が冷酷だなどと戯言をのたまうルパートたちに加担し、受けた恩を仇で返すことなど、アニエス・マイルズの矜持が絶対に許さなかった。


 しかし、目の前のおめでたい王子は、金貨を前にしてアニエスが困惑していると勘違いしたらしい。


 「どうした? まだ不安か? ならば、私の直筆のサインと指示を書いてやろう。君はただ、これに書かれた通りに喋るだけでいい。王家の名にかけて、私が君を守る」


 ルパートは手元にあった羊皮紙に、さらさらと指示書を書き始めた。


 『証言内容:セシリアがシャロンの背中を強く押した。シャロンは悲鳴を上げて転落した。アニエスはそれを見て恐怖した』


 最後に、ルパートの直筆のサインがくっきりと書き込まれた。さらにその余白には、シャロンの丸っこい筆跡で『アニエスにはもっと怯えた顔で、大げさに叫ぶように指示すること』という注文が書き殴られていた。


 それは、指示書であると同時に、二人が共謀してセシリアを陥れようとしていた決定的かつ言い逃れのできない物証だった。


 (……バカなんですか? この二人、本当に底抜けのバカなんだわ)


 アニエスは内心で頭を抱えた。偽証を教唆する指示書に、王子自身の直筆署名と、愛人の悪だくみの筆跡をそのまま残すなど、愚行の極みだ。


 だが、その瞬間、アニエスの脳裏に悪魔的なアイデアが閃いた。


 (これ……使えるわ。王子は私を金で買収したと思っている。なら、この金貨五十枚はありがたく『王家からの正当な迷惑料』として頂戴しましょう。そして、本番のステージでこれを全部ぶちまければ――)


 アニエスは証書をしっかりと懐に収め、涙ぐむような声で言った。


 「恐れ多きお言葉、感謝いたします、ルパート殿下。このアニエス、殿下のご指示通りに……すべてを執り行わせていただきますわ」


 「うむ、良い心がけだ。期待しているよ」


 満足げに頷くルパートの横で、シャロンが「うふふ」と勝ち誇ったように笑っていた。


 プライドの高い王子と愛人を前に、アニエスは深く頭を下げ、心の中で嘲笑していた。


 ちなみに、アニエスは二日前、件の指示書の写しを匿名でセシリア宛てに送り届けている。セシリア、あるいはその背後にいる公爵家ならば、この証拠一つでルパートたちを外堀から埋めるための完璧な段取り(国王の承認取り付けと近衛兵の配備)を整えるはずだと確信していたからだ。


 そして現在。年度末パーティーの会場。


 「セシリア! 貴様の悪行はすでに調べがついている! 我が愛するシャロンを突き落とした現場を目撃した証人が、この会場にいるのだ!」


 ルパートの怒声が響く。周囲の貴族たちは息を呑み、ヒソヒソと囁き合っていた。


 セシリアは、氷の結晶のように美しいプラチナブロンドの髪を微かに揺らし、アイスブルーの瞳でルパートを見つめていた。その表情には、焦りも怒りもない。ただ、ゴミを見るかのような冷ややかな視線だけがそこにあった。


 「ルパート殿下。根拠のない妄想で式典を汚すのはおやめください。私はシャロン様に対して何の嫌がらせもしておりませんし、あの時は近くの廊下を通りかかっただけです。階段の上になど立っておりません」


 「往生際が悪いぞ! おい、証人をここへ!」


 ルパートの合図とともに、会場の視線がホールの隅へと向けられた。


 アニエスは観葉植物の陰から一歩踏み出し、わざとらしく怯えた様子で壇上へと歩みを進めた。瓶底眼鏡の奥の瞳を伏せ、肩を小さく震わせる。


 「アニエス・マイルズ。君だな。恐れることはない。あの日の真実を、この場にいる全員に告げるのだ!」


 ルパートが朗々と促す。シャロンはルパートの腕に抱きつきながら、アニエスに向かって「さあ、言いなさい」と目配せを送っていた。


 アニエスは壇上に上がり、魔術で声を増幅するマイクの前に立った。


 会場全体が、平民特待生の言葉を待って静まり返る。


 アニエスは一度、ゆっくりと深く息を吸った。


 「はい。アニエス・マイルズが、あの日起きた真実を申し上げます。セシリア様がシャロン様の背中を強く押し、シャロン様は悲鳴を上げて転落しました。私はそれを見て恐怖と驚きで動けませんでした」


 ルパートとシャロンは満足そうに頷く。しかしアニエスは再度息を吸った。


 「――と、証言しろと、三日前にルパート殿下に呼び出されて命じられました」


 アニエスの冷徹な声が会場に響き渡る。


 「殿下は私に金貨五十枚を手渡し、偽証をするよう指示されたのです」


 一瞬、会場の空気が凍りついた。


 「な……に……!?」


 ルパートの顔から笑みが消え、目を見開いて絶句する。


 「は、何言ってるのよ、この平民……!?」


 シャロンの金切り声が響くが、アニエスは構わずに懐から一枚の羊皮紙を取り出し、高く掲げた。


 「殿下は私が平民ゆえ、金でどうにでもなると思われたのでしょう。こちらの羊皮紙には、殿下から指示された偽証の内容と、殿下の直筆のサイン、および――」


 そこに映し出されたのは、『証言内容:セシリアがシャロンの背中を強く押した……』という指示とルパートの直筆署名、そして余白に赤々と残る『もっと大げさに叫ぶように指示すること』というシャロンの筆跡だった。


