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弟、襲来 ⑤

「……え?」


 これに驚いたのはアリアだった。彼女がぽかんとする中、リアムは一瞬だけ驚いたような顔をした後、笑顔で手を振り馬車に乗って去っていく。

 アリアも条件反射で手を振るが、心ここにあらずといった状態で、気持ちは込められなかった。

 目に映る馬車が小さくなったころ、ぼんやりとしたままのアリアは隣に立つ夫に視線をやる。彼は、青い瞳を細めてアリアを見つめていた。その瞳には、熱がこもっているようにも見える。


「っ……!?」


 まさかそんな顔で見られているとは思わず、アリアはぱっと目をそらす。


(な、なに? 今の。まるで、ルカに向けるような……。ううん、それとはちょっと違う……なんというか……。お父様が、お母様を見てるときみたいな……)


 ディートハルトが自分に向ける目線に、アリアは覚えがあった。他でもない、自分の父だ。

 アリアの両親は政略結婚でもあったし、恋愛結婚をしたともいえる。惹かれ合った二人の利害がたまたま一致し、結婚に至ったのだ。

 特に父は母にベタ惚れで、結婚から二十年ほどが経つ今でもうっかり「あの子」呼びをしたりしている。とにかく、父にとって母は可愛くて仕方がない存在なのだ。


(お父様と旦那様が重なって見えるって、どういうこと……?)


 彼女の心臓がどくどくと音を立てる。アリアが知る限り、男性が女性をこんな目で見る理由はただ一つで、相手を愛おしく思っているからだった。

 アリアは両手で頬を押さえて俯く。熱を持っているのが手なのか頰なのかも、もうわからない。


(か、勘違いよ! 勘違いに決まってるわ! だって、新婚早々に『愛さない』って宣言されたもの!)


 そうだ、勘違いに決まっている。最近は彼の態度も柔らかくなってきたし、寝起きには抱きしめられているし、今も熱っぽく見つめられているけれど、自分たちの間に恋愛感情などあるはずがない。

 アリアとディートハルトは共にルカを育てる相棒であって、それ以上でも以下でもない。アリアは自分にそう言い聞かせた。

 そんなとき、くい、とスカートを引かれる。なにかしらと見てみれば、そこには大きな瞳を潤ませるルカがいた。


「アリアは……いつか、じっかに帰っちゃうの?」

「え?」

「リアにいが、『アリアが苦しんでたら、つれかえる』って。アリア、いなくなっちゃうの……?」


 ルカはしょんぼりと下を向く。声も震えていて、今にも泣きだしそうだ。アリアはあまりの可愛さにもらい泣きしそうになりつつも、ルカを抱きしめる。


「いなくなったりしないわ! 私たちは家族なんだから!」

「……ほんとうに?」

「本当よ! 私とルカは、ずーっと一緒よ」

「……そっか。えへへ……」


 アリアがそう言って笑いかけると、ルカも涙を拭いながら微笑んだ。そんな姿が天使のようで、アリアは「離れたりしないわ! 絶対に!」と高らかに宣言した。




 それから少し経つと、ルカのお昼寝の時間を迎えた。ルカを寝かしつけたアリアは、寝顔を眺めながら小さく息を吐いた。


(今日は疲れてたみたいで、すぐ寝たけど……。最近はなかなか寝なかったり、本人が『寝たくない』と言うことも増えてきたわね。そろそろお昼寝は卒業かしら)


 個人差はあるが、アリアの弟たちも五歳の頃にはお昼寝をしなくなっていることが多かった。

 とはいえ、ルカはこの一年ほどずっと辛い環境にいたこともあり、他の子と比べるのは難しい。そんなルカが年相応に成長していることを感じて、アリアは嬉しい気持ちだ。


「……これからは、安心して過ごしてね」


 アリアはそっとルカの頭を撫でてから、静かに部屋を出た。

 ぱたんとドアを閉じると、それとほぼ同時に「アリア」と声をかけられる。この屋敷で、彼女の名前を呼び捨てにできる人物など限られている。

 アリアが顔を上げれば、そこには予想通りの人物がいた。


「……旦那様? どうされたのですか?」

「いや、その……」


 アリアよりもずっと背が高く体格もいい彼は、珍しくもごもごと言いづらそうにしている。

 彼からは、これから騎士団の本部へ行く予定だと聞いている。西方騎士団の本部はこのブラント公爵領にあり、行き来にそう時間はかからないのだ。

 彼は騎士団の制服に身を包んでいるから、出勤の予定が変わったわけではないのだろう。


(出勤前に、わざわざ何の用かしら)


 こうして自分の前に現れたからには、理由があるに違いない。そう思ったアリアは、彼の言葉を待つ。ディートハルトは視線をさ迷わせてからこう言った。


「きみは……実家に帰りたいとは思うか」

「……え?」


 どうやら、ルカだけでなくディートハルトまで、リアムの「姉を連れ帰る」という発言を気にしていたようだ。リアムの前では「実家に帰す気はない」などと言っていたくせに、弱気なものだ。


(なんで旦那様まで不安になってるのよ……。ルカの母親役がいないと困るから?)


 内心で呆れながらも、アリアは彼の質問に答える。


「帰りたいとは思っていません。私は、ルカの継母でもありますから。あの子のそばを離れるつもりはありません」

「そうか……」


 アリアとしては、彼は欲しがっている言葉を返したつもりだった。けれど、ディートハルトの表情は晴れない。


「そうです。ですから、そのような心配は……」

「ルカのこと、だけか?」

「……?」


 彼の言葉の意味がわからず、アリアは訝しむ。どうしてか、今はディートハルトがいつもより小さく見える。


「え、ええ……。ルカを放り出すわけにはいきませんし……。この状況で離婚となれば、あの子はまた苦労するでしょうから」

「そうか……。そうだな。確かにそうだ。時間を取らせてすまなかった」


 ディートハルトはそれだけ言うと、肩を落として去っていく。予定通りこれから出勤するのだろう。その後ろ姿からは、哀愁が漂っているようにも見えた。


「なんて答えればよかったのよ……」


 彼の背を見送りながら、彼女は唇を尖らせた。


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