変わり始める気持ち ⑧
互いに涙を溜め、微笑み合った数分後。アリアは元気いっぱいに立ち上がってこう宣言した。
「……ということですので。早速、私が解呪に挑戦してみます!」
「ムードとかないのか、きみは」
「善は急げですよ、旦那様!」
アリアは張り切ってディートハルトのそばに移動し、胸を張る。
「実は私、嫁入り後に呪いを解くための修業をしたんですよ! 他の授業の合間にですから、ちょっとだけですけど!」
「それは知っているが……。俺が呪われていると知った直後から、家庭教師として聖女を呼んだり、教会にも出入りしたりしていただろう」
「知ってたんですか!?」
アリアはてっきり、ディートハルトは妻が誰に何を教わっていようと、どこへ出かけていようと興味がないものだと思っていた。それほどまでに、少し前の彼は冷たかったのだ。
夫に秘密で特訓をしていたつもりのアリアは、「なんだ、知ってたんだ……」と肩を落とす。
「俺をなんだと思ってるんだ……」
「冷徹旦那……」
呆れるディートハルトにこう言い返すと、彼はぐっと言葉に詰まった。自分でも心当たりがあって、言い返せないのだろう。
「きみは、今もそう思って……」
「では、解呪に挑戦します」
「聞いてくれ」
座ったままの彼がなにか言おうとしていた気もするが、アリアは早速解呪に取り掛かる。
「ええと……。たしか……」
教わったことを思い出しながら、アリアはディートハルトの前に跪いて祈りの姿勢をとった。
アリアがたどたどしいからか、先ほど彼の話を遮ったからか、ディートハルトは腑に落ちないような顔をしていた。
一方のアリアはそんなことは気にせず、目を閉じて解呪のための言葉を述べ始める。
「死してなお激情に焼かれる魂を、その怒りと悲しみから解き放たん。そなたの思いは、その行く末は、我らがしかと見届けよう」
アリアの重なった手のひらから、まばゆい光が漏れ始める。そして彼女は静かに立ち上がり、ディートハルトの肩に触れた。
「安らかに眠り給え」
その光は、アリアの手からディートハルトへと移動する。
(成功すれば、被呪者が光に包まれたあと、その光が天に還るように徐々に散っていくはずなんだけど……)
ディートハルトに触れたまま、アリアはそろりと様子を窺う。
アリアが聖女としての修業を受けていたのは本当だ。だが、他者の呪いを解いた経験はなかった。そもそも被呪者が少ないため、実践するのが難しいのだ。
そのため、自分の力で呪いを解くことができるのかどうか、わからなかった。
(お願い……成功して……!)
そんなアリアの気持ちも虚しく、光は黒く染まり……ディートハルトに吸い込まれるようにして、なくなった。
「ダ、ダメかあ……」
「そう、か……。ダメだったか……」
アリアはへなへなとディートハルトの前にしゃがみこむ。自分自身に落胆するアリアとは対照的に、ディートハルトはどこかほっとしているようにも見えた。
「呪いの強さに対して聖女の力が足りないと、こうなるそうです。ですから、今のは私の力不足ということですね……」
アリアはぱたりと床に横になり、盛大な溜息をついた。それを見て、ディートハルトが「大丈夫か?」と聞いてくる。解呪を試みたアリアが消耗したと思ったのかもしれない。
「ちょっとだけ疲れましたけど、問題になるほどではありません。どちらかというと、失敗してがっかりしてる感じですね……。解呪に失敗すると全身の力を持っていかれるような感覚になることもあるそうですが、私はそうはなっていない。ステラさんが、私に配慮してくれたのかもしれませんね」
ゆっくりと上体を起こしながら、アリアが答える。それを聞いたディートハルトは、自身の手のひらを見つめた。
「そうか、ステラが……」
妹の名を呼ぶ彼は、噛みしめるようにしている。きっと彼は、死してなお優しい妹だと感じているのだろう。