 王子の無様な書き殴りと、愛人の悪だくみの痕跡が、共謀の動かぬ証拠として巨大に白日の下に晒されたのだ。


 「ひっ……!」


 シャロンが短い悲鳴を上げて後退りした。


 会場は一転して、嵐のような大どよめきに包まれた。


 「おい、見ろ! ルパート殿下のサインだ!」


 「冷酷なセシリアって、セシリア様のことか? なんて卑劣な……」


 「平民を買収して婚約者を陥れようとしたのか!?」


 貴族たちの冷ややかな囁きが、ルパートの悪行を容赦なく叩く。


 「ち、違う! 私の手紙じゃない! 陰謀だ! その紙は偽物だ! 誰か、この生意気な平民を捕らえろ!」


 ルパートは顔を真っ青にし、泡を飛ばして叫んだ。しかし、壇上の脇に控えていた近衛兵たちは、誰一人として動かなかった。彼らはすでに、王国の近衛師団長を務めるセシリアの父、グレイスフォード公爵の直属の部下たちだった。事前にアニエスが匿名で指示書の写しを証拠として、公爵家へ送り届けていたのだ。あらかじめ国王の承認を得て、正式な王命のもとで彼らをここに待機させていたのである。国王が事前に知りながら王子を泳がせていたのは、公衆の面前で言い逃れのできない偽証教唆の証拠を確定させ、愚息を正式に王位継承権から排除する大義名分を得るためだった。それゆえ、近衛兵たちは王子の絶叫には耳を貸さず、あらかじめ定められた王命執行のタイミングを静かに待っていた。


 「ルパート殿下。あなたの直筆の魔力残滓は、簡易鑑定魔法ですぐに証明できます」


 セシリアが、一歩前に出て冷淡に告げた。彼女の美しい顔には、一片の動揺もなかった。


 「そして、私の実家であるグレイスフォード公爵家に対する虚偽の罪の擦り付け、および平民に対する脅迫と偽証教唆。これらは王立学園の規則だけでなく、我が国の法における重大な違法行為です。……連れて行きなさい」


 セシリアが静かに手を上げると、近衛兵たちが一斉に動き出した。それは公爵家を通じてあらかじめ共有されていた、王命執行の合図にすぎなかった。


 「離せ! 私は第一王子だぞ! 無礼者! シャロン、助けてくれ!」


 「いやっ、私は何も知らないわ! 殿下が勝手にやったのよ!」


 引きずられていくルパートと、彼を必死に突き飛ばして保身を図ろうとするシャロン。醜い言い争いをしながら会場から連行されていく二人を、観衆は冷ややかな沈黙で見送った。


 アニエスは壇上から降りる際、セシリアと一瞬だけ視線が交差した。


 セシリアは表情を変えないまま、アニエスに向かってほんの微かに、労うように首を傾げた。


 (ふう……。これで来期の教科書代も、私の学園生活も安全ね。おまけに金貨五十枚の手取り。悪くない取引だったわ)


 アニエスは心の中でほくほくとした笑みを浮かべ、再びホールの隅へと戻っていった。



 数日後、放課後の生徒会室。


 アニエスは、セシリアの指示で次期の奨学金申請書類の整理を手伝っていた。


 窓から差し込む夕日が、静かな室内を赤く染めている。


 「アニエス。今回の件、改めて感謝します」


 セシリアは書類から目を離さずに、淡々とした声で言った。


 「いいえ。私はただ、当然のことをしたまでです。セシリア様が作ってくださった教科書無償貸与制度のおかげで、私は今ここにいられます。受けた恩を仇で返すような真似はいたしません」


 アニエスが丁寧にお辞儀をすると、セシリアは手を止め、アイスブルーの瞳をアニエスに向けた。


 「そう。……ところで、ルパートから受け取ったという、あの金貨はどうしたの?」


 その質問に、アニエスは瓶底眼鏡の位置を直しながら、清々しいほどの笑顔を浮かべた。


 「ああ、あれですか? すでに私の個人口座にしっかりと入金いたしました。殿下から直接手渡されたものですし、脅迫されたことに対する『正当な精神的慰謝料』として、実家の生活費と弟の薬代に充てさせていただきましたわ」


 「……意外と、ちゃっかりしているのね」


 セシリアはあきれたように小さくため息をついたが、その綺麗な唇の端が、ほんのわずかに、柔らかく綻んでいるのをアニエスは見逃さなかった。


 「当然です。平民は逞しくなければ生きていけませんから」


 夕日の下で微笑み合う二人の間には、身分を超えた、しかし冷徹で合理的な信頼関係が確かに存在していた。


 のちにアニエスはその才覚を認められ、公爵家研究機関の魔術顧問になることになるのだが、それはまた別のお話。


少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたなら嬉しいです。


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ここまで読んでくださったことに、改めて感謝を。


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すべて読ませていただいています。


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― 新着の感想 ―
ここまでバカな王子だと国王の座にはつけないよね 傀儡にしようにも勝手に契約してサインを残すバカではどんな不平等な契約をしてしまうか分からなくて到底手に負えないね
情けは人の為ならず、だなぁ。。
墓穴を掘って自分から飛び込んで行くってすごい・・・ 面白かったです
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