弟、襲来 ④
それから数日が経ち、リアムがアデール伯爵家に戻る日を迎えた。出発は昼前を予定しているから、アリアはそれまでの時間をルカも含めた三人で過ごそうと思っていた。
(……そう、思ってたんだけど。どうしてこんな状況に……?)
しかし、予定通りにはいなかった。朝食後、ディートハルトにサロンへ呼び出され、アリア、リアム、ディートハルトの三人でお茶をすることになったのだ。
今日のディートハルトは夕方まで不在だと聞かされていたから、より困惑してしまう。それはリアムも同じだったようで、緊張した様子で席についている。
ディートハルトは一口お茶を含むと、カップを置く。それから、静かに口を開いた。
「……先日、きみたちが話しているのを聞いた。まずは、そのことを謝らせてもらいたい。盗み聞きするような形になり、すまなかった」
小さく頭を下げる彼を見て、アリアとリアムは目を合わせる。
リアムの滞在期間が一週間に近かったため、どの話を聞かれたのか定かではない。けれどディートハルトの雰囲気から、おおよその見当はついた。
「私たちの話を聞いた、とは……?」
それでも一応、アリアはそう尋ねてみる。するとディートハルトは少し考えてから、目を閉じる。
「……私の愛人疑惑と、きみに愛のない結婚をさせた件についてだ」
やはりあのときの会話だったのだと、姉弟は揃って硬直する。愛人だの愛がないだのと、ディートハルト張本人に聞かれていたとなると流石にバツが悪い。
(そういえば、あの日、旦那様は家にいたのよね。私たちに用があって近くまで来たけど、取り込み中だったから声をかけにくくて、タイミングを失った……って感じかしら)
アリアはどうしたものかと頭を悩ませる。ディートハルトがわざわざ自分たちを呼び出してまで、この話をしてきた理由もわからなかった。
姉弟の動揺が伝わったのか、ディートハルトはこうも続ける。
「……きみたちを責める気は一切ない。楽にしてくれ」
ならばなんの用なのかと、姉弟は再び顔を見合わせた。そんな二人を見て、ディートハルトは青い目を細める。その表情は、どこか悲しそうだった。
「……私は、王命に従って結婚しただけだった。妻など誰でもいいと思っていた。相手の都合なんて考えもしなかった。……だが、きみたちの話を聞いて、気が付いたんだ。私の妻となった人もまた、誰かにとって大事な家族だったのだと」
「旦那様……」
「まともに話しもせず、王命だからと投げやりに娶るようなことをして、すまなかった」
ディートハルトは立ち上がり、今度は深く頭を下げる。予想外のことにアリアは恐縮し、彼に座るよう促した。なんとか彼はアリアに従って座ってくれた。
「……愛人疑惑についてもそうだ。きみと、ご家族を不安にさせるような真似をしてすまなかった。この疑惑について、弁明させてくれ」
「旦那様、それは……」
彼が呪いについて話す気なのかと思い、アリアは口を挟む。しかし、彼は大丈夫だと伝えるかのように首を横に振り、アリアを制止した。
「アデール伯爵家は、大事な娘を……リアムくんにとっての大切な姉を、私に預けてくれたんだ。こちらも誠意ある対応をすべきだろう。……私の話を、聞いてくれるか?」
最後の言葉は、リアムに向けられた。リアムが「はい」と答えると、ディートハルトは目を伏せ、自身の過去について語り始める。
「……ルカは、間違いなく私の甥っ子だ。なのにどうしてルカが私たちの結婚式にいなかったのか、ルカの父方の親戚を紹介することができなかったのか……。それは、私に原因がある」
妹・ステラの結婚相手は、自分の幼馴染で副官でもあったこと。幼馴染のルークも含めた三人で、ルカが生まれた後もずっと親しくしていたこと。そして……一年ほど前に、ルークが自分を庇って戦死したこと。
そのせいでステラは床に伏し、「お前のせいであの人は死んだんだ」「ルカに触らないで」と兄を拒絶したこと。ステラは兄を拒絶したまま衰弱し、亡くなったこと。