(失敗したのに、嬉しそうにしちゃって)
私がせっかく挑戦してあげたのに、とアリアは呆れる。
(まあ、気持ちがわかる気もするけど)
アリアは立ち上がり、ぱたぱたと服の汚れを払ってからディートハルトに向き合う。
「……旦那様。教会に行きましょう。教会に行けば、私よりよっぽど力の強い聖女がいます。その人なら、きっと呪いを解くことができます」
ディートハルトが呪いの件を外部の者に知られたくないのはわかっている。それでもアリアでは力不足な以上、他の聖女に頼るしかなかった。なのに彼は、露骨に嫌そうな顔をする。
「……嫌だ」
子供のような返事に、アリアは困ってしまう。
「そう申されましても……。内々に解こうとしたら、どのくらい先になるかわかりませんよ? 一か月かもしれないし、一年かもしれないし……。もしかしたら、もっとかかるかも。教会に頼むべきです」
「……それでも、俺はきみがいい」
「はい?」
彼がぼそっとなにか言ったが、いまいち聞き取れなかった。アリアが訝し気に聞き返すと、ディートハルトは今度はアリアに聞こえるよう話し始める。
「……呪いを解いてもらうなら、きみがいい。ステラの思いを、なんの関係のない第三者に消されたくない」
何を言っているのかと、アリアは内心で呆れる。
「……私だって、愛のない政略結婚妻ですが」
「……本当に、そう思うか?」
ディートハルトのアイスブルーの瞳が、アリアを射抜く。じっと見つめられて、アリアはたじろいだ。
「……最初はそうだったかもしれない。だが俺は、今はそう思っていない。『愛などもってのほかだ』なんて言って、すまなかった」
「えっと……」
それはつまり、今は愛があるということだろうか。それとも、これから愛を育みたいのだろうか。彼がそんな風に考えていたとは思わず、アリアの視線が泳ぐ。
「俺は、きみが妻でよかったと思っている。きみ以外に、この呪いを解かれたくない。どうしても、きみがいい。今の俺は、夫婦としてともに暮らす相手も、呪いを解いてもらうのも、きみ以外にありえないと思っている」
「そ、ソウ、デスカ……」
好きだとか、愛してるだとか言われていないのに、なんだか熱烈な告白をされたような気がする。もはやアリアは彼を見ていられなくなり、目をそらしてそっけない返しをすることしかできなかった。
そんなアリアの手に、何かが触れる。ディートハルトが、アリアの両手を取ったのだ。目をやれば、彼は乞い願うようにこちらを見上げていた。
「……頼む、アリア」
「っ……」
彼が上目遣いをしているようにも見えて、アリアの心臓は跳ねる。普段はアリアが見おろされているから、なおさらだ。
アリアは「うう……」と声にもならない声をあげたあと、何度か深呼吸をして心を落ち着かせた。
「わかり、ました。でも、早く解呪できるように、他の聖女の協力は仰ぎますからね! 私だけじゃ、解決できないんですから!」
恥ずかしくて、彼の顔を見ることができない。けれど、手を振り払ったりはしなかった。
「ああ。ありがとう」
座ったままの彼が、ふっと彼が微笑んだのがわかった。名実ともに妻として認められたアリアは、ディートハルトがどんな表情をしているのかぐらい、声だけでもわかるようになっていた。
(もうっ……! これじゃあ、旦那様が私のことを好いてるみたいじゃない!)
その考えがおそらく間違ってはいないことも、アリアだってもうわかっている。
愛のない結婚のはず、だったのに。いつの間にか、互いに好き合ってしまった。
アリアは片手だけ自分の口元にやると、こほんと咳払いをした。気を取り直すと、力強くこう宣言した。
「そうと決まれば、呪いを解いて、新しい一歩を踏み出しますよ!」
もう片方の手は、ディートハルトと繋いだままだった。




