大聖女と解呪のヒント ②
このラテース王国は聖女を重宝していて、修業中の若い女性であっても給金が出る。
アリアだって、もし教会預かりとなっていれば給金を得られたのだ。大聖女ともなれば、その額も相当に上がっているはずだ。
けれど目の前にある建物は、地位もお金もある者の家には見えない。家もさぞ立派なのだろうとばかり思い込んでいたアリアは、道を間違えてしまったのではとないかと訝しむ。
すると、ディートハルトが横から地図を覗き込んでくる。
「……場所は、ここで合っているはずだが」
そうは言っているものの、彼も自信なさげだ。夫婦は、揃って首を傾けた。そんな中、ルカだけは目を輝かせてわっと盛り上がる。
「ぼく、このいえしってるよ! えほんでみた、魔女さんのおうち!」
「こら、ルカ。人の家をそんな風に言うものではないぞ」
「えー……。えほんみたいなのに」
ディートハルトに咎められて、ルカが唇を尖らせた。きっと、ルカとしては褒めたつもりだったのだろう。そんな二人を見て、アリアは苦笑した。
「場所は合っているはずですし……。お声がけしてみましょうか」
アリアがそう言うと、ディートハルトも頷いた。アリアは軽く深呼吸してから、扉につけられたドアノッカーをこんこんと鳴らす。
「こんにちは、マルガレーテ様。いらっしゃいますか?」
マルガレーテというのは、大聖女の名前だ。少し間を置き、アリアたちは耳を澄ます。人が動くような音は聞こえない。
「……不在なのかもしれないな」
ディートハルトも人の気配を感じられなかったようだ。職業柄、彼は気配に敏感だ。その彼がそう言うなら不在なのだろうと、アリアは納得する。
「では、出直しましょうか」
「そうだな。なら、一旦宿に戻って、日程調整のための手紙を出すか……」
「そのあとは、観光もしたいですね」
夫婦がそんな話をしているあいだに、ルカは扉に近づき、ドアノブに手をかける。すると、きい、と小さな音を立てて扉が開いた。
「ルカ? 勝手にあけちゃ……」
ダメよ、とアリアが続ける前に、彼は吸い込まれるようにして中へ入っていく。
「ちょっ、ルカ……!」
アリアも慌ててルカに続く。
(勝手に入って申し訳ないけど、ルカを放っておくわけにも……!)
彼女はすぐにルカを連れ戻し、外に出るつもりだった。部屋の中をじろじろ見るつもりだってなかった。
けれど、その気がなくても部屋の様子ぐらいは目に入る。なんとかルカと手を繋いだアリアが顔を上げると、そこには思わぬ光景が広がっていた。
「わあ……?」
扉を入ってすぐの部屋は、おそらくリビングだ。調理などもこの部屋で行うようで、水場もある。
しかし、シンクにはこれでもかというほどに食器が重ねられている。食卓であろうテーブルにも食べかけや飲みかけ、本や書類が放置されていてなかなかの惨状だ。
アリアには弟が四人いて、掃除や片付けには苦労してきた。何度弟たちに苦言を呈してきた来たかわからない。
そんな彼女でも、ここまでの状態は見たことがなかった。二人を追ってきたディートハルトですらも、困惑しているようだった。
アリアが呆気に取られている隙に、ルカはするりと抜け出してさらに奥へと向かう。
(ま、まだ行くの……!?)
今はルカを追うしかないのだが、アリアもディートハルトも少々気圧されていた。正直、部屋が荒れすぎていて気が進まない。
リビングの奥には、書斎とおぼしき部屋があった。壁一面に本棚が置かれ、床にも乱雑に本が積まれている。少しでも身体をぶつけたら、ばさばさと本の塔が崩れるだろう。
床の全てが本で埋まっているようにも見えても、一応、申し訳程度に通り道がある。その床が見えている部分を、ルカは進んでいく。
「ル、ルカ……」
なんとかしてルカを捕まえて、外に出なければ。そうは思うものの、下手に動いて本の山を倒したらと考えてしまい、アリアはいまいち身動きが取れない。
アリアよりも身体が大きいディートハルトはなおさらで、彼は「頼む……」とでも言いたそうにアリアに視線を送っていた。
アリアが意を決した頃、ルカが「あ」と小さく漏らした。それから、ある方向を指さす。
「……いた」
「……え? いたって……」
「たぶん、大聖女さま」
おそるおそる、アリアも進んでいく。ルカが示す方向を覗き込むと、そこには――。
「ひっ……!」
女性が、床に落ちていた。
「いやあ、すまなかったね。栄養失調かな~?」
発見から少しの時間が経った。大聖女がベッドに座ってけたけたと笑う。
「よ、よかったあ……」
そんな彼女の前で、アリアは渋い表情のまま自身の胸を押さえた。
(あのまま動かなかったら、どうしようかと思った……)
先ほど、アリアたちは床に倒れる大聖女マルガレーテを見つけた。何事かと慌てたアリアが彼女の頬をぺちぺちと叩き声をかけると、「うう……」「きみは……?」と応答があった。
その後、顔色が悪く意識もぼんやりしたままのマルガレーテに隣の部屋のベッドへ運んでほしいと頼まれて、ディートハルトがそれを実行した。
寝室と思われるその部屋は、書斎やリビングに比べるとマシな状態だった。
マルガレーテをベッドに寝かせると、「なにか、たべものを……」と弱弱しく言われたから、アリアたちは買い出しに出て病人食に近い食事を用意した。
それをアリアが手ずから食べさせてしばらく休ませたら、マルガレーテは回復したのだった。
「きみが見つけてくれたんだって? ありがとう」
マルガレーテがルカに笑いかける。するとルカは、さっとアリアの後ろに隠れてマルガレーテの様子を窺った。
(恥ずかしがってるのか、この異様な状態に怯えてるのか、わからないわね……)
アリアは、改めて大聖女のはずのマルガレーテを観察する。
肩下まで伸びる黒い髪はぼさっとしていて、何日も櫛を通していなさそうだ。前髪も長く、目はよく見えない。そもそも顔が見えないから、年齢もよくわからない。
二十代な気もするし、三十代な気もする。大聖女という地位からして、アリアより年上なのは確かだろう。
服もぼろぼろとまではいかないが、年季が入っていて糸もところどことほつれている。
さらには、少なくとも何日かは身体を拭いたりもしていないようで、少し臭った。
頰もこけている上、今日のあの状態だ。普段から食事もろくにとっていないことがうかがえる。
「すまなかったね~。居留守みたいになっちゃって。今日あたり来るかなあとは思ってたんだけど」
そんな状態で、マルガレーテは何事もなかったかのように朗らかに笑う。
「それでたしか……。解呪の相談だったよね。いいよ。話を聞かせてごらん」
マルガレーテはディートハルトに手のひらを向ける。彼女にはざっくりとした事情を先に伝えてあるため、被呪者がディートハルトだとわかっているのだ。
本題に移ろうとするマルガレーテに向かって、アリアが一歩踏み出す。世話焼きのお姉ちゃんとして暮らしてきたアリアは、これ以上この状況に耐えられなかった。
「マルガレーテ様」
「なんだい?」
「ちょっと失礼してもよろしいですか?」
「おお?」
アリアがぐいっとマルガレーテに顔を近づける。マルガレーテは口を半開きにしたまま首を傾げた。