結婚式にルカがいなかったのは、妹に拒絶されているのにルカを呼ぶことなどできなかったから。ルカの父方の親戚が紹介されなかったのは、ルークの死をきっかけに絶縁に近い状態になったからだった。
これらの話の大部分は、アリアも初めて聞くものだった。ルカの両親が既に亡くなっていることは知っていたが、死因までは聞いていなかった。
ルカの父がディートハルトを庇ったことが全ての始まりだったことを知り、アリアは言葉を失った。
「そして私は自分がルカのそばにいるべきではないと思い、親戚筋の夫婦の家に預けた。……しかしその夫婦は、ルカの世話などろくにしていなかった。それに気が付いたその日にルカをこの家に連れ帰ってきて、今に至る」
ディートハルトが語った真相は、あまりにも重かった。
(……きっと、旦那様は悪くない。でも、この人はそんな慰めは望んでいない。慰めてほしいとか、肯定されたいとかじゃない。ただただ、誤解を解くために……私たちに対して誠実であるために、この話をした)
アリアはぎゅっと唇を引き結ぶ。妻とその家族をこれ以上は不安にさせないという、彼の気持ちは嬉しい。けれど、辛い話をすることになった彼の心境を思うと、胸が痛む。
三人全員が下を向き、サロンは静まり返る。何か言うべきかとアリアが悩み始めたころ、すん、すん、と鼻をすする音が響き始める。音の発生源は、リアムだった。
「……リアム?」
俯いて震える弟に、アリアが声をかける。その呼びかけに応じて顔を上げた彼は、ぼろぼろと涙を流して号泣していた。
「そんな……そんなことがあったなんて……。僕、何も知らずにっ……愛人なんて言って……!」
「いや、構わない。疑われても仕方がない状況だった」
「ううっ……義兄さんっ……」
リアムは涙を拭い、ディートハルトは義弟を優しい顔で見守る。そんな中、アリアは「義兄さん!?」と弟の態度の変わりっぷりに驚いていた。
疑ってすみませんでした、と繰り返すリアムが落ち着いたころ、アデール家に向けて出発する時間を迎えた。
馬車の前で、リアムは目元を赤くしたままディートハルトに向き合う。ルカも見送りに来ていて、リアムの泣き跡を見てきょとんとしている。
「……義兄さん。姉をよろしくお願いします」
「……ああ」
リアムが手を差し出すとディートハルトも応え、二人は固い握手を交わす。男同士が見つめ合う横で、アリアは「『ああ』って言った!? 託されて了承した!?」と心の中で動揺する。
「でも、もし姉さんを悲しませたら……。そのときは、返してもらいますから」
なんてこと言ってるの、と焦るアリアなど気にせず、リアムは不敵に微笑む。ディートハルトは一瞬だけ驚いたような顔をしてから、「それは怖いな」と返した。
(怖いの!? 私が実家に帰ることが!? この人にそんな感情あるの!?)
衝撃の展開の連続で、アリアは口を挟めない。
「あなたの援助を元に、我が家は建て直しを図っています。成功したとき、もしも姉が苦しんでいたら……うちに連れ戻しますから」
「いい心がけだ。きみにとって、アリアは本当に大事な姉なんだな」
「はい。誰よりも幸せになってほしい人です」
その答えを聞いて、ディートハルトはふっと笑った。姉妹を持つ男同士、どこか通じ合うものがあるようだ。もしかしたら、ディートハルトも妹に対して同じことを思っていたのかもしれない。
そう察することはできるのだが、アリアはなんだか面白くない。
(二人の間に何か芽生えてない!? 私なんて、最近までまともに話もしてもらえなかったのに……!)
悔しさを抱えながら、アリアはじろっと夫を睨んだ。
その後、リアムはルカを抱きあげて「またね」と笑いかける。そんな二人を見守るディートハルトは、どこか寂しそうだった。続けて姉弟でも別れのハグをして、ついに出発となった。
リアムが馬車に乗り込む直前、ディートハルトはふと思い出したようにこう言った。
「そういえば……きみは、私がアリアの良さを理解していないと言っていたな。だが、少しはわかっているつもりだ。今更、彼女を実家に帰す気はない」




