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変わり始める気持ち ⑥

 少し経つと、ディートハルトが話した丘に到着した。言われた通り景色がよく、ブラント領の街が一望できる。

 地面は草花の絨毯になっていて、どこへ目線をやっても眺めがいい。おかげでルカの気分も上向いたようで、彼は「わあ~」と辺りを眺めている。


「もう少し寒い季節になると、夜に花が咲くようになるんだ」

「……よるに?」


 ディートハルトの言葉にルカが反応する。

 ルカは湖での一件があってから、ディートハルトと口をきいていなかった。けれど夜に咲く花と聞いて、返事をせずにはいられなかったようだ。


「そうだ。月明かりの下で、一斉に白い花が咲くんだ」

「……こんど一緒に来てあげても、いいよ」


 ルカがぶすくれたままこんなことを言うから、アリアとディートハルトは顔を見合わせて笑った。


「旦那様は、その花を見たことがあるんですね」

「……ああ」


 一瞬だけ、ディートハルトの表情が憂いを帯びた。その顔を見ただけで、アリアは過去の彼が誰と花を見たのか、なんとなく察してしまった。


(……きっと、ステラさんと一緒に来たのね)


 この丘は、ブラント公爵家の屋敷からも近い。おそらく兄妹で……もしかしたら、ルカの父も含めた三人で、ここに来たことがあるのかもしれない。


「向こうは崖になってるから、俺たちからあまり離れるなよ」

「わかってるもん」


 ディートハルトは街が見えるほうを指さす。ルカはまだご機嫌斜めで、伯父に指図されたことが気に食わないといった様子だった。


「じゃあ、私と手を繋ぎましょう」

「……うん」


 見たところ、転落防止のために柵はついているようだ。けれど万が一を考えてアリアがそう提案すると、ルカは素直に従った。どうやら、アリアに対しては怒っていないようだ。


(……うちに来た頃はあんなに怯えていた子が、『僕、機嫌悪いです!』って表に出すようになるなんて……。安心してくれているのね)


 ルカがディートハルトに反抗するのは、伯父を信頼しているからだ。呪いのせいで触れないという障害はあるものの、二人は元々かなり親しくしていたのだろう。


(ハルにいさまなんて呼ばれるぐらいだものね。最近は『ハルにい』になってきてるし)


 在りし日の伯父と甥の姿に思いを馳せ、アリアはくすくすと笑う。するとルカは茶化されていると思ったのか、「なに?」とアリアを上目遣いに睨んだ。


「なんでもないわ」


 それがまた可愛くて愛おしくて、アリアはルカの頭を撫でた。

 穏やかな時間が流れる中、むーっとしていたルカが、小さく「あ」と言って崖のほうを指さした。それとほぼ同時にディートハルトは腰に下げていた剣に手をかける。

 アリアが「なになに? なにかあったの?」とルカが指し示したほうを見ると……崖下から魔物が数体姿を現したところだった。


「……え?」


 ルカを庇うようにして、アリアが後ずさる。

 出現した魔物は十体ほどの群れで、鷹などの猛禽類に近い見た目をしている。あまり大きくはなく、人間を連れ去って飛ぶことはできないだろう。けれどくちばしや爪は鋭くて、引っかかれたらそれなりの怪我をする。

 この世界には牛や馬といった動物の他に、魔物と呼ばれる生き物がいる。大きな違いは攻撃性で、魔物は体格が小さくとも人間に襲い掛かってくる。

 見た目も異なり、魔物は角、爪、牙といった部位が他の生き物よりも発達している。魔物は戦うことに秀でた種族なのだ。


「なんでこんなところに、魔物が……」


 アリアはそう呟いてから、この丘は森を抜けた先にあり、街からは少し離れていることに気が付いた。

 魔物は危険な生き物だが、基本的に人里には出現しない。

 騎士団やハンターが魔物を駆除していて、人が住む場所には近づけさせていないのだ。今いる丘はその境界線のような場所で、魔物の駆除が完全ではないのかもしれない。

 魔物を前にして動揺するアリアとは対照的に、ディートハルトは冷静だ。彼は、アリアたちを庇うように剣を構えていた。


「安心しろ。強い魔物じゃない。民間人でも追い払える程度の相手だ。すぐに倒す」


 いつの間にか、護衛の者たちも前に出て剣を抜いていた。魔物と人間が互いに臨戦態勢となり、戦いが始まる。

 人間側が圧倒的に優勢で、魔物たちは次々と切られて地面に伏していく。ディートハルトの言葉通り、魔物の強さは大したことはなかったようだ。


(少し街から外れているとはいえ、人に危害を及ぼすような魔物なら、とっくに駆除されてるものね。旦那様の言う通り、強くはないんだわ。でも……)


 たとえ弱い相手であっても、戦闘となれば魔物は激しく鳴き、血も流れる。アリアの眼前には、魔物の死骸や飛び散った羽、血だまりといった無惨な光景が広がっていた。

 とてもルカには見せられなくて、アリアは彼の耳を塞ぎ視界も覆い隠す。けれど、完全にルカの目に触れないようにはできなかった。


「……ハル、にい?」


 アリアの腕の中で、ルカがぽつりとそう漏らす。


「大丈夫よ、ルカ。魔物なんてハルにいさまがやっつけてくれる……から……」


 最初、アリアはルカが魔物に怯えているのだと思った。だから、ディートハルトが倒してくれると言えば安心すると思った。けれど、違った。


「あ……あ……」


 ルカの息は浅くなり、青い目を見開いている。異変に気が付いたアリアが「ルカ? どうしたの? ルカ?」と声をかけても、まともな返事は得られない。

 戦闘中のディートハルトが立ち位置を変えたことで、ルカの視界に入ってしまう。途端、ルカはディートハルトに向かって手を伸ばしながら暴れはじめる。


「ハルにい、ハルにいさま、やだ、死なないで、やだ!」


 ルカの叫びに気が付き、ディートハルトが一瞬動きを止める。その際、魔物が彼を狙って爪をつきたてようとして、ディートハルトはそれを避けた。

 ディートハルトとしては、余裕で回避したつもりだったのだろう。アリアの目にも、さほど危ない場面ではないように見えた。だが、ルカにはそう映らなかったようだ。


「うわああああああああ! やだ、やだ、死なないで、やだ!」


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