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弟、襲来 ③

「……え?」


 先を歩いていたリアムが急に立ち止まる。アリアは反応が遅れ、彼にぶつかってしまった。

 姉よりもすっかり身長が高くなり、体つきもしっかりしてきた弟は、それくらいではびくともしなかった。


「……本当に甥なら、結婚式に出席してたっておかしくない。けど、ルカはいなかった。話すら聞いてない。妹さんの子だっていうなら、父方の親戚がいるはずなのに僕らは会ってない。やっぱりおかしいんだよ。後ろめたいことがあるとしか思えない」

「それは……」


 リアムの言う通りだった。結婚する際、ルカの存在については何も聞かされていなかった。ルカの父方の親戚を紹介されることもなかった。

 なのにいきなり甥っ子が現れるなんて、おかしな話なのだ。


「……あなた、やっぱり旦那様に愛人がいると思ってるのね」

「……そうだよ。どう考えても怪しいじゃないか」

「でも、この屋敷の使用人にも聞いたのよね? ルカは間違いなく旦那様の甥っ子だって」

「そんなの、使用人なら主人を庇って当然じゃないか。信じられない」

「そうかもしれないけど……」


 過去には、アリアも同じことを思っていた。使用人の言葉だってすぐには信じ切ることができなかった。

 アリアが二人は伯父と甥だと確信できたのは、ディートハルトが呪われていたからかもしれない。彼が呪われていたからこそ、親は別にいると思えたのだ。


(でも、ルカの両親のどちらか……おそらく妹さんに呪われているだなんて、勝手に言えないし)


 他言無用だと、ディートハルトとも約束している。愛人疑惑を晴らしたくても、どうにも決め手に欠けた。


「ほら、やっぱり姉さんだって否定できないんじゃないか。……あの男、甥っ子だなんて言って、姉さんに母親代わりをさせようとしてるんだ。姉さんが優しいからって、それにつけこんで……!」


 アリアが上手く説明できないせいで、リアムはどんどん疑念を膨らませていく。このままではまずいと、アリアは必死に言い募る。


「本当に違うのよ。ルカを引き取ろうって言ったのも、私で……」

「姉さん! 僕が真相を暴いてみせるから! あの男、絶対許さない! クズめ!」


 続けて、リアムは「不貞野郎」「ろくでなし」とディートハルトを罵る。その発言にアリアがぴくりと反応したことにも気づかず、リアムはその後も汚い言葉を並べた。


「ふん。あんな奴、すぐにでも離婚させて……」

「……リアム? いい加減にしてくれないかしら」


 すっかりいい気になっているリアムの肩を、アリアが掴む。にこやかな笑顔とは裏腹に、彼女からは怒りのオーラが溢れ出ていた。


「ね、ねえさん……?」


 姉の怒りを感じ取り、リアムは頬を引きつらせる。


「あのね、リアム。旦那様は、たしかに疑われるような行動をとっていたし、私に対して冷たかったし、事前の連絡もなくいきなりルカを連れてきたわ」

「かなり怪しいじゃないか!」

「……そうね」


 アリアがそう答えると、リアムは「やっぱり怪しい」と憤る。そんな弟の前で、アリアは静かに目を閉じ、胸に手を当てた。


「でも、実は情に厚くて……家族思いで……。あなたが思っているような嘘をつく人じゃないの。ルカが甥っ子だって話も、本当よ」


 アリアが緑の目を覗かせて、真摯に訴えかける。するとリアムは「うっ」と怯んでいた。


「私のことを心配してくれるのは、すごく嬉しいわ。ありがとう。でも、本当に大丈夫なの。私たちは今、ルカと三人で家族になろうとしている。……それを邪魔するなら、リアムであっても許さないわ。これ以上、旦那様を疑うのはやめて」

