新婚なのに、旦那様が愛人の子を連れてきた!? ③
顔合わせから挙式直後まで、アリアは夫となったディートハルトのことを「素敵な人」「紳士だわ」なんて風に思っていた。
けれど、それと同時に、どうしてこんな殿方が自分に結婚を申し込んだのだろう、と疑問も感じた。
ディートハルトは、アリアより少し年上の二十五歳だ。
公爵家の嫡男としては結婚が少々遅いが、これまでは騎士としての職務を優先していたのかもしれない。
地位や職位はあらゆる女性が目を輝かせるようなもので、見目も良い。
どう考えたって、相手など選び放題だ。どこかの姫君を娶ることだってできるかもしれない。
そんな彼が没落伯爵家の娘に結婚を申し込む理由なんて、見当もつかなかった。
アリアにとっては、本当に謎しかない婚姻だったのだ。
しかし、馬車の中で彼と二人きりになって、彼がこの年まで未婚だった理由がわかった気がした。
(この態度のせいで、女性が寄り付かないんじゃないの!?)
目を閉じ、腕を組んで澄ましたディートハルトの向かいで、アリアは彼への怒りを滲ませた。
「あのー、旦那様。少しぐらいお話してくださってもいいのではありませんか? 結婚初日にこんな態度を取られては、流石に悲しいのですが?」
アリアが顔を引きつらせながらそう言うと、彼はゆっくりと瞳を覗かせた。
冷たいアイスブルーの瞳がアリアに向けられて、彼女はごくりと唾を飲む。
「……ちょうど二人きりだから、勘違いしないよう初めに言っておく」
「は、はい」
ようやく口を開いた今も、彼の見下すような態度は変わらない。
「結婚は王命によるもので、相手を決めたのも私ではない。……義務として子は作ることになるだろうが、それだけだ。きみに、それ以上のことは望んでいない」
あまりにも一方的すぎる言葉に、アリアは「え、あの」とうろたえることしかできない。
ディートハルトがアリアに向ける言葉も瞳も、冷え切っている。
騎士団長でもある彼が放つ威圧感のせいで、アリアは怯みそうになってしまった。
同じ部屋にいると体感温度が下がるという噂は、本当だったようだ。
そんなやりとりとしているうちに、馬車がとまる。どうやら、これからともに暮らす公爵家の屋敷に到着したようだ。
御者が馬車の扉を開けると、ディートハルトは妻のエスコートなどすることなく、自分だけ馬車からおりていく。
その途中、彼は足をとめ、戸惑うアリアの方を振り返った。
「……だから、きみも私になにも期待するな。夫婦の愛などもってのほかだ。私がきみを愛することはないし、きみが私を愛する必要もない」
「え……」
そう言い残すと、彼はすたすたと屋敷に向かっていく。アリアも流石にぽかんとしてしまったが、すぐにハッとして彼に続く。
(新婚初日にこんなことを言うなんて、冷徹男って話は本当だったみたいね!)
新婚初日に思い切り突き放された妻は、夫を追いかけながら心の中で毒づく。
アリア・アデール改めアリア・ブラントの新しい生活の始まりは、さんざんなものだった。
夫はこんな態度だが、屋敷の使用人たちは意外にもアリアを丁重に迎えてくれた。
なんとかディートハルトに追いついて並んで屋敷に入れば、玄関には使用人がずらっと並んでお出迎え。
その際、みながアリアを「奥様」と呼び、さっさと執務室にこもってしまったディートハルトに代わって屋敷の案内もしてくれた。
夕食も、二人しかいないのに広いダイニングを使い、そばには使用人が控えている。
食事も豪勢で、こんな料理、実家では誕生日にすら食べることはできなかった。
さらには着替えや入浴の世話までされて、アリアは恥ずかしくなってしまった。
彼女は身の回りのことを自分で済ませてきたから、他人に肌を見られることなどなかったのだ。
侍女に髪や身体を洗われたあと、アリアは湯に浸かり、バスタブのふちに腕をおきながら、ぼんやりと考えごとをしていた。
(義務として子は作る、ってことは……。初夜はあるのよね……?)
この屋敷に着いたとき、ディートハルトはたしかにそう言った。
嫌々なことは態度からにじみ出ていたが、夫婦の営みを行う意思はある、ということだ。
この国では、貴族同士の婚姻であれば、結婚したその日に夫婦の契りを――身体を繋げるのが一般的だ。
だから、ディートハルトもおそらくそのつもりでいるだろう。
そう考えると、侍女に肌や髪を磨かれ湯に浸かるこの状態が、初夜を迎えるための下準備のように思えてくる。
緊張から、ぽちゃん、と水滴が落ちる音が妙に大きく聞こえた。
(恥ずかしい、けど……。妻になったからには、これも私の仕事よね!)
髪にオイルを揉みこまれながら、アリアは自身を鼓舞した。
(次期公爵の妻になったんだもの。血筋を残すという務めを立派に果たしてみせるわ!)
アリアだって、貴族の娘として当然覚悟はしてきた。
相手が次期公爵となればなおさら、ここで血を絶えさせるわけにはいかない。
夫が気に入らないとか、初めてで恥ずかしいとか言っている場合ではない。
しかし、冷徹男の前ではそんな決意も無駄になる。
アリアが意を決してディートハルトの寝室へ向かうと、ドアから顔を覗かせた彼に不機嫌そうにこう言われた。
「……なんの用だ」
彼ももう休むところだったようで、寝衣に着替えている。
「なにって、しょ、初夜、を……」
アリアは羞恥から言いよどむ。
なんの用かって、結婚初日に妻が夫の寝室を訪ねたとあっては、用は一つしかないも同然だ。わざわざ言わせないでほしかった。
もじもじするアリアは、ちらりと顔を上げ、夫の様子を窺う。
彼は、照れることもなく、動揺することもなく、ただただ冷たい瞳でこちらを見下ろしていた。そして、こう言い放つ。
「そうか、必要ない。自分の部屋に戻れ」
彼がそう言い切ると同時に、無情にもぱたんとドアが閉じ、アリアは廊下に残される。
「えっ」
呆気にとられつつもう一度ノックしてはみたが、ディートハルトからの反応はない。
(……年下の妻が勇気を出したのに、それはないんじゃない!?)
怒りに燃えるアリアはドアノブに手をかけ、強行突破を試みる。が、鍵まで閉められていて、ドアが開くことはなかった。
こうして、アリアは結婚して初めての夜を、自身に与えられた部屋で一人過ごすことになるのだった。
夫の態度を不満に思いつつも、アリアはベッドに入る。
すると、怒り心頭だったはずのアリアの表情がふにゃりと蕩けた。
用意されていた寝具が明らかな高級品で、寝心地が最高だったのだ。
どうやら、ディートハルトはどこまでもアリアを冷遇するつもりではないらしい。
(使用人が私に好意的だったのは、旦那様の言いつけによるものだろうし……。冷遇なのか好待遇なのか、よくわからないわ……)
なんなのよ、と考えることができたのも束の間だ。
彼女はふかふかのマットレスとさらさらのシーツに全身を包み込まれ、心地よい眠りに落ちた。




