手を取り合った、その先へ
解呪に成功した後、アリアは大聖女のマルガレーテに、ディートハルトは第一王子のアシュリーに手紙でそのことを報告した。
ほどなくして返事があり、二人からは祝福の言葉を贈られた。
アシュリーは「俺の見立て通り」「自分は人を見る目がある」といったことを書いてよこしてきて、それを読んだディートハルトは露骨に嫌な顔をした。
たしかに、ディートハルトの妻として最もふさわしい女性はアリアだった。アシュリーの人選は間違っていない。
けれど、「俺の言った通りだったろ?」と言われれば、ディートハルトとしては少しイラっとするようだ。
他には、「また今度遊びに行くよ」「今度こそ泊まらせろ」「こちらにも遊びに来い」などと書いてあり、ディートハルトは「誰がお前の相手なんてするか、めんどくさい」と手紙を放り投げていた。
マルガレーテからの返事には、アリアからの質問への返答も書かれていた。
ディートハルトの呪いが解けたとき、アリアはステラの声を聞いた。これは実際に起きる現象なのかと、アリアはマルガレーテに確認したのだ。
マルガレーテからはこう返ってきた。
「解呪に成功したとき、呪いをかけた張本人の声が聞こえたり、ぼんやりと姿が見えたりすることはあるよ。心満たされて消えていった証だ。きみたちは、ステラさんを安心させることができたんだよ」
それを読んで、アリアは涙ぐんだ。さらには、こうも書いてあった。
「最近は、なるべく朝食を食べるようにしているよ。でも、うっかり忘れることも多々ある。部屋もとっくに元通りでめちゃくちゃだ。アリアさんが私の弟子だったらよかったんだけどねえ。もし聖女として修業をしたいなら、私のところにおいで」
家の中で行き倒れるマルガレーテを想像し、アリアは苦笑した。
アシュリーもマルガレーテも基本的には王都にいる。
社交の時期にでも王都へ行って、彼らに直接お礼を言おう。
アリアとディートハルトがそう話していると、それを聞いたルカはまたマルガレーテに会えると知って喜んだ。
リアムにも呪いについて話した。涙もろいところのある彼は、ディートハルトが亡き妹に呪われていたことを知り、ぐすぐすと泣いた。
「そんなことがあったなんて……」
リアムの住むアデール領とブラント領は同じ地方にあり、行き来にもさほど時間はかからない。
だから彼は何度かブラント家を訪れていて、ディートハルトとルカが一緒に過ごす場面も見てきた。
仲の良い伯父と甥にそんな秘密が隠されていたなどと知らなかった彼は、涙しながらルカを抱きしめる。
「言われてみると、義兄さんがルカに触っているところを見たことがなかったよ……。呪われていたからか……」
言いながら、リアムはルカをディートハルトに渡す。伯父が甥を抱っこしている場面を見て、彼は満足そうにうんうんと頷いた。
「ルカのことも姉さんのことも、幸せにしてくださいね」
「もちろんだ」
ディートハルトも頷き、男二人は固い握手を交わす。そこにルカの小さな手も加わって、彼らは笑い合った。
***
ある日の晩、アリアはディートハルトの私室で夜を過ごしていた。
初夜を迎えて以降、ルカから三人で一緒に寝ようと誘われなかった日には、夫婦二人で眠りにつくことが多い。
最初こそアリアも緊張していたが、最近では夫婦二人きりにも慣れてきた。
彼女はディートハルトのベッドに腰かけ、何やら書類をチェックする彼を眺めていた。
(やっぱり、見た目はいいのよね……)
ディートハルトはソファに座り、真剣に書類に目を通している。どうやら、今日の仕事が少し残っていたようだ。
既に夜の支度は済んでいるからラフな姿だというのに、今の彼はきりりとしていて精悍だ。どんな女性だって、彼のこんな姿を見たら心奪われてしまうだろう。
やがて、仕事を終えたディートハルトが書類をおいてこちらへ向かってくる。彼はアリアの隣に腰をおろすと、そっと肩を抱いてきた。
「旦那様……」
彼がようやくそばに来てくれたことが嬉しくて、アリアはうっとりと身体を寄せる。結婚当初とは打って変わって、今の二人は仲睦まじい夫婦となっていた。
「……アリア。前から言おうと思ってたんだが……」
「はい。なんでしょう。旦那様」
肩を抱かれたまま、アリアが答える。自分で思っていたよりも甘い声が出たが、今更気にならない。大好きな人とぴったりくっついているのだから、それくらい当然だ。
「その……。名前で、呼んでくれないか。『旦那様』ではなく」
「ふぇっ……」
予想外のことにアリアが顔を上げる。彼の方も顔に赤みがさしていて、照れているように見えた。
「使用人たちも、俺のことを『旦那様』と呼ぶだろう。きみと俺は夫婦なわけだから、それとは違った呼び方を、してくれないかと……」
たしかに、彼の言うことももっともだ。
この国では夫を「旦那様」と呼び続ける人もいれば、公の場でも名前で呼び合っている夫婦もいる。
どちらを選んでも咎められることはないが、名前で呼び合う夫婦のほうが親しそうに見える気もする。アリアの母だって、父を呼び捨てにしていた。
「え、あ……。でぃ、ディート、ハルト、さま?」
けれど、一年近く夫を「旦那様」と呼んできたのだ。急に改めてほしいと言われても難しい。
アリアが確かめるように夫の名前を口にしてみると、彼は優しく頭を撫でてくる。
「敬称もなくていいし、長ければ愛称でもいい」
「え、ええっと……。ハルにいさま、は違うし……」
どうしようかと慌てていたら、ルカに合わせるときの呼び方が出てしまった。これには、ディートハルトも苦笑する。
「難しければ、今すぐにとは言わないが……」
「えっと……」
今更、「旦那様」以外になんと呼んだらいいのだろう。悩むアリアは、ふと彼の親友のことを思い出した。
「あの、ルカのお父様……ルーク様には、なんと呼ばれていたのですか?」
「……ディートだ」
「ディート……」
アリアは確かめるように彼の答えを復唱しながらも、少しの疑問を抱く。
(そっちなんだ……)
ルークの息子のルカは、ディートハルトのことを「ハルにい」と呼んでいる。なのに父のルークは「ディート」と、名前の前部分をとっていたという。
(こういうのって、普通は親の真似をするものだと思うけど……。どういう流れでルカは『ハルト』の方からとって『ハルにい』呼びするようになったのかしら……)
経緯が気になるところだが、それはまた後で聞けばいいだろう。今のディートハルトなら教えてくれるはずだし、夫婦としての時間はこれから先もある。
アリアはこほんと咳払いをして気恥ずかしさを押さえてから、そろりと彼を見上げる。
「で、では……。ディート」
「っ……」
すると彼は息をのみ、感極まったようにアリアを抱きしめた。きっと、彼をこう呼ぶ人はもういなかったのだろう。
あまりにもぎゅうぎゅうと抱きしめられるものだから、アリアは彼の腕をとんとんと叩く。
「苦しいですよ、ディート」
「あ、ああ。ごめん」
彼はハッとするとすぐに力を緩めて、アリアが苦しくないようにしてくれた。
それから、二人は抱き合ったまま静かな時間を過ごす。アリアがふと顔を上げると彼と目が合い、二人はキスを交わす。
「きみと結婚できて、本当によかった。俺に、また家族をくれてありがとう」
「……私も、あなたでよかった。これからも、よろしくお願いします。ディート」
ディートハルトがゆっくりとアリアをベッドに押し倒す。彼女からも彼の首に腕を回し、二人はこつんとおでこを合わせた。