「ねえ、さん……」


 姉に拒絶されるとは思っていなかったのか、リアムは泣きそうな顔をする。


「あなたが私のことを大切に思っているのは、わかってる。でもね、私は今、ブラント公爵家の人間でもあるの。これ以上、私の家族を侮辱しないで」

「っ……」


 アリアの言葉に、彼は俯いた。一方のアリアは、自分の中にこんな感情があったことに、自分でも驚いていた。

 いつの間にか、ディートハルトのことを悪く言われるのは嫌だと思うぐらいには、彼に対して好意的になっていたようだ。


「……姉さんは、あの人のことが好きなの?」

「へっ? あ、えっと、そういう、わけじゃ……」


 下を向いたままのリアムにそう聞かれて、アリアはうろたえる。違うの、そうじゃなくて、ともごもごしていると、リアムはじーっとこちらを観察していた。


(夫婦なのに、好きじゃないっていうのもおかしいわよね!? でも、旦那様のことが好きとか、そんな……)


 弟の追求を逃れたいなら、嘘でもそう言ってしまえばいい。けれど、できない。「好き」の一言を口にしようとするだけで、顔に熱が集まり、心臓はばくばくと音を立てた。


(旦那様、最近はちょっと柔らかくなったけど、最初の頃の態度だって忘れてないんだから! 私があの人を好きとか、そんなわけないわ! 旦那様だって、私のことなんて……)


 そこまで考えたところで、アリアの頭の中にここ最近の朝の光景が思い起こされる。ルカが正式に養子となってから、三人で一緒に寝たいと何度かねだられている。

 ルカの「わがまま」を聞き入れてベッドに入ると、翌朝にはほぼ必ずアリアはディートハルトに抱きしめられているのだ。しかも昨日の朝などは、「もう少し……」と言いながらアリアを抱き込んで二度寝していた。


(……あれ? もしかして旦那様って、私のことをそんなに悪く思ってない……?)


 その事実に気が付いたアリアは、耳まで真っ赤に染め上げた。そんな姉を見てリアムはなにかを察したのか、「はは……そっか……」と自嘲気味に笑った。


「……ごめんね、姉さん。新婚生活の邪魔をしようとして」

「べ、別に、そんな、愛ある結婚じゃないし! 愛し合って結婚したわけじゃないから!」


 弟になにやら勘違いされている気がして、アリアは慌てふためく。

 しかし姉の照れ隠しとしか思えない態度のせいで、リアムはより強く、夫婦の間に絆があると感じてしまったようだった。「違うの!」とムキになるアリアに向かって、リアムは力なく微笑んだ。


「……僕、ずっと姉さんに謝りたかったんだ」

「……私に、謝る?」

「うん。だって、姉さんが会ったこともない男と結婚したのは、家のためでしょ? もし、僕が……。『リアムなら家を建て直せる』と信じてもらえるような男だったら……。姉さんは、愛のない結婚なんてしなくてよかったんじゃないかって、ずっと思ってた」

「リアム……」


 アリアと同じ緑の瞳には、涙が浮かび始めていた。リアムは鼻をすすり、涙を拭う。


「僕に力がないせいで、姉さんは幸せな結婚が、できなかった。姉さんには、絶対幸せになってほしかったのに。だから、ディートハルトに愛人がいると思ったら、許せなくて」

「……そんな風に、ずっと自分を責めてたの?」


 アリアがそう問うと、リアムは小さく頷いた。アリアは、彼が責任を感じていることを知らなかった。

 結婚に反対されたのも、見知らぬ男に姉を奪われるのが気に食わないからだと思っていた。けれど、それだけではなかったのだ。

 彼女は愛する弟に近づくと、安心させるかのようにぎゅっと抱きしめた。


「……邪魔するななんて言って、ごめんなさい。……あなたのことを信じないで、結婚しちゃってごめんね。……たしかに、私は愛のない結婚をした。でもね、不幸なんかじゃないのよ」


 リアムの頬に触れると、彼は顔を上げた。二人の、同じ緑の瞳が見つめ合う。


「私、意外と楽しくやってるんだから。旦那様……は今もよくわからない部分はあるけど、真面目で優秀なのは確かだし。ルカはあなたも知っての通り、すっごく可愛いわ」

「……うん」

「だから、もう自分を責めたりしないで? 私は、あなたみたいに優しい弟がいて、十分に幸せよ」

「姉さんっ……」


 互いに涙を浮かべながら、姉弟が抱き合う。そんな二人のやりとりを、影で聞いている者がいた。

 その人は、彼らに声をかけることなくその場を立ち去った。


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