甥っ子くんと、呪われた旦那様 ⑧
翌朝、年上夫に勝利したアリアは上機嫌にルカのもとへ向かう。
(ずいぶん頑なだったけど……。旦那さまって、こちらの意見を全く聞いてくれないわけでもないのよね)
あの冷徹男にも少しは情があるのだと思えて、くすりと笑う。
(でも、呪いについては譲ってくれなかったわね……。同じ家に住む甥っ子に触れないって、不便だと思うんだけど)
昨夜のアリアは、もう一度呪いを解くことを提案した。しかし、彼は「解かない」の一点張りで、説得の余地もなかった。
(なんとかしたいけど……今は仕方ないわ。甥っ子に触れないとなると、亡くなったご両親のどちらかに呪われている可能性もある。私がこれ以上踏み込むのは、流石にやりすぎだわ)
ルカを一旦家に置くと決めた時点で、彼なりにアリアの意見を尊重してくれている。
加えて呪いの問題まで片付けようとするのは、いくらなんでも急ぎすぎだ。
もしも彼が妹に呪われているのなら、妻という名の他人に無暗に口出しされたくないだろう。
(呪いの件は一旦保留にするとして……。これからは、ルカとの交流をもっと楽しみましょう!)
ルカ用となった部屋の前に辿り着き、アリアは気持ちを切り替える。意識して明るい笑顔を作ると、二回ノックしてから元気に扉を開けた。
「ルカ! おはよう! ……あれ?」
開け放たれたドアの先に、ルカの姿はなかった。けれど、彼が勝手に屋敷の中を出歩くことはほとんどない。
この部屋のどこかにいるはずだ、とアリアは右から左へと視線を移動させる。すると、部屋の隅で縮こまるルカを発見することができた。
「……ルカ?」
アリアは彼に近づき、そう声をかける。
ルカはびくっと大きく身体を震わせてから、おそるおそるといった様子でこちらに振り返った。彼のくりくりとした青い瞳は、明らかに怯えている。
(……? どうしたのかしら)
使用人の話によれば、ルカは先ほどまで朝食をとっていたはずだ。実際、テーブルには食べかけのパンや果物がおかれている。
ルカはまだ五歳で、食事中は大人がそばについているべきだ。
けれど、ルカが極端に緊張し、時には泣き出してしまうため、食事の際は食べやすいものを用意して一人にしてあげることが多かった。
これまでにルカがどんな扱いを受けていたのかが伺えて、公爵家のみなが心を痛めていた。
そんなルカの邪魔をしないようにとタイミングを見計らって訪ねてみれば、彼は隅っこで震えているではないか。
(まさか、怪我や火傷……!?)
子供一人の食事でも危なくないよう、食器の素材やスープの温度には気を配っているとは使用人から聞いている。それでも万が一ということもある。
アリアは慌ててルカに駆け寄り、「どうしたの?」「なにかあったの?」「お顔を見せて?」と優しく声をかける。けれどルカは壁のほうを向いてしまい、目を合わせてくれない。
(できれば、本人から話してくれるのを待ちたいけど……。怪我かもしれないし、そうも言ってられないわ!)
ごめんね、と言いつつ、アリアはルカの脇に手を入れて持ち上げ、こちらを向かせた。
ルカからは「ひっ」と悲鳴にも似た声があがったが、もしものことを思うと放ってはおけない。
すぐに治療が必要かも、と考えるアリアが見たものは――。
「……シミ?」
ルカが着るシャツについた、茶色いシミだった。ぽかんとするアリアの前で、ルカは声を震わせる。
「スープ、こぼして……。ごめ、ごめんなさいっ……」
彼のアイスブルーの瞳には、涙の膜ができていた。けれどそれが零れ落ちるよりも前に、アリアが優しくルカの肩に触れる。
「いいのよそんなの! それより、火傷してない?」
「……え?」
ルカにとっては、思いもよらない返事だったのだろう。
「他にはなんともない? どこか痛かったら教えてね」
アリアがそう言いながらルカにぱたぱたと触れると、彼は驚いたようにじいっと見上げてくる。
「大丈夫。シミぐらい、全然気にすることないわ。私だって、もう十八歳なのにスープをはねさせるもの。それより、一人にしてごめんなさい。私がそばにいれば、すぐに気が付いてあげられたのに……」
きっとルカは、服にシミを作ったことで厳しく叱られると思ったのだろう。
食事中に人がそばにいると怖がることといい、前に預けられていた家でどんな扱いを受けていたのかが伺えた。
(それでもやっぱり、一人にすべきじゃないわよね……。今回はただのシミだったけど、本当に怪我や火傷をする可能性もあるし……)
アリアはルカを撫でながら、どうしたものかと悩んだ。そうしているうちに、ルカも何かを感じ取ってくれたのだろうか。彼が「あの、ね」と小さく口にした。
「……いたいところは、ない。ふくだけ」
「……!」
ルカはこれまで、ほとんど話してくれなかった。最も彼に接しているであろうアリアだって、最も多く聞いたのは「ごめんなさい」「はい」といった短い言葉だけだ。
そんな彼が応えてくれたのが嬉しくて、アリアの胸が高鳴る。
「……ご、ごめん、なさい」
感激のあまりアリアが静かになってしまったからか、ルカが委縮する。アリアはハッとすると、彼に笑顔を見せた。
「痛いところはないのね。よかったわ! それじゃあ、着替えを用意してもらいましょうか」
明るく言ったつもりだったが、ルカの表情はさらに曇る。
「……ルカ? どうしたの?」
「……おこられない? ふく、よごしたの、おこられない?」
ルカの瞳には、再び涙が浮かんでいた。
(……そっか。他の人に着替えを持ってきてもらったら、服にシミをつけたって知られちゃうものね)
そうなれば、「誰が洗うと思ってるの」「手間をかけさせるな」などと叱られてしまうかもしれない。ルカはそれを恐れているのだ。
(この屋敷の使用人に、そんなことを言う人はいないわ。でも、ルカは不安よね)
少しずつだけれど、ルカは心を開きつつあるように思える。
それなのにアリアが使用人に汚れた服を渡せば、ルカは裏切られたような気持ちになるかもしれない。
アリアはどうすればいいかしらと少し考えて、すぐに答えを思いつく。
「ここの人たちはみんな優しいから、怒られたりしないわ。でも、心配なら……」
彼女はいたずらっぽく笑うと、ルカの耳に顔を近づけた。




