いつかのお話
「あのね、ハルにい。このくるみ、ぼくがにわで拾ったんだよ」
「そうか」
焼き菓子に使われたくるみを指さし、ルカが笑う。ディートハルトは短く答えると、ルカの頭を撫でた。
この時期にしては珍しく雪が積もった日に、アリアたちは家族三人でお茶をしていた。
今は大きな窓がある一階の部屋にいて、雪景色がよく見える。
もう冬も終わりに近づいていて、アリアが結婚してからそろそろ一年が経つ。
「ルカも、もう少しで六歳になるのよね?」
「うん」
「ルカは春生まれだからな」
ルカが頷く。甥を見守るディートハルトも穏やかだ。
「そっか。じゃあ、誕生日は盛大にお祝いしなくちゃね」
アリアがそう言えば、ルカは「やったあ!」と表情を綻ばせた。
ルカがこの屋敷にやってきたのは、二人の結婚から一か月ほどが経ったときのことだった。だから、ルカも一年近くここに住んでいることになる。
最初のころは怯え切っていた彼も今ではすっかり元気になり、よく喋り、よく食べ、よく笑っている。
屋敷の使用人を怖がることもなくなり、自分から話しかけにいくことも多い。街に出たときだって、店の者と普通にお喋りしている。
(あんなに怯えていたのが、嘘みたいね)
ルカが来たばかりの頃の名残で、今もブラント家の食卓には庭で採れた木の実が登場することが多い。
今みんなで食べている焼き菓子に使われているくるみだって、ルカが話した通り彼が集めたものだ。
(そうした交流を通して、ルカは安心していったんでしょうね)
アリアもくるみの焼き菓子――今日はフロランタンだ――を口にする。香ばしいくるみの味が、ふわりと広がった。
最近では、ルカに家庭教師をつける話も出始めている。
今のところ、公爵家の後継ぎはルカになる可能性が高い。そうなると、全く教育しないわけにもいかなかった。
人選には最大限の注意を払い、家庭教師を選ぶつもりだ。
おやつを食べ終えたルカは、椅子からおりておもちゃで遊び始める。夫婦に背を向けたまま、ルカは思い出したように話しかけてくる。
「ねえ、アリア。アリアは、おとうとが四人いるんだよね」
「ええ」
「きょうだいって、いると楽しい?」
「そうね……。大変なこともあるけれど、毎日賑やかで楽しいわ」
アリアは実家にいたころのことを思い出す。四人の弟の面倒を見る暮らしは、なかなかに大変なものだった。
正直なところ、最初のころには「どうして私がこんなことを」と思うこともあった。
けれど、弟なんていらなかったと本気で考えたことはない。みんな、アリアの可愛い弟だ。
すると、アリアの答えを聞いたルカは「そっか……」と呟き、こう続けた。
「ぼくも、いもうとかおとうと、ほしいかも……」
「えっ」
思いもがけない言葉にアリアは慌てる。口にしていた紅茶も吹き出しかけ、すんでのところで耐えた代わりにむせた。
ごほごほと咳をするアリアの背を、ディートハルトがさする。
「ルカは、兄弟がほしいのか?」
「アリアのかぞくを見て、いいなって……」
ああそういうことかと、夫婦は顔を見合わせた。
先日、彼らはアリアの実家を訪ねた。
その際は両親のみならず弟たちも揃っていて、ルカを歓迎してくれたのだ。その賑やかさと温かさに、ルカは憧れたのだろう。
ルカはアリアたちに近づくと、こう意気込んだ。
「ぼくね、きょうだいができたら、アリアのこと『おかあさん』ってよぶよ。お兄ちゃんは、おてほんにならないとだから」
「まあ……」
アリアは自身の口元に手をあてる。
今まで、ルカには「アリア」と名前で呼ばれてきた。アリアを新しい母だと認識しながらもそう呼んできたのは、実母のステラとの区別をつけたかったからかもしれない。
(いいのかしら。私のことを『おかあさん』と呼んで……。でも、想像すると悪くないわね。その方が、外から見たときに自然ではあるし……)
そうしてほしいともダメとも言えないまま、アリアはルカの頭を撫でた。次にルカは、伯父のほうへ目線をやった。
「ハルにいは……おとう、さん?」
「……好きに呼んでいい」
ディートハルトもアリアと同じで、否定も肯定もできないようだった。
「んー……。でも、ハルにいがおとうさんは、ちょっとちがうかも……」
どうやら、伯父のことを父と呼ぶのはルカ本人も違和感があるようだ。彼はうーんと悩むと、「ハルにいはハルにい」と結論づけた。
遊びに戻るルカを見守りながら、アリアは自身の胸に手をあてる。
(……実子がいても、いいのかしら)
アリアとディートハルトは、夫婦として何度も身体を重ねている。
けれど妊娠はしないよう気を付けていた。実子ができたことで、継子のルカを困惑させるのは避けたかったのだ。
(でも、ルカ本人が兄弟がほしいというのなら……。それも、ありなのかな)
ルカはたしかに兄弟がほしいと言ったが、ただの気まぐれかもしれない。
だから、ルカに言われたからと今すぐに実子を持とうとは思わない。
でも、もしもルカが本気でそれを望んでいて、精神的に不安定になるリスクも低いのなら――。
(いつかは、四人家族に……)
自然と、アリアの手は自身の腹部に触れていた。それと同じタイミングで、ディートハルトが席を立ってアリアの後ろに移動する。
彼がアリアの両肩に触れてきて、二人は微笑み合う。きっと、ディートハルトも同じことを考えていたのだろう。
アリアは彼と手を重ねて、目を閉じる。
(結婚してから、そろそろ一年、か。まさかこんな家族の形になるなんて)
最初は、ディートハルトのことを冷徹男だと思った。ルカのことだって、愛人の子ではないかと疑った。
でも今は夫のことを優しく情に厚い人だと思っているし、ルカは可愛くてたまらない継子だ。
(今思えば、最初の二カ月ぐらいは本当に怒涛だったわね……)
当時のことを思い返し、アリアは苦笑した。愛人がいるのではとディートハルトを問い詰めようとしていたころが懐かしい。すると、彼がこちらを覗き込んでくる。
「どうした?」
「結婚したばかりの頃を、思い出していました」
「……懐かしいな。当時の俺は本当にひどかった」
「否定はしません」
アリアがそう言うと、ディートハルトは「手厳しいな」と笑った。そんなとき、窓から外を眺めていたルカがこちらを振り返る。
「ねえ、アリア。ハルにい。ぼく、外であそびたい」
「外は寒いぞ?」
ディートハルトに窘められて、ルカはむっとする。
「ちゃんとコートをきれば、大丈夫だよ」
「まったく……」
ルカが手袋とマフラーもすると力説し、ディートハルトは小さく息を吐いた。呆れたような口調だが、声色は優しい。
「少しだけならいいんじゃないですか? 私も行きます」
アリアがそう言って立ち上がると、ディートハルトもそれを了承した。
すぐに使用人が三人分の防寒具を用意してくれて、彼らはそれを身に着けて窓を開ける。
途端、びゅうっと冷たい風が吹き込んだが、しっかり着込んでいるからそう寒くはない。
三人はルカを真ん中にして手を繋ぎ、庭に出た。
(いつかは、ここにもう一人加わるのかしら)
先ほどルカに「兄弟がほしい」と言われたからか、そんなことを考えてしまう。お兄ちゃんぶるルカを想像すると、微笑ましい。
雪の中を走り回るルカを、ディートハルトが追いかける。彼はルカを捕まえて抱き上げると、はしゃぎすぎだと窘めた。
そんな彼らを見守りながら、アリアは過去にディートハルトに言われた「義務として子は作ることになるだろう」という言葉を思い出す。
(ルカがいるから、もうその義務もないのに……。もう一人、子供がいてもいいと思えるなんてね)
アリアはくすりと笑うと、「はなして!」「少し落ち着け」と格闘する二人に向かっていく。
「私も混ぜてください。ルカ! ディート!」
これからも、ブラント一家の賑やかな暮らしは続く。




